16 深森鬼影
断末魔。
誰のものかは、考えるまでもなく、先に進んだ斥候班のうちの一人だろう。
立て続けに悲鳴があがる。
「構うな」
キルボは周りを囲む神殿騎士達を落ち着ける。元より斥候兵達を当てにしていない。
例えこの先で戦闘が起こっていようと、隊形を崩してまで駆けつける理由はなかった。
「それより、弓矢に気をつけよ」
ジュリアスの配下には、エルフの射手がいた筈だ。
火力ではこちらに圧倒的に部がある。
ならばこの夜闇を利用して、暗視能力を持ったエルフの遠距離射撃も取りうる策だ。
それでキルボか、『白羊』を討ち取れるとまで都合の良くは考えていまいが、『白羊』の防御力の低さを考えれば、遠距離から盾を持つ神殿騎士を一人でも討ち取れれば成果はある。
ジリジリと歩を進める。
『魔力感知』と『敵意感知』の神聖魔術は発動済み、またキルボは勿論、神殿騎士達の鎧と盾は強い魔力耐性値がある。
だが、あくまでも、慎重に歩を進める。
悲鳴が収まった。
夜の静寂が戻る。
キルボは二つの視界と、四つの感覚を研ぎ澄ませて周囲に注意を払う。
太陽神神殿騎士団の大幹部キルボの配下だけあって、周りの五人の騎士たちも油断も気負いも感じられない。
前方、炎と闇の境に何かが見えた。
キルボは何も言わずに軽く手を上げて隊の歩みを止める。
「あれは……」
人の姿が、炎の揺らめきに浮かび上がる。
人数は二人。
黒い刀身の長剣に、金髪。橋上で雷の魔術を使っていた男、侵略軍総大将ジュリアス。
もう一人は、黒い髪に、白い肌。『天秤』。
ラウンドシールドの部下が、祝詞を呟いているのが聞こえた。
「キルボ様、どちらも变化の魔術の類ではありません。『天秤』本人です」
部下が使っていたのは、太陽神の神聖魔法『看破』である。
魔術ではなく、太陽神の加護をその目に宿し、真実の姿を見通す神聖魔法であった。
となると部下の言葉に間違いはない。
「伏兵に気をつけろ」
言わずとも、部下たちも前方だけでなく側面や後方にも注意を払ったままだ。
『白羊』の両手がゆっくりと前に伸びる。勿論、そうさせたのはキルボノ意思だ。
両側に佇んでいた炎が、腕の動きにあわせて、ゆっくりと前に進む。それから横に移動する。
そして、『白羊』の腕が何かを鷲掴みにするような形に力が込められた。
大人ほどの大きさだった炎の柱が一気に巨大化して聳え立った。
まるで大蛇が首を伸ばしたように木々を突き抜け、天を焦がしている。
だが、これほどの大火に関わらず、一切の音を放っていない。中心を白、外に向かうほど青の光を放ちながら、静かに辺りを照らしていた。
威嚇などではない。
理由は三つあった。
一つはもちろん辺りを照らすためだ。巨大な炎に寄って闇に沈んでいたはずの森の中が昼間の様に明るかった。
「皇子自ら姿を現したか」
側に『天秤』だけを従えて、立っている。魔法の長剣は抜いているが、どこか落ち着いて攻撃してくる気配もない。
炎を巨大化させた二つ目の理由。
狼煙の代わりに炎の柱を天高く建てたのだ。
事前にこの炎が見えた場所を包囲して、その網を縮めていくように予め指示は出していた。
きっと、街道の各拠点の兵士たちが森へと移動し始めたはずだ。
三つ目の理由。
キルボは『白羊』の顔を見た。
かなり巨大な炎を発現させたが、鼻血などの副作用はないようだ。変わらぬ虚ろな目で前を向いている。
『白羊』の炎は目に見える範囲ならどこにでも発現させることができるが、まだ標的を視界に捉えてから炎の発現までは若干の時間差がある。
大規模戦闘ならば問題はないが、逆に、少数規模の戦闘だと相手の速度によっては後手に回る可能性がある。
いつでも大火を操れるようにしておいてから、キルボは前に出た。
部下が盾で固めた囲いの中からも出て、ジュリアス達に近づく。
数歩近づいてから、声をかけた。
「ジュリアス皇子だな」
分かりきったことではあるが、反応を見るために尋ねる。
帝国の皇子は、剣を担いで、トントンと肩で拍子をとっていた。
「そういう、お前は太陽神教団の大幹部と……炎の魔術師だな」
ジュリアスはキルボの肩越しに見える『白羊』を覗きこむようにしていった。
さて、ジュリアスの狙いはどこにあるのか。
キルボは相手をよく観察した。
緊張している様子はまるでない。
盾をどこにやった?
ジュリアスは確か手盾を背中に背負っていたはずだ。それが見当たらない。
「ジュリアス皇子、投降しにきたのかな?」
ジュリアス皇子は何も答えずに後ろに下がりだした。
「?」
なんだ?
キルボはジュリアスの意図を図りかねたが、自身も後ろに下がって、配下の囲みの中に戻った。
明らかに誘っているのだが、意図が見えない。
キルボの五感に『警報』鳴り響く。
『敵意感知』の効果だ。
矢が飛んできたが、当然神殿騎士達が構える盾に弾かれる。
何が狙いだ?
「キルボ様!」
部下から警戒の声が上がる。
声に従い、弓矢が飛んできた反対方向から全身金属甲冑のドワーフが突っ込んでくるのがわかった。
ドワーフは手盾で体の前面を隠しているが、体格から見て間違いない。
力押しかっ!
だが、戦法として強行突破は愚策とはいえない。
『白羊』の防御力は低く、そのため五人の部下のうち四人は防御専門。
おまけに懐に入られれば炎は使えないのは間違いない。『白羊』自身には炎は効かないが、回りにいるキルボ達はそうは行かない。乱戦に持ち込まれれば、確かにまずい。白羊の火力は人には抗することの不可能な力ではあるが、それゆえに大軍に対してこそ最も力を発揮する能力だった。
しかも『敵意感知』は複数の敵意を個別に判別することはできない。先ほどの弓による攻撃は、このドワーフの特攻から気をそらす為か。
だが、ドワーフの足は遅い。
キルボは『白羊』を操って、ドワーフを対象に発火と爆発を発現させる。
ドワーフの構える盾に炎が生まれ、即爆発する。
「グゥ!!」
ドワーフの体が後方に吹き飛ばされる。
ドワーフが着込んでいる全身鎧は魔法銀製。しかもドワーフが作った精巧な鎧で、隙間がまったくない。構えている盾も元はジュリアスが持っていたもので魔法効果があり、普通の鎧ならそれごと消炭に変える『白羊』の炎にも一瞬なら耐えられる。
そう思ったからこそ、足の遅いドワーフに特攻を行わせたのだろう。
しかしキルボはそれを読んで、発現した炎に燃焼ではなく爆発の効果を選んだ。
さすがはドワーフの造った鎧というべきか、爆発をうけた本人は盾を手放し、吹き飛ばされたがすぐに立ち上がった。
とはいえ、こうやって距離を保てば、後は焼き殺すだけだ。