第二節 最初の客 その7
初日の業務終了まであと二時間。営業収入目標に執着するギンレイ。ひとりとして同じタイプの乗客はいない。まさに一期一会。その一方で燃料補給や魔物退治など会社指示の業務にも従わなくてはならず、「組み立て」に悩むギンレイである。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」
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シリーズもの別編です。
第二節 最初の客
その7 急ぎの客 (第二節最終回)
西区を後にして再び中央区へ戻る。この会社では日勤者も夜勤者も全ての乗務員は、営業時間の後半に1度「燃料の補給」をすることが義務とされている。3999号車の燃料はメモリが半分ほどになっていた。まだ半分あるわけだがこのまま帰庫して夜勤者へ車両を引き継いで、最初の乗客が遠方だった場合、行った先で燃料切れになるという恐れがある。3999号車はギンレイがひとりで使ってよいことにはなっているが、常に燃料は満タンにしておくことを心掛けようと思っている。
サザンクロスが、
「そうなんです、遠方への連鎖で燃料切れはあり得ます。一日1回以上の補給はお願いしたいです」
と言う。
タクシー車両は所属するタクシー会社の登録された市町村別で営業エリアが限定されている。例えば、札幌のタクシー会社に帰属する車両で札幌から乗せた乗客が千歳市にある千歳空港で降りたとする。そのあと千歳空港のタクシー乗り場で千歳市内へ向かう乗客を乗せて賃走することは「違反行為」とされ、罰金や乗務停止などの罰を受ける。
札幌の車両は札幌市内または札幌に隣接するエリアでしか営業行為をしてはいけないのだ。
各エリアタクシーの受発注量や、乗務員の生活を担保するのが主な理由と思われる。札幌に拠点を構える大手企業の車両が千歳市へ気まぐれに入り込むことにより千歳市内タクシー業者の収入が減退すると、千歳市内のタクシー会社が破綻しかねない。そうなると、千歳市内を安定的に走る車両の絶対数が減って市民の生活を脅かしかねない。ある意味「閉塞的」で「自由」とは言えない市場の原理ではあるのだが、賃料、交通ルール、活動エリアなどが国の管理下で統制され、各地既存タクシー事業者の営業権が守られている。地元のタクシーが地域住民にとって「公共交通機関」の役割を果たすものと、国が認め擁護しているからなのだ。
そして、長距離運行は燃料切れのリスクがある。ガス燃料を使うタクシー車両にガスを充填するガスステーションは多くはない。またコスト削減のために契約しているガス燃料会社を1社に限定しているタクシー会社が多い。
ギンレイが、
「だが、毎日燃料補給にそのガスステーションへ行かなくてはならないというのはちょっと面倒だし、時間のロスだな。サザンクロスは燃料なしで走れないのか」
と言うと、サザンクロスが、
「魔力で多少は動かせますが限度があります。お腹がすきます」
「なに?お腹がすく?」
「ええ、毎日1回の食事は楽しみです」
「そうなのか・・・」
いま居る琴似から中央区へ向かいそうな客を乗せて、その客が「ガスステーションまで」と言ってくれたら幸いだが、そう都合よくいくはずはない。とりあえずガスステーションに面した国道を進んで手あげの乗客がいないかと歩道を気を付けて見ているが、手をあげる乗客を見つけられないうちにガスステーションが左手に見えてきた。タクシー車両が並んで順番待ちをしている。
サザンクロスが、
「みなさん勤務終了間際にガスの充てんをしようとしますので、この時間帯は混み合うんです」
と言う。順番待ちの最後尾まであと100メートルというところで、対向車線の歩道、クリーニング店前で手を上げている女性を見る。上り下りの車両が途切れているのですぐに転回して女性を乗せる。
「ご乗車ありがとうございます。どちらの方までいらっしゃいますか」
「琴似駅までお願いします」
「かしこまりました」
琴似からガスステーションまで空車できた時間がロスとなった。ただ営業収入を得られるのはありがたい。琴似まで行ってまたガスステーションを目指す際に乗客を掴めたらいいのだが。
今日9人目の乗客だ。行先も経路を二度も間違えた琴似駅周辺であり、いま来た道を戻ればよいので、悩むことなく難なく目的地へ着いて乗客を降ろし、再びガスステーションを目指す。
「あと1時間半か。燃料の補給を終えて会社へ戻る時間も考えるとあとワンチャンスだな。ここからガスステーションへ向かう客がいたら営業収入目標も達成できるのだが」
霊力を使えばタクシーに乗りたい人間がどこにいるのかがわかる。昨今、アプリケーションツールでタクシーに乗りたい人が近くを走行中のタクシーへ「モーション」をかけることができるようになった。早晩「今日は何時頃にどこでタクシーに乗りたくなります」という意思表示を登録しておくとか、逆にタクシー側から「乗りませんか」とモーションをかけることができるようになるのだろう。乗りたい人の脳波を読み取ったり、よくタクシーを利用する人間の行動パターンを登録しておくなどして、自動運転で無人の車両と人間の脳波がコミュニケーションを取るようになって、流し営業をする有人車両はなくなる時代がくるのかもしれない。だが、
「世の中が便利になり、豊かになると忘れ去られる人間が出てくるんだな」
そうギンレイは思う。あるいは、世の中を豊かに、便利にしている人間が孤独で弱い人間を生み出しているのではないのか、とさえ思う。少なくとも効率よく乗りたい人を掴む無人タクシーは認知症の老人と一緒に家を探したりはしないだろう、などと思う。
ピロピロリン ピロピロリン ピロピロリン
車両に備え付けしてあったタブレットが初めて動いた。フレンドが、
「あっ、アプリ配車です」
近隣にいる人が通信機器を通じて近くを走行中のタクシーに「発注」をしているのだ。タブレット端末の「受注」ボタンを押下すると契約成立となる。近くを走行中のタクシーが複数台いる場合は、タクシー運転手の「カルタ取り」のようになって、要するに早いモノ勝ちで注文を受け取ることができる。無線は本社への電話またはインターネットによる受注であるが、アプリ配車は乗客が直接タクシーにアプローチができるのだ。
すかさずフレンドがナビから出てタブレットの「受注」キーをタッチすると、「注文を受け付けしました」という音声が流れ、乗客が待つ迎車地が案内される。
「近いですね、すぐそこを右に行って100メートルです」
琴似を出てガスステーションまであと2キロというところだ。国道から中道に入って100メートル進んだところのアパート前で中年の女性が立っている。派手目の服装で化粧が濃い。
「いらっしゃいませ」
と言っている最中に後部座席へ乗り込んで、
「まずこの道を戻って国道を左に行って、右手にあるクリーニング店に行って。急ぎでお願い」
「かしこまりました」
急ぎでと言われてスピードを出す運転手もいるだろう。信号待ちを嫌って中道を小刻みに進む運転手もいるだろう。ギンレイの場合は地理不案内ということもあるが、免許取り立てのドライバーであり、太くて安全な幹線道路を選び教習所で習った通りの安全運転を心掛ける。
「あのね、急いでくれない。クリーニング店から琴似の方へ向かってもらうから。夕方から仕事なの」
夕帯になると深夜営業の飲食店に勤める人達の需要がある。サザンクロスがささやく。
(バーのママさんっぽいですね。この手のお客様はタクシーに乗り慣れているからギリギリのハイレベルを求めてきますよ。でも安全運転にこしたことはないです。急ブレーキで顔をシートにぶつけたりしたらメイクが崩れます)
メイクが崩れる程度であればまだよいが、いわゆる「車内事故」は訴訟になると判定がやっかいで長引くという。シートベルトを着用していたかどうか、スピードはどのくらい出ていたのか、車内のドライブレコーダーによる記録も判断材料となる。
自動車学校での疑似体験、二種免許用「シュミレーター」にも乗客の身体にかかる重量、「G」が出て、教官からはスピードは控えて、ブレーキはソフトに、と指導されたのを思い出す。特に細い中道では子供の飛び出しや「止まれ」の標識でGの負荷がかかり、「顔をぶつけた」とか「携帯端末を壊した」などという詐欺まがいのクレームも稀にあるという。
中道をゆっくり進んで、止まれの標識では念入りに左右を確認する。イライラする乗客。
国道に出ても制限速度で走る3999号を他のタクシー車両が追い越して行く。
「ちょっと、急いでくれる?こんなのろのろ運転の車に乗るの初めてよ」
「はい、申し訳ございません。前の方が赤信号になりましたので」
片道二車線の道路、追い越されたタクシーに追いついて横に並ぶ。赤信号を過ぎて前方にガス給油場が見え、右手に手上げの乗客を乗せたあたり、クリーニング店を右手に見る。クリーニング店の駐車場は満車状態なので、
「お客様、Uターンして道路脇に停車します」
そう言って、3999号車を左手に寄せて転回のタイミングを見る。なかなか上下の流れが途切れない。イライラする乗客。
「ほら、いま行けたでしょ!」
運転経験のある人だろうか、右折のタイミングを見ているようだ。ちょっと途切れたかに見えたかもしれないが、運転席のギンレイからは自転車がそれなりのスピードで前進してくるのが見えていたのでハンドルを切らなかった。自転車が通りすぎるのを乗客が横目で見ている。
前後の信号機が赤になってようやく往来が途切れるとギンレイは3999号車を転回させてクリーニング店前の歩道横につける。
「ちょっと待ってて」
勝手に後部座席のドアを開いて、乗客が出ていく。「乗り逃げ防止」のマニュアルでは、お客様について行く、または、手荷物を預かる、ということになっていたが、
「このまま待つか」
と、乗客を信用して待つことにする。クリーニング店内でもイライラしながら店員さんに「早く出して」とせかしているように見える。
仕上がっている洋服を手に戻ってくる。ドアを開けっ放しにしておいた後部座席に乗り込んできて、
「琴似2条2丁目のコンビニ前まで急ぎで行って」
という。
フレンドが近道や赤信号を避ける中道を探してくれているようだったが、ギンレイが、
「お客様、国道をまっすぐ行って、駅に通じる本通りに入って行くルートでまいります」
と言う。さきほどの乗客と同じルートだ。
「それでいいけど、急いでね」
「かしこまりました」
急ぐと言ってもギンレイは制限速度か、平均的な「流れに沿う」走行以外の急ぎ足をするつもりは毛頭ない。あとは信号が黄色になったときに突っ込むかどうか。この時間帯は小中学生の下校姿もチラチラと見る。ルール通り、交差点手前で黄色信号を見たときにはブレーキをかけて交差点に進入する前に停止する。
片側二車線、追い越し車線を後方からターボエンジンの真っ赤な車が通りすぎていく。道路交通法を順守しつつ急ぐとすればこの片側二車線の道路までだ。本通りに入ると片側一車線になり、繁華街では追い越しをするのは危険だ。
ギンレイは霊力を使い通り過ぎていく赤い車がどこへ行くか、どのくらいの時間をかけてそこへ着くかをシュミレーションしてみる。
赤い車を見て、
「ほら、運転手さんまた追い越されたでしょ、何やってるの、わざとゆつくり走ってるの」
「お客様、急いでも目的地にはあの赤い車と同じくらいに着きます」
「何言ってるの、そんなわけないでしょ」
乗客は呆れたようにヒステリックな声をあげた。
追い越しをした赤い車は前方の赤信号で止まり、ギンレイの車はウィンカーを右に出してその赤い車の手前で停止する。横の信号が青から黄色になると赤い車はアクセルをふかしてちょっとずつ前に出て、横の信号が赤になったと同時にタイヤをすり減らす音を立てながら直進する。ギンレイは前方の信号が青になったのを見てから、左右の安全確認をしながら、ローギアからセカンド、セカンドからサードとギアチェンジを確実に行いながら制限速度で赤い車を追う。赤い車からだいぶ引き離されたが、赤い車と3999号車の間に入る車はいない。左の車線を走る車も、3999号車の後ろについているワゴン車も比較的ゆつくりだ。
赤い車が見えなくなった。右折をして本通りに入ったようだ。3999号車が本通りに入る交差点へさしかかったときには前方の信号が赤になり停止する。
「ほら、もうあの車には追い付けないでしょ。何やってるのあんた、どういうつもりなの」
乗客がぶつぶつ言っている。
前方の赤信号が青に変わり、ギンレイは3999号車を右折させて本通りに入ると、一本目の交差点と二本目の交差点が赤信号になっている。あの赤い車は二本目の交差点先頭で停止しているが、赤い車の後ろに二台の車が続いている。一本目と二本目交差点赤信号が同時に青信号に変わると、前の二台が中道を右折、左折して、赤い車から二番手が3999号車になった。しかしまだ距離は離され、赤い車は5本目の交差点で3999号車は4本目の交差点で、それぞれ赤信号で停止する。それぞれの信号が青信号に変わって、赤い車は加速度を上げる。ギンレイは制限速度を保ち両者の距離が開くが、赤い車の前へ割り込むように中道から左折してきた車がノロノロ運転で、どこかの目的地を探しているようだ。赤い車の速度が落ち、3999号車が赤い車に追いついたところで、2条2丁目コンビニ前へ停車する。赤い車が3999号車から離れて前へ進んで行くのを見届けながら、
「お客様、到着しました。料金は2800円です」
「あんたみたいな運転手は初めてだわ」
財布をバックから取り出しながら説教めいたことを言う。
「あのね、サービス業なんだから、顧客満足ということも考えなきゃ。急げと言われたら急ぐ姿勢を見せるの。何も事故を起こしそうになるほど急いでほしいわけじゃないの。でもお客のために急ごうとする姿勢が嬉しいんじゃない?そういう姿を見て、私もテンション上げて、今日も頑張ろうって思うの。なんか仕事に入る前からイライラするわ」
そう言って乗客は千円札3枚をトレーに置く。
「あの、お客様」
ギンレイは乗客の目を見て、
「深酒は禁物です。肝機能が低下します」
ちょっと意外そうな顔をする乗客。
「そうよ、今日はイライラするから客のおごりでガンガン飲もうかと思ったけど」
「もう少しゆっくりでもいいのではないでしょうか」
そう言ってギンレイは釣銭の200円を渡す。釣銭を受け取りながら、
「私の人生なんてもう終わってるのよ、旦那には捨てられて、北海道のこんな場末のバーで安い客を相手に毎日深夜まで」
「ゆっくり走ればまた少し違った景色が観れますよ」
乗客はひとつため息をついて、笑顔ではないが、
「あんたも、安全運転でね」
「はい、心得ました」
ギンレイは笑顔で返した。
ギンレイは交差点を超えてから3999号車を転回させて、来た道を戻り再びガスステーションを目指す。あの乗客がゆっくりとコンビニ横の雑居ビルへ入っていくのが見える。
仕事中に霊力は使わないようにしようと思っていたギンレイだが、少しムキになって赤い車がどういう経路でどこに止まるかを予知した。そして、乗客が内臓疾患で病院通いをしていることも見抜いた。
少しずつであるが、ギンレイは人間社会を理解しようと業務に霊力を使うようになっていく。人間社会への理解が深まるにつれてギンレイはより一層「人間に近づいて」いく。父ハクレイはじめカムイ達が心配していたことが少しずつ現実のものとなっていく。人間に近づき過ぎると精霊は精霊の心を忘れ霊力を減退させ、より人間に近いモノとなる。そして人間への不信と疑心暗鬼が増幅していくと人間界の深い闇へと落ちるのだ。
ビビビビビビビビ
3999号が、
「地域防衛隊の無線ですよ」
澤本の声だ。
『円山駅付近に魔物の気配があり。付近を走行中の乗務員は現地へ向かってください。詳細は分かり次第連絡します』
そしてパトカーや消防自動車が3999号車を追い越していく。3999号車が、
「何かあったんでしょうか。業務終了時間が迫っていますが」
という、ギンレイがフレンドに、
「いまの営業収入合計はいくらだ」
「はい、23000円ちょうどです」
今日の目標数値には届いているようだ。業務の終了時間が迫っているが、燃料の補給はしなくてはならない。地域防衛隊員として対応しなくてはならないかもしれない。営業はさきほどのママさんまでとして、あとは燃料補給と帰ってからの洗車と清算のみだ。地域防衛隊の任務に費やす時間は30分くらいだろうか。
ギンレイはガスステーションを通り越して円山駅へと向かうことにする。煙が立ち込めているのが見える。
警察や消防は魔物退治などしないが、向かっているのはおそらく円山駅方面だ。警察や消防が出動するのは魔物由来なのだろうか、または別件なのだろうか。
赤信号で停止して今日の業務日報を眺め、今日の営業収入や乗車件数の合計を確認する。信号が青になり、ギアをローからセカンド、サードへ入れて、制限速度で円山駅を目指す。また消防自動車が追い越して行く。
隣の車線にタクシー車両が追いついてきて、次の赤信号で並んで停車する。マークの車だ。窓を開けて、
「ギンレイさん、事故現場へ向かっているんですか?」
「ああ、そうだ」
「何の事故かご存じなんですか」
「いや、わからないが地域防衛隊員に招集がかかっている」
「あの、なんとなく余裕の雰囲気ですが急いで行かなくていいんですか」
「急いでいるつもりだが」
信号が青になって、ギアをローからセカンドに、サードにあげて制限速度で煙が立ち上っている方を見ながら進む。マークから念が届く。
(あの、ギンレイさん、制限速度で事件現場へ向かうんですか?)
(もちろんだ)
(パトカーや消防車は急いで駆け付けているのに?)
(タクシーは制限速度で走らなければ警察に捕まる。スピードを上げたいのはやまやまだが仕方ない。ただ、事件対応で業務終了時間を過ぎなければいいのだが。過ぎたら残業代は支給されるのかなあ)
(・・・)
サザンクロスやフレンドはマークが何を言いたいのかがわかったが、ギンレイはピンときていないようだ。サザンクロスが、
「あのミンクさんは事件事故のときはスピードを上げていいのではないかと言っているようですよ」
「そうなのか。あのミンクも気持ちが急いているようだな。交通ルールを無視して現場へ急行する途中に事故でも起こしては元も子もない」
テレビや映画のヒーローはこんなときにはなりふり構わず急行するのだろうが、ギンレイにはそんな感覚はなかった。ハンドルを握っている限りは安全運転に心がけるべきだと思っている。が、爆発音がした。
ギンレイも少し気持ちに焦りが出てくる。
「なあサザンクロス、内藤さんはこんなときどうしていた」
「やはり安全運転でした」
「そうだよな」
ギンレイは千里眼であたりを見る。地域防衛隊員の車両何台かは現場へ向かっているが、どの車両も制限速度だ。隊長の権左衛門の姿もあるがやはり制限速度で向かっている。
「こんなことでいいのか?」
ようやくギンレイはそう思う。
(僕、先に行きます)
そう言って、マークは先に進む。彼の乗った車両の会社は地域防衛隊に所属しているタクシー会社ではないはずだ。ただ、さきほどの立ち話から正義感があって正しい心を持った若者に思えた。
「あれが本来の姿ではないのか?」
と、思いつつ、
「いやいや、交通ルールは守らなくては」
と、思う。
「ん?菊次郎・・・」
千里眼で円山駅付近を見ていたギンレイは、立ち上る火の粉の中に菊次郎の姿を見た。
「何が起きているんだ・・・」
更に「眼」をこらしてみると、煙の中にうごめくものがある。
ビビビビビビビビ
澤本の無線だ。
『円山駅に潜んでいた魔物が付け待ち中のタクシー車両からガスを吸い込み、火を放っている模様。付近を走行中の乗務員は現地へ向かってください。なお狐火を使っての攻撃はせず超音波銃を使うこと。付近に人間がいる場合は姿を見られないよう充分に注意すること、以上』
「やはり急いだ方がいいよな」
逆にサザンクロスがギンレイに問う。
「どうするおつもりですか?」
「飛ぶ」
「またですか~」
ギンレイは葉っぱを頭に乗せて羽の生えたキツネに変身する。
「今度は場理を張る。念のために何かにつかまっていろ」
「何にですか~」
羽を3999号車のボディから突き出し、透明の場理を張り周囲の人間から隠れて3999号車は離陸し低く飛ぶ。警察や消防がバリケードを張ってあたりの道路を封鎖しているがそれを飛び越えて、炎が舞い上がっているあたりへと向かう。消防隊員がバスステーションのバス停留所付近で消火活動をしているが、その向こう、屋外のバス転回場所では透明に透き通った菊次郎がベンチで横になっていて、その前でマークが透明な何かと戦っている。魔物や精霊達の姿は消防隊員など普通の人間には見えない。
3999号車をソフトランディングさせて、ギンレイは人間の姿になって運転席から飛び出す。魔物は無色透明だが目をこらしてみると大柄で手足のある人間の姿だ。マークは人間の姿のまま格闘技で応戦している。地域防衛隊員の数名が駆け寄ってきて例の超音波銃でマークを援護する。時折その魔物が口を開き炎を噴射する。ギンレイが周囲に目を向けると密かに同じ手合の数体が近寄ってきている。
「まずいな、変身するか」
そうつぶやいて菊次郎を見ると、菊次郎はむくっと起き上がり、「うおおおおおっ」っと叫びながら全力疾走で向こうへ走っていく。
「おい、こら、待て!」
ギンレイも全力疾走で追いかける。
「待てーっ!」
菊次郎が振り返り、
「どうしていちいち僕に憑りついて戦うんですか」
ギンレイがとぼける。
「何のことだ」
「わかっているんですよ、いつも白蛇が現れるときは僕だけ記憶がない」
「それはお前が気絶するからだろう」
「気絶した僕に憑りついて白蛇にしているんでしょ?でも実際に戦っているのは僕じゃなくておおかたギンレイさんじゃないですか」
「だからどうした」
開き直るギンレイ。
「だったらギンレイさんが戦えばいいじゃないですか、どうしていちいち僕に憑りつくんですか」
「?」首をかしげるギンレイ。
「いや、それは、・・・正義のヒーローはそういうものではないのか?」
「えっ?」
「ヒーローは自分の正体を隠すものだろう?」
「それはそうですけど、・・・正体を隠すのはともかく、僕に憑りつくことはないでしょう?」
「いや、ううん、そう言われてみると、でもなあ」
「えっ、そんな、いまさら考えるほどのことじゃないでしょう」
「人に憑りついて変身するのが王道なのでは・・・」
「それは宇宙からきたヒーローでしょう、地球の環境に身体が合わないとかいう理由で」
「そうなのか?」
真剣に首をひねって悩むギンレイ。そもそも菊次郎に憑りついて白蛇に変身していた理由は何だったのかと、考える。正体を隠すため、菊次郎のパワーを借りるため、菊次郎を立派なカムイに育てるため、敵を倒して空に飛び立つふりをして元の自分に戻るため。だが言われてみると何も菊次郎に憑りついておいて自分主体で戦うこともなかったのかもしれない、などと思う。菊次郎からパワーを借りることで自分の疲れは少なくて済んでいたが菊次郎は意味もわからず疲れていたかもしれない。
「えーっ、何をいまさら悩んでいるんですか?」
追いかけっこをして悩んでいる間に向こうの方で炎が大きくなっている。地域防衛隊員の叫び声が聞こえる。
「まあ、とにかく今日のところは」
そう言って、
「うわーっ、ちょっと待ってください」
あとずさりする菊次郎へ催眠リングを放って気絶させ、菊次郎に憑りついたギンレイは白蛇に変身する。
透明の格闘型ガス体質の魔物は数体が合体して膨張し、巨大化している。マークが巨大化した魔物に気功砲を放とうと右手の平を出して念を込めているが、横から1体の魔物が火を放ってきた。ふいをつかれて炎に焼かれそうになったマークと、炎の間に、
「おっと」
場理で包まれたギンレイが飛び込んで炎を吸収し、エネルギー弾に変えて、
ドカン
一発でその魔物を粉砕する。
「大丈夫か」
倒れ込んだマークの腕を引いて立ち上がらせる。
「ありがとうございます。危ないところでした。あれは・・・」
「ああ、正義のヒーローで白蛇だ。見ていろ。一撃で倒すぞ」
巨大化した魔物に白蛇が対峙している。
(共同作業をしながらお互いの正体を隠し、菊次郎のパワーも借り、菊次郎には戦いの記憶を植え付けて成長を促すという考えだったが・・・)
ギンレイは二分化して1体はいまマークの手を引いている。一体は菊次郎に憑りつき、巨大化した魔物の前にいる。マークが話しかける。
「あの白蛇は精霊ですか」「誰かが変身した姿ですか」「地域防衛隊員のひとりですか」「人間には見えないのでしょうか」「とても強い魔力を秘めているようですが・・・」
と、質問が多い。
ギンレイがいちいち受け応えしようとすると白蛇の動きが止まる。戦いの最中に分裂するのは運転免許試験の時以来だ。あのときは筆記試験と魔物退治を両立できたが。
直立不動の白蛇がふいにギンレイの意思とは無関係に動き出す。白蛇の中で菊次郎の目が覚めたようだ。
「そこの大きいひと、観念してください。俺様が成敗してやる」
(・・・どういうセリフだ。もっとかっこよく言えないのか)
セリフを吐いたあと、身動きしない。憑りついたもう一体のギンレイが白蛇の菊次郎を動かそうとするが、意外と頑固に言うことを聞かない。自分でなんとかしようと思っているのか。目を見開いて霊気を充填しはじめた。
(ギンレイさん僕いちどこういうのをやってみたかったんです。キメのセリフはお願いしますね)
(菊次郎、波動弾を撃て。狐火はだめだぞ)
(あ、そうか、相手はガスですね。でも僕、波動弾を撃ったことがありません)
(なに、わかった俺がしとめる)
そうこう言っているうちに相手の魔物が色づいて真っ赤になり、頭からキバのある大きな口が開いて炎を放ってくる。
「うわわっ」
のけぞる白蛇。マークがギンレイに話しかける。
「大丈夫でしょうか、水を使えばいいんでしょうか。援護をした方がいいでしょうか、相手の急所は頭でしょうか」
「やれやれ」
マークの相手をしていたギンレイはため息をつき、そしてギンレイは目から眩惑リングを出し、菊次郎ふくめ周囲にいる精霊達の感覚を一時的に麻痺させる。魔物は硬直する。ギンレイ二体は白蛇に合体し、周囲の炎を全て取り込みながら一塊のエネルギーに変えて白蛇の顔の前に浮かべる。
「液化ガスはタクシーを動かす燃料であり、大切な資源だ。それを無駄遣いするとは。しかもここは駅構内でバスターミナルだ。この時間の騒動はバスを利用する学生や通勤客にとって大迷惑だ。バスがガス爆発したらどうする?」
白蛇の目の前の塊が火花を散らしながら、硬直して口を開けたままの魔物の口の中へ入っていく。
「噛まずに言えるか?バスガス爆発、バスガス爆発、バスガス爆発、バスがくばつはく・・・」
ドカーン!!
「噛んでしまった。迷わず無に還れ」
消防隊員がきょとんとしている。火は一瞬にして沈下している。マークも菊次郎も地域防衛隊員も、魔物が爆発する寸前に意識が戻り、爆発したところでびっくり仰天している。
権左衛門がマークに近づき、
「ご協力ありがとうございました。そちらの会社は地域防衛隊には加盟していなかったですが、あなたの勇気ある行動に感謝します。ありがとうございます」
防衛隊員が拍手をし、マークは照れながらおじぎをした。
「はあー、おいしかった、ごちそう様」
3999号車は満足そうだ。ガスの充填をし、燃料タンクは満タンになった。円山駅を密かに離れてギンレイは燃料の補給を済ませ、会社に戻るところだ。
「正体を隠すにはやはり菊次郎の協力が必要だが、菊次郎の教育が必要だな」
いちいち菊次郎の身体を借りて白蛇を登場させていたギンレイだが、菊次郎が白蛇の正体に気が付いたとしたら、少し戦い方を考えなおさなくてはならないと改めて考える。
3999号車は洗車機を抜けて車庫に入り、水滴のふき取りと車内の清掃を終える。この大きな車庫は3999_サザンクロス号をはじめ、みんなの「お母さん」なのだ。サザンクロスと、
「お母ちゃんただいま」
「お帰り、無事に帰ってきたね」
そんな会話をしているようだ。なるほどこの車庫全体に大きな母性愛のようなものを感じる。あのバスセンターもそうだ。大きな被害にならなかったのは消防隊員の活躍もあるが、あの建築物自体に通勤通学者を守ろうという心があり、それが消防隊員や地域防衛隊員と共鳴していたのだとギンレイは思う。みながそのように思って欲しいと願う。
人には心がある。「目指す先」には想いがある。「目的地」「居住地」にも心が宿っている。それらひとつひとつを大切に思うこと、ひとりひとりの乗客を大切に運ぶことを明日以降も心がけようと思う。
朝一番の乗客からもらったブーケを手に取り、無事に初日の業務を終えたことを全ての乗客に感謝をこめて「ありがとうございました」と伝える代わりに、今日一日の出来事を心に刻む。
現金の清算が済み、アルコール呼気検査と点呼が終って会社を出て、あの八軒町へ立ち寄りマンションとアパートを見る。ほのかに生活のあかりが灯っている。それぞれの建物が優しく住人を包んでいるように見えた。
第二節 最初の客 おわり
(第三節 最初の刺客)
業務初日のお話しはこれで終わりです。ギンレイはほっと一息。でもタクシー業務はひとりひとりの一期一会で、毎日新しい発見の連続です。第三節では盲導犬を連れたお客様、夜勤の経験、交通事故対応、タレントや政治家を乗せたときのエピソードなど実話をもとに描かれます。地域防衛隊との関係では強敵の出現、精霊達との微妙な関係を通じて波乱の展開が待っています。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」
https://ncode.syosetu.com/n8347hk/
シリーズもの別編です。




