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前編

 あちらこちらで木の葉が赤く染まり、冷たい風に揺られている。

 その様をぼんやり眺めながら俺は、はぁと深くため息を漏らしていた。


「どうしましたか王子。今日も、マジリナ様とのお茶会を欠席なさるおつもりで?」


「そうに決まっているだろう。あんな女と、誰が茶を飲むか。気持ちが悪くなる」


「……。左様でございますか」


「俺は執務に忙しいのだ。そう、あの女に伝えておけ」


 執拗に話しかけてくる鬱陶しい召使いを部屋から追い出すと、俺は小さく舌打ちする。

 外はこれほどにも寒そうだというのに、野外での茶会などふざけている。わざわざ登城したあの女には悪いが、茶会などに赴く気はさらさらなかった。


 俺はラドン・キュンガー。このキュンガー王国の第二王子だ。

 そんな俺には幼い頃からの婚約者がいる。それがあの女、マジリナ・ウィージョ侯爵令嬢。容姿はいいがそれだけで、俺とまともに口を聞こうとしない、礼儀のなっていない女である。


 そのくせ律儀なことに決められた茶会の日にだけ王城へやって来るのだが、俺が相手してやっても「はい」か「いいえ」くらいしか言わず、後は黙りこくるばかりだ。婚約してから数年は我慢してやっていたがとうとう俺の堪忍袋も限界を迎え、最近はこうして執務室にこもっては「忙しい」と言って断り続けている。


 どうにか彼女と婚約破棄できないものだろうか。マジリナと俺はもちろん政略結婚だから、そう簡単に解消できるはずがない。そうなったら破棄しかないわけだがそれもうまくいかず、俺はここ最近そのことばかりを考えていた。


 ――そして何度目になるかわからないマジリナの訪問を退けた後、俺は何の前触れもなく、ふとあることを思いついた。

 きっかけは窓の外に広がる一面の紅葉樹。秋の訪れを感じさせるその景色が俺に閃きを与えたのだ。


「もうすぐ仮装祭か。……あ!」


 仮装祭。それはキュンガー王国に古くから伝わる風習で、秋の夜に揃ってモンスターになりきり、夜会で踊り明かすという祭りのこと。

 どうしてそんな風習が生まれたかと言えば、その日には各地で討伐されたモンスターの魂が蘇り人間を襲うのだと言われていて、自分たちもモンスターになり切ってしまえばその目を誤魔化せるという完全なる迷信である。


 しかし近年の仮装祭は下級令嬢が上位の令息に声を掛けるふしだらなパーティーと化していて、実際俺もわけのわからぬ骸骨女――男爵令嬢だったらしい――にキスされそうになってからというもの、数年出席していない。だがこの仮装祭、使えるのではと思ったのだ。


 何にって? もちろん俺の婚約破棄計画にである。


「パーティーで別の女と適当に関係を持ち、それを口実に婚約破棄する。多少の慰謝料が発生したり謹慎されられたりはするだろうが、なあに、構うものか。マジリナと縁を切ることができるこれ以上にないいいアイデアだ」


 考えれば考えるほど、妙案に思えた。

 俺は数日前に召使いに渡され、しばらく放置していた仮装パーティー参加の書類を見つけ出すとすぐ手に取って書き込んだ。これで俺は数年ぶりのパーティーに出席することになる。

 そしてそこでいい女を見つけ、適当にたぶらかされるのだ。


 ニヤリと笑い、俺は部屋の扉の外に控えていた召使いにその書類を提出させる。

 そして仮装パーティーに参加するべく衣装を用意するべく、王族専用の仕立て屋を呼び出したのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ――そして来たる仮装祭当日。

 全身を黒衣で包み、口に鋭い牙――もちろん作り物である――を光らせた俺は、覚悟を決めて会場へと乗り込んでいた。


 吸血鬼の格好をしているものの、顔を見れば俺とすぐにわかる。あっという間に女子たちが俺の前に群がった。


「まあ、素敵な仮装」

「血を吸われてみたいですわ」

「ヒューヒュー!」


 ……うるさい。だが俺は王子スマイルを浮かべ、必死に耐える。


 仮装パーティーの参列者を見回せば、皆それぞれに仮装している。

 ある者は狼男になってカボチャ娘と手に手を取って踊り、ある者は包帯ぐるぐる巻きのまま歌っていた。俺ももう少し奇抜な仮装をすれば良かっただろうかと思ったが、一眼で俺とわかるからこそこうして令嬢たちが寄って来るわけだし、まあいいだろう。


 そんなことを考えながらさらに視線を彷徨わせていると、探していた人物の姿が見えた。

 背中までの銀髪に色白の肌。顔を化け猫の仮面で覆っているが間違いない。あれぞ俺の婚約者、マジリナ・ウィージョ侯爵令嬢だった。


「あいつ、別の男と居てやがる……。俺が来たことに気づいてないのか? ほんと腹立たしい奴め」


 マジリナは隣にいる蜘蛛男と戯れている様子だ。あいつはどこかの公爵家のお坊ちゃんだ。確か婚約していたと思うので、お互いに堂々たる不貞だ。

 それを見て俺も勇気が出て来た。あいつらにできて俺ができないはずがない。まああの様子では俺が浮気するまでもなく婚約破棄できそうだが、せっかくの機会だ、俺も楽しませてもらおう。


 しかし今詰め寄って来ている女たちは俺の心を惹かなかった。ゾンビの仮装をしている娘も、全身真っ赤に染めた鬼のような貴婦人も、魅力が足りない。

 どうせ浮気するならもっといい女がいい。そう思った俺は彼女らを振り払うと、俺と踊るのに相応しい女を探して歩き出した。


 そして探すこと数分後、俺はすぐに見つけた。そう、運命の相手を。


 それは全身を黒衣に包んだ女だった。

 黒い三角帽子を目深(まぶか)に被り、黒いローブを揺らす姿はおとぎ話に出て来る魔女そのものだ。しかも顔の中で唯一露出している口元には妖しい微笑みを湛えていて、俺の心を一瞬で鷲掴みにした。


 俺は彼女の前にさりげなく歩いて行く。早まる胸の鼓動を無視し、王子スマイルで言った。


「やあ、麗しの魔女様。俺と一曲、踊っていただけませんか」


 すると魔女は俺の方を向いた。帽子のせいで見えないがおそらく見つめられている。興奮に鼻血が出そうだ。


「――ふ」


 魔女が笑う。それが彼女からの挑戦だとわかって、俺は早速魔女の手を取った。


 一体彼女は何者なのだろう。こちらに媚びを売って来る様子がないので下級令嬢ではないと思うが、ほぼ全身を隠してしまっているし、声も出さないので俺にはまだ彼女の正体は見当もつかなかった。


 ただわかったのは、彼女のダンスがとんでもなく上手いということだけだ。


 まるでこちらを試すかのような足捌きで魔女は俺に迫る。俺も喉元に噛み付くような吸血鬼の素振りをしながら必死で踊りながら、必死でついて行こうと頑張った。

 だがダメだ。この魔女に思わず見惚れてしまう。どうしてだろう。顔も何も見えないのに、この魔女には見つめられるだけで心を奪われてしまうのだ。


「魔女様、できればあなたのお名前を教えていただいても?」


「――――」


 どうやら教えてはくれないようだ。でも構わない。俺たちは絡み合い、狂ったように踊り続ける。

 その時間は俺の人生の中で一番楽しいひとときとなった――。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 夜が更けていく。

 俺は、魔女と一緒に何曲も何曲も踊り続けた。仮装祭用の不気味な曲がすっかり終わってしまう頃、俺はハッと我に返った。


「……少々、踊りすぎてしまったようだ。お疲れではないですか?」


 魔女は答えない。ただ沈黙を返すだけだ。

 そんな彼女を見ながら俺は確信していた。この胸に宿る感情が、間違いなく恋と呼ばれるものであることを。


 マジリナといてこんな気持ちになったことはなかった。もっといたい、そんな気持ちが沸々と込み上げてきて、俺は思わず言ってしまっていた。


「あなたのダンスは素敵だ。俺の魂はあなたに喰らい尽くされてしまったようです」


「――」


「ですからあなたのその、真っ赤な血をいただきます」


 そうして俺は、そっと、魔女の紅色の唇に口付けようとし――直後、後悔することになる。


 だって触れ合うはずだった唇はそこにはなく、瞬きの後に、今まで寄り添い合っていたはずの魔女が猛然と走り出してしまっていたのだから。


「あ――」


 慌てて呼び止めとするが、あっという間に魔女は人混みの中へかき消えてしまった。

 その後いくら探しても、もう彼女はどこにもいなかったのだった――。




 こうして俺の初恋は呆気ない終わりを迎えたのである。

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