最終話 空を見上げれば、星は瞬く
天高く、陽は中天を指す頃。
砦では多くの兵が忙しそうに働いている。
セドリックはその喧騒には目を向けずに、砦の外を眺めていた。
「よう」
背後からの声に、セドリックは顔を向ける。
そこに立っていたのはこの砦の主、ジュリアス皇子だった。
「やあ」
短く返して、セドリックはまた前を向いた。
ジュリアスはセドリックの視線の先を追ったが、特に興味のあるものがなかったので、空を眺めて横に立つ。
ジュリアス達は無事帝国軍の本隊が駐屯している砦まで戻っていた。
ジュリアスは、軍を大山脈から撤退させることを決定している。
砦の中は陣を引き揚げるための準備で騒がしい。
ジュリアスは王国が異世界人の召喚に成功していたこと。その能力について判断を下した結果だった。
心配されるのは王国軍による追撃だが、その危険を犯してでも一旦大山脈からの撤退を決めた。
ただ、ジュリアスがみたところ、王国側にも異世界人の運用がうまく行っているとは思えない。
対策を講じた後は間を置かずに再び討伐軍が起こされることになるだろう。
「出発はいつになりそうだい?」
特に聞きたいことではなかったが、会話の糸口に尋ねる。
セドリックは今から帝国という国の宮廷に向かい、そこで皇帝との謁見が予定されている。
王国が異世界人の召喚に成功したことを公式の場で発表することになっていた。
「ん? 俺達は軍を率いて山を降りるが、お前はメシェファと一緒に『飛んで』貰うから今日の夕方には宮廷にいくことになるだろう」
異世界人に対する聴取が終わった後、どういう扱いを受けるのかはわからない。きっと王国と大差ないことを考える連中も出てくるだろう。もしそうなっても、この異世界の魔術師は逃げ出すだし、それを帝国は止められないだろう。ジュリアスは皇帝にそのことを諫言するための書簡をメシェファに持たせていた。
「わかった」
セドリックは自分で聞いておきながら、それほど興味が無いのか、短く返すのみ。
「……」
「……」
「そういや、名前はどうする? 元の名前は使えないにしても、何か名前をつけないとな」
セドリック・アルベルトの名前は、ジュリアスが潜入任務に使っていた偽名を、この異世界人に便宜上譲った名前だ。異世界人が元の世界で使っていた名前は真名に当たり、呪いに利用可能なことから、この世界では使えない。これから帝国で暮らすなら、適当につけた名前ではなくちゃんとした名の方がいいだろうと思ったのだ。
「いや、悪くない名前だよ」
「そ、そう?」
「……」
「……」
会話が続かない。ジュリアスは元々人と会話するのは苦にならない方だが、この異世界人はどうにも苦手だった。
セドリックの方といえば、無理に会話をする気もないらしく、砦の外に広がる大森林を眺めている。
「ま、いいや」
ジュリアスも無理に関わりを持つ必要はないかと、諦めた。
「とりあえず、そういうわけだから、縁がなければもう会うことはないだろう」
ジュリアスの言葉にセドリックはようやく少し興味をもった目を向けてきた。
ジュリアスは東部戦線を拠点にしていた将軍であり、いまは討伐軍を率いてこの西部に来ている。大山脈を降りたあとも、そのまま麓で防衛に当たり、異世界人への対策方針が固まればまた王国へ向けて進撃を再開することになだろう。セドリックがこの後どうなるかは知らないが、将軍として戦場を駆けるジュリアスとは会うことはないかもしれないのは確かだ。
「じゃあな」
ジュリアスは右手を差し出して、握手を求めた。
セドリックはその差し出された手を見つめている。
「ああ、握手の習慣はないんだな」
異民族討伐で活躍した将軍だけあって、すぐに察したジュリアスは、セドリックの手を自分から握って、握手を交わす。
「じゃあな、異世界人」
ジュリアスは手を離すと、あっさりと踵を返して立ち去っていった。
まだ、出会ったばかりの者同士である、別れはこんなものだろう。
セドリックはしばらくその背中を見た後、また視線を大山脈へと戻す。
この山の向こうに、王国があった。そこには逃げられなかった異世界人達がまだ十人いる。
彼らがセドリックのように逃げられることはないだろう。真名を使った『制約』の呪いはそれほどに強力だった。
あの皇子は「縁があればまた会おう」と言った。社交辞令のつもりだろうが、彼とセドリックは再び会うことになるだろう。
セドリックが王国から逃げ出し、あの砦で再び掴まったのは、セドリックが自分からそうしたからだ。
元々、『天恵』の『予知』以外にも、セドリックは日本で身につけた卦の業を持っている。
あの砦で待っていれば、自身にとって重要な『何か』が起こることを知っていたのだ。
だから、今はこんなものでいい。
かわりにレナという少女のことを思い出す。
同じ故郷を持ち、平和な未来から連れて来られた少女のことを。
彼女の話す千年後の日本の姿に、セドリックは心が奪われた。
もしかしたら、彼女の言ったことには誇張があるのかもしれない。それでもセドリックはあのレナが話した日本に夢を見ずにはいられなかった。
その少女を自分の手で殺めたことを、セドリックは一生悔いて生きるだろう。
『制約』に縛られている限り、救う手立てはなかったとしても。
セドリックは空を見上げた。
そこには青い空が広がっている。だが、セドリックの目には少女と眺めた夜空の星がはっきりと思い出せた。
そして、この先も空を眺める度に、あの星空とレナのことを思い出すだろう。
この後、セドリックが感じたとおり、ジュリアスとセドリックは再会し、共に戦うことになる。
初代オヴリガン公爵となる青年と、
灰魔術と呼ばれる新魔術の開祖となる青年はこうして出会ったのだ。
彼らがなぜ、ジュリアスがなぜ、流刑皇子と呼ばれ、未開の地ギルベナに封じられることになるのか。
それはまた、別の話。