第一節 乗務員デビュー前 新人乗務社員研修 その10(つづき)
新人乗務員研修の最終日、細かな実務の説明をトレーナーから受けるギンレイと川岸。社長であり地域防衛隊隊長の権左衛門との会話から単純ではない職場環境を知り、また、乗務中は「ひとり」であることにある種の不安がよぎるのである。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」
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シリーズもの別編です。
第一節 乗務員デビュー前
新人乗務社員研修 その10 研修最終日 最終回 (つづき)
*
二人は13時まで一時間ほどをどう過ごそうかと顔を見合わせながら研修棟へ戻ろうとすると、研修棟の前に内藤が立っていた。
「そろそろ研修も終わる頃かと思いましてね」
昨日といい今日といい、同業他社の乗務員をこの会社の施設に入れてもいいものだろうかと思いながら、二人は内藤を研修棟へと案内する。川岸が、
「昨日は倉見さんが来ていましたよ」
「ああ、みんな手さぐり状態でしょうからね、同期の様子が気になるんでしょ」
川岸が、
「内藤さんの言うとおり、釣銭は乗務員がそれぞれで用意すると言われました。お客さんからチップをもらえるって本当ですか」
「ああ、昔ほどじゃないけどお客から小銭をもらうことはよくあるよ」
川岸が「へえーっ」という顔をする。
内藤は、
「タクシーの料金って、きちんとしているようでまちまちなんだよ。赤信号が多かったり、ちょっと道を間違ったり、道路が工事中で迂回しなきゃならないこともある。でも、メーターに表示された金額については基本的に客からはきっちりもらわなくてはならない。そんなタクシー料金の実情をよくわかっている客は、接客が丁寧だったり、最短距離の安全運転でピタリと目的地につけてくれる乗務員にご褒美で小銭をくれるわけさ。これでコーヒーでも飲んでね、とか言われて。小銭に限らず、手作りのお菓子とか、野菜や果物をもらうこともあるよ。運転手冥利につきるよね」
ギンレイが、
「釣銭とチップが混ざってしまうことはありませんか?」
「そうだね、忙しいときはまぜこぜになるね。まあ、釣銭ももらったチップも自分のお金だからいいんだけど、私の場合は会社に戻って収支を合わせたときに釣銭の在高が増えた分を募金していますよ」
「募金ですか?」
ギンレイが「なるほど」という顔でうなずく。
「この会社にもあるんだよ、盲導犬協会や歳末助け合いとかの募金箱。そこに入れるようにしていたよ。コーヒーでも飲んでと言われた人間のドライバーは言われた通りに缶コーヒーを買って飲んだりしてまた頑張ろうって気持ちになるんだよ。人によってまちまち、それでいいんじゃないかな」
とにかく車内での現金管理は個人責任の個人管理なのだとわかる。と、いうことは、
「そうだよ銀さん」
何かに気が付いた表情のギンレイに、
「釣銭を多く渡したり、間違って『賃走』のメーターを倒したり、客を降ろしたあと『空車』にするのを忘れて走ったりしたときの不足もドライバー負担なんだ」
「車内での現金ロスはドライバーの責任ということですね」
川岸が神妙な顔をする。「メーターを倒す」というのは古い言い回しだ。昔のメーターは円盤型の「空車」「賃走」の表示を手で「倒して」スイッチオンとなっていた。
ギンレイが、
「この会社に募金箱があることを知っている内藤さんは、もしかしたら」
「そう、この会社にいたよ、あいつは俺とコンビだった」
内藤が3999号車を指刺した。
「元気そうだな、まだ現役で走っているんだな」
気のせいか、3999号車が嬉しそうにシッポを振った気がする。シッポは無いが。
「ちょっと訳あってね、この会社を追われたのさ。銀さん、社長とはもう面識はあるのかい?」
「今日初めてお会いします。このあと面談です」
ふうん、という顔をしてギンレイを見る内藤。
「私が来たことはナイショにしておいてください。社長はきまぐれなところがあるから・・・、おっと、余計な先入観を与えてはいけないね。決して悪い人ではないんだ。銀さんが支えになってやったらいいと思いますよ、ああそうだ」
何かを思い出して見つめる向こうに整備工場がある。
「あそこにいるチーフの齋藤さんにいろいろ聞いて、銀さんこいつをうまく使ってやってくれませんか。少しガタがきているがきっと力になってくれます」
「内藤さん、私も今日社長にこの車を使わせてほしいと直訴するつもりなんです」
内藤はひとつ大きくうなずき、
「よかったな、まだまだ働いてくれよ、お前がいなくなると俺も寂しい」
内藤は「それじゃあまた」と言いながら去っていく。ここの社長と何かあって別の会社に移ったのだろうか。ちらちらとしか見かけたことのないこの会社の社長、地域防衛隊の隊長はいったいどんな精霊なのだろうか。
「失礼します」
休憩時間が終って事務所へ行くと事務係りの澤本が「川岸さんからひとりずつ」
とのことで、川岸から社長室での面談が始まる。澤本が、
「早い人で5分くらいで終わるから、緊張しなくて大丈夫だよ」
緊張などしていない二人だが、「緊張しなくても」などと言われると緊張したほうがいいのか、などと思う。「失礼します」と言って入室した川岸は「失礼しました」と言って3分ほどで戻ってくる。
「元気がよくてけっこう、豊平は売上が厳しいからよろしくね、くらいの話でしたよ。あとは、履歴書を見ながらおいしい寿司屋や料理屋を教えてとか・・・」
そういう川岸とすれ違いながら、ギンレイは「失礼します」と言って社長室へ入る。
部屋の奥、壁には筆字の「交通安全」という額縁が飾ってある。ゆったりとした大きなデスクと椅子からその社長はギンレイを見上げて、
「よく来てくれたね、頼りにしているよ」
と言い、まじまじとギンレイを見つめる。
「お役に立てるよう努力します」
「そう、ありがとう」と言いながら、ギンレイをデスク前方にある応接用のソファへ招く。
対面でお互いに坐り、
「お父さんにはね、とてもお世話になったんだ。観楓会で」
「?」
北海道では冬を前にした秋の社員慰安旅行を「観楓会」と呼ぶ。
「お父さんはね、優れた経営者だよ。ホテルでは心のこもったサービスをしてくれる。いつも助かっていたよ」
「はあ、そうですか」
「うん、うん、俺もね、彼みたいな経営者になりたいと思っていてね。でもタクシー会社ってけっこう難しい。人を組織化することがだ。サッカーで言えば南米型の個人技優先で、ヨーロッパ型の組織プレーではないんだ」
それは一理あると思う。サッカーのフォーメーションについてはよくわからないが。
「だからだ、何かひとつの理念理想で北海道中のタクシー会社の心をひとつにしてより公共性のある乗り物にしたいと考えた」
「理念理想ですか」
「そう、それが地域防衛隊だ」
「・・・」
「わかるか?いやわかるまい。とにかく先ずは客を乗せて走ることだ。それで見えてくるものがある」
「何が見えてくるのでしょうか」
「魔物だ」
「魔物?」
「考えてもみろ、銀君はハンドルを持って前を向いて走っている。乗客は後部座席だ。もしも乗客が魔物だったらどうだ。君は無防備だぞ」
考えもしなかった。昨日は故郷で懇意にしてもらっていた精霊がいつの間にか乗っていたが。路上で手を挙げて乗り込んでくる者が人間の姿をした魔物だったら。自分は仕事を全うしなくてはならない。客は仕事を全うしようとしている自分に攻撃をしかけてくるかもしれない。
「いや、客がいつも魔物であることはない。もしも魔物であれば攻撃をしてつぶせばいい。銀君も狐火くらいは撃てるだろう?」
「はあ」
「だが、魔物のような人間だったらどうしたらいい」
「それは・・・、丁寧に扱って、目的地までお連れして運賃をもらう、・・・ですか?」
「そうだ、その通り。まあ、魔物のような人間という言い方は失礼だが、大声で騒ぐ酔っ払いであろうと、道順を教えてくれない意地悪な客であろうと、料金を出してくれる以上は丁寧に扱うことだ。だが、世の中の役に立つタクシー会社でありたいと思う俺は魔物のような人間より、身体の不自由な方、病院に通う老人を優先に仕事の組み立てをしたいんだ。だが経営者としては終電に間に合わなかった酒に酔った客や一流企業の役員から運賃をたくさんもらって稼ぎたいとも思うんだ」
「・・・(どっちなんだ?)」
「乗客だけではない、この人間社会全体が魔性であるような気がしてならない。例えばだ、杖をついた老人が自宅の玄関からタクシーに乗るのはたやすいが、百貨店へ行った帰りはどうだ。百貨店の入口前はバスの停留所である場合が多い。タクシー乗り場はバス会社に遠慮して少し離れたところにある。これでは行きはよいよい帰りはこわいだ。杖をついた老人をそんな施設から自宅まで安全にタクシーを利用してもらうにはどうしたらいい?」
タクシー乗り場がある場所は身体の不自由な人にとって必ずしも便利な場所にあるとは限らないという一例だ。バス停とタクシー乗り場の場所を入れ替えるというのもそう簡単にできることとは思えない。違法であってもバス停前で客待ちをするドライバーがいるかもしれない。健常者だけ相手にしていればいいとタクシー乗り場で客待ちをするドライバーもいるだろう。迎車であればバス停前に駐停車してもよいという暗黙の了解でもあればよいのだろうが。
バス乗り場もタクシー乗り場もある百貨店はまだ恵まれている。では歯科医院はどうか、理美容室は、飲食店は、そう考えると「魔性」と言うのは言い過ぎだと思うが、弱者が何の不安もなく、安心して気兼ねなく過ごすことができる街は全ての人にとって安全で安心な街になるだろう。そんなことを考えながら働く社員はきっと幸せになれる。
「それは、皆で知恵を集めて・・・」
「そう、その通りだ。現状の問題点や課題について同業者達が意見交換をする場が必要なのだ。個人の儲けが大事、自分はこれでいいとめいめい勝手に動くばかりではなく、皆でベクトルを合わせて何かに立ち向かおうという心意気が欲しいんだ。だからドライバー達の心意気を結集させる場として俺は地域防衛隊を立ち上げようと考えた」
何かベクトルがずれているような気がするが、彼の熱意は本物、のような気がする。それに実際魔物がうごめいているこの街の中では機動力のある戦士達の結集が必要であり、発想としては悪くないと思う。
「地域防衛隊はまだ立ち上げたばかりだ。隊員が乗る車両のラッピングや新しいユニフォームもいま考えているところだ」
社長の権左衛門はギンレイの両手を握り、
「よろしく頼むよ。だが先ずは乗務に馴染むことだ。地域防衛隊の任務については後日改めて」
そうじっとギンレイの瞳を見つめる。
「面談は以上だ。何かこの場で言いたいことは」
「お願いしたいことがあります」
「おう、なんだ、言ってみろ」
「3999号車を私に預けてください」
「3999号車か・・・」
少し窓の外を見つめ、
「さっきな、その車で以前乗務をしていた奴を見かけた。何をしにきていたのか・・・」
じっとギンレイを見る。
「別の会社で地域防衛隊に入隊している。ここでは俺に逆らってばかりで、とうとう自分から辞表を出してよその会社へ移っていった奴だ」
ふうっとため息をつき、
「いいだろう、少しメンテナンスが必要だろう。一度整備工場の齋藤へ預けたらいい。鍵は君に預けるよ。事務係りの澤本に言っておこう。他には」
「最初のお客様は大王様と思っています。4月6日を業務初日としていただきたくお願いします」
「大王?」
「はい」
「・・・タヌキの精霊が出たのか?」
「そうです」
「ほんとうか?タヌキの大王・・・、君はどういう関係なんだ」
身を乗り出す権左衛門。
「はい、知り合いの知り合いになりますが、大王様と大王様のお子様二名です。小学校の入学式で私に送迎の依頼が来ています」
「・・・」
「お願いします」
「ならんな」
「はっ?」
「いや4月6日は待機しておけ。粗相のないようにな。しっかりと役目を果たせ。だが、それまでの間に乗務の基本を身に着けるんだ。大王様に乗務員のもたもたした姿を見せるわけにはいかんだろう。それと・・・」
「・・・それと?」
「その大王様が本物であれば俺のイメージでは慎ましい方ではないのか。タクシーを必要としないのではないか?小学生の登下校にタクシーを使わせようと思うだろうか」
なるほど、それはその通りかもしれない。タクシーを必要としているかどうかは別として、自分のイメージでも大王様は慎ましい人であって欲しいと思う。
「よし、それではそういうことだ。先ずは月曜日からしっかりと日常業務がこなせるよう早く慣れてくれ。4月6日までに基本をマスターしておくんだ。頼んだぞ」
ふふ、っと笑いながら「大王か」と天井を見つめる権左衛門。おそらく「本物の大王」が現れたとは思っていないのだろう。新米のドライバーには丁度いい練習相手、くらいに彼は思っている、ギンレイはそう思った。いずれにしても社長である彼の言葉に従い、6日まではしっかり実務をこなせるようになろうと思う。
「今日このあとは自動車学校で適正検査だな」
「はいそうです」
「わが社では外部委託で全乗務員に定期的に適正検査を受けてもらっている。常に安全運転の心がけを忘れないようにしてもらうためだ。心境の変化で適正が低くなる者も上がる者もいる」
権左衛門は立ち上がり、ギンレイも立ち上がる。二人は社長室から事務所へ向かうドアへ歩き、
「自動車学校で思い出した。あの学校の道路を挟んで隣にある自動車整備会社にうちの地域防衛隊隊員が乗る車両のラッピングを頼もうと思っているんだ、なかなかいい仕事をする工場を持っている。昨今はアニメキャラクターなどのプリントで注目を集めているようだ。何か外装のデザインでいいの思いついたら提案してくれ、それじゃあ」
(あの工場、・・・あの自動車学校の横にあるあの工場か・・・)
社長室から送り出され、ギンレイはパタンと閉まったドアを見つめる。事務所にいるスタッフに会釈をしながらギンレイは外へ出て川岸と顔を見合わせる。複雑な表情を見せるギンレイに川岸は声をかけるのをためらう。
権左衛門は父ハクレイの知り合いではあったが、どうやら父の精霊としての実力を知らず、また、自分の精霊としての霊力を見抜くパワーも感じられない。単に「社員旅行で世話になった泊り客とホテル支配人の関係」のようだ。
気がかりなのは権左衛門が「邪気を感じるあの自動車整備会社と接触している」ということだ。
ギンレイは今日の面談で権左衛門に「車やユニフォームへ魔力を注入する提案」をしようと思っていたが話を持ち出すのをためらい止めた。先ずはあの社内整備工場にいる齋藤に声をかけようと思う。ギンレイの記憶が正しければ彼は故郷でバントウが率いる精鋭部隊のリーダーであるビントウ配下の元隊員だ。
二人は自動車学校へ行き、適正検査を受ける。これで乗務員デビューするための講習や研修の全てが修了した。
川岸はギンレイより先に適正検査が終わって判定書を手にしていた。
「それではまたいずれ」
二人は握手をして別れた。次週からそれぞれの営業所で乗務員としての勤務が始まる。
事務カウンターで名前を呼ばれ適正検査の判定書を受け取る。ギンレイは以前受けた時と同様、
「同じCランクでした」
自働車学校の事務係り河合が検査結果の書類をギンレイに差し出し手渡した。
「銀さんはずっと変わらずCランクでいて欲しいと思います」
「え、どうしてですか」
「銀さんはずっとそのままでいいと思います」
河合は顔を真っ赤にして下を向く。
ギンレイは何のことかわからず、ただCランクという結果は良好なのだと思うのだった。
第一節 乗務員新人社員研修 おわり
(第二節 最初の乗客)
タクシー乗務員と地域防衛隊員の両立はできるのでしょうか。父ハクレイから権左衛門を支えて欲しいと頼まれているギンレイですが、少しの違和感を感じているようです。次回から「初めてのお客様」から様々な想定外の「事件」に直面することになります。
<筆者より>
新米タクシー乗務員の研修について大部分は実体験談に基づいたものです。車がしゃべったり、車の中で魚が泳いだりする事実があったかどうかはご想像にお任せします。なお、メーターや無線機の取り扱い、賃金体系、就労体系、新人教育行程につきましては各都道府県、各会社毎に異なる場合があります。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」
https://ncode.syosetu.com/n8347hk/
シリーズもの別編です。




