勇者の墓穴
“勇者の墓穴”と呼ばれる洞窟がある。なんの変哲もないただの洞窟に見えるその穴は、今日まで無数の勇者、英雄と呼ばれる存在を飲み込んでは命を奪ってきた。それゆえに、そのような名前で呼ばれるようになっていたのだ。
だが、本当のところ、奪ったのかどうかさえ分かっていない。なにしろ、誰一人として戻ってきた者がいないからだ。
「あの洞窟に挑むだって!? 止めときなって、あんたら。あそこの奥部に潜っていって、今まで誰も戻ってこなかったんだからさ」
洞窟入口に程近い場所にある宿屋の店主が、洞窟に挑もうとする勇者チームに押し留まるよう説得を始めた。その表情には焦りが浮かび、同時に諦めや憐れみすら浮かんでいた。
それもそのはず。店主は今まで百を超える勇者一行を名乗る冒険者チームが、あの洞窟に挑むのを目の前で見てきたのだ。そして、誰も帰ってこなかった。
実のところ、洞窟に関しては店主が原因でもあったのだ。
と言うのも、その洞窟に小鬼が住み着いてしまったのだが、店から程近い場所に巣を作られると厄介だからと、最寄りの冒険者組合に討伐依頼を出したのが始まりだったからだ。
そこから、未帰還騒ぎが始まった。いくらなんでも小鬼相手に全滅とは考えられず、何かあるのではないかと噂が飛び交った。
次から次へと冒険者チームが飛び込んでは、誰も帰ってこないということが何度か続いた。
恐ろしい洞窟があると噂が噂を呼び、入っていく冒険者チームの実力もどんどん上がっていった。
だが、誰も戻ってこなかった。
正確には、“奥部”に潜って帰ってきた者はいなかったである。比較的浅い部分まで潜って、無理だと思って引き返してきた者達は存在した。
しかし、奥部からの帰還者は全くのゼロだ。
「主人の言う通りですよ。あそこはね、来る者は拒まないけど、帰る者を決して許さない呪いと血煙で満たされた場所。悪いことは言わないから、本当にやめておいた方がいいわよ」
女将を務める店主の奥さんも必死で止めようと説得した。彼女もまた店主同様、数多の勇者達が挑んでは帰ってこなかったのを目撃してきたからだ。
だが、目の前の勇者御一行は二人の言葉に耳を傾けようとしなかった。止める二人の言葉に首を横に振り、威勢よく声を張り上げた。
「そりゃ、あの洞窟に挑んだ奴らがショボかっただけだろ? 噂にゃ尾ひれが付くもんだ。その伝説に終止符を打って、俺らが真の勇者パーティーだって証明してやんのよ! なあ!?」
チームのリーダーと思しき剣士が、他の連れ合いに同意を求めて見回すと、誰も彼もが頷いたり、あるいは賛意の声を上げた。
メンバーは合計で五人。店主の見立てでは、剣士、盗賊、拳士、神官、魔術師とバランスの取れた組み合わせだ。おまけに剣士以外は全員女性だ。
「それにしてもさ、あんたらも、よくこんな辺鄙な場所で宿屋なんてやってるよな。まあ、こっちとしても、洞窟に入る前に休めるからいいけどさ」
この一行は昨日の夕方ごろに到着し、この宿で一夜を明かして、今から洞窟へ行こうという行程であった。野宿のつもりであったのに、そこまで立派ではないが、宿が存在したことには驚いていた。
剣士はそこが不思議で仕方がなかった。周辺には何もない。街道からの脇道が一本あるだけで、村などは一切なかった。
あるのはひたすら広がる山林と、少し離れたところにある例の洞窟だけだ。
「そりゃ、怖いもの見たさでやって来る冒険者もいるからさ。まあ、始まりは猟師小屋を改装して、隠れ家的な宿屋を目指していたんだが、例の洞窟のせいで妙な脇道に逸れちまったがね。今じゃちょっと覗いて、引き返す冒険者チームもいたりするし、意外と客は来るんだよ。なんやかんや増改築を繰り返して、そこそこの大きさの建物になってしまったよ。ま、料金は足元見て割高だけど」
「ちゃっかりしてんな」
なるほどと、剣士は納得した。現に、食堂を兼ねた宿屋の広間には、他にも数組の冒険者がいた。
しかし、どれも大したことはないなと、剣士は思った。装備品の質を見れば、どの程度のレベルかを推察するのは難しくない。
そして、その装備品の目利きで察するに、ここにいるのは中の下くらいの連中だ。悪名高き“勇者の墓穴”に挑むには、明らかにレベルが低かった。
「本当に、物見遊山の連中がいるんだな」
「浅い所からの帰還者はいるからね。ちょっと覗いて、帰ってくる者もいますし」
「ヘッ! 臆病者どもめ。軽い気持ちで挑むんじゃねえよ」
剣士が鋭い視線を他の冒険者チームに向けると、皆が慌てて視線を逸らした。明らかに格上の存在であり、睨まれて、真っ向から睨み返せる者など、ここにはいなかったのだ。
「まあ、それだけの大言を吐けるのは、間違いなさそうだ。お前さんの腰に帯びている剣、そりゃ、あれだろ、魔剣ミステルテイン。何かの本で見たことがあるよ」
「お、分かるかい、店主」
剣士は嬉しそうに、剣を鞘から抜き、店主に見せつけた。素人目にも分かるくらいの魔力を帯びており、それが肌にゾワッと触れてきた。
「ちょいと前なんだが、闇市場に流れていたのを見つけてな。結構な高額だったが、どうにか金を工面して手に入れたんだ」
「ほう、それは幸運でしたね。で、噂に名高き、魔剣の切れ味はいかがでしたか?」
「そりゃ凄かったぜ! 鉄より硬い竜の鱗を、紙にハサミを入れるみたいに、スパッ、スパッてな! 金額に見合う威力だったぞ」
物に当たらないように注意しながら素振りをして、自慢の魔剣をこれでもかと見せつけた。
「おいおい、物騒なモンは洞窟にいる怪物に使ってくださいな」
「おっと、すまん。ついつい自慢したくなったんだよ。天下に二つとない剣だからな」
剣士は魔剣を鞘に納め、それから再び視線を周囲に向けた。魔剣を持つ者への羨望の眼差しが集まっており、気分良く頷いた。
英雄、豪傑にはそれに相応しい武具が自然とやって来ると言うが、目の前の剣士がまさにそれだ。英雄譚には武器の話も付き物であり、名高い武器は英雄と揃って話に出てくるものだ。
「まあ、道具が人を選ぶって言われるように、強い者の所には、いい物が揃うからな。お前さんの着ている鎧、最も硬い金属と言われるアダマンタイト製だな。拳士さんの装備してる手甲は四属性を自在に切り替えれる“精霊王の腕”、盗賊さんの腰ベルトは身体能力を向上させる“力帯”、魔術師さんの首飾りは最高級の魔力増幅器“賢者の石”、神官さんの持っている杖は打ち鳴らすだけで邪を退けると言う“釈尊の錫杖”だな」
「おいおい、店主、目利きすげえな!」
「そりゃあ、“勇者の墓穴”のすぐ側にいるんだ。勇者御一行は見慣れているし、その装備品は一級品揃い。見る目も肥える一方ですよ」
店主が宿屋を開業してから、多くの勇者を名乗る者達を見送ってきた。その数は百を超えており、勇者を名乗るに相応しい装備品の数々を目にする機会があった。自然と目利きが身に付くと言うものだ。
「残念だがな、店主。それも今日限りよ。あんたが勇者のパーティーを拝むのはな。俺らがあの洞窟を攻略して、忌々しい伝説の幕を下ろしてるんだからな!」
「そりゃ困るな。攻略者が出てしまっては、観光資源としての効果が激減してしまう。誰も踏破したことがない、という価値が消えてしまうからな。まだ店じまいとかしたくないんで、途中で戻ってきてくれることを祈っているよ」
「その期待にゃあ応えらんねえな。せいぜい、祝杯用の旨い酒でも用意しといてくれや!」
剣士は気安く店主の肩をポンポン叩き、他のメンバーを連れて宿を出ていった。残った数組の冒険者チームも顔を見合わせ、彼らが戻ってこれるかどうかの談義や賭けを始めた。
そんな喧騒をしり目に、店主と女将はカウンターの内側に引っ込み、勇者御一行が出ていった入口の方を見つめた。
「さて、今回も“全滅”確定だな」
「ですね」
店主と女将は声が他に聞こえぬよう、互いに顔を近付けてひそひそと話し始めた。
「あの洞窟の恐ろしさを何も分かっていない。どれほどの実力を備えていようとも、それに見合うだけの装備品を整えても、それが無意味だと気付かない」
「まあ、気付きようがありませんもの。浅い所で引き返すチームはその真の恐ろしさに気付けず、気付けるほどの深みに潜ったチームは決して戻ってこれない。それがあの洞窟の恐ろしさ。あそこに仕掛けられた罠だと知らずに」
女将はニヤリと笑い、つられて店主も笑ってしまった。
「さて、あの“自称”勇者御一行は前者と後者、どちらだと思う?」
「後者でしょうね。実力、装備、申し分ありません。間違いなく潜ってしまいます」
「哀れ! また一つ、墓標が増えてしまうのか!」
店主は胸元で十字を切り、死にゆく勇者御一行の冥福を祈った。
***
“勇者の墓穴”へと突入した五人組は当初、拍子抜けした遭遇から始まった。
確かに、数多の勇者を飲み込んで死に追いやった洞窟と言うだけあって、その澱んだ空気や雰囲気の重さはあった。だが、彼らをお出迎えしたのは、醜悪な小鬼の群れだった。
しかも、小鬼の群れは、五人組を視認した途端、我先にと逃げ出したのだ。
「ここの小鬼は長生きするぜ。数に任せて襲って来ず、逃げ出すんだからな。まあ、彼我の戦力差を考えれば当然か」
野生動物よりかはマシとは言え、小鬼は頭が人間に比べてよくない。多少道具を使える知能は持っているが、手入れしたり作ったりすることはできないので、落ちたり盗んだりした粗悪な武器を使用する。
現に、今しがた遭遇した小鬼達の装備は、こん棒ばかりであった。数が多いと言っても、勇者のパーティーに挑むような装備ではない。
この程度の相手であれば、剣士が片手で剣を奮っても、百匹は軽く蹴散らせる。
一応、夜目が利くので奇襲には注意したが、索敵に優れた盗賊が気配を探りながら一行の先頭を進むが、それらしい気配がない。それどころか、入り口付近で出会った小鬼以降、怪物の気配が一切ないのだ。
「なんなんだかなぁ~。何もいないじゃないか。もっととんでもない怪物がいたり、もしくは仕掛けでもあるのかと思ったのに、拍子抜けもいいところだぜ」
剣士としてはまったく張り合いがなかった。英雄譚には、強敵との戦いが不可欠である。竜や巨人、悪魔と悪戦苦闘を繰り広げてこそ、名声が上がると言うのに、この洞窟は今のところ空振りだ。
とてもいくつもの勇者、英雄達が全滅したなどとは思えないほど洞窟は静かで、何もないのだ。
皆で相談した結果、やはり最奥部に何かあるのではとの結論に達し、さらに奥へと進んでいった。
徐々にだが下りの道が増えていき、奥へ奥へ、下へ下へと突き進んでいった。
かなり進んだつもりだが、それでも怪物も仕掛けもない。ガスが噴き出すなどの、危険な兆候もない。本当に何もない洞窟をひたすら歩かされている状態だ。
そんな中、剣士はなんだか体がだるくなってきて、少しばかり息切れし始めた。やはり五人の中で一番装備が重たいので、歩くだけの単調な動作に、逆に疲労感を覚えたのだろうと、神官に癒しの術をかけてもらった。
「ほんとなんもねえなぁ。他のチームがやられたなんて、実はガセじゃねえか?」
術をかけてもらいながらも、剣士は悪態を付き、他のメンバーの意見を求めたが、皆そうではないかと疑い始めた。あまりに何もなさすぎるし、腕試しの戦いも、あるいは財宝も、期待できそうになかった。
その時だ。一応の警戒に当たっていた盗賊が何かに気付き、皆に注意するよう呼び掛けた。
そして、吹き抜けた。“風”が。それも奥から。
「奥から風だと!? ってことは、外に通じているのか、この奥は」
そうと分かれば、立ち止まっている理由はない。その外と繋がる何かを求め、五人は進むことを選んだ。
そして、程なくそこに到着した。かなり大きな空洞で、ちょっとした屋敷がすっぽり入りそうなくらいの開けた場所であった。
何よりそこには松明が煌々と照らされており、しかも誰かが立っていた。
警戒しながらその姿を確認すると、その正体を知った時、五人は驚いた。他でもない、立っていたのは、先程の宿屋の店主であったからだ。
「やあやあ、皆様、お疲れ様でございました」
店主は両手を広げて、五人に歓迎の意を示した。
だが、五人の反応は警戒体制のままだ。地上の店にいた人間が、地下で先回りしているなどありえない。洞窟に入ったのも先であるし、追い越された雰囲気もなかった。
「おいおい、どうやってここに!?」
剣士の手も柄の上に置いていた。いつでも鞘から抜ける体勢だ。一級の冒険者チームに凄まれては、普通ならば怯むか腰を抜かすかであろうが、店主は一切動じた風を見せない。
堂々と立ち、先程の両手を広げた体勢のままだ。
「ああ、それはですね、そこの横穴から入ってきたのですよ」
店主は右手の方に顔を向けた。剣士もつられてそちらに視線を向けると、店主の言う通り、五人組が入ってきた道とは別の通路が見えた。
「実はですね、あそこは店裏の程近い場所にある、崖下に繋がっているのですよ。まあ、実際は隠し通路の存在を知ったからこそ、使いやすいようにあの場所に宿屋を構えたのですが」
「なるほど。それが先回りできた理由か」
納得はしたが、状況の説明にはなっていなかった。
ここは“勇者の墓穴”。数多の勇者パーティーが全滅したと伝わる地だ。そこの秘密を知り、勇者が脅しをかけても平然としていられる者が、ただの宿屋の店主ではないことは明白であった。
剣士は剣こそ抜いていなかったが、気持ちの上ではすでに戦闘態勢だ。他の四人もそれぞれの得物をいつでも繰り出せる準備をしており、状況次第では“ヤる”つもりであった。
「おやおや、さすがは勇者御一行ですな。そんじょそこいらの冒険者チームとはわけが違いますね。そんな強烈な気配や魔力を当てられては、お小水が漏れ出てしまいそうです」
わざとらしく身震いする店主。挑発だと分かってはいるが、動きにくい。状況としては五対一。しかも、ただの宿屋の店主。何かこの状況を動かせる物を持っていると考えるのが自然だ。
そして、周囲を見回していた盗賊が気付いた。店主の背中側に積まれた何かを。よく見ると、それは無数の人骨であった。
警告が飛び、他のメンバーもそれに気付いた。
「なんだ、あの骨の山は!?」
「何を仰る。ここは“勇者の墓穴”ですよ? 当然、“かつて”の勇者達の成れの果てでございます。ご安心ください。もう間もなく、あなた方も、あそこの仲間入りをしますから」
そうまで言われては、もはや是非もなかった。剣士もとうとう自慢の魔剣を鞘から抜き放ち、しっかりと両手で構えた。それが合図となり、他のメンバーも得物を手にした。
一触即発の状態となると、店主は右手を差し出し、手のひらを勇者チームに向けた。仕掛けてくる気かと身構えたが、店主はニヤリと笑うだけで何も起こらなかった。
「まだですよ、あと五秒」
店主の開いた右手は秒数を意味していたのだ。
「四・・・、三・・・」
数えるごとに指が折られる。
魔術師と神官が警戒から、防御魔法を全員にかけ、何が飛んで来ようと防げるように備えた。
「二・・・、一・・・」
五人全員が身構え、飛んでくるであろう何かに備えた。
「ゼロ!」
カウントがゼロになった瞬間であった。
五人全員が強烈な力で地に向かって引っ張られ、何かに引きずり込まれるかのように地面に伏した。
必死で立ち上がろうとしたり、踏ん張ろうとしたが、それ以上の力で引っ張られ、誰も彼もが倒れてしまった。ただ一人、店主を除いて。
「ぐおおおお! まさか、《重力制御》か!?」
「そんな高等な術式、私が使えるわけないでしょう。そもそも、私、魔術師でもなんでもなく、本当にタダの店主。MPだってゼロなんですから」
店主が倒れ伏した五人を見下ろし、五人は地に這いつくばってそれを見上げた。
「剣士さん、あなた、気付いていなかったのですか? あなたがこの洞窟の影響を一番に受けていたはずなのですが」
「なんだと!?」
「ここへ来る途中、息切れしたり、妙な疲労感を覚えたりしませんでしたか?」
店主の問いかけには、剣士も覚えがあった。前衛職で体力、頑丈さには自信がある。現に五人の中では一番タフだと思っている。いくら一番重たい装備とはいえ、最初にバテると言うのはおかしいとは思っていた。
だが、それがこの洞窟のせいだとは考えてもいなかった。
毒ならば治せるし、なにより盗賊の鼻や目が、ガスや仕掛け、それらを見逃さないはずだ。
にもかかわらず、自分だけが明らかに疲れていた。
体調不良、というわけではない。昨夜も絶好調で、可愛らしい仲間全員を一人も余さず愛でていたくらいだ。
「実はですね、この洞窟、魔力が不安定な上に、岩盤が鉄分を多く含んでいるのですよ。で、その不安定な魔力の原因というのは、“魔王”が原因なんですよ」
「なんだと!?」
勇者を名乗る以上、魔王の存在は知っていた。数百年の昔、世界を混乱に貶めた魔族の王のことだ。当時の勇者、英雄がこれを倒し、どこかに封印されたと聞かされていた。
最近、魔物達の動きが活発化し、魔王復活の噂も飛び交う中、腕利きの冒険者達が今度は自分が伝説になるのだと、方々で活躍し、名を上げていた。
目の前の五人組も、そんな未来の伝説を目指す一組であった。
「魔王復活も間近に迫り、魔王が寝返りを打つたびに魔力が乱れる。そして、乱れた魔力が岩盤内の鉄分と反応して、巨大で特殊な“磁石”になるという寸法です。つまり、この洞窟内では、金属製の装備品は厳禁というわけです。浅い層なら多少重たくなる程度ですが、深く潜るとどんどん重くなっていき、ここいら辺りまで来る頃には、寝返りが入る度にご覧の有様というわけです!」
店主の説明を聞き、剣士は五人の装備の中で金属の含まれている物を思い浮かべてみた。
まず、自分は剣士であり、チームの剣となり盾となる立ち位置だ。剣、鎧、盾、どれも金属が使われている。一番タフであろうとも、一番洞窟の影響を受けたため、最も早くバテたのはそういう理由があったのだ。
次に重いのは拳士だ。両手にはめた手甲は金属製だ。さらに、蹴りを強化するために、足防具も身に付けており、それも金属製だ。
拳士の姿を見ていると、四つん這いの体勢になっている。手と足、磁力に引かれている部分がしっかり地面に引っ付いているようであった。
盗賊は胴体に鎖帷子を着込んでいる。獲物の短剣も当然金属だ。しかも、鍵開けなどに使う小道具類も金属製の物が多い。こちらも胴体部が張り付け状態だ。
神官もまた、防具として鎖帷子を法衣の下に来ている。また、錫杖も先端部は金属でできており、すでに這いつくばる横で同じく、張り付いている状態だ。
魔術師は金属製の装備は他に比べて少なめだ。だが、術の増幅器として、首飾りや指輪をしており、それが反応しているのか、身動きが取れなくなっている。さらに不幸なことに、チームの財布を持っていたのが魔術師であった。
負荷としては五人の中で一番が少ないが、一番筋力がないのも魔術師であり、束縛から逃れることができなかった。
「さて、ご理解いただけましたか、“自称”勇者御一行の皆さん。いやはや、宿屋の主人として申し上げますが、少しばかり腕が立つからと言って、誰も彼も勇者を名乗り過ぎではありませんか? 百の勇者なんぞ、笑い話にもなりません。魔王が一人であるならば、それを倒す勇者もまた一人。紛い物には退場していただきましょう」
そう言うと、店主は懐から黒光りする短剣を取り出した。
五人は目を見開いて驚いた。店主の持つ短剣は黒曜石で、柄は布を巻いてあるだけの物。よくよく服装を見てみれば、ただの布製の服や木製の靴。ベルトも紐を巻いた粗末な物だ。
つまり、装備品はどれもこれも非金属の物ばかり。初めから、この洞窟に誘い込み、罠にはめて始末するつもりだったということだ。
「ぐぅ! 動け! 動け!」
「無駄ですよ、剣士殿。装備が重たい分、かかる負荷が大きいのはあなたなのですからね。では、まず一人目」
店主は手慣れた手付きで、まずは倒れている魔術師の首を切り裂いた。狙い違わず首を走る動脈を切り裂いたようで、盛大に血が噴き出し、魔術師は少しもがいた後、そのまま動かなくなった。
他の仲間達の悲鳴と怒声が洞窟内に響き渡るが、店主は何事もなかったかのように立ち上がり、朱に染まる魔術師を見下ろした。
「これで、身動きできない状態のまま、私を殺せる者はいなくなりましたね」
店主は自分が弱いことを知っている。なにしろ、宿屋の店主として、何百という冒険者を見てきたのだ。それらに比べて、能力が劣っていることを理解していた。
それゆえに、逆に目が肥えた。誰が、どれだけの力を有し、自分とどれほどの差があるのか、それを正確に認識できていた。
この五人組は勇者チームを名乗るだけあって、かなりの手練れだ。しかも、“魔剣ミステルテイン”を闇市場から買い上げれるほどの財を有するくらい場数を踏み、蓄財に励んだ連中だ。文句なしに最高峰の冒険者チームと呼んでも差し支えない。
そうであるならば、魔術師は最大の脅威となる。もし、魔術師が金縛りに動じることなく、冷静に対処して初手から店主を殺しにかかっていれば、この状況を脱することができたであろう。
だが、それをやる前に店主に殺された。誰を真っ先に殺すべきか、最初から目星を付けていたのだ。
「魔術師殿、首から下げておられる“賢者の石”は高額ですから、あとできっちり回収いたしますよ。届けてくれてありがとう」
それからは淡々とした作業の連続だった。倒れている者の側によっては、首を狙って黒い短剣を一振り。誰も彼も血を噴き出し、血だまりに沈んでいった。
泣き叫ぶ者、命乞いをする者、あらん限りの罵声を浴びせる者、様々であったが、店主はどれにも耳を貸さず、まな板の上で肉を切る程度の感覚で、次々と調理していった。
魔術師に続き、神官、盗賊、拳士、四人の女性が黒い短剣によって命を落とした。手練れの冒険者が、粗末な装備しか持たぬたった一人の男になす術もなく殺されてしまったのだ。
「さて、それでは最後の一人と参りましょうか、剣士殿」
返り血に染まる店主は不気味な笑みを浮かべながら、残った剣士の下へとゆっくりと歩み寄った。
「すまない、みんな。すまない、すまない・・・!」
つい先程まで会話を交わしていた長年の戦友であり、恋人でもあった四人の仲間をすべて失った。皆が皆、魅力的で実力も申し分ない仲間であったのに、今は動かぬ躯と化した。
自然と剣士の瞳からは涙が零れ落ちたが、滴り落ちる地面はすでに仲間の血で満たされ、その中に僅かな水滴が加わろうと、何も変化はなかった。
「店主・・・、お前は一体・・・、一体何が目的なのだ!?」
「お金です」
店主はきっぱりと言い切り、空いている左手の親指と人差し指で輪を作り、ニヤリと笑った。
「冒険者というものは、練度が上がれば上がるほど、それにふさわしい装備を得るものです。そうでなければ実力は発揮できませんし、実力をさらに伸ばしてくれるのも良質な装備なのですから。もし、高練度の冒険者を一網打尽にできるのであれば、その装備品をそっくりそのままいただけます。素晴らしいと思いませんか?」
一切悪びれた風もなく、店主は面白おかしく笑うだけであった。
「そうか・・・。宿屋で妙に目利きの利いた説明をしていたのは、以前に“同じ”装備品を扱ったことがあったからか!?」
「ご明察。百の勇者を仕留め、その装備品を売り払い、それを買い取った者がまたやって来て、それを仕留めて再び売り払う。これの繰り返しです」
「・・・! ああ、畜生! 魔剣が闇市場に流れていたのはそういうことなのか!」
「はい、お察しの通りです。私が闇商に売り飛ばしましたので。さすがにあの手の高額な品を宿屋の店主が売ろうとしても、怪しまれたり足が付いたりするだけですからね。ゆえに、闇商に買い取ってもらいました。正規ルートと違うため、妙な詮索はなしにしてくれますが、その分値段を買い叩かれてしまうのが難点ですがね。良くて相場の三割、悪くすれば一割で買い取りなんてこともありましたぞ」
店主は床に落ちている魔剣に視線を向けた。
「その魔剣も以前の勇者がお持ちの品でしてね。たしか・・・、五回前と、十一回前、それと、十九回前のパーティーが持っていたかな。あと、十一回前の時は“賢者の石”も含まれていたかな」
「くそ・・・、これが“勇者の墓穴”の正体か!」
「はい、私の集金装置というわけです」
店主の高笑いはなおも続き、洞窟に反響した。それが耳に突き刺さる度に、剣士の怒りもさらに増していった。
「なぜそんなに金を欲するのだ。百の勇者を屠ったというなら、十分残りの人生を豪奢に暮らせるだけの額は手にしたはずだ」
「足りませんよ。買い叩かれて思ったほどの金額が貯まっていないというのもありますが、私が最終的に欲するのは、“城”なのですから」
「城・・・、だと?」
意外な答えに剣士は目を丸くして驚いた。確かに城を一つ建てるとなると、土地代だけでもかなりの金額になるはずだ。規模によっては、一流の冒険者の一生分の稼ぎでさえ、届かないほどの費用が必要だ。
「やはり、ドーンと壮大な城に居を構えなくてはな! 私としては、切り立った崖の上に立つ、峻嶮なる城が好ましいな。海岸線の荒波眺める城もいいし、鬱蒼と生い茂る山林の中に突如現れる荘厳なる城、というのも捨て難い。ああ、やはり城の佇まいは悩むな」
店主はまだ見ぬ城の姿を思い浮かべ、恍惚たる表情を浮かべた。早く完成した城に住みたい、その感情が抑えきれぬほどのよだれとなって、口から滴り落ちた。
だらしない顔になっていることに気付き、慌てて口を拭った。
「おっと、これは失礼。では剣士殿、名残惜しいが、私の願望を叶える為の糧となってくれ!」
「・・・店主よ、最後に一ついいか?」
「遺言かね? 聞くだけ聞いておくよ」
黒い短剣を挑発的に振り、最後の一言とやらを店主は待った。
だが、次の瞬間、表情が凍り付いた。剣士が“立ち上がった”からだ。
「な・・!」
「獲物を前にしての長口上は、三流のやることだって誰かに教わらなかったか?」
まだ負荷がかかっているようで、起き上がってもまだ自由に動けるというわけではなった。だが、すぐに負荷を消し去るため、鎧甲冑を脱ぎ捨てた。
磁力によってさらに重たくなっていた鎧がガシャンガシャンと地面に落ち、汗や血、土に汚された下着姿となった。これで磁力の鎖より解放されたのだ。
「ななな・・・!」
「殺せるときにきっちり決めておかないと、後で足元を掬われることになるぞ!」
「ひ、ひぇぇぇ!」
店主は尻もちをつき、持っていた黒い短剣も床に落ちた。
「何の計算もなしに、長話をしていたと思ったか? 魔力が途絶え、磁力が弱まるのを待っていたんだよ、このマヌケが!」
怒りに震えながらも、心中は冷静そのもの。仲間の流れ出た血が冷や水となり、却って思考する落ち着きを取り戻させたのだ。
「洞窟の特性のみで殺してきたお前と、数多の戦いで培った経験、その差が出たな、店主!」
「うひぃぃぃ!」
「さて、今までの落とし前、どうつけてやろうか!」
腕をバキバキ鳴らせ、ゆっくりと歩み寄る剣士。磁力の鎖から解き放たれたとはいえ、削られた体力までは元には戻らない。なにより、仲間がもう戻らないのだ。
蘇生の術式は高等技術であり、それが使えるだけでも超一流と呼ばれるほどだ。そして、それが使える神官は、剣士の後ろで息絶えている。今から、他の蘇生の使い手を探していては間に合わない。遺体が腐ってしまうからだ。
最悪、氷漬けにして遺体を保存するというやり方もあるが、その氷の術式を使える魔術師もすでに死んでいる。つまり、剣士は八方塞がり。術の使えない自分ではもうどうしようもないのだ。
孤独。勇者チームは、ただ一人の勇者となった。
死線を潜り抜けた戦友を失った。
楽しく談笑に興じる旅仲間を失った。
故郷を同じくし、同じ夢を見た古馴染みを失った。
そして何より、愛する者達を失った。
怒りよりも孤独。今、一人となった勇者には、もはや磁力とは違う、別の力が鎖としてまとわりつき、絶望の淵へと追い落とそうとしていた。
金のため、たったその程度のくだらない理由のために、夢も未来も失った。
「ケジメは、付けておかんとな」
今、目の前の店主を殺したとて、どうなるというものではない。腐れ外道の店主を殺しても、仲間達は戻ってこないのだ。
だが、それでもケジメは付けられる。気持ちを切り替える切っ掛けにはなるかもしれない。
ここで折れてしまっては、死んだ仲間にも顔向けすることはできないのだ。
「ままま、待って欲しい! お願いです、待ってください、剣士殿! あ、ああ、いや、勇者様!」
店主は詰め寄ってくる剣士から離れようと、尻もちをついたまま後ろに下がり、どうにか声を絞り出して、睨みつけてくる剣士を落ち着かせようと必死になった。
「わ、私が悪かったでございます! だだだだから、どうか殺さないでください!」
必死の命乞い。だが、剣士の耳には入らない。
「ああ、そうだ! 金! 金ならたくさんあります! 今までかなりの額を集めておりますので、その半分を差し上げます! だから、どうか許して!」
「許すかよ、ボケが!」
いよいよ追い詰められた店主。背中に岩壁を背負うことになり、逃げ場を完全に失った。見上げるその先には、剣士が足の先近くで立っていた。
無論、剣士の視線も下に向き、怯える店主を睨みつけていた。
「じゃあ、死んでくれや、店主」
剣士はいまや下着姿で素手だ。短剣一本あれば、余裕でバラバラに切り刻めるが、格闘術は大したことはない。だが、目の前の男を殴り殺せるだけの腕力は持ち合わせている。なんの問題もない。
「お、お願いでございます! どうか殺さないでぇ!」
「断る。死んであいつらと、“先輩”達に詫び続けろ!」
剣士の発する怒声が洞窟に響き、大地が揺れているのか錯覚するほどであった。
とうとう観念したのか、店主は力なく項垂れ、激しく動いていた腕もまた地面にしなだれた。
「・・・勇者様、最後に一つよろしいでしょうか?」
「遺言か? 聞くだけ聞いてやるよ」
哀れで忌々しい男だが、最後の一言くらい聞いてやろうと剣士は耳を傾けた。
最後の一言かと思いきや、店主の顔は不気味に笑うのであった。
「な、なんだ?」
「・・・獲物を前にしての長口上は三流のやることだって、先程自分で言っていなかったか?」
店主がそう言葉を発した瞬間、気配が“五つ”蠢き出したことを剣士は察知した。
振り返ると、倒れていた仲間四人が起き上がり、更に店主が降りてきたという隠し通路に一人。これで動く気配が五つだ。
そして、立ち上がった仲間は、仲間と呼んでいた者達の遺体は、血だらけのまま呻き、生気のない瞳はかつて信頼し、愛していた剣士に向けられていた。
「《屍人化》か!?」
「違う。《完全なる屍人化》だ」
店主の言葉が剣士の耳に入り込むと、ゾクリと寒気が全身を襲った。
「そんな高度な術式を、お前が、じゃない、お前の連れ合いが!?」
剣士としては驚愕せざるを得なかった。死霊系の術式は使える者が限られるほど、高度な術式だ。しかも、使用したのはその系統のかなり上位に位置する《完全なる屍人化》である。《屍人化》と違って、作り出した屍人が被験体のレベルに依存する術だ。
つまり、高レベルの者を屍人化すれば、そのレベルをあまり損なわない強い屍人が出来上がるというわけだ。
「おいおい、勇者を名乗るなら、よもや忘れてはおるまい? 伝説に語られる“魔王”のすぐ横には、絶大な魔力を持つ“魔女姫”がいたことを!」
「な・・・、お前らが!?」
剣士は自分がとんでもない誤解をしていたことに気付かされた。
噂として囁かれていた魔王が復活するというの話。それは大間違いであった。なぜなら、魔王は復活するのではなく、“すでに復活していた”ということだからだ。
「くそったれが! 魔王がどうこうとか、MPがゼロとか、さっきの話は丸々嘘っぱちか!?」
「当然だよ。“勇者”が“魔王”の言葉を真に受ける方がどうかしていると思うぞ」
実際、その指摘通りであった。この危機的状況下において、相手の言葉をそのまま受け取るなど、墓穴を掘るにも程があった。
「さて、剣士殿、君は『獲物を前に長口上は三流のやること』と言っていたが、それに対しては、こう返しておこう」
今やその正体を隠そうともしない店主はニヤリと笑い、そして、少しためてから口を開いた。
「分かった上で、あえて長口上を垂れるのが、超一流の嗜みというものだよ」
それが合図だった。
屍人として立ち上がった四人が一斉に動き出したのだ。拳士が飛び出し、盗賊が牽制用の短剣による投擲を行い、神官と魔術師が突っ込む拳士に補助魔法をかけた。
その動きは剣士にとっては見慣れたものであった。だが、それが自分に向けられるのは初めてであり、恐怖と絶望がかつての仲間に姿しながら襲い掛かってきた。
「昨夜は随分とお楽しみのようだったし、こちらも負けじとついつい張り合ってしまったよ! グハハハ、存分に今宵も楽しみたまえ! いや、今宵と言わず、永久にな!」
投擲された短剣がまず剣士に襲い掛かるが、これは難なくかわせた。だが、これはあくまで牽制。本命は拳士の攻撃だ。どうかわすのか先読みされ、そこから拳打と蹴撃の連続攻撃だ。
普段ならいなせる自信はある。だが、今は“素手”なのだ。剣も、鎧も、盾もない。下着一枚で、仲間四人分の攻撃を退けねばならないのだ。
装備なし。相手には補助術式付き。しかも、体力が削られている状態であるし、仲間に襲われているという精神的な動揺もある。はっきり言えば、剣士に勝ち目などなかった。
完全に墓穴を掘ってしまった。負荷が弱くなっていたのなら、装備を外す必要もなかったのだが、さっさと解放されたくて脱いでしまった。
屍人化の影響か、あるいは磁力の負荷が少し効いているのか、いつもより鈍い気がしないでもないが、そんなものは気休めにもならなかった。
「くそ、みんな、目を覚ませ!」
「死んでる奴に、目を覚ませもないだろうに」
剣士の必死の呼びかけに応じるのは、魔王の無慈悲な受け答えのみだ。
そして、拳士の拳がついに剣士の顔面に命中した。拳士の右拳が剣士の左頬を撃ち抜き、さらに装備していた“精霊王の腕”の効果により、炎による追撃が入る。
「がはぁ!」
打撃と火傷で顔の半分がめちゃくちゃになったが、それでも二本の足で立った。しかし、すでに限界が来ていたため、足元はふらつき、残った目も焦点が合わない。
「取り押さえなさい」
いつの間にか“魔王”の横に立っていた宿屋の女将“魔女姫”が命を発すると、四体の屍人はそれに従い、剣士に飛び掛かった。
一番腕力のある拳士が羽交い絞めにし、神官と魔術師が足にしがみ付き、盗賊が胴体に飛びついた。
「いやぁ~、勇者くぅ~ん、可愛い娘達に囲まれて、羨ましい限りだよ」
「ち、畜生! 畜生!」
「あんまり暴れんでくれ。手元が狂う」
魔王は再び手にした黒い短剣を握り、ゆっくりともがく者に歩み寄った。
「ああ、この瞬間が一番楽しいな。絶望に打ち沈み、必死にもがくもなす術なく、泣き叫びながら喚く者に死を与えるこの瞬間が。さあ、感謝して死ぬがいい。魔王が手づから死を賜れることを」
「おのれ、魔王め!」
「その通り。私が魔王だ」
シュッっと一払い。黒い短剣が横に払われた。狙い違わず剣士の首筋を切り裂き、そこから滝のように真っ赤な血が零れ落ちた。
かくして、勇者を名乗る剣士もまた、先達と同じく墓穴に躯を晒すこととなった。
「はい、あなた達、あちらに行きなさい。そして、そのままお休みなさい」
魔女姫の指示に従い、四体の屍人は勇者を担ぎ、先に死んだ百の勇者達の白骨の山に歩いていった。
そして、剣士をそこへ置き、自分達もそれに寄り添うように寝転がって、そのまま動かなくなった。
「よし、これにて一件落着! 洞窟の装飾品、五名分追加で! くくく・・・、やはり玉座を飾り立てるのは、髑髏や死体の山がいいな。響く阿鼻叫喚こそ、私を称える讃美歌だ」
魔王は腕を組み、満足げに頷いた。
そこへ、魔女姫が眉をピクピクさせながら魔王の肩に手を置いた。
「魔王、ちょっとお話があります」
「お小言なら聞きたくない」
「いいから、聞きなさい!」
魔女姫は魔王の耳を引っ張り、その耳元で怒鳴りつけた。
「あれほど、長々とベラベラ喋るのは良くないから、動けなくなったらさっさと駆け足で殺して回るように言ってるでしょ!? あたしが横槍入れてなかったら、今頃どうなってたと思っているのよ!」
「魔王の嗜みを放棄することなど、魔王としての矜持が許さない」
「だったら、せめて力を取り戻してからにしなさい!」
魔王も魔女姫も復活したのはいいものの、かつての力をほとんど取り戻せていない有様であった。腕力も魔力も、かつての十分の一にも満たない状態だ。
そのため、ひとまずは通りすがりの人間の夫婦に憑依し、宿屋の店主と女将に身をやつして過ごしているのであった。
「せめてさぁ、装備品は整えましょうよ。ほら、今回の勇者パーティーからの鹵獲品で固めたら、だいぶ強くなれるし。あと、財産の一部を切り崩して、強化系のポーションとか買ってさ」
「却下だ! 魔王が装備していいのは、魔王しか使えぬ限定装備のみ。他の装備品は却下だ! ましてや、投薬など論外! 魔王の名が廃る!」
「だったら、黒曜石の短剣もアウトでしょ!?」
「なけなしの魔力を使って、道具生成したものだからセーフってことにしといて!」
昔からこうなのだ。わがままで、妙なこだわりがあり、他人の言うことをあまり聞かない。思い付きのままホイホイ進めて、気分次第で世界征服計画が何度方向転換したか分からないほどだ。
かつてはよかった。なにしろ、魔王の名に相応しいだけの実力を持っていたからだ。
人間を平伏させるくらい、磁石の力を借りずとも、《重力制御》でも使えばいいだけであった。
だが、今は勇者チームとやり合えるだけの力がない。ないからこそ、こうした罠を仕掛けて、誘い込んで始末しているのだ。
なお、この洞窟を利用することを考え付いたのは、魔王である。地頭がいいのは間違いないが、こだわりのせいで全力を出し切れていないと魔女姫はいつも嘆いていた。
「だいたい、肝心の魔王装備も、魔力が足りないから今は使えないのに・・・。洞窟の最奥部で埃かぶってるわよ」
「埃は被ってないぞ。定期的に磨いているからな。なにしろ、あれは私の誇りだからな」
「くだらないギャグ言ってないで、さっさと装備品回収しましょう。今、昼前の暇な時間と言っても、店開けたまま、二人揃って空けるのはマズいわよ」
いい加減、宿屋稼業も慣れてきたので、すっかり女将が板についてきた魔女姫であった。
かつては天地を揺るがすほどの大魔力を有し、魔術戦ならば魔王以上とさえ謳われた魔女姫も、今はただの宿屋の女将であり、裏稼業で死体からの追い剥ぎをやる始末だ。
二人とも手慣れた手付きで五人から目ぼしい装備品を引っぺがし、神官の法衣と魔術師の長衣を風呂敷代わりにして包み込んだ。
長くて入らなかった剣や杖は、手で掴んで持ち上げた。
「さて、今回の稼ぎもなかなかであったな。二、三万Gくらいにはなるかな」
「普通に店買いしたら、ゼロが一つ増えても買えるかどうかだけどね」
「だな。まったく闇商め、足元見て買い叩きおって。力を取り戻したら、真っ先に呪い殺してやる」
不正に手に入れた品は、闇市場に流すしかない。その窓口は闇商だけ。二人には選択の余地はなく、それゆえに買い叩かれるのだ。
かつて世界を震撼させた魔王と魔女姫とは思えぬほどのみみっちさであった。
忘れ物がないかの確認の後、二人は出口に向かって歩き始めた。
「いやぁ~、今回の相手は強敵であったな」
仲良く眠る今回の五人組を背にしながら、魔王が率直な感想を述べ始めた。聞くかどうか分からないが、修正を図るならここだと考え、魔女姫も口を開いた。
「そうですわね。魔王が無様に命乞いするくらいには」
「はて~?」
「はて~、じゃないわよ。まったく・・・。力が足りない分、頭を働かせなさい。そして何より、反省して次に活かしなさい」
「力が弱いことは承知しているからこそ、こうして墓穴という名の落とし穴を掘ることに、精を出しているのではないか。それに真に迫る演技で時間稼ぎをしておれば、麗しの魔女姫が横槍を入れてくれるのは分かっておったしな」
「あれ、演技に見えなかったんですけど?」
やはり反省を促すのは難しそうだと、魔女姫はすでに諦めムードに入った。結局、どれだけ早くに力を取り戻せるか、それにかかっているというわけだ。
「あぁ~、早く自分の城が欲しい。かつての我が居城のような城を、さっさと築きたい」
「まだ予定の半分も貯金できてないでしょ。やっぱりさぁ、力取り戻してから、城作った方がよくない? 人足雇って作るのは、どう考えても効率悪いって。岩の切り出しや運搬なんて、全盛期のあたしならあくびしながらでもできるわよ」
「それはつまらん。えっちらほっちら必死こいて作った城が、実は魔王城でした~! ってのをやりたい。人々の茫然とする顔が目に浮かぶというものよ」
効率度外視。遊び優先。舐めプ。かつての勇者に敗れて封印された失敗を、まったく反省しようともしない姿勢には、さしもの魔女姫もため息しか出なかった。
「だいたいさぁ、今日の失敗も長口上以外にも、予想以上に早く磁力の効果が切れたってのもあるのよ。城造りを優先しないなら、こういう勇者狩りなんて危ない橋を渡らなくていいんだし」
「いや、今日しくじりかけたのは、昨夜ハッスルしすぎたからだろ。いやぁ~、勇者チームのイチャイチャぶりに刺激されて、こちらも張り切り過ぎたからな。あいつらの部屋をこちらの寝室の真上にしたのは失敗だった。何か面白い話でも聞けるかと思って、こちらの寝室と煙突の繋がっている部屋を用意したが、まさかハーレムパーティーだったとは、迂闊であった。いの一番に心理戦を仕掛けてくるとは、やはり手練れであったな!」
危うくやられかけたことへの言い訳にしか聞こえなかった。相手を持ち上げ、それを倒したこっちはもっと凄い、というバカバカしい論法だ。
なお、昨夜のことを思い出し、魔女姫も少しばかり顔を赤らめたりしている。
「迂闊なのは、あなたの頭の中でしょ。部屋割りを決めたのは、魔王、あなたですよ。それで消耗しすぎて、勇者に後れ取りましたじゃ、いくら何でもマヌケすぎるわ」
「魔王が勇者の後塵を拝するなど、あってはならんことだ! よって昨夜の一件は不可避の出来事であり、あのときから勝負は始めっていたのだ!」
実際、昨夜は一階も二階もはちゃけていた。二階の勇者パーティーが嬌声を上げれば、一階の魔王組もまた気勢を上げていた。
勇者も魔王も、昨夜はお楽しみ。ただ、魔王の方が狡猾であっただけなのだ。今、生死を分けたのは、ただの事前準備の差でしかない。
なお、魔女姫は全然納得していなかった。
やりたいことをやりたいだけやる。傍若無人、傲岸不遜、魔王としては正しい姿勢なのだろうが、残念なことに、現在は実力が伴っていない。
それを理解すればこそ、姑息な罠を仕掛け、追い剥ぎも容認している。それはそれで楽しい要素もあると魔王はご満悦だが、魔女姫としては実力相応の行動をしてほしいと思うのであった。
そうこう上への隠し通路を進んでいると、ようやく地上に到着した。忌々しい太陽が燦々と輝き、陰でこそこそ生きるしかない魔王と魔女姫を嘲笑っていた。
「さて、そんじゃま宿屋の店主と女将に戻るとしますかね」
「はいはい。では」
魔女姫は隠し通路の出入り口に手をかざすと、途端に岩肌が突き出てきて見えなくなってしまった。
「これで今日のMPは尽きたわよ。はぁ~、昔は百倍は術を行使できたって言うのに、一発大きいの使ったらすぐ枯渇する。魔王が無駄に強力な魔術を使わせたからよ」
「ハッハッハッ、そう言うな。だが、あれは助かったぞ。感謝している、我が麗しの魔女姫よ」
そう言うと、魔王は魔女姫の頬に口付けをして、豪快に笑いながら宿屋の裏口目指して歩き始めた。
出会ってこの方、ずっと変わらぬ魔王の姿勢だ。殺戮と破壊をほしいままにしたかと思えば、急に優しく愛でてくる。どうしようもないくらいの気分屋なのだ。
だが、魔女姫はそんな魔王が大好きだ。なぜなら、永遠に生きる者にとって最大の毒物である“退屈”と無縁でいられるからだ。魔王の持つ先の読めない無軌道さこそ、永遠の命を持つ魔女姫にとって必要不可欠なのだ。
魔王の道楽に付き合わされても、死ぬのはいつも人間であるし、痛くもかゆくもない。
今回もそれだ。勇者御一行が、危ないという心優しい忠告を無視して“勇者の墓穴”に入り、自ら墓穴を掘っただけ。
死体漁りは飽いてきたが、魔王との生活に飽きは来ない。明日はどんなバカなことをしてくれるのか、それだけが楽しみなのだ。
魔女姫は前を行く魔王を早足で追いかけた。その背には勇者達から奪った鹵獲品がぎっしり詰まっている、風呂敷と化した法衣があった。
ジャラジャラと擦れる音と重みは、戦の成果の確かな証。かつての城を再建するにはまだまだ足りないが、それでも着実に近づいている。
魔王が見ていたように、魔女姫にもまた未来の光景が見えている。
仕留めた勇者達の髑髏を用いて飾り立てた玉座の間。
死の香り漂うその奥に、座する魔王と侍る魔女姫。
見えているというより、思い出しているのだ。かつての光景を。
そんな日がいつ戻って来るのか、それは分からない。
ただただ、魔王と魔女姫は墓穴を掘り続けるだけだ。勇者が枯渇するか、魔王が飽きるその日まで。
~ 終 ~
ドラクエとかで、『麻痺』に全滅判定があるのは、これでしょうね。動けない相手を殺すには、技術なんて必要ないですからね。プスッと刺せば、そのうち失血死しますし。
あと、お金半分だけ失うというのも温いですわ。所持金は元より、装備品も失うものです。ウィザードリーとか、死体回収するまでそんな感じですし。
まあ、あれは難しすぎるんで、ゲームとしては厳しすぎますかね。
(;'∀')
気に入っていただけたなら、↓にありますいいねボタンをポチっとしていただくか、☆の評価を押していってください。
感想等も大歓迎でございます。
ヾ(*´∀`*)ノ