第一節 乗務員デビュー前 新人乗務社員研修 その4
今日から5日間、就職先での実務研修がスタートする。この5日間の研修で乗務員として路上へ出てよいものか、とギンレイは疑問を持つ。人間社会の合理的に見えて「雑」な一面が見えてくる。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」
https://ncode.syosetu.com/n8347hk/
シリーズもの別編です。
第一節 乗務員デビュー前
新入乗務社員研修 その4 研修初日
「おはようございます!」
ハイヤー協会で聞いたのと同じ、元板前だけあってイキのいい挨拶。こちらも元気よく
「おはようございます!」
川岸は同じKTタクシー社員で豊平支店で採用されている。ギンレイはこの本社で北支店での採用だ。タクシー会社への就職はそれぞれ自宅近くの支店を選ぶのが普通。なぜなら「地理に明るい」のと「交通費が支給されない」からだ。
全てのタクシー会社がそうとは限らない。交通費を支給する会社もある。ただ歩合制の給与体系なので「交通費分は乗務中に稼ぎなさい」という方針の会社が大多数だ。
また、人口密集地帯の方が稼げるという思惑からあえて地元ではないエリアを選ぶ者もいる。ただ、地理不案内は顧客満足を上げることができない。人口密度が高く様々な建物があり住所が不規則に入り組んでいる東京でタクシー乗務員になろうとすると、かなり厳しい地理テストを受けて合格しなくてはならないらしい。
札幌ではハイヤー協会での5日間の基本的な乗務知識を学ぶ講習と、各会社における5日間の実務講習、都合10日間の講習でタクシードライバーとしてのデビューが可能とされる。特に札幌市中心部は道路が碁盤の目になっていて、客から「何条何丁目まで行って」と言われたら、中心部に建つテレビ塔を起点として東西南北に何本目くらいの道で着くと、すぐに頭に浮かぶ。東京や大阪ほどの複雑な地理事情ではない。
もっとも近年は札幌も人口増加に伴って様々なビルが建ち、郊外の宅地造成も進んでいる。自動車がスピードを出し過ぎての事故が多く発生するようなことを防ぐため宅地造成の際には直線道路を少なく、袋小路を多くする都市づくりもされている。山際などは変形区画も多くなり、曲線の道路を進行中に方向感覚を失い条丁目の目測を誤ることも多いという。
新入社員研修はこの本社がある北地区で行われるため、札幌市南部の豊平が本拠地の川岸にとってみれば少し気の毒な研修期間である。
研修は9時から始まる。少し早めに出勤してきた二人だが、まだ研修棟のドアには鍵がかかっていてトレーナー役の先輩社員は来ていない。トレーナーが来るまでの間、二人は立ち話しをする。
「いやあ、このあたりにはめったに来たことがなくて。何条何丁目まで行って、とかトレーナーさんに言われてもパッと行けそうにないです」
ギンレイも人間の姿でこの近辺で暮らし始めてそれほど月日が経っているわけではないが、
「そうですね、研修はそれぞれの支店で行ったほうがいいような気がしますね。ただ、豊平から北区へ行って、というお客様もいらっしゃるでしょうから、ぜひこの機会に北区のことを一緒に学びましょう」
と慰めるように言う。それにしてもたった5日間の実務研修で何とかなるものだろうか、と少し不安になる。特にメーターや無線機などの使い方、更に、ドアの開閉の仕方や金銭の受け取り方、クレジットなど電子マネーの扱い方など、いますでにわからないことが多く二人とも表情に不安を隠さない。
川岸はひとつうなずきながら、前向きに考えようと思ったのか、
「はい、わかりました。地域防衛でこちらに来る機会もありましょうし、この機会に北地区をマスターしますよ」
と元気に力強く言う。カラ元気のようにも見える。
ふと先日の戦いでみせた川岸の見事な変身ぶりを思い出す。「人間の姿を持った魚類の精霊」は初めて見た。何の生き物からどんな経緯で派生してこの「板前」なのかと思う。男の姿だった倉見が女になってそれからハトになったのも驚いた。田中も元々は人間なのかネコなのか、またはネコが人間に憑りついているのか、見当がつかない。それぞれ今度会ったときに聞いてみたいと思っていた。クマの宮西もキツネの内藤もてっきり「霊力の強い人間」だと思っていたが、動物から派生した精霊だったようだ。個性的なメンバー揃いだが、それぞれどうして人間界にまぎれてタクシー乗務員という仕事を選んだろうか。
「ああ、お待たせしたようですね、いま鍵を開けますから」
メガネをかけたインテリ風で「人間」の先輩職員だ。ドアから研修棟へ入ると中は会議室を兼ねているようでテーブルが何本か並んでいる。席につこうとすると、
「まず免許証を見せてください」
と言われ、免許証をそのトレーナーに見せる。
「次にアルコールチェックです」
と、アルコールチェッカーなる手のひらサイズの機械を差し出され、
「ここに息を吹きかけて」
と言われ、「ふーっ」と息を吹きかける。ふたりとも正常値だったらしい。
「タクシー会社では毎日これは行いますから。今日は研修なので簡易なものを使いましたが、各支店の事務所に置かれているアルコールチェッカーはもう少し感度が高い機械です。乗務前は深酒をしないように。それと、感度の高いアルコールチェッカーは、栄養ドリンクや、お腹の中で発酵した微量な食パンにも反応することがあります。パンはともかく就労前に飲む清涼飲料水には気を付けましょう」
「はい」「はい」
新人らしく歯切れよく元気に返事をする。
「では着席してください」
着席すると資料を何点か二人に配る。「新入社員の心得」「無線機の取り扱い」「実務試験にあたって」「入庫、帰庫、出庫について」「本社近隣の地図」その5点だった。
「私はふだんは無線センターにおります大林といいます。今日から3日間、実際に乗る車両に慣れてもらって4日後の木曜日はお二人に乗務が可能かどうかを見るテストをします。ひとりずつタクシーの車両に乗ってもらい、指定された場所を時間内にまわることができるかどうかのテストです。金曜日は車内挨拶のテストと社長面談と、近くにある自動車学校へ移動して適正検査です。特に木曜日のテストに合格できなかった場合は土曜日が予備日となっていますので、自信のない方は土曜日に出勤する可能性があると、いまのうちから思っておいてください」
単に研修を受ければ乗務員として就業スタートできる、ということではなく、「自社での試験」なるものに合格する必要があったのだ。それと適正検査がまたある。
川岸が、
「自分は自動車学校で適正検査を受けており、その結果はこちらの会社にも届いていると思いますが」
「一連の研修を経てもう一度受けていただくものです。自動車学校へ通ってからこちらの会社に就職する方ばかりではなく、よそのタクシー会社から転職してくる方もおります。飽くまでも自社の統一見解で適正があるかどうかの判断をする機会ですので」
ギンレイも同様、自動車学校で適正検査を受けている。自動車学校事務職員の河合が、結果は会社にも届けます、と言っていたが、どうして適性検査を何度も受けるのかがよくわからない。何となく「アリバイ的」な研修や検査に付き合っているのでは?と疑ってしまう。つまり、社員が起こすトラブルで会社が火傷を負わないよう、何かあったときには「きちんと教育や検査をしています」と世間や行政機関に報告をするためのものではないのかと。研修期間の態度如何では適性検査の結果を逆手にとって「適正がないので不採用」と言われるのかもしれない。試採用期間は労働組合にも所属できず中途で採用される社員の立場は弱い。
川岸が、
「そうですか、わかりました。もうひとつよろしいでしょうか」
トレーナーは腕時計をチラリと見ながら、「はい、川岸さん」
「実際に一般のお客様を乗せる訓練はいつするのでしょうか」
「そんな訓練はしません」
「そうですか、わかりました」
あっさり「わかりました」と応える川岸だったが、ギンレイは納得ができない。
ホテルでも飲食店でもスーパーのレジでもクリーニング店でも初めてお客に相対するときには背後霊、というか、守護霊のように後ろにひとりついて、訓練生が粗相をしないように指導しながら慣らすのが普通であろう。ギンレイが問う。
「お客様を見つける練習や市内のタクシー乗り場での乗車訓練などはしないのでしょうか」
トレーナーはまた腕時計を見て少しいらだった表情で、
「だから、そんな訓練はしません。考えてもみてください、トレーナー役が助手席に乗ってただ今訓練中、などという札をたてて一般客を乗せるなんてできるわけありません。そんなタクシーには誰も乗りたくないでしょう?」
「後ろにもう一台車両をつけて走るというのは」
「できるわけありません、この研修期間で足りない分は実務で覚えていただきます」
なお不服そうな表情を浮かべるギンレイ。
「たとえばここの社員がお客のフリをして道に立っているなどは」
「そんなヒマな社員はいません」
なお不服そうなギンレイ、
「ヘリコプターやドローンで追尾して指導するなども、無理ですよね」
「・・・」
川岸はギンレイの横で不動の姿勢で黙っている。
「それでは時間も押しています、まずはお二人のサイズを測って制服を合わせていきます。二階へあがってください」
二人は立ち上がり、階段を上がって広い部屋に出る。研修棟の二階は物品庫になっていて、ハンガーに上着とベストとズボンがかかっている。
トレーナーの大林は二人の肩幅や胴回り、股下などを巻尺で測り、適するであろうサイズのものをそれぞれと確認しながら渡す。二人は着替えをし、サイズの合う合わないを確認する。
「大きい、小さいはいまのうちに言ってください」
「小さいです」
川岸が間髪入れずに応え、二回り大き目の一式を大林にアピールする。大林は二回り大きい一式を渡し、川岸が、
「すみません、少し大きいです」
大林はまた少しいらだった表情をして、ひとまわり小さいサイズのものを渡す。
「うーん、やっぱり最初のがいいかな」
ギンレイは霊力を使ってぴたり適するサイズがどれかを見極めていた。与えられる制服はこれ一着である。クリーニングは自前で休日のタイミングで、と言われ、
「もう一着が欲しかったら購入していただきます。特に服装についてはうるさく指導していませんが、同じ色合いのものでなくてはだめです」
とのことだ。ワイシャツもネクタイも自前。ワイシャツは真っ白、ネクタイはノー紺と言われている。制服の一着は福利厚生の一部であろうが、服装身だしなみはサービス業においては仕事の一部であり基本中の基本と思う。だがチラチラみかけるこの会社の乗務員達を見ると、サンダル履きやらジャンパー姿やら統制はされていないと思う。
服装、身だしなみ含めて実務最中の社員を指導する機能はこの会社にはなく、まさに自己完結自己管理の世界なのだと想像する。制服のサイズを選ぶ機会も今日一回きりなのだろうと思い霊力を使って適するものを選んだ。
「他にも霊力に頼って最低限、顧客に迷惑をかけない方法を探ることもやむをえないか」
と、思いはじめる。
どうにも制服のサイズを決めかねている川岸に大林が、
「川岸さん、とりあえずいま着たので決めましょう。制服選びに研修の時間をあまり長くかけたくありません。昼の休憩時間にどうしても気に入らなかったら言ってください」
「はいわかりました」
返事は素直で大人の川岸である。
とりあえず選んだ制服に着替えたら1階に降り、
「それではさっそく車に乗って交代で運転してもらいます」
と、展開が早い。挨拶を受けて着替えが済んだらもう実車訓練に入るようだ。配られた資料を机に置いたまま外へ出て、研修棟の外に停めてあった一台の前に行く。
「自動車学校で学んだと思いますが、車両に乗り込むときには必ず日常点検を行います。まず車に傷がないかをみてください」
大人げないギンレイが、
「傷だらけですが・・・」
研修用の車両は退役前の古い車を使っているのだろう。そこかしこに傷がある。
「細かい傷は無視してください。警察に届けが必要と思われるような凹みがないか見ましょう。どうして乗務前に凹みがないかどうか見る理由はわかりますね」
川岸が、
「はい、車を破損させたのが自分ではないことを証明するためです」
「そう、その通り。では次に、ボンネットの中を見ます。川岸さん、ボンネットを開けてください」
川岸は運転席のレバーを見つけてボンネットの留め金を解放し、ボンネットを開けて開いたまま落ちてこないよう備え付けの棒で固定する。
「クーラント、ウォッシャー液、エンジンオイル、バッテリー液、必ず点検してくださいね」
日常点検表を渡されると毎日点検する項目が50項目ある。タイヤに異物が刺さっていないか、ハンドルにガタつきはないか、地図は備え付けてあるか、ドアの開閉に異常はないか、等々。
「日常点検は義務ですから、必ず毎日行いチェック表に丸印を入れます。何か質問は」
ギンレイが、
「それぞれの液体が不足している場合はどうすればよいのでしょうか」
「敷地の向こう側にある整備工場へ持っていってください。在庫がありますので、それを自分で入れていただきます」
「このチェックはみなさん毎日実施しているのでしょうか」
「・・・もちろんです」
「1時間くらいかかりませんでしょうか」
「・・・慣れたら10分もかかりませんよ。まあ、1分で終わらせるような人もいるかもしれませんが・・・」
車両は私物ではない。日勤、夜勤の交代で使うから乗務前にいちいち前日と同じ点検行動をする。ただ、バッテリー液などは一度点検したらしばらくの間は見なくても大丈夫、と考えるのは普通である。ハンドルのブレや空気圧なども、昨日大丈夫なら今日は大丈夫、とたいていのドライバーは思うだろう。だから、10分で終わらせるような手抜きが横行し、管理者も黙認しているのではないか、と想像する。1分で終わらせる人がいるというのは「冗談であろう」と、考えることにする。
ふたりに6ケタの乗務員番号が告げられる。.
「乗務員番号の頭の二けたは支店番号です。後ろの四ケタがそれぞれの個人コードです。売上金の処理はそれぞれの支店で下四桁を使いますが、車両へ乗り込んだときに中の機械へ入力する乗務員登録番号は6ケタです。それでは銀さんから先に運転をお願いします。私は助手席に、川岸さんは後部座席から銀さんの動きを見てください」
ギンレイは自動車学校での「出発前の安全点検」通り、車両の下にネコや子供がいないかを点検し、方向指示器が作動するか、ブレーキランプが点灯するかどうかは、
「すみません、川岸さんブレーキランプを見ていただけますか」
「了解」
大林が、
「いや、銀さんそういうのはいいから。さっき日常点検をしたばかりだし。まずは運転席に乗って」
ギンレイは「いいんですか?」という表情で運転席に乗り、シートの位置を合わせ、シートベルトをして、ルームミラー、バックミラーの確認動作をしていると、
「銀さん、そういうのあとでいいから、エンジンキーをまわして」
ギンレイは「いいんですか?」という表情でエンジンをスタートさせる。無線機から機械の声がした。
『乗務員コードを入力してください』
「銀さん、まず運転席に乗り込んだら、メモリーカードをメーターに差してください」
大林から「今日はこのカードを使ってください」と、記録媒体であろうメモリーカードを受け取るとメーターに差し込む。
「はい、次、無線機に乗務員コード、先ほどの6ケタの数値を入力してください」
無線機には電話機と同じような10キーがついていて、6ケタの数字を入力して大きなボタン、「登録」を押す。無線機から音声が出る。
『乗務員コードが登録されました』
「はい、次に銀さん、メーターの『累計』というスイッチを押して、昨日までの指数をメモしてください」
スイッチを押して出てくる指数は「昨日までの乗車数」「昨日までのメーター稼働数」「走行距離」「お客を乗せての走行距離」「消費税額」の5つ。
「メモをしたら、『累計』のボタンをもう一度押して再登録されます。今日はここからスタートして、銀さんの走行実績が記録される、というわけです。次にこの車両の累積走行距離を見ますが、スピードメーターの下の数字です。それもメモをしてください」
走行距離に728524とある。ギンレイが、
「・・・72万?」
「そう、何か?」
後部座席から、
「72万って、この車は72万キロ走っている、つてことですか」
「そう、何か?」
川岸が、
「えっ、そうって、車ってそんなに走るものなんですか?」
「ああ、たまにそういう質問受けるね。僕は大学を卒業すると同時に運転免許を取ってすぐにここへ就職したから50万とか60万とかいう数字は見慣れていましてね。問題があるとは思わないですよ。きちんと定期的に整備しておけばそのくらいは走るものなんです。実際車のメーターも6ケタ99万9千999キロまで用意されているんですからね」
ミンクが「走行距離を見てください」と言っていたが、車を大事に使っているかどうかでその会社の収益構造が見えてくる、ということなのだ。車を資産登録して減価償却の耐用年数が6年。この車は傷だらけだし72万キロも走っているとなると、有に6年以上は経過しているだろう。車両を購入した費用の元がとれていまは純利益を出している車の一台、ということだと想像する。ガソリンやオイルなどの消耗備品の支出はあるとしても。
「各係数と走行距離をメモしたら次は、無線機のボリュームを見てください。たまにお客様に気を遣ってボリュームをオフにしている乗務員もいますが、無線のボリュームは常にオンにしておきましょう」
ギンレイが無線のボリュームをオンにすると、無線センターと他の車両とのやりとりが全て聞こえる。オペレーターのけだるいタメぐちが聞こえてくる。
『だから、マンションの入口は一番左と先ほど申しましたけど』
『お客さんが立っていなかったら迎えに行ってください、もうだいぶ待たせてますよ』
『15条の西5丁目ですか、・・・いま走っている道まっすぐ(ブツッ)』
『出てきましたぁ?了解、実車願います』
ギンレイは無線のボリュームをオフにする。
「ん?だから、銀さんオンにして。あとで訓練用の無線が入りますから」
「訓練用の無線が入るときだけオンにしてもよろしいでしょうか」
「いや、だから、いっつもオンだって」
「・・・」
「聞いてますか、無線のボリュームオンです」
「無線のこんな不快なやりとりをずっと聞いていなくてはならないのでしょうか」
思わずギンレイが口にする。後ろで川岸がハラハラしている。トレーナーの大林は絶句している。
「銀さん、無線はずっとオンにするものだそうですよ」
川岸の声を聞き、隣で険しい表情をしている大林の表情を見て、しぶしぶ無線をオンにする。サービス業にしてこんなだらしない声をずっと聞いていなくてはならないと思うと早くも憂鬱であるが、人間はこうなのだろう、と理解し従うことにする。大林は無線のマネではないだろうがため息まじりに、
「じゃぁあ、無線の音、確認したらぁ、次は領収書。領収書のロール紙がセットされているかどうか、そこ、見て確認」
領収書のロール紙が簡易な印刷機にセットされているのを見る。スペアは傍らに2本ある。この印刷機はメーター機と配線でつながっているようだ。
「だいたい、元の太さの三分の一くらい残っていれば一日は大丈夫だから。そのスクロールってボタンを押してみてください」
スクロールのボタンを押すと、ジジジ、とロール紙が数センチ出てくる。
「万が一印刷機が故障していないかどうか、毎日そのスクロールボタンで確かめて」
「はいわかりました」
と、言いつつ少しけげんな顔をする。大林はギンレイの納得していなさそうな顔を見つつ、
「出庫前の段取りはだいたいそんなものだから。あとは、メーターについている『空車』のボタンを押して、客が外から見る電光掲示が『空車』になっているのを確認して外へ出る。何か質問は?」
「いま教えていただいたこと以上の故障がおきていた場合は?」
「は?」
「いえ、例えばロール紙が出てくるのを確認しましたが印字がされるかどうかの確認はしないのでしょうか。無線は向こうからの声が聞こえるのはわかりましたが、向こうの方はこちらの声が聞こえるかどうかの確認をいつするのでしょうか」
大林は首を振りながら苦笑いし、
「それ以上の故障やトラブルは起きてから考えればいいから。深く考えないで」
まあ、そういうものなのかもしれない、とギンレイは妥協する。いま説明を受けた機器類の他にも運転席には小型の液晶モニターが2つあり、その説明はあとでまたなのかもしれないが、テストまで今日を含めて3日。この程度の確認作業で外へ出てよいというのはいささか乱暴な気がする。車両に備え付けのエアコンや空気清浄器の説明も受けていない。まだ研修は始まったばかりなので、大まかなところから説明しているものと思うことにする。
くすくすくす
振り向いて川岸を見ると、両手を広げて「私じゃありません」という顔をする。隣の助手席を見る。
「何か?」
大林がけげんな顔をする。ギンレイは向き直り車をスタートさせる準備にかかる。
(気のせいだろうか・・・、他にこの車に誰かが乗っている)
*
ピュアな心の持ち主であるギンレイですが人間社会での就労は大丈夫なのでしょうか。人間界に馴染むためには人間として行動しようと思っていたギンレイですが、仕事中も霊力を使うこともいたしかなたしと思い始めています。そんなとき、訓練中の車両の中でいままで感じたことのない霊的な何かを感じています。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」
https://ncode.syosetu.com/n8347hk/
シリーズもの別編です。




