04 投獄皇子と盲目司祭と神殿騎士と
「こっ汚ねぇなぁ」
ガヴリエルが顔を顰め、牢の中を眺めていた。
このエルフとは何かと考えが合わなそうなトリスもそれは同感である。
セドリック一行が押し込められているのは、王国軍の砦の一つにある牢屋。
洞窟を利用しているらしくて、じめじめとして、すえた臭いが不快でしょうがない。
それほど広いわけではない牢屋に五人が入れられているので、その点でも快適さはない。
男性陣三人は地面に腰を下ろしていた。トリスとガヴリエルは湿った地面でお尻が濡れるのが嫌で、ずっと立っている。
戦神の盲目司祭セクメト以外の、セドリック達一行は牢屋に入れられていた。しかしそれはセドリックの正体がジュリアス皇子であること、トリスの正体が帝国宮廷魔術師メシェファであることが王国側にばれた、わけではなかった。
一行はセクメトの戦神布教の旅とその護衛という名目で、この砦までやってきた。
そのセクメトが問題なしと判断されるまで、武器を取り上げられて、この牢屋に待機させられているだけだ。鍵はかかっているが、王国の兵士たちにとって大事なのは戦神の司祭であるセクメトであるので、この扱いは当然だろう。魔術師のトリスがいるにもかかわらずなんの防魔対策のない牢に入れられていることからも、形ばかりの拘束なのがわかった。
「しっかし、八千の軍が駐留する砦にしては随分小さいよねー」
ガヴリエルは牢屋の外に目をやりながら、誰も近くにいないことを確認する。
たしかに。
トリスはまたまたガヴリエルの意見に同意した。
この砦は一行が王国の斥候隊と遭遇した場所からそれほど遠くない場所にあった。山の中に隠れるようにある。恐らくトリスが外から見た感じだと、精々百人くらいしか収容できないはずだ。
入りきらない兵士たちは砦の外にでもいるのだろうか。
「いや、ここはおそらく山岳部隊の基地だろ。戦略的にも軍が拠点にするところじゃないし、砦の造りも防衛のためというより中継拠点みたいだしね」
セドリックが岩を背に、両腕を頭の後ろに組みながら言った。
「……セドリックは落ち着いてますね」
トリスは幾分恨めしそうにセドリックを睨んだ。
自身の身分を考えれば、こんな任務を自ら買って出ることはできないはずである。
トリスは『定点転移』を習得している。この魔術なら自分を含めて三人までなら、帝都に瞬間移動することができる。だがそれも魔法陣のある場所同士でしかできない。その魔法陣は討伐軍の砦に起動してある。そして討伐軍の砦は、この少人数でも三日はかかる後方にあった。
「まあまあ、ソーテイの範囲内ですよ。ところで、門を入った所に繋いでた騎馬を見たか?」
トリスはその問に上を見上げて、この砦に入ってきた時のことを思い出した。
「いましたっけ?」
思い出そうとしても、緊張していたせいか、そんな物を見た覚えはなかった。見なかった覚えもない。
「いたのう」
今まで黙ったいたドワーフのトールキンが口を開く。装備していた全身甲冑は当然のことながら、取り上げられている。等身が人とは違うドワーフが肌着姿で座っているのを見ると、まるで大きな肉団子のようだが、トリスは当然そんなことを口にはしない。ガブリエルがしていたが。
「あの馬装は騎兵用じゃな」
「それも騎士隊長クラスのな」
トールキンにキャップが補足する。
「王国の懐具合を考えれば、下手すりゃそれ以上のお偉いさんかも」
「確かに、気持ち悪いけど、スンゴイ馬だったよねぇ。異種交配馬って言うんだっけ? ああいうの」
ガヴリエルも目に止めていたらしい。いい加減な人たちだと思っていたが、トリスが思うよりも優秀なのかもしれない。
「さてさて、そんなお偉いさんがこんな山の中で何をしてるのかな?」
「それでは、セクメト殿は王国まで、布教の旅に?」
セクメトの目の前に座っている男が、口を開いた。
男は全身甲冑に身を包み、ドカリとテーブルに腰を卸している。声の感じだとまだ三十路には届いていないだろう。トールキンのものと違い彼が身につけているのは全身甲冑とは言いながら、機動性も考慮に入れられているので、服が露出している場所もある。だがそれでもそこそこの重量とそれに見合う防御力はあるのだが。
男は、キルボと名乗った。そして、太陽神教団の神殿騎士であるとも。
目の見えないセクメトだが、その身分に偽りがないことは分かった。キルボの持つ魔力、彼ら宗教人は神力と読んでいるが、その保有量が物語っている。
そして、彼が太陽神教団の神殿騎士ならば、その言葉に偽りはないだろう。彼ら、太陽神の教義には公正を尊び、嘘を忌避する。セクメトたち戦神と違って……。
「あなた達の言う『布教』という言葉は我等にはありません。我等は勇気を戦にて体現することにて教えを示すのですから。しかし、王国は新しい国と聞きますから、いわゆる『布教』となる場も恵まれるでしょう」
キルボはセクメトの顔を鋭く睨んでいた。盲目の異教徒に威嚇しているのではもちろんない。観察しているのである。
「もちろん、我が王国は受け入れることができるでしょう。我が国はあの狭量で残忍な奴らと違い、信仰の自由を認めていますから。もちろん帝国政府と大地母神の人間は別ですが」
キルボはセクメトの表情の変化を見逃すまいと、じっと見つめている。が、そのセクメトはどこか笑みさえ浮かべるほどゆったりと、落ち着いてる。
「さて、これは聞いてよいものやら……」
今度はセクメトが切り出す。
「どうぞ、言ってみてください」
「では。なぜ神殿騎士のあなたがこの砦に? あなたはただの神殿騎士というわけでもなさそうだ。そんな身分の方がこのような山の中の砦に?」
「ほう、過分な評価だと思いますが、なぜそう思ったのです」
キルボの言葉に、セクメトがその顔にはっきりと笑みを浮かべた。
「私は視力を失ったが、勇者の資質を見ることはできる。あなたが一介の神殿騎士に過ぎないというなら、失礼ながらあなた達の教団に見る目がないと言わざるをえない」
「セクメト殿……一人の騎士としてはあなたの過分な評価を嬉しく思うが……」
「いや、失礼した。あなた達の教団を貶める気はなかったのだよ。それで?」
「私がこの場にいる理由でしたね。残念ながら軍事上の機密を話すわけにはいきません。ただ今は戦時ですから、私もそこいら中を駆けずり回らなければならないのですよ」
「戦時中。そういえば、ここに来る途中に帝国軍を見かけたね」
「……詳しいことは話せますか?」
「詳しいといっても見かけたというだけだがね。私はこの戦には無関係だから構わないよ」
「無関係……ですか」
キルボの呟きは無視して、セクメトは帝国軍のことについて話した。見たのはここから四日ほどの地点であったことや、万を超える軍勢であったことだ。
「直接の接触はなかったからね。遠目から見ただけだから、お役に建てたかどうかはわからないが」
「いえ、助かりますよ」
キルボは短く答えると、そのままジッとセクメトを見つめた。やはり盲目の司祭は緊張した素振りもない。
「……わかりました」
しばらく二人は黙ったままの状態が続いたが、キルボが小さく頷いた。
「セクメト殿がこの砦から先の関所までの通行を私が許可しましょう。関所の伴頭には私から一筆をしたためますので、それを渡していただければ煩うことなく手続きできるでしょう」
「ありがとう」
「……ただし、この砦に三日は逗まっていただきます。それにその間、護衛の者達の尋問もいたします。よろしいですね」
「構わないよ、それほど急ぐ旅でもないし、ここまでの道程で疲れも溜まってきたところだ。ゆっくりとさせていただこう」
「ええ、セクメト殿の部屋も用意させて頂きますし、護衛たちも牢から出すわけには行きませんが、広いところに変えさせます」
キルボとセクメトの間に交渉が一段落したことによる弛緩した空気が流れた。そこにドアがノックされる。
「なんだ?」
キルボがドアの外に声をかけると、兵士が何か急ぎの知らせに来たことを告げる。
「ちょっと、失礼します」
キルボが部屋の外に出ていく。部屋の外でやって来た兵士と話しをしているようだ。ただ声を抑えているので、普通はドアに耳をつけたとしても話は聞こえないだろう。
だが、セクメトはまるで側で話を聞いているのと変わらないくらい、彼らの話が耳に入ってきていた。視力をなくした代わりに得た能力の一つだ。
「すみません、セクメト殿」
それほど、時間をおかずにキルボが再び部屋に入ってきた。
「いやいや、それでは早速部屋に案内してもらえるかな?」
「いえ、セクメト殿、些か事情が変わりました。申し訳ありませんが、貴殿にはすぐにこの砦から出て関所に向かっていただきます」
「ほう。それは一向にかまわないが、いいのかね?」
「ええ、ちょっと火急の用でお相手ができなくなってしまいました。手紙も書いている暇がありませんので、人を付けて砦まで案内させます。伴頭へはその者に言付けさせますので」
「うん。忙しいところ申し訳ない」
「いいえ、お会いできて光栄でした」
キルボの差し出してきた右手を握り返す。
「いや、私も有意義な時間を過ごさせてもらった。共の者達も少しは休めただろうから、お邪魔にならないうちに出発するとしよう」