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02 第四席宮廷魔術師






 帝都。


 大陸北部。

 大山脈の東、平野を一つ越えたところに位置する大都市である。


 帝国は大陸にあった十の国家を平定して建国された国であるが、建国後もその広大な大陸全土を平定できたわけではなかった。それは異民族であり、魔物であり、秘境であり、自然そのものであったりしたが、とにもかくにも、帝国は大陸をその支配下においたわけではない。


 ただしそれは、今まで文明が発達しなかった異民族の支配する東方。凍土であるため人の住むことのできなかった帝都以北の山間部。大山脈によって分断された西部の未開地。こういう場所が帝国の支配地ではなかった。つまり、東方以外の場所に関してはそれほど開発する魅力のない場所だった。

 この数百年。攻められるという経験はなかったが、定期的に東夷軍だけは、派遣が行われ、その都度、征夷大将軍が任命されて戦闘行為は行っている。


 だから、この帝都は建国以来、帝国でもっとも安全な都市『だった』。


 都市の北と西に山岳地帯を抱き、豊かな穀倉地帯を擁していたこの都市は、東にさえ注意を払っていればよく、少なくとも四代皇帝の世から戦争とは無縁の都市であり、そしてそれゆえ帝国最大の都市となった。


 十五年前までは。


 十五年前に起こった、帝室と太陽神教団との権威争いに端を発した内乱は、この都市も戦禍に巻き込み、人命はもちろん、貴重な文化的遺産も多数灰と化した。


 そんな数百年ぶりの大乱も、ようやく鎮火の色を見せ、帝都の政治機能も一新後の軋みから、再び表面的であれ滑らかさを取り戻し始めたそんな時代である。


 だが、内乱後、軍事的戦略はそれ以前と大きく変更を余儀なくされた。

 原因は西の大山脈を超えた未開地に、敗残の軍を取り逃がし、敵対国家の建国を許してしまったからだ。

 これにより、今まで東の平定だけに注力すればよかった軍備を西へも割振らなければならなくなった。


 とはいえ、王国を討ち滅ぼすには建国間もない今こそが最大の好機であった。

 彼らは敗残者であり、それゆえ、人も、物資も、国土も、全てが脆弱で、この長い歴史を持つ帝国とは国力において比べるべきものもない。


 王国建国より、十年ほどがたった。

 しかし、今だ王国討伐は成しえていない。

 それどころか、帝国と王国を隔てる大山脈でさえ抜けることができないのだ。


 帝国建国から七百年。

 始皇帝がこの国を建国した時から首都としてあり、皇帝の住まう宮殿はこの国で最も古い建物の一つでもある。


 今、帝都にある宮殿、その一室に皇帝以下軍事関連の重要人物たちが一堂に会していた。


 天井の高い部屋には、十数人が一度に座ることのできる大きな円卓が配置され、その席に皇帝や将軍達が座っている。


 この部屋は、皇帝を交えた実務についての会議を行う部屋である。謁見の間というのは、会議では使うことはなく、公式な会談や宣告のために使われるし、許認可といった書類仕事も皇帝の執務室が当然のことながら用意されている。この部屋はその中間にある部屋であった。


「……で、間違いないのだな」


 老人と言っていい人物が、左隣に座っている男に尋ねた。老人は豊かで腹まである長い髭をしごきながら唸るような声で言った。

 老人こそが帝国の最高権力者、つまり皇帝フリードリッヒ・ハーベン・ガッティミウスである。

 尋ねられたのは宰相のユーゲンアイルで、年の頃は五十歳を越えたほどの、まだ髪も黒々とした恰幅のいい男だった。


 ユーゲンアイルはフリードリッヒ皇帝に頷いて答える。

「間違いありません。皇子からの書状と念話による報告どちらも同じ内容でした」

 宰相の言葉に、フリードリッヒは深い、疲れた溜息をもらした。


「では、ピルエモ将軍率いる先兵隊が全滅したというのだな」


「はい、しかも今までと違い、平野部での決戦に挑み、真正面からのぶつかり合いであったと」

 ユーゲンアイルの言葉に、席を占める将軍達からどよめきが上がる。

 すぐにフリードリッヒはそれに対し右手をあげ静かにさせる。


 だが、フリードリッヒも将軍達と同じく、衝撃を受けずにはいられなかった。

 山岳地帯の地の利を生かし、奇襲による弱体化が原因で敗走したというなら今までと同じであった。

 だが帝国軍にとって、正面から主力同士のぶつかり合いさえできれば、間違いなく自分達が勝つと信じて疑わなかったのだ。おまけに今回の討伐軍は帝国最強とも言える東方軍を中心とした編成だったのである。


「いかような戦いであったのか」

 内心の驚きを出さない様に、声を抑えながらフリードリッヒは尋ねる。

 ユーゲンアイルは隣に座る将軍の一人に目配せをした。

 将軍が頷き、口を開く。


「ピルエモ将軍は先兵一万を率いて、大山脈のちょうど中間地点に位置する平野部に進軍。そこで待ち構えていた王国軍八千との戦闘になったとのことです」

「一万! 我軍は一万だったというのか。では奇襲による弱体化が原因ではないのだな? 将軍は用兵で失敗を犯したというのか」


「それも考え難いかと。ピルエモは山間部の戦闘に精通しているとは言えませんが、異民族との戦闘経験も豊富で、辺境での用兵能力は確かなものです。経験もあり、功に焦ったりつまらぬ間違いもない将軍です。その証拠に大山脈への道程で奇襲を受けながらも、一万の軍勢を保っています。なにかピルエモが手を打ち間違えたとは考えられません」


「では王国軍が真正面から二千の兵力差を覆したというのか」


 他の将軍達から疑問の声があがる。

 将軍達も別に王国軍を侮って言っているのではない。だが、彼らはほんの十年前に現王国軍となった軍隊と戦い、それに打ち勝っているのだ。西の未開地に逃がし、それが王国を建てたといっても、国力と言うものはそう簡単に回復するものではない。それほどまでに徹底的に打ち負かしたのだ。


 当時、反乱の敗残軍が大山脈に逃げられたのも、殿を務めた庸兵団が自身の命を投げ打って追撃を防ぎきったからである。その奇跡的(帝国にとっては不幸)な出来事がなければ、間違いなくあの内乱はそこで終わっていたのである。


 その敗残兵中心の王国軍が、数に勝る帝国騎士団を真正面から打ち破ったという報せ。

 到底信じられるものではない。


「では、彼奴等はこの僅かな間に軍を建て直し、あまつさえ我が帝国騎士団を凌駕する軍備を整えたというのか?」

「いえ、それが生き残った者が妙なものを見たと。なにやら面妖な現象や常識では考えられぬほどの大規模魔術を使ってきたとのこと」


 将軍の言葉に、フリードリッヒは眉を顰めた。

「妙なもの? 面妖な現象や大規模魔術というだけでは判断できん。くわしい事は分かっておらぬのか?」

「は、はぁ。何分実際に目にした生き残りもほとんどなく、その話も要領を得ぬもののようで、報告からはこれ以上のことは……」


 フリードリッヒは宰相や将軍とは反対側の席に目を向ける。

 そこにはローブに身を包んだ男女の一団が見えた。

 彼らは宮廷魔術師と大地母神教団の者達である。

「宮廷魔術師、それに司教殿。今の話で心当たりになることはないか?」


「邪神の業に違いありません!」

「魔術士達の意見はどうじゃ」

 フリードリッヒはわめき始めた司教の言葉を遮って、宮廷魔術師達に話をふった。


 司教の一言目でそれが太陽神教団憎しによるものであることがわかったからだ。平時なら気が済むまで喋らせておいてもいいが、今は時間の無駄に他ならない。また権天事件以降の内乱の結果、そういった扱いを皇帝であるフリードリッヒがしたとしても、いかに功のあった大地母神教団といえ抗することはできないのだ。


 フリードリッヒの問いに宮廷魔術士達はお互いの顔を見合わせていたが、やがて一人の女性魔術師が立ち上がった。

「大規模な魔術を行使したといいますが、それが勝敗を分ける決定打になったとは思えません」

「ふむ。おぬしは?」

「は、はい。第四席宮廷魔術師のメシェファと申します」

 皇帝の言葉にまだ若い女魔術師は緊張しながら名乗る。

「うむ、メシェファとやら。わしは魔法には疎い。おぬしの言うたことをもう少し説明してくれ」


「はいっ、陛下。一撃で何十人もの騎士を葬る広範囲戦術魔法は確かに存在します。有名なところでは『星墜メテオストライク』です。しかしこれは攻城魔術としてなど限定局面の打開には大きな威力を発揮しますが、平地での大規模戦闘では決定打とはならないと思います。そのような結果を出そうと思えば、筆頭宮廷魔術師級の黒魔術師を百に近い数集めなければなりません」


「なるほど、王国に逃れた者達が極端に黒魔術士達で偏っていたということもないから、現実的ではないな」

「はい。そうなると、次は入念な準備と時間が必要な大規模な儀式魔法。戦略魔法となります。これは神秘なる存在の力を借りて天災級の事象を起こすものですが、平地なら『蛇龍地震アースクエイク』などであれば一万の軍勢を飲み込むことも可能かもしれませんが……まぁ、ないのではないかと。といいますのも、こういった戦略魔法というのは最低でも何ヶ月もの準備がいりますし、先に発動準備だけしておいて、敵が来たからすぐに発動というわけにもいきません。それに対象範囲も広いので、戦場において敵だけ狙うということも難しいと思います」


「しかし、地震を起こす魔術ではなく、なにか全体に呪いをかけるような我が軍全体を弱体化させる魔法とか、いきなり気象条件を変えてしまう魔法とかは考えられぬか。それならば事前に自軍に対処を準備させておけば、相手にだけ魔法をかけるということはできるのではないか?」


「えー、それでもやはり発動させる時を合わせるのが困難ですし、それに先ほどの報告からも戦略魔法が使われた可能性は低いと思います。といいますのも、先ほどの報告では『妙なものを見た。面妖な現象が起こった。大規模魔術を使ってきた。』ということでした」

「その通りだ」


「しかし、もし戦略魔術が使われたなら、『地震が起こって軍が飲み込まれた』『土砂流が軍を飲み込んだ』『強大な炎が軍を飲み込んだ』こういった一つの原因を具体的に述べるという表現になるかと思います。」


「つまり?」

「えー、これは私の私見ではあるのですが……」

「よい、申せ」


「は、はい。では申し上げます陛下。『常識では考えられないほどの大規模魔術』との事でしたが、戦場では様々な不可解なことが起こっていたということその生存者が認識できたこと、また報告がいまひとつあやふやなことから、複数種類の高位魔術、例えばある者は『火球ファイアボール』を何十発も放ち、ある者は、状態異常の魔術を広範囲に放った。それであれば、魔術にくわしくない者から見れば『常識では考えられないほどの大規模魔術』や『不可思議な現象』に見えないこともないかと……」


「いやいや、それはないだろう!」

 思わず声を上げたのは、隣に座ってた同僚の宮廷魔術師だった。

 反対側に座っている将軍達もその言葉に頷いている。


「だ、だからこれはあくまで私の私見だと……」

 メシェファは涙目になりながら、ぼそぼそと声を上げた同僚に言い訳をしている。


 魔法が戦争に利用されるようになって以来、それは戦争の在り方を変えることとなったが、それでも魔法や魔術が無制限に使えるわけではない。普通、『火球ファイアーボール』の魔法で一撃で完全装備の騎士を斃せる火の玉を一個、具現化し、放つことができれば十分一人前である。一流の魔術師でさえ数発ということを考えれば、メシェファの言ったことがかなり荒唐無稽な話だとわかる。宮廷魔術師や将軍たちが否定したのは、そのことをよくわかっているからだ。


 そんな彼女をよそに、フリードリッヒは宮廷魔術師の中にいた小柄な老人に目を向けた。

「ひょ?」

 老人は老齢によって垂れた瞼を片目に開いて主の方を見る。

「筆頭宮廷魔術師のお主ならできるか?」


 主の問いに老魔術師は口をモゴモゴと動かしてから答えた。

「魔道具の類を使えばできぬこともありませんが、しかし一万の軍を葬るほどの数となるとそれこそ何百人と必要ですぞ」


「では、あの宮廷魔術師の申したことはありえぬと?」

「常識で考えるのであれば。薬品や油などを合わせて利用すれば報告にあったようなこともできるでしょう。例えば、王国軍が我らも知らぬ工学兵器を用いたとか」

 老人の言葉に、他の者が顔を見合わせ、「それならあるやも」とヒソヒソと囁き合っている。


「しかし、本当に四席の申したようなことが起こったやもしれませぬ。その場合は、状況としては最悪ですな」

「しかし、先ほどおぬしはそのようなことはありえぬと」

「常識であれば、そして……人であれば」


 筆頭宮廷魔術師の言葉に場の空気が冷えていくのが分かる。

「……『人であれば』とはどういうことだ」


「古の昔、始皇帝が現れる前、魔神を呼び出し、世界を征服しようとしてた愚王がおりました。その者は魔神を制御することができず、すぐに殺されてしまいましたが、魔神は世に放たれ、世界を滅ぼそうと悪魔を従えて侵略を開始したといいます。結局のところこうして人の世が続いている通り、魔神は英雄によって討ち取られたのですが。

 それはさておき、悪魔は我々人間と違い、条件さえ整えば魔力の枯渇を気にすることなく魔法を行使することができます。そして普通は人間には悪魔を召喚し、使役したとしても個別に契約しなければなりませんが、魔神は悪魔を軍勢として使役することができまする。それこそ何百の悪魔、何千の魔物を同時に」


「王国が魔神を召喚したというのか?」

「いえいえ。魔神は人間などに御することのできる存在ではございません。ワシが申したいのは、そう言った常識では考えられぬ手もあるということ」


「ふむ」

 一通り話を聞いて、フリードリッヒは深く椅子に背を預け、考え込んだ。


「やはり王国になにか変化があったと考えるべきだろう。少なくとも我が軍一万を打ち破ったことは間違いないのだ。ならば何が起こったのか調べる必要がある」


「陛下」

 宰相が口を開く。


「討伐軍を引き戻すべきでは?」

 今回の王国討伐軍を率いているのは、高位後継者で民衆の人気も高いジュリアス皇子である。

 何があってからでは遅い。


「それはなりません!」

 抗議の声を上げたのは、大地母神教団の一派である。今回の困難な任務をジュリアス皇子に押し付けたのも彼らだ。せっかくのジュリアス皇子を追い落とす好機を逃すまいということか。


「皇子にはなんとしても踏みとどまって貰わねば。もしあの異教徒どもが邪神の力を利用していたのならば、大山脈を抜けられれば、目と鼻の先にこの帝都があるのですぞ!」

 帝都大司教の金切り声に、宰相は内心で舌打ちした。


 本来ならば、権天事件以来、帝室の権力は各宗教の上位に存在することがはっきりとした。

 しかし大地母神教団は先の内乱で最大の功をあげ、急速にその勢力を帝国中に広げている。

 さきほどの軍議の発言ならまだしも、その影響力を無視することはできない。


「軍の指揮はジュリアスに任せておる。あの戦上手であれば引き際を誤るまい。留まるのか退くのかを状況がわからぬ我等が判断することも危険だ」

 フリードリッヒもその辺りのことは分かっているのだろう。あえてそこには触れないように発言をしている。


「では、撤退の判断はジュリアス皇子に任せるということで」

 宰相が念押しする。フリードリッヒが頷くと、司教達は顔を歪めたがそれ以上何も言わなかった。彼らも状況がわからぬなかであまり強行に交戦論を唱えるわけにもいかないのだろう。


「だが、我らとしても一刻も早く、情報を手に入れる必要がある。そこでこちらからも人を派遣しよう」

 そう言って、フリードリッヒが筆頭宮廷魔術師の老人を見る。


「そうですなぁ。上席の宮廷魔術師であれば遠方地へも『飛ぶ』ことはできます。では誰をやるかのう」

 そう言って老魔術師は配下の宮廷魔術士達を見る。


「ん。メシェファ四席。とっさに目を逸らしたおぬしじゃ」


「うぇ!?」

 女魔術師が驚きのあまり奇声を喉から漏らした。


「あ、あの……私は魔導師なので現場はちょっと……」

「大丈夫じゃ、ちょっと様子を見てくるだけで、なにも戦闘に参加する必要はない。戦場に行くだけじゃ」

「ち、ちがいがわかりま……」

 メシェファの抗議を無視して、老魔術師はフリードリッヒのほうに顔を向ける。

「ではさっそくワシは戻って術式を起こしてまいります」


「よし、ではユーゲンアイルとジゲル将軍は私の執務室まで来てくれ」

 フリードリッヒは手を叩いて立ち上がると、後方の扉の向こうへ足早に歩いていってしまった。

 それを合図に円卓に座る人々が次々と立ち上がり、フリードリッヒとは反対側の扉へと出て行き始める。


「ちょっ……」

 口をパクパクさせているメシェファだったが、そんな彼女を置いて同僚の宮廷魔術士達も立ち上がって扉に向かっていた。そのうちの何人かはポンポンと彼女の肩を叩いて去っていく。


「……」


 皇帝の消えた背中を掴もうとするかのように、宙に伸ばされたメシェファの掌がワニワニと蠢いていた。






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