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しあわせのたくしー  作者: 月美てる猫
26/26

第三節 最初の刺客 その1

初日の業務は予期せぬことの連続で疲れを残す。人間が難しい生き物であることは承知していた。その難しい生き物を安全に快適に運ばなければならないというタクシー業務の難しさを改めて実感しながらの一流乗務員を目指しての奮闘が始まったのだ。しかしそんなギンレイに魔物の影が忍び寄っていた。


*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」  

 https://ncode.syosetu.com/n8347hk/

 シリーズもの別編です。


 第三節 最初の刺客


その1 地蔵と魔物



 乗務初日をどうにかこなし、アパートへ帰宅して就寝するとすぐに朝はやってきた。

 

ジリジリジリ・・・


(目覚まし時計?)

 

 目覚まし時計を購入した覚えはなかったが、故郷の誰かから餞別にもらっていただろうか、などと夢うつつに思いつつ、そのジリリと鳴っている目覚まし時計らしきものに手を伸ばすが自身の手から発する霊気にまるで「早く起きろよ」という磁力が反発するかのよう、手を伸ばしてはキタキツネの顔をモチーフにしたと思われる「時計の顔」が遠ざかる。

 左前脚の「膝」を折って枕に突っぱって上体を起こし時計のありかを寝ぼけまなこで探ると、

 

「じりじりじり・・・」 

 

(?)

 

 目覚まし時計の成りではあるが、まるで生き物のよう。

 

「じりじりじり・・・、あの、支配人、もうよろしゅうございますか、網走(あばしり)発の始発列車にご乗車のお客様がチェックアウトされる時間ですので」

 

(??・・・バントウ)

 

 目覚まし時計に柔らかみと温かみがあった。寝ぼけまなこをこらして見つめると、目覚まし時計に耳や口があり、呆れたような両目はこちらを直視せずに天井を見ている。

 

「バントウ?」

 

 バントウ顔の目覚まし時計に紐が結ばれ、紐は窓へと伸びている。紐の先を見ていくと、


「起きろっ!」


 目覚まし時計を寝床から遠ざけるように引いていたのは窓いっぱいの大きな顔の横から出たキツネの前脚だった。


「お、お父さん!」

 

「ギンレイぼっちゃん、おはよう御座います。支配人、私めはこれで」

「うむ、ご苦労。厨房のビュッフェの出来も見ておいてくれ。今日は早めにご出発の客が多い。タクシーの手配も不足はないか点検しておいてくれ」

「承知しました」

 

 キツネ顔の目覚まし時計から前脚が出て、葉っぱを頭に乗せると、目覚まし時計はドロンと煙になって消え、窓いっぱいの父ハクレイの顔も消えた。

 

「なんだったんだ・・・」

 

 布団の上に正座をしたまましばらくぼーっとしていると、玄関からチャイムの音。

 人間のパジャマ姿になり玄関のドアを開けると、

「おはようございます、朝食をお持ちしました

「おはようございます、宅配便です。サインを、お願いします」

 と、デリバリー配達員が「弁当箱」らしきものを、宅配配達員が小包を差し出す。まばたきを繰り返し、二人の顔をじっと見る。

「ギンレイぼっちゃん、目覚まし時計です。明日からでもお使いください」

「お前、人間として就労するのなら朝めしはきちんと採れ。病気になるぞ。それと、早朝の客は誰なのか、考えてコースの組み立てをしろ。いいな」


「・・・」

 

 二人が父ハクレイと、バントウの顔でそう言って荷物と伝票を渡し、ギンレイがその伝票にサインをして返すと二人は「配達員」の顔になって、

「と、お送り主様から言伝です」

「と、お送り主様から言伝です」

 と声を揃える。

「ご苦労さまです」と、言って二人を見送り、頭を二度三度ふりながら、

「なんだったのだろう」「いまのはなんだったのだろう」とつぶやきながら、布団をたたみ、着替えをし、顔を洗う。

 

 テーブルに温かい朝食と目覚まし時計をならべ、手を合わせ「ありがとうございます」と礼を言う。

 

 精霊なので食事はしなくても生きていられるし、食事をするとしても生き物を殺して食することはない。キツネの精霊が作る料理の材料は主に「葉っぱ」に魔力をかけて食材に変えたものである。もしくは、商品化され「生き物の魂が抜けたもの」を商店や市場で購入し生前の供養かたがたありがたくいただく。

 弁当のおかず、鮭の切身、ハンバーグに使われている挽肉、サラダのポテトやミニトマトなど全てからは魂が抜けている。

 それらに向けてじっと目を閉じ手を合わせ、「いただきます」と言って残さず平らげ、手を合わせて「ごちそうさまでした」と頭を下げた。

 

 父ハクレイが言うように、人間として就労するからには、腹が減るので食事をし歯も磨きトイレにも行き、布団に入って7、8時間は眠らなくては人間としての体調を維持できないし、それらを怠れば精霊としての霊力減退を招くことにもなりかねない。

 乗務初日の疲れを見透かした父ハクレイが心配し、イタズラめいてはいるが気遣いしてくれたのだろう。ありがたいことだ。

 

 実際少し「疲れ」が残っていた。デリバリーの朝食と故郷の温かみからおおかた霊力回復ははかれた。外へ出ると日はだいぶ長くなった。街灯はまだ点々と道々を照らすが日の出前の東の空がほんのりと薄明るく夜のとばりを払い、あたりを吹き抜ける早春の風が胸に心地良い。深呼吸して霊力を100%回復させる。


「そうだね、ときどきリフレッシュしないとね」 


 深呼吸する姿を横断歩道の向こうから見ていたのは内藤だった。

「朝食は食べた?」

「はい、父から差し入れがありまして」

「へえっ、そう、ふうん。いいお父さんだね」

 そう言って遠い目をしている。何かを思い出しているように見えた。自身の故郷か、もしくは父のことを知っているのか。


 内藤が知床のカムイであり、あのバントウ配下「チームとうさん」の一員であるとギンレイが知るのはずっと先のことである。

 ただし、内藤はいまはハクレイともバントウとも一線を画している。ギンレイのことを何かと気に掛けるのは単に「里心」であり「同じ受講生のよしみ」からであった。

 そして名を持つ知床のカムイであるという素性を隠しているのはギンレイ同様、自分なりに人間界の動きを探るためであり、自分に課せられた宿命に従って「己のなすべきこと」を全うするためである。


 思い出したように、

「あ、これ、よかったらお昼に食べてください」

 と、言って風呂敷包みを渡す。

「昨日はいろいろあって休めなかったんじゃない?無理してでも休憩時間とらないとね、身体壊すし、権左衛門社長からも指導がはいりますよ、労基の方でね」

 風呂敷包みはそれなりの重量がある。

「そこのさ、ほらバス停前の弁当屋、けっこうボリュームあってお値段手ごろでおいしいんだ。営業所に電子レンジあるよ。それかマルシンスーパーのイートインはいいよ。持ち込んだ弁当やカップ麺でもレンジやポットをを使わせてくれるから。まあどこかで温めて食べてね」

 歩きながら近隣の休憩スポットや、精霊が経営している食堂、路上駐車できる木陰の道などを教えてくれる。

 先輩乗務員として応援してくれているのだろう。ありがたいことだ。

 タクシー業務に長けているだけではない。どうやら昨日自分が遭遇した魔物との戦いを遠目に見ていたようだ。想像以上に強い魔力を秘めていると、ギンレイは思った。

 

「まあ、権左衛門のところはそれなりにキチンとしてるから、いいんだけど」

 

 そう言いながらじっと西の方を見る。視線の先を千里眼で見ると同業他社の営業所がある。

 

北方(きたかた)の倉見さんと宮西さんがちょっと気になるんだよね。新米にいきなり夜勤の訓練させるなんてさ。研修とはいえ生活リズムが狂うからね。夜勤と日勤を交互にってのは。特に動物にはね」

 

 日勤の乗務員を人手不足の夜勤にコンバートすることはタクシー業界ではよくあることのようだ。もちろん本人の承諾が必要であり、労働組合の監視でムリなシフト変更は見直しがはかられることもあるというが。

 

「私はねえ銀さん、タクシーの仕事ってスポーツだと思うんですよ」

 

「スポーツですか?」

 

「まず体力が必要、運転の技術も必要、神経使うから気力も必要、頭も使うよね。運の良さを引き出すのは時間や天候なんかにに応じたコース取りにつきるから。相手の球種を見極めて確実にヒットを打ち転がってきた球を拾い続ける。たまに空振りしたり球を取り損ねてもめげずに焦らずに平常心を保ってこつこつと続ける。細かいヒットもたまにホームランになることもあるし、たまたま出したグラブに球が入ってファインプレーになることもあるんだ」

 

 と、言ってバットスイングやキャッチボールをするような動作を見せる。

 なるほど、タクシードライバーはアスリート。だからこそ体調管理は欠かせないということか、と素直にうなずく。


「銀さんも慣れるまでいろいろ大変だと思うけど、同期のよしみで助け合いましょう」

 

 社屋に近づき駐車場から3999号車が手とシッポを振っているように見える。シッポも手もないのだが、かつての相棒である内藤の訪問を喜んでいるようだ。

 

「じゃあ私はこれで。また社長に見られたら気まずいから」

 

 と、言ってこちらを向いたまま、後退しながら軽く手を振る。ギンレイが思い出したように、

 

「内藤さんは大王様をお乗せしたこてはありますか?」

 

 と、問うと、ピタリと硬直して立ち止まり、

「いや、ないよ。大王様?どんなお姿?」

 と、右手を上げたまま、目が落ち着かず揺れている。

 

「いえ、わかりません。でも6日に予約が入っていて、それまでに少しでも仕事に慣れようと思っています」

 

「予約・・・」

 右手を上げながら空を見上げ、

「そう・・・、権左衛門はそのことは?」

 と、神妙な表情で問う。

 

「はい、報告しました。粗相のないようにと言われました」

 

「そう・・・。何か手伝うことあったら言って。それじゃあ」

 そう言いながら内藤はくるりと背を向けスタスタともと来た道を歩いてゆく。

 

(内藤さんも大王様の姿を見たことがないのかな)

 内藤の姿を見送りながらそんなことを思う。「大王とは?」という質問もなかった。何か知っているふうではあったが。

 

 知床で出会ったタヌキ達の話しではこの近く、札幌市の北端にある住宅街に人間の姿で暮らしているはず。しかし、ギンレイがいくら霊力を研ぎ澄ませてあたりを見てもそれらしき霊気は感じられない。

 空を見渡してもカモメのカッちゃんやハヤブサやトビの精霊がお住いを警護するような様子は見られない。

 

(とにかくこの一週目でタクシーの仕事に馴染まなくては)

 と、決意も新たに社屋へ向かう。


 

 乗務2日目、事務所前で髙橋から点呼を受ける。

 点呼の際に、

「雪解け時季ではありますが、路面状況を良く見てアイスバーンでのスリップに注意を、中道で人や車とすれ違う際は硬く凍りついた雪山にボディを擦らせないように、解けだした雪の水たまりで泥ハネにも気をつけて、春休みで自転車に乗る子供も出始めていますが子供の飛び出しに注意して、特に左折時は左からの歩行者に充分に注意するようにしましょう。歓送迎会の時季でありますから駅周辺や学校周辺の人の動きを見て需要を掴みましょう」

 と、今日の注意事項について簡単なコメントがあり、「今日も安全運転で」と言いつつ乗務員証と業務日報とメモリーカードが渡されてギンレイは3999号車へと向かう。

 

 研修の際、川岸からの質問に大林が営業戦略的な分析やデーターの蓄積はしていない、と答えていた。

 点呼の際も今日に限らず「気をつけて」「頑張って」の簡単なアドバイスしかもらえないだろう。具体的にどこへ、誰を、どんなふうに乗せるかは、個々に考えて行動するしかない。

 自分スタイルを創り上げるにはそれなりに経験を積み重ねなくてはならないのだろうと思う。

 

 場内へ出て3999号車のボディに異常がないかを見て乗り込み、

「サザンクロス、フレンド、ニシンのみんな、おはようございます、今日もよろしく」と、挨拶をし、日常点検表に基づいて車両の点検をする。


 霊力は使わず人間力のみで就労するつもりではあるが、ブレーキランプの点灯はニシンが外へ出て見てくれるというのでお願いすることにした。無線機器の起動とメーター指数に異常がないかの確認はフレンドが見てくれた。ハンドルや足回りのガタつきはサザンクロスがボディを揺すって異常がないことを確認してくれた。

 他の乗務員の動きを見ると点検項目の大方は割愛しているように見えるが、人は人、自分は自分と割り切り、黙々と丁寧に3999号車を見る。


「こんなに丁寧に見てくれるのは内藤さん以来です」

 と、サザンクロスから褒められるが、

「内藤さんはもっと早かったですが」

 とも言われる。


 全ての点検項目に◯印(まるじるし)をつけ、ふと気がつくと待機プールはサザンクロスが1台きり、出庫準備中の車両は全て営業へ出かけている。

 慌ててシートベルトを締め前方、左右、後方を目視確認し、ギアをローに入れて発進する。

 

 就労持ち時間は休憩時間を除き8時間。今日の営業収益目標の25000円を達成するには、少なくとも30分に一人は1500円以上の客を乗せなくてはならない。

 

 会社に張り出された営収順位表を見ると、毎月の上位者はだいたい同じドライバーの名前であり、特に1位から3位は不動の、黒畑、土肥、日下、の3名である。いずれ機会があればノウハウを聞いてみたいものだとは思う。

 ただ、先輩ドライバー達との業務上の交流は淡白な関係で進みそうだ。先ほどの点呼では7、8名が事務所前に集まっていたが、ドライバー同士では雑談はあっても業務内容について熱く議論するような気配はない。

 車両に乗り込めばひとりきり。それぞれ得手不得手もある。タクシー乗り場に「つけ待ち」主体の営業に徹する者、西地区の山あいを得意とするドライバー、乗せる客の好みもあるだろう。酔客や外国人観光客が苦手なドライバー、病院や駅などでは車椅子や杖をついた老人を避けるドライバーもいるだろう。

 先輩乗務員の「車椅子なんか乗せるもんじゃないよ、料金が割増になるわけじゃないからさ」などというアドバイスがあっても素直にうなずけるものではない。

 人のマネをする前に自分の感性で先ずは動く。自分で考え、自分で営業スタイルを組み立てる。先輩乗務員の営業スタイルをマネたり否定したりするのはそのあとだろうと思う。

 とはいえ、ズブの素人としては何ら知識、情報もないうちは闇雲に走るしかなく、多少の手掛かりは欲しいところだ。

 

(客は誰なのか・・・)

 宅配業者にふんした父の言葉を頭の中で繰り返す。

 

 フレンドがカーナビから這い出し、

「今日はどちらの方へ向かいますか?」

 と聞くが、

「うーん、そうだな、とりあえず」


 と言って西側出口道路手前で止まり方向指示器を入れ、左右の確認をして右折で敷地から出る。

 左手西の空はまだ薄暗く、右手に屋外灯に照らされた会社の正面玄関とその横のお地蔵様を見て軽く会釈をする。

 

 このお地蔵様は交通安全を祈願して建立したものではない。

 タクシー会社を運営するには、それなりに広い敷地が必用なのだが、札幌市郊外で田んぼだった頃のこの土地を買い受けた際、田んぼの真ん中、あぜ道にあったものをそのまま会社で引き取り社屋玄関横にあずま屋を設け鎮座させたと聞く。

 だからどちらかといえば交通安全よりは五穀豊穣の意味合いであろうが、いつのまにやら御近所からも親しまれ、花や菓子などが絶えずそなえられ、服が着せられ、小銭が置かれ、通りがかる人が手を合わせるようなパワースポットになりつつある。

 ギンレイもサザンクロスもフレンドもこの地蔵からは霊的なものは何ら感じてはいない。ただし、


「気に掛けてくれる、頼りにされる、それに応える、その連鎖だよな・・・」

 

 タクシー会社が地蔵の役目を負ってパワーを発揮し、地域住民の祈りに応えるというわけではないのだが、多少なりとも自分達は業務を通じて地域に貢献できるのではないか、とギンレイが、サザンクロスが、フレンドが、ニシン達が、交差点の赤信号を見ながら何となく同じことを考える。社長はその思いで地蔵を残したのだろうか。

 

 信号が青になった。ウインカーを出していなかった。とりあえず真っすぐ進む。

 真っすぐ進むと民家はなく、市街化調整区域の空き地が広がり、手あげの乗客などいるはずもなく、無線が鳴るとも思えない。

 とりあえず次の交差点で右折をして幹線道路のバス通りを目指そうかと思っているとサザンクロスが、

 

「内藤さんは冬場は出てすぐの交差点を今日と同じように直進して郊外を目指すことが多かったです。始発前でバスを利用できない食品工場や物流会社勤務の人や新興住宅地から出る通勤通学客の需要を狙ってです。反対に中心部をめざしながら、夜勤明けで郊外へ帰宅の会社員や早朝勤務で郊外の流通団地へ向かう人を狙うか、天気や曜日や気分で決めていたようですよ」

 

「天気や曜日や、気分?」

 

「会社近くで無線が入るまで動かず待機していたこともありましたよ。会社近くでも早朝の需要はありますから。コンビニのアルバイトさんとか、病院の看護師とか、それとタクシー乗務員とか」

 

「タクシー乗務員?」

 

「バスや地下鉄で通勤するドライバーさんですよ。上がりの夕帯はバスがありますが、早朝は自家用車以外は徒歩か自転車かタクシーしか通勤手段がありませんから」

 

「なるほどだから冬場は直進して郊外へか」

 

「最近は宅配サービスのビジネスが盛んになったせいか、デリバリーや宅配便のドライバーさんや、庫内で荷物を仕分けするパートさんのタクシー需要も増えてきていますよ」

 

「・・・それで朝食と目覚まし時計の配達か」

 

「え、なんですかそれ?」

 フレンドが首を傾げてギンレイに問いつつ、

「あ、少し前に誰かいますよ。でも、あれは・・・」

 と、身をフロントガラスへと乗り出す。

 

 父ハクレイは早朝出退勤者の需要を暗に示したのだ。

 昨今は工場もホテルも自社の送迎バスを運行しなくなったと聞く。タクシーを使ったほうが社員別の交通費を管理しやすく、また、送迎ドライバーの雇用や燃料やメンテナンスなど、自社車両にかけるコストを節約できるからだ。


 前方に隣町の新興住宅街が見えてきた。その更に向こう側には流通団地と工業団地がある。

 市街化調整区域と新興住宅地の境い目にある交差点に「人のようなもの」が立っているのが見えてきた。サザンクロスが惰性走行の自車に緩くブレーキをかけながら問う。

 

「うちの社員ですが、魔物です。どうしますか?」

「なに、社員で魔物?」

「はい、社員の中には精霊もいれば魔物のような人間や魔物そのものも居ます」

「・・・どういうことだ?」


 建造物もなく、草原が広がる広い空き地。将来的には宅地造成がされるのかもしれないが、いまは冬場の雪捨て場としての活用くらいしかされていない。

 途中細い中道があって、左右に避けることもできたのだが。

 

 その人間のような魔物が手をあげている。

 

 減速し、後続の車がないことをミラーと目視で確認し、方向指示機を左へ上げてその「乗客」位置に3999号車の後部座席背もたれの位置をピタリと合わせて停車し、目視で「乗客」にドアがぶつからないことを確認しながらレバーを引いてゆっくりとドアを開ける。

 

「いらっしゃいませ」

 

 何も言わず乗客は座席に着く。

 

「ドアが閉まります」

 

 目視でドアが安全に閉まるのを確認しつつ、

「どちらまで参りますか」

 と、問う。

 中年男性で中肉中背、髪はオールバック、同じ濃紺の制服を着ている乗客が、

「この先の中道を使って転回、KTタクシー本社へ。私は同じKTの乗務員です。料金は社内使用証を使いますから。あなた、新人さんですね?」

 と、首は動かさず視線でギンレイと車内をチラチラと観察している。サザンクロス、フレンド、ニシンは気配を消していて、乗客には霊気も見えていないが、何か感じるものはあるようだ。

「昨日から営業に出ております。銀と申します。安全のためシートベルトの着用をお願いします」

 そう言い、ギアをローに入れ、前後左右の安全確認をし、方向指示機を右に入れ、

「それでは出発します」

 と言ってメーターを賃走にする。

「私は日下知成(くさかともなり)。朝からこっちへ向かうとは、新人さんにしては積極的だね。誰かから知恵つけられたかな」

 ギンレイは言われたとおり前方の中道へ右折で入り、スイッチターンで向きを変え、元きた道から営業所へ戻る。

「いえ、私は地理不案内で、それに運転も未熟ですから、車の少ない方へ真っすぐきただけですから」

 ギアを素早く切り替え4速で制限速度ギリギリの走行をする。

「ふーん、だけどこの3999を与えられたところをみると、それなりのものを持っていそうだな。前この車を使っていた内藤さんは営業成績不動の1位だった。会社はあなたに期待してるんだろうね」

 乗客はシートベルトをしない。身体も動かさず黙って前を見たままだ。社屋手前の交差点信号が赤になり停車する。

「滅相もない、何も分からないことだらけで。新米には古い車が与えられるようで、私には丁度いい車なのでしょう。ちなみに日下さんはいつも上位の成績で、是非秘訣のようなものがあれば教えていただきたいです」

 乗客の表情が変わる。ギンレイは触れてはいけないものに触れたか、と、少し緊張する。

 信号が青になり、車をお地蔵様の横、正面玄関前に付けるが、

「ああ、もう少し前へ、そのお地蔵さん、ちょっと苦手なんだ」

 10メートルほど前進させて停車し、メーターを「賃走」から「支払」「合計」にする。

「秘訣はまあ、私の走りは参考にしないほうがいいですよ。点呼は一番最後の7時15分。行き先は今日のあなたと逆。通勤客を狙って地下鉄駅のタクシー乗り場近く、地下鉄出口脇に潜んで乗り場へ向かう客を取る。終業近い夕方もそう。昼間は繁華街でビル前の出入口に居座り外回りのサラリーマンを乗せる。違法駐車ギリギリの線でやってるからね。それに無線はなるべく取らない。あれは必要悪だと思うよ。あなたのような、そう、精霊のような走りをする人にとって私のような無法者は相容れないライバルになるね。何人か精霊のくせに無茶するドライバーを見て知っているけれど、哀れだよ。いまのトップ黒畑さんにあなた似てる。彼から学んだら。彼は普通の人間だけどね」

 

 社内使用証の使い方は研修で学んでいる。乗車時間、乗車場所など必要事項をドライバーが書き、乗客からサインをもらってレシートを添えて窓口に出す。収益はドライバーの実績となり、料金は乗客の給料から引かれる。

 

 サインをもらいながら、

「日下さんは良い行いをしていると思いますよ」


 サインした社内使用証をギンレイに返しながら、

「なぜ?乗客を乗り場で待っているドライバーから横取りするのはズルいだろ?」

 日下は少し苛立った魔性の気を見せるが、ギンレイが、

「でもご家族のためでしょう?」

 そう言うと日下は少し意外な顔を見せ、霊気が萎えてゆく。


 自分でドアを開け、無言で降車する日下へギンレイは「ありがとうございました」と後姿へ声をかけた。

 

 ハイヤー協会は日下のような行為を「違法客待ち」と見るだろう。ルールを守ってタクシー乗り場の列で客を待つドライバーは日下を「ズルい奴」と見るだろう。

 だが道路交通法では交差点から10メートル離れた停車であれば、駐停車禁止場所でない限りは駐車違反にはならない。

 しかも、

「なあサザンクロス、交差点付近やビル前は効率がいいのか?」


 サザンクロスは天井の目を流し目にして、

「いえ、乗り場の方が確実で、しかもいいお客様がつきますよ」

 と、タクシー乗り場以外での客待ちには否定的だ。

 乗客の心理としては、キチンと乗り場で乗るほうが安全で安心なのだ。

 たまたまビル前や交差点付近に居る車に乗り込む乗客はせっかちであったり、泥酔客であったり、一万円札しか持ち合わせが無かったり、行き先では違法な駐停車場所での降車を求めたりもするものなのだ。

「まあ、営業熱心と言えるかもしれませんがね」


 ギンレイは(とりつ)いた家に住む人間が生活苦の親子であったがために、その生活苦の母子を生き長らえさせるためにタクシー業務で稼ぐ、日下の事情を霊力で読みとった。

 日下は家に憑く居候型の魔物であったが、いつしか内縁の夫に扮して母子を生かそうと必死に働くようになり、そのうちに日下の中で一点の善が芽生えたのだ。

 そのわずかな善をお地蔵様が見て更なる改心を求めているのかもしれない。

 

「だから権左衛門社長は魔物も雇っているのかな」

「いえ、権左衛門さんは単に人手不足を補うためですよ。それと無法者ならうまく無法者の客をこなせますから」

「サザンクロス、無法者の客とは?」

「料金を踏み倒す人とか、悪徳業者とか、政治家とか」

「なるほど、まあ政治家は無法者ではないだろうが」

「内藤さんはそのあたりに寛容な社長の態度が許せなかったみたいですよ」

 

 日下の後姿を見送りながらサザンクロスとそんな会話をする。


 動物由来の精霊であるギンレイには、「命を守ること」は最優先であり、そのための「抜け駆け」は違法性がないならば許されてよいのではないか、という思いがある。逸脱行為をさせないとか糾弾すべきと声高に唱えるくらいならば、生活困窮者を置き去りにしない社会を構築することを先に目指すべきではないのか、と。


 人間界の複雑かつ難解な事情を改めて目の当たりにした思いだ。日下の言った言葉が気にかかる。


(精霊のくせに無茶するドライバー・・・。もしかしたら・・・)

 

 ふと、遠目に西の同業社を見つめた。




 

ギンレイが就職した会社は精霊による魔物退治の自衛組織がありつつ、魔物も雇っているのですね。動物由来の精霊から見て難解な人間界の事情にも悩まされながら、タクシー乗務員として、精霊として、得難い経験を重ねてゆきます。

 

*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」  

 https://ncode.syosetu.com/n8347hk/

 シリーズもの別編です。


 

主な登場者


・ギンレイ 

  白いキタキツネの精霊。カムイの称号を

  得た知床を代表する精霊の一体。

  人間界の動向をさぐるため札幌のタクシー

  会社に潜入する。

・3999_サザンクロス号

  ギンレイが使うタクシー車両 半精霊

・フレンド ネズミの精霊 3999号車に居住

・八匹のニシン 3999号車に居住する精霊

 

・ハクレイ ギンレイの父。白いキタキツネ

   の精霊。人間の姿を持ちホテルを経営。

   知床を代表するカムイの重鎮。

・バントウ

  ハクレイが経営するホテルの番頭

  でキタキツネの精霊。


・タクシー会社

 権左衛門 キタキツネの精霊でタクシー会社

      を経営しつつ、魔物退治を目的と

      した地域防衛隊の隊長

 菊次郎  キタキツネの精霊 知床出身

 齋藤 (サイゴン)  整備士 キタキツネの精霊 

 澤本   キタキツネの精霊 事務職員

 渡辺   キタキツネの精霊 事務職員

 高橋   事務職員で普通の人間

 大林   無線センター職員で普通の人間 

・同期のタクシードライバー

 川岸   板前の精霊と思われる 

 倉見   ハトの精霊と思われる

 宮西   ヒグマの精霊と思われる

 内藤   キタキツネの精霊

 田中   ネコの精霊と思われる

 

・オジロウ   知床に居住するカムイの重鎮

        オジロワシの姿 

・5匹のエゾタヌキ

 エゾt(長男)エゾリン(長女)タヌリン

 (二男)ポン(二女)タヌタヌ(三男で末っ子)

 ~それぞれ人を幸せにするタヌキ

  という宿命を背負い、はるかとかずみを守護

・ハヤブサのピョン

 ~手稲山に居住 タヌキをサポート

・カモメのカッちゃん

 ~伝令係り 


・はるか かずみの母

  精霊達から大王または大王いち様と

  呼ばれることがある。

  大王と呼ばれる理由は不明。

・かずみ はるかの一人娘 

  大王に様と呼ばれることがある。


※各部投稿後の改稿は主に禁則処理によるもので、

 内容に変化はありません。


※「カムイ」は神が宿る万物に対してアイヌの人々が

 使う呼び名だが、道東の精霊達は便宜上、チカラ

 のある精霊に対する称号として用いている。


※動物から派生した精霊はピュアな心を持ち、自らを

 生みだした生身の動物の健やかな活動を支援す

 る。この世の支配者たる人間の営みには干渉をし

 ない。ただし、よこしまな心で魔物を操る、また

 は、魔物がよこしまな人間に憑りつくなどした場

 合はその限りではない。

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