第一節 乗務員デビュー前 第二種免許の取得 その6
運転免許試験場で学科試験に臨むギンレイ。この試験に合格して晴れて免許取得となるのだが、運転免許試験場には不穏な空気が流れている。
第一節 乗務員デビュー前
第二種免許の取得 その6 運転免許試験場の怪人
自宅に帰ると少し疲れを感じたが熱いシャワーを浴びてしばらく瞑想にふける。
故郷では温泉が好きで毎日父が経営するホテルの露天風呂に入っていた。アパートには温泉も露天風呂もないがギンレイはアパートに備え付けてあるシャワーが好きで毎夜就寝前と毎朝起床後に欠かさずに浴びる。43度の高温を先ずは首の後ろ、脊髄のあたりにかけうっとりとする。ついでシッポ、前足、胸から腹、後ろ足と、全身くまなくかける。キツネの精霊ではあるが人間が発明したシャワーは素晴らしいと思う。他にも動物的感覚では贅沢に思える水道水、照明器具、寝具などを使うにつけ、改めて人間という動物の偉大さを感じるのだ。
テレビも素晴らしい発明品だと思う。人間界について学ぶにはとてもよいツールだ。道内のこと国内のこと世界中で起きていることをリアルタイムで知ることもできる。朝の連続テレビドラマや、日曜日の歴史もののドラマが好きで楽しみに見ている。このごろはお笑い番組にも挑戦中だ。なかなか人間のユーモアにはついていけないギンレイであるが、最近はボケと突っ込みの妙が何となくわかる気がしている。
シャワーからあがってドライヤーの熱風を浴びて身体を乾かし、リモコンでテレビの電源を入れる。いつものローカル番組が始まっていたが、なんだか見覚えのある風景。アナウンサーが、
『視聴者から寄せられた映像をご紹介します』
映像を見ていたギンレイが見覚えのある景色に、
「あれ?昨日の川原?」
教習車が映っていて、更に、布で巻いたキツネの死骸を運ぶ自分が映っている。教習車のロゴや自分の顔にはモザイクがかかっている。
アナウンサーが
『市内の自動車学校の生徒が道路に横たわっていたキツネの死骸を道路から救い上げて川原に埋葬する様子です。ご近所の方がたまたま持っていたカメラで撮影したとのことです。心温まる自動車学校生徒さんの行動を見て感動しました。とのコメントも寄せられています』
画像が切り替わり自動車学校と校長が映り、校長が、
『はい、路上の障害物を見たら可能な限り往来の妨げにならない場所へかたずけるように教官には指導しております。やはり地域の道路をお借りしている私どもとしましては、パトロールのつもりでよく道路を見ています。ちょっとした地域へのご恩返しと心得ております』
と、インタビューに答えている。生放送のスタジオでアナウンサーが、
『いやあ、感心な自動車学校ですね』
ゲストが、
『道路に動物の死骸があったら、車があわててよけようとして事故が起きたりしかねませんからね、いやあ、いい心がけだ』
などと言っている。テレビを見ているギンレイは
「誰がいつ見ているかわからないものだ。タクシー会社は行燈をつけて走っているから余計に目立つ。交通ルールを守って安全運転を心掛けなくては」
と改めて思う。
アナウンサーが、
『続いて、次のニュースです』
と言うと、アナウンサーの顔が見覚えのある顔に変わる。
『ギンレイよ、今日は試験だったな』
「・・・」
アナウンサーが父ハクレイになった。硬直するギンレイ。
『迷いが顔に出ているな。わかっていると思うが動物の死骸を死んだ場所から移すのは正しいこととは限らないぞ。霊魂は死んだ場所には執着しても元の肉体には執着しない者が多い』
「・・・」
迷いが顔に出ている、というより、アナウンサーが父に変わって戸惑っているギンレイである。この「番組」はこのアパートにだけ流れているのだろうか、と頭が混乱する。
『故郷の山中であればどうしていた?動物の死骸はカラスやトビにとっては貴重なタンパク源だ。毛皮も採れたかもしれない』
「・・・は、はい」
『だがまあ、哀れな姿を路上にさらしておきたくないから川原へ運んだ、というのは極めて人間的で、それはそれでよい。お前も人間界に馴染みつつあるということだな。』
これは決してほめ言葉ではない。心の乱れを見透かされている。父に心配をかけているようだ、そうギンレイは受け止める。
『キタキツネは病気を持っていることがあるからな。行政窓口へ一報入れておけばなおよかったな』
それはそうなのだが、同じキツネとしてはなんとも心が痛むのだ。
『いずれにせよ人間として生活する難しさを思い知ったようだな。それはよいが今の心の状態では今日の試験は少し危ういぞ。まあ焦らないことだな。一度落第してみるか。人間はよく悩む動物だ。いろいろとやってみて悩んで、人間のありようが見えてくるだろう』
「いえ、お父さん、必ず今日の試験は合格して見せます」
『ギンレイさんがそう言っていますが。ゲストのバントウさんいかがですか』
『はい、ギンレイぼっちゃまなら一回で合格できるでしょう』
いつの間にかゲストも番頭のバントウに変わっている。
『そうですね、ギンレイさん、みなが期待していますよ』
そう父ハクレイが言い、バントウもうなずく。カメラがハクレイをズームし、
『心してかかれ。今日の運転免許試験場に少し不穏な空気を感じる』
アナウンサー役の父が「葉っぱ」を何枚か出して占いを始めた。
『魔物が現れるかもしれない。だが、仲間が助けてくれるという暗示が出ている。とにかくギンレイよ、今日は試験に集中することだ。それでは次のコーナーです』
「あ、はい、わかりま・・・」
『今日のお天気です。北海道内、今日は・・・』
それでは次のニュースですと父ハクレイが言ったあと、アナウンサーはいつものアナウンサーの顔に変わった。ゲストも番頭のバントウではない、タレントに変わった。
路上にあったキツネの亡骸を葬ったのは悪いことではないが人間的な発想で憐れんでいたために、動物の精霊である自分と人間界に馴染もうとする自分の間で葛藤が起きて、悩みのオーラを発していたのを父が感じとって、励ましてくれたのだろう。
試験に集中せよ、という指導でもあったが、気になるのは、
「運転免許試験場に魔物と味方がいる?」
それはどういうことなのか。行って見なければわからない。
運転免許試験場は手稲山のふもとにある。「味方」の意味がわかった。おびただしい数のトビ、ハヤブサ、ツバメ、カモメが上空を飛びまわり、試験場の建物にもとまっている。「魔物」の気配も薄っすらとしている。カモメのカッちゃんがやってきた。
「お騒がせしてすみません。大王様の運転手をかって出てくれた方がまだ免許を取っていなかったと知って、手稲山の精霊達が応援に行くと言って、このありさまです。どうかお許しください」
「カッちゃんさん、心強いです。ありがたいことだと思いますが、試験は私ひとりで受けるものですので、どうかおかまいなく、とお伝えください」
「そうですよね、はい、そうなんだと思いますが、どうも魔物が試験場にいる可能性があるということで、そうだとしたら霊力の高いギンレイさんに攻撃をしかける可能性があるとのことで、皆が心配しております。ギンレイさんはどうぞ、試験に集中してください。もしも試験中に魔物がギンレイさんに意地悪などしたときには私達が魔物を退治しますので」
そう言ってカッちゃんは試験場の入口近くの軒に止まってあたりをきょろきょろ見回す。
開場前の試験場入口からはすでに100人以上の列ができている。係員が「並ばなくても開始時間は同じですよ」と言いながら、試験受付手順が書かれた紙を配っている。
先ず書類に必要事項を書き、収入印紙を購入して書類に貼って割り印を押し、書類を持って「目の検査を行うブース」へ行って、そのあとの指示を目の検査をする係り員から聞く、とのことだ。
じっとこちらを見ている視線に気が付く。自動車学校の教官「村上」だ。自動車学校から一種免許受験の生徒数名をワゴン車で送ってきたようだ。おそらく試験が終わる時間までここで待機しているのだろう。この試験場に漂うモノ達は村上から発せられているのだろうか。
朝8時になり、玄関の自動扉が開いて行列は建物の中に吸い込まれる。書類を整え、「目の検査」へ向かう。
「ああ、二種免許ですね」
と係りの人は言い、普通の視力検査を行ったあと、自動車教習場でも行った「深視力」の測定も行う。難なくクリア。
「それでは書類を持って⑮のカウンターに並んでください」
そう言われ、⑮のカウンターに行く。誰も並んでいない。まだ窓口はカーテンがかかっていて、受付は始まっていない。
受付は8時45分からと言うが、9時からの試験に間に合うものなのだろうか。視力検査が終わった受験生は書類を手にみな階段を上がっていく。少し不安になる。建物の中がごった返してきた。春休みだからだろうか、学生らしき風貌の若い人間が多い。就職活動前に、または就職を前に、一種免許の資格を取ろうという人達だろう。
自分は旅客業に関わる二種免許試験を受けるため、受付は別なのだろう、と思っていたが、カーテンが開いて書類を出すと、
「はい、それでは二階の試験会場へ行ってください」
と、言う。
「あの、⑮と言われてきたのですが」
「ああ、視力検査の人、よくわかっていないんで、免許交付窓口を案内したんですよ」
とのことで、急ぎ二階へ向かう。二階ではこれまた長蛇の列になっていて、建物の長い廊下の端から端まで並んで建物の端にある階段から更に下へ列ができているその最後尾に立つ。次第に列が消化されて前へ進む。
「ああ、二種免許ですね。二種免許は・・・」
と言って提出した書類と引き換えに受験票を渡される。
会場に行くとすでにおおかたの席が埋まっていて、自分の席は窓側の前から6番目だったが、
「おはようございます」
一番前にミンクが座っていた。
「おはようございます」
軽く会釈をする。ミンクが御気の毒様、という表情で、
「合理的なようで無駄が多い。だから早く来たのに遠回りしてくる方もいる。まあ事務手続き的には間違いが少ないやり方なんでしょうけどね」
200人は収容する試験会場に、二種免許を受験する者は、自分を含めて6名のみ。その6名は窓側の指定席を占有している形だ。二種免許はこちら、と案内してくれれば、もっとわかりやすかっただろうに、と思うのは自分とミンクの思い違いで、この流れが一番合理的なのだ、と思うことにして、
「ええ、受付はスムーズでしたよ。まだ試験開始まで5分ありますから」
ふふっ、とお互いに笑い、ギンレイは前から6番目の席に着く。
ギンレイに免許を取らせたくない、そんな何等かの稚拙な妨害の霊気が漂っているのは感じるが無意味なことだ。「行政手続き」のパワーは強力だ。何人も抗えない。外的な妨害の魔力など全く無力なのだ。この試験場に漂う悲喜こもごもな人間模様、長年積み重なり溜まった様々な心を感じる。自分もその一部にすぎない。淡々と係員の指示に従い受験するのみである。
「お知り合いですか。同じ会社なんですか」
2番目の男がミンクに声をかけている。白髪交じりでおそらく60歳前後であろうか。
「ええ、同じ教習場で」
などとミンクが受け応えしている。3番目は40代くらいであろうか、しっかりとした体つきの男性、4番目も40代くらい、メガネをかけた長身の男性、5番目は60歳前後と思われる小太りの男性。
窓側の6名以外、会場を埋め尽くした受験生はほとんどが20代前半であろう。旅客業に関わろうという人間はすでに一種免許を持っていて何等かの形で自動車を運転した経験がある者、60代の二名はわからないが、40代の2名はトラック運転手またはルート営業などしていたのだろうと想像するが、少し霊的な匂いがする。
2番目の男からは魚の気配がする。漁業関係者か板前からの転身だろうか。
3番目と4番目の男からは魔力の気配がする。ギンレイの前に坐っている5番目の男は普通の人間だが霊感が強そうだ。何かが憑りついている。憑りついたモノはこちらに警戒してか、姿を見せない。
ギンレイ含め窓側の6名はみな窓の外を気にしている。窓の外は試験コースでその向こうに手稲山がそびえている。異様なまでに鳥が多いが半分以上は精霊だ。ふとコースの端の方を見るとタクシーが5台停まっている。いやな予感がしてきた。
試験官が会場に入ってきた。試験の説明が始まる。制限時間以内に90問の〇✕回答で一問1点で90点、5問はイラストへの注釈に対して〇✕の評価をして2点満点で10点、合計100点満点中90点以上で合格となる。
ギンレイは路上での実技よりも学科試験を苦手としていた。教習所での模擬テストは4回ほど行われたが90点以上取れたのは1回のみだった。教本の一言一句を丸暗記していたが、いわゆる「ひっかけ問題」が多いためピュアな心の持ち主であるギンレイはひっかかりやすく、点数を落とす。
教官から間違いやすいポイントをよくアドバイスしてもらってはいるが、丸暗記があだとなっているのか、模擬試験では教本と違う表現がされている問題にはペンが止まり考え込んでしまい後半の時間が足りなくなるのが常であった。
問題を作る人間はおそらくは交通ルールを常識的に見ているその道のプロであろう。思えば教本に書かれていることは人の命を守るドライバーの使命を全うするためのものであるから、極めて常識的なことばかりであり、それゆえに多少難易度を上げようと思ったら変化球を織り交ぜて「ひっかけ」的に打ち取るような問題を差し込むことになるのだろう。もっとも「ひっかけ」ととらえるのは不謹慎で、問題を考えている人達はきわめて真剣であろうし、運転免許取得を目指す者は「教本に書いてあること」も「試験問題の内容」も完璧に頭に入れたうえで路上に出るべきであることは言うまでもない。
とはいえ、例えば、
「高速道路の本線車道において、全ての普通自動車の最高速度は時速100キロである」
先ず「本線車道」という言葉にひっかかる。これは加速車線や上り坂車線は含まれない。他に例外的な車線があったか、と考える。更に、事故や雪道などで速度規制が入った場合は考えなくてもよいか、などと思案の末に〇にすると「不正解」となる。「普通乗用車」に排気量の低い一人乗りのミニカーも含まれるが、ミニカーは高速道路を通行できない。よって、この問題は✕が正解なのだ。
「車の右側の路上に3.5メートル以上の余地がないが、引っ越しの荷物の積み下ろしは5分以上でも停車とみなされる」
これは教本にある「駐車と停車の意味」「駐車、停車の禁止と例外」の項を読み込めば不正解とわかるが、教本の駐車、停車に関する一連の流れ抜きにこの一文のみを見たときには迷ってしまう。荷物の積み下ろしは5分を境に駐車と停車の見解が分かれる。ただし例外的に「引っ越しの荷物」は5分を超えても車をすぐに動かすことができるならば駐車をしてかまわない、と教本にある。つまり、引っ越しの荷物の積み下ろしであろうとなかろうと、5分を超えたら停車ではなく「駐車」なのだ。答は✕だ。3.5メートルという数字にもひっかかる。実際に道路を巻尺で測る人がいるものだろうか。また、駐車中に前後から自動車が来たときはすれ違うことができないため、引っ越しの車両も運転手がすぐに動かして進路を譲ることができる要件を満たしている必要がある。
90点で合格であるから、10問は間違えてもよいのだ、と考えリラックスする。故郷の父やホテルの従業員達の面目もあるのだ。可能な限り満点をめざしたいところではあるが、落ち着いて、先ずは全部の問題に早めに手をつけ、あとから見返して、「怪しい」回答が10問以下に絞り込まれる、90点を確実に採ってゆくことにする。
(問題用紙が怪しいですよ。気を付けてください)
問題用紙がひとりひとりの受験生に手配りされる。試験官には特に怪しい気配は見えないが、ミンクがギンレイにだけ念を送って注意を呼び掛けてくれた。その通り、冊子の問題用紙に何かが憑りついている。
*
試験が始まると同時に魔物の攻撃が始まります。ギンレイはこの混乱の中で無事に試験に合格して免許を取得することができるでしょうか。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」
https://ncode.syosetu.com/n8347hk/
シリーズもの別編です。
*運転免許試験問題の問題文、模範回答は本節の内容と同一ではありません。
*運転免許試験場の受付方法、手順、席順等は時節や各自治体により異なります。
*野生動物の保護方法などは各自治体により異なる場合があります。
*このお話しはフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。