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しあわせのたくしー  作者: 月美てる猫
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第一節 乗務員デビュー前 新人乗務社員研修 その1

タクシー乗務員になるためには二種免許を取得したあと、10日間の研修期間を必要とされる。前半の5日間はタクシー協会での講義を受ける。タクシーの事故や不正がいっこうに減らない、ということに関して不審感を持ち、この講習を受講すること自体に疑問を感じるのである。


第一節 乗務員デビュー前


新入乗務社員研修 その1 集合教育での共鳴



「おはようございます!」

元板前だけあってイキのいい挨拶。こちらも自然と元気のよい挨拶で返す。

「おはようございます!」


 タクシー協会の新人研修は月曜日から金曜日までの5日間。先週金曜日の第二種免許試験に合格して免許の即日公布を受けた6名全員が同じ日程で研修を受けるとは限らない。それぞれの都合で次週、次々週にしてもよし、月曜、火曜の講習を今週受けて、来週は水・木・金の講習を受けることにしてもよい。また、新規に免許交付を受けた者だけが対象ではない。病気やけがなどによる休職や転職などでタクシー乗務員の仕事を離れて2年以上経過している乗務員はもう一度この講習を受けなくてはならない。

 今日の月曜日からの講習を受ける人は6名のようだ。元気のいい挨拶をしてきたのは運転免許試験場で前から二番目に坐っていた60代の男性。他、三番目の席にいた40代と、四番目の席にいた40代、五番目の席にいたネコの精霊が憑りついている60代がいる。ミンクの姿がない。そしてもうひとりは2年のブランクがあるが乗務員歴30年以上のベテランで60代後半の男だ。


 時間ぎりぎりに入ってきたギンレイに元板前の男が挨拶のうえ自己紹介をしてきた。

「私は川岸と言います。KTタクシーの豊平支店で乗務します。よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げる。KTタクシーと言えば自分と同じ会社だ。

「私は銀と申します。同じくKTタクシーで本社北支店です」

 川岸の顔を見、更に、他の席の5名の顔を見て頭を下げる。


 それでは、と、次々に5名が自己紹介してくれる。試験会場で3番目の席だった元トラック運転手、

「僕は宮西です。北方タクシーの北支店です」

 更に、4番目の席にいた元トラック運転手、

「私は倉見です。同じく北方タクシーの北支店です。KTの北支店とはライバルですね。よろしくお願いします」

 更に、5番目の席にいたネコの男、

「私は田中です。コスモス無線交通です」

 もうひとり、

「私は出戻りでね、2年間離れていたんだけどやっぱりタクシーは面白いからまたやることにしたんだ。平和タクシー無線の内藤です、よろしくお願いします」


 それぞれが自己紹介している間、入口前で立ちっぱなしであったギンレイはそれぞれが挨拶するごとに頭を下げて「よろしくお願いします」とつぶやいた。事務職員がドアから入ってきて教壇に立つ。ギンレイが川岸の隣の席につくと、事務職員が、

「時間になりましたので開始します。5日間よろしくお願いします」

 と、講習が始まる。内容は乗務員の服務や接遇、交通事故防止対策、地理や市内での運行ルール、防犯対策、営業業務の心得、運賃や料金の仕組み、等である。先ず、協会の成り立ちや、タクシーの歴史、タクシー業務特有のことなどの説明からはじまる。


 タクシー協会、ハイヤー協会なるものは全国各地にあるが、そう元締めのような組織が、「全国ハイヤー・タクシー連合会」なるものである。北海道は「北海道ハイヤー協会」が元締めのようであるが、更にそこへ北海道各地のタクシー協会が加盟している。札幌エリアは「札幌ハイヤー協会」がある。だからギンレイが務める札幌市に本社があるタクシー会社は札幌ハイヤー協会に加盟している。


 各地のハイヤー協会がどのような役割を担っているかというと、ハイヤー協会が行政や駅などの施設とかけあって取決めしたルールを徹底すること。例えば、札幌駅周辺道路で客待ちをしてはいけないとか、地下鉄駅そばに「タクシー乗り場」を設置して客待ちは何台までと取決めするなど。それらを各加盟の会社からドライバーに通達することを促す。このたびの講習でもその件に関しては盛り込まれているし、日常的に防犯カメラや協会のパトロールカーを使った不正の摘発も行っているという。ときに運転手から罰金を徴収することもあるようだ。


 またタクシー登録運転手の法令違反に対して行政処分が「マイナス点」の加算により下されるが、積み重なると業務停止や1日の講習受講を促すような厳しい指導も行っているし、各会社に対しての注意情報発信も逐一行っているという。


「つまり一種免許に免許取り消しなどの行政処分があるように、二種免許で就労するタクシー登録運転手にも登録取り消しという行政処分があるということを理解してください」


 たとえば、交通事故を起こしたとか、速度違反や駐車違反をしたとかいう一種免許で課せられる罰は、タクシー業務に対しても二重に罰が課せられるということなのだ。交通違反のような法令違反だけではなく、乗車拒否や運賃のごまかしなど営業違反行為についても減点が課せられる。


 タクシードライバーに対してこのような厳しい罰則規定があることなど知る由もない。自動車学校で教えてくれる内容ではないし、二種免許の試験問題にも出てこない。だから、この協会の役割として、この新人ドライバー向けの講習も重要な役目といえる。


 ただ、研修の中身は安全運転を遂行することに多くの時間を割くため、二種免許取得のために教習所に通って教わった中身の多くが重複する。

 また、タクシーの運転席に設けられているメーターがどのようなものなのかの説明。そしてタクシー業務特有の事故、苦情、トラブルについてなど。営業上のことは後日の社内研修でも具体的に教わるはずなので協会での講習と社内研修で学ぶことの多くが重複することになる。

 

 おおかたのタクシー会社はこの協会に加盟しているが、加盟していないタクシー会社もある。よって必ずしも日常的にみかける「タクシーたち」は一枚岩ではないのだ。協会を運営するための資金源は国または自治体から得られるのだろうが、協会に所属しているタクシー会社からの会費もあるのだろう。そのあたりの事情はギンレイにはよくわからないが、休憩時間、


「試験場で一番前に坐っていた方の会社は協会に加盟していない会社だったようですよ。今日は来ないと言っていましたから」


 と、川岸から聞く。ギンレイは真顔で、


「この講習を受けられないなんて、可哀そうですね。協会に加盟していない会社の乗務員さんは安全で安心な業務をしているのでしょうか」

 と、応える。


 川岸は少し意外な顔をしている。自動車学校で学んだことの方が「安全運転」のことに関しては中身が濃い。更に、メーターの扱いや車いすの扱いなども、会社の研修で実際に運転する車両で学ぶほうが実践的で役に立つに決まっている。日本の市場は閉塞的であるとか、料金に自由度が無いとか言う議論もある。協会自体の役割は本当に地域住民に寄り添ったものなのか、ということも、実務を開始する以前から疑問に思う、果ては「この講習は受ける価値ありますかね」という宮西や倉見のつぶやき、それもわからなくはない。


 しかしながら、車を運転するという業務に対して、第一種免許に対する行政罰の他に、タクシー乗務員の権利をはく奪されるかもしれないような罰も用意されている、という事実に対して、真面目で実直なギンレイはショックを受けているのだ。


「そんな罰を用意しなくてはならないほどタクシーは危険な乗り物なのか」

 そうギンレイは考える。

 

「事故が減らない」「タクシー乗務員の仕事に満足を頂けない」「乗客にもマナーが悪い者がいる」などという現実を全社会的規模で直視する機会は必要であり、これは「個別に会社単位で学ぶべきことではない」のだ。自動車学校で学ぶことや、会社毎の研修で学ぶことの方が中身が濃いとか薄いとかの問題ではなく、


「タクシー乗務員は一致団結して社会をよりよいものにするべきです。そのことを実務に当たる人達はこういう場で再確認するべきではないでしょうか」


 つい、力いっぱい正論を述べてしまい、他の5人が半ばあきれてこちらを見ている。


「銀さん、そんなきれいごとだけじゃあ語れないんだよ、この世界は」


 出戻りで先輩乗務員の内藤が言う。

「いや、確かにあなたの言う通りなんだ。この教本を見ると何年も前に受けた講義の内容とほとんど変わっていないもん。なんでこんなに事故や苦情が絶えないんだろうって驚くよ」

 低い太い声、「いぶし銀」といったところだろうか、経験者なので言うことに説得力がある。

「まあ、防犯カメラが設置されて強盗の件数は減ったって聞いているけど、新手の詐欺や、乗り逃げが増えているっていうからね、社会の構造自体を変えないとだめなんだよ。タクシー運転手の待遇もなかなか向上していないしね」


 宮西が口をはさむ。

「でもさっきの講義で7台に1台が事故って言っていましたよね。驚きですね。あんな話を聞くと本当に安全第一だなって思いますよね。銀さんの言う通りだと思いますが、でもね、実際、ほんと、車を運転する仕事ってきついですよ。前職では急げ、走れ、って毎日のように怒鳴られて、つい黄色信号で突っ込んだりして、しまいますよね」


 宮西が同意を求めるように倉見の顔を見る。倉見は、

「まあ、制限速度オーバーとか、交差点で荷卸しとか、やむをえないルール違反はたくさんしましたよ。タクシードライバーは個人事業主みたいなものでしょう?生活費を稼ぐために人の見ていないところで無茶する人はいるでしょう。タクシー会社ってマンパワー運営ですよね。乗務員に車を貸してあとは任せた、で、乗務員は日々自己責任自己完結でしょう?会社によっては乗り逃げなんかは乗務員が弁償するって聞きましたが。」


 倉見が内藤の顔を見る。内藤は、

「ああ、そうだね。そういう会社、多いね。釣銭は会社が用意するんじゃなくて、ドライバーが自分で用意するって知っていたかい?」


 みなが顔を見合わせる。


「間違ってメーターを倒して気が付かないで走らせたらさ、その料金はドライバーが負担だからね。メーターの記録は絶対だからね。釣銭の渡し間違いもドライバー責任さ。それもこれもドライバーに不正させないためなんだけどね。だからある意味ドライバーは自由なのさ。それで無茶しちゃうドライバーも多いんだ。交通違反の方でね」


 川岸がまとめるように言う。

「なるほどきれいごとだけでは営業できない乗務員が多いんですね。我々は個人事業主のようなもので、給料は歩合制で、だけど銀さんが言うように事故を起こしちゃあ元も子もないってこと、それを再確認するのにはこの講習は丁度いい機会かもしれませんね」


 内藤が、

「そうなんだよ、銀さん、川岸さん、こうやって違う会社のメンバーが集まる機会ってあんまりないからね、貴重な機会だと思うよ。できればもう少しお互いに経験積んでさ、また集まりたいよね」


 黙っていた田中が、

「タクシードライバーは個人事業主みたいなもの。違う会社の人同士ではお金になりそうなコースとか、いいお客さんが立っているところとか、あまり情報交換することはないですよね。でもそれでは世の中がよくはならないと思うんですよ。こうやって現場で動く人が実際の経験を元にして議論する場は必要だと思いますよ」


 内藤が、

「いいこというねえ、そうさ、タクシーは高級な乗り物ではないんだ。庶民的な乗り物と言われなくちゃならないんだよ。いまにわかるよ。すぐそこ、たった3百メートルくらいの病院に行ってくれって、杖をついた老人を乗せて走ってお金を取るんだよ。泣けてくるからね。どうしてそんなタクシーの使い方をするのかっていうとそれは、その人を乗せてくれる家族がいないからなのさ。タクシーしかないんだよ、年よりや身体の不自由な人の乗り物は。でもさ、タクシー業務っていうやつはひどく効率が悪い仕事なんだよ。行って帰ってくる往復で、お金稼ぐのが難しいんだ。片道だけなら乗車率は50%だよ。これを100%に近づけるのは個々人のチカラだけでは無理なのさ。それぞれの乗車率を上げる工夫はみんなで協力しないとできないんだって、この仕事を離れて、自分が客になってみてつくづく思ったよ」


 ミンクは就職した会社でどのような研修を行っているのだろうか。会社によっては乗車率を上げるための取組みをデジタルで進めている。ただ、それにも限界があって、車の動きはパソコン画面上で見えても、「車に乗りたい」という人の動きを予想することは難しい。仮に乗りたい人と車両の現在位置が一致したとして会社が「その客を乗せよ」と指示したとしても、短距離で儲からない客であれば無視して通り過ぎる乗務員もいるらしい。乗務員は歩合制なので会社の指示でばかり動いているとお得意様、イコール安定収入を逃してしまう。地下鉄駅までそう遠くない場所で荷物を持っていない客が手を上げたのを見ても「これは稼げない」、と判断して「回送」表示にして通りすぎるような乗務員もいると聞く。本来停車してはいけない交差点付近でも大きな荷物を持っている空港まで行きそうな客を見たときには強引な停車をして事故を起こす。経験を積んだ乗務員は「この時間ならあそこを走ればよい客がつかめる」などがわかり効率のよい走行ができる。だがタクシーを必要としている客というのは、そんな、「稼ぎたい」乗務員向きの客ばかりではないのだ。


 偶然にも居合わせたこの六人、いろいろと訳ありの六人であるが、それぞれが同じように、タクシーという乗り物、その乗り物を使った仕事に期待と希望を乗せている。人生の、幸せの、人間の生き方の縮図のようなこの乗り物を通じて何かを掴みたいと願っている。それぞれがそれぞれに対して相通じるものを感じていた。


 タクシー協会での講習はためになった。5日間の講義が終わり協会の玄関を出たところでミンクが待っていた。






事件や事故と隣り合わせの職業であることを理解し、そんななかで、人間社会を理解し、人間社会に貢献したいと願うピュアな精霊達は心を通じあわせていきます。一致協力して事件解決に臨む、その機会がこのあとすぐに訪れます。

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