第一節 乗務員デビュー前 第二種免許の取得 その1
やがて訪れる世界中を巻き込んだ戦いに備えるため、知床のカムイ達は一体のカムイを人間社会へ送り込むことにした。キタキツネの精霊、ギンレイは人間社会を学ぶうえでひとりひとりを戸口から戸口へ運ぶ究極のサービス業、タクシードライバーになって人間社会を見つめることにした。だが、動物の精霊としては運転免許取得のための学習から大いに戸惑うことになるのだ。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」 https://ncode.syosetu.com/n8347hk/
シリーズもの別編です。
札幌から来たエゾタヌキ達の魔力は想定以上のものだった。彼らの活躍で悪気高い人間と憎悪の化身は姿を消した。だがいつまた同じような手合いが現れるともしれない。
東京からやってきたあのホンタという本土タヌキを私のタクシーに乗せたときからやがて起きる危険を肌身に感じるようになった。世界中を巻き込んだ戦争は阻止できないかもしれない。しかしこの世界が滅びることは何としても阻止しなくてはならない。
タヌキ達が知床を去ったあと私は父ハクレイからの命により札幌と知床を行き来しながら人間社会に潜入してことのなりゆきを見定める役目を負う。様々な種類の人間と直に接することができるタクシー運転手という仕事は人間社会でいま何か起きているのかの情報収集をするうえでも、また、敵の動向をさぐる上でも好都合な仕事だと思う。
様々な出来事を日記のようにつづることにした。時に人間社会には矛盾を感じることがある。だが人間の素行や行政対応を批判するようなつづり方はしない。玄関口から玄関口へ人を運ぶという究極のサービス業を通じて見えてくる「人間」のなんたるかを学ぶ機会でもあると思う。
しあわせのたぬき(全六章) 第四章からつづく
タヌキ達が知床をあとにして半年後
(エピソード1)
しあわせのたくしー
月美 てる猫
第一節 乗務員デビュー前
第二種免許の取得 その1
閉店間際のショッピングセンターで白いワイシャツを購入し、帰宅をしようとしていた若者がその駐車場内の魔物を見ていた。
タクシーが5台やってきて駐車場の端に止まりドライバーが走り出てきて魔物をとり囲み、
ケーン、ケーン、ケーン、
と、目から狐火を出して攻撃をしている。
魔物を攻撃しているのはキタキツネの精霊だった。普通の人間には魔物も精霊の姿も見えない。だがこの自動車、タクシーは人間が乗る実物だ。つまりいま魔物と戦っているドライバー達は精霊であるが人間の姿も持っているのだ。人間であるときはタクシードライバー、魔物と戦うときは精霊の姿になる私設の民兵、といったところだろうか。
盛んに狐火で攻撃をしているがなかなか魔物にダメージを与えるに至らない。魔物は二本足で立つと3メートルくらいの背丈があり真っ黒いゴリラの姿で顔に目が4つあり、腕も左右に2本ずつ4本ある。
魔物は人間の造作物に触れることができるようだ。駐車場に置かれていたショッピングカートのひとつを掴んではキツネに対して投げつけている。一台のタクシーにカートが当りフロントガラスが割れた。
人間の警備員が向こうの方から懐中電灯をかざして歩いてくる。警備員の目には魔物もキツネも見えてはいなかったが、ショッピングカートが飛んだのは見えたようだ。
「まずい、どうする」
キツネの一体が叫ぶ。
駐車場の魔物を見ていたその若者もキタキツネの精霊であったが、タクシードライバー達の苦戦を見かねていた。とっさにドライバーひとりに憑りつき他のドライバーから見えないようタクシーの陰に隠れ、ドライバーを白蛇に変身させると、
ドシュン!
白蛇は口から波動を発射して一撃で魔物を粉砕して煙にする。更に白蛇の目から催眠リングを出してこちらへ歩いてきた警備員をふらつかせる。
突然現れたヒーローの強さに驚き、唖然として見ているドライバー達。
白蛇は目くらましの発光をすると
ピカッ!
白蛇の若者は憑りついていたドライバーから離脱し、そのドライバーをタクシーの陰に残し、自身は白蛇の姿で空へ飛び去った。
眩しさに目が眩んでいたキツネ達だったが、警備員が目をまわしながらこちらへ歩いてくるのを見て、
「よし、とにかく引き上げるぞ」
警備員を尻目にドライバー達はタクシーへ乗り込む。
「おい、どうした菊次郎、早く乗れ!」
白蛇に憑りつかれたドライバーは菊次郎といった。菊次郎は我が身へ起きたことに混乱しつつ、飛び去った白蛇の行方を見つめていたが、ハッと我に返りあわてて車に乗って場外へ出て行った。
翌日、
「ちょっと待ってて」
そう言って事務所の窓から外に向かって採用担当の女性が目から火を吐く。
キェーーーっ ボッボッボッ
窓の外をしばらく見ていたその女性、澤本は人間の姿に戻り、ふり乱した髪を直しながら、
「あなたも狐火くらいは出せるんでしょう?」
「はあ、まあ・・・」
人間の行動に例えれば、窓にハエを見つけてハエたたきをビシビシ振るようなものだ。いつもこんな感じなのだろうか。他の社員がいないからよいものの窓の外に魔物の小物がいたくらいでキツネの姿になって目から狐火を連射するとは。
もっとも、精霊の姿は普通の人間には見えないのだが。
「このところ多いのよね、このあたりだけじゃない。駅周辺とか、遊園地とか、乗り物がある場所は特に気を付けてね」
このタクシー会社にはどうやら人間と精霊の二つの顔を持った者が数匹いるようだ。彼らは「地域防衛隊」を志して、たまに人間社会に湧いて出てくる魔物達を懲らしめているらしい。
「昨日はそこのショッピングセンターで魔物が暴れたんだよ、でもね、正義の味方みたいなのが突然現れてやっつけてくれたんだってさ。信じられないよね」
タクシー会社の採用手続きに来たギンレイはキタキツネの精霊である。父ハクレイの知り合い、というこの会社の社長が父の依頼から二つ返事で採用を決めてくれたようだ。事務担当の澤本は聞きかじりの情報で「口から火を吐いた」とか「光線を出した」とかひとしきり「正義の味方」の話をしていたが、ようやくギンレイの要件を思い出したのか、入社の書類にチェックを入れはじめる。
「今日は白いワイシャツ着てきたんだね。ネクタイも似合っているよ。タクシードライバーは身だしなみが肝心だからね」
キツネの立場で人間の運転免許を取得してタクシーの乗務員になるというのは、決して正しいこととは思わない。だがこれも世界平和のためと、自分に言い聞かせる。
「知床ではどうだったかわからないけど、うちの会社は一種免許だけだとだめなのよ。人間も乗せるんだからね」
知床でタクシー乗務員の仕事をしていたときはもっぱら「精霊」か「人間に化けた精霊」しか乗せていなかった。「普通の人間」を乗せて「本物のお金」を頂戴するからにはきちんと人間社会のルールに沿わなくてはならない。会社からの斡旋で自動車学校に通うこととなった。
内心ヒヤヒヤものである。人間は「キツネにバカされる」などというが、決してバカにするわけではない。受講申込書に現住所も氏名も性別もうそいつわりのない記載をし、
「隊長がね、行政手続きの時は魔力をつかっていいって言ってた」
会社の社長もキタキツネの精霊であり、採用担当の澤本は社長のことを地域防衛隊の「隊長」と呼んでいるようだ。隊長が人間の姿でタクシー会社社長のときには当然にも人間の姿で、「社長」と呼ばれているのだろう。
それにしても、タクシー会社ではひっきりなしに求人募集をしているようでこれも要するに人間社会特有の事象なのだろうが、高齢の乗務員が多いのが理由としては大きいようだ。つまりひっきりなしに退職する乗務員がいるから、ひっきりなしに募集をしなくてはならない。よその会社を定年退職して再就職先をタクシー会社に求めるシニアも多いようだ。自動車運転歴20年、30年のベテランドライバーは運転にも安定感と落ち着きがある。シニア雇用の受け皿になっていること、病院や街中への高齢者の足として活躍できる、という点では社会貢献事業とも見える。高齢化社会の実情を色濃く反映した職種といえよう。そしてこの会社は地域に潜む「魔物を退治すること」も社会貢献活動として自主的に取り組んでいるのだ。
「タクシー会社としては若い人がきてくれるのはありがたいわ。魔物を退治する実力はどうかしらね」
網走のタクシー会社は人間には目につかない幻の会社だった。キツネでカムイの父が経営するホテルの子会社であったため免許は不要とされた。第一種免許は人間の姿で取得している。
このタクシー会社へ入社する前に、路上実技試験を実施する認可を受けた自動車教習所に通って、札幌の運転免許試験場にて学科試験を受ける。最短10日ほどで第二種免許の取得は可能であった。その後、「ハイヤー協会」なる組織での研修を一週間ほど受け、更にこのタクシー会社での研修を一週間ほど受けてから営業活動への独り立ちとなる。
夕方になり日は西に傾いている。日勤の乗務員がひとり事務所へ入ってきた。
「ただいま帰りました」
「あら、まだ早いんじゃないの。でも丁度よかった紹介するわ、こちら新人のギンレイさん」
「あなたは・・・」
「あんたと同じ知床生まれだって。キタキツネよ。久しぶりだわ、精霊の運転手。でも二種免許を持っていないんだって。魔力もそれほど強くないみたいだから、しばらく訓練必要ね。狐火くらいは出せるみたいだけど」
「いや、だってこの人・・・」
菊次郎が言いかけたが、ギンレイの声が頭に届いた。
(菊次郎、それ以上言うな、まだ私は新人だ)
「お先に失礼します」と言って通用口から出ていく新人を入社二年目の菊次郎が黙って見送る。テレパシーで「それ以上言うな」と言われたから黙ったが、菊次郎はその新入社員が知床を代表するカムイのひとりであることを知っている。桁違いなパワーを持っているはずだ。
「狐火どころか太陽だって出せるよ・・・」
翌日、ギンレイは会社が斡旋してくれた自動車学校へ入校の申し込みに行く。必要な書類は澤本が用意してくれていた。
「あのう・・・」
「え、なにか?」
自動車学校事務職員の女性、河合が問いかけてきた。書類とこちらの顔を見て戸惑っている様子だったので「もしや正体がバレたか」と思ったが、
「銀さん、とおっしゃるのですか、それとも銀鱗さん?下のお名前は?」
「ああ、苗字が銀で、名前が鱗でけっこうです」
と答える。
「そうでしたか。失礼しました」
と、言い、ポーッとギンレイを見つめる。
「あの、何か?」
「あ、いえ、書類はこれで問題ありません。目の検査をお願いできますか」
目の検査を受ける。遠い所を見るのはキツネだけあって人間にひけはとらない。2.0で合格。加えて深視力検査なるものは第二種に欠かせない検査らしく、例えて言うならネズミが横に3匹並んでいるのを正面から見て、凸凹ではない横一線であるかどうかを言い当てるクイズのようなものだ。真ん中のネズミが1歩出ているのに横一線であると答えたら失格ということになる。遠ざかったり近づいてきたりする魔物を待ち伏せして適する場所に来たときに噛みつくなどは精霊にとってお手の物であるからこれも難なくクリアする。
「すごいですね、完璧です。深視力は何度もやり直しする方が多いんですよ」
「はあ、そうですか」
そう言ってまた河合がポーッとギンレイを見つめる。
視力検査をクリアすると今度は適正検査があり、マークシートに答えをぬりつぶして、「攻撃的」とか「反応がにぶい」とか「情緒不安定」とかいう判定が出る。何のための適正検査なのかよくわからない。例えば、
『ゆっくり走っている車を見たら追い越ししたくなる』
(追い越ししたいと思ってはいけないのか?)
などとつい思ってしまう。
時と場合によるだろう。それをこの一回の抽象的な試験でもってその人はこう、と判定される人間達が可哀そうになる。
適正の判断は占いのようなものなのかもしれない。キツネの占いはよく当たる。だが日常生活においていちいち占いをしてから行動するのも疲れる。だからギンレイは精霊の立場でも人間の立場でもあまり占いをしないことにしている。
「いま追い越しをしたら警察につかまる」、などという占いの結果が出て
「だから追い越しをしない」
などという思考の反芻は霊力の鍛錬にもならないと思うからだ。
人間社会で暮らす上では「迷いがあるならはじめから追い越しをしようなどと考えない」が正解であろう。もたもた走る車があることを想定して少し早めに家を出ればよい話である。
だが人間というものはそういう余裕もゆとりもないから追い越しをせざるを得ない生活をしているのだろう。追い越しをしなくてもよい社会をつくることこそ問題解決の本質であろうと思うのだ。この設問を検査項目に選ぶのは間違いだと正直思う。だが、そんなことを考えているとこの適正検査は矛盾だらけでマークしようがなくなる。
自動車教習所は人間社会における問題解決の本質を議論する場ではない。反面、交通ルールの学習は精霊である自分にとって、社会の闇や矛盾を学ぶ場でもあるのだと思う。
適正検査の結果はすぐに出てきた。可もなく不可もなくの平均点といったところか。
「私はA評価でしたよ」
適正試験を受けた教室を出たところでひとりの受講生から声をかけられる。不覚だった。その者から自身を観察されていたことに気が付いていなかった。
「あなた、キツネでしょう?」
キツネの精霊であることを見破られている。その者はというと
「私はミンクです。はじめまして」
近年増え続けているイタチ科のミンクは外来種である。毛皮をとるために北海道内で飼育していたものが逃げ出して繁殖を続けている。生身のミンクから派生した精霊のようだ。
握手を求めてきた。戸惑いながら握手をする。ミンクの精霊を見るのは初めてだった。しかも人間に化けている。かすかに悪気を感じる。
「人間社会は闇ですね。でもその中で生きていくことに決めました。少しの野心も欲望もありますよ。手のひらから伝わる霊気で気が付いたでしょう?」
唐突なできごとでどう応えてよいかわからず、ただし彼はいまのところ攻撃的な姿勢ではない。同じ精霊同士、人間社会に馴染もうとする者同士であるからこの学校に通っている間は多少の交流をしてもよいかと思う。
「私は何もわからない田舎者で。さきほどの試験はCでしたよ」
「あなたの霊気はとてもピュアだ。うらやましい。人間の世界でケガをしなければよいのですが」
人間の世界でケガ、というのはどういう意味だろうか。単なる気遣いだろうか、それとも警告だろうか。はぐらかすように、
「ええ、タクシーの乗務員になって人間にケガをさせては困りますから、ここでしっかり勉強しようと思っています」
そう応える。
「ふふ、お互いに頑張りましょう。あの受付の女性、またあなたを見ていますよ。あなたに気があるのかもしれませんね。女性はケガのもとだ。気を付けないと」
受付カウンターを見るとさきほどの女性、河合がこちらを見ていて、ギンレイの視線に気が付くと、パッと顔を下げる。
彼はそう言って入口を出て駅の方へ歩いてゆく。
自分と同じくらい、20代青年のなりである。白いスニーカーにジーンズ、ポロシャツにジャケットを羽織っている。
彼がふと立ち止まり、コースの「ある部分」を見ている。
「見通しの悪い交差点」で、十字路に小屋が立っていてその脇に男の子と女の子のマネキンが立っている。
この教習所にきたときから気が付いていたが、そこかしこに魔物の気配がする。適正テストの際に隣に座っていた大学生が、
「このコースには魔物が潜んでいるらしいですよ。試験に通りにくいって評判だって知っていました?」
などと話していた。大学生は半ば冗談で「魔物がいる」と言ったのだろうが、あの「ミンク」は魔物の気配に気が付き、魔物がいることを事実としてとらえたようだ。それなりの霊力を持っている。
駅へ向かって遠ざかるミンクへ向けて手の平をかざし、かざした手を下げた。占いをしようかと思ってやめた。霊的存在だからと言って自分に害をもたらすものとは限らない。短い期間であるが同期生だ。二種免許を取るからにはタクシーの乗務員になるのであろう。地域社会に貢献する同朋なのだから友達になれたらいいと思う。
だがギンレイは胸騒ぎを覚えていた。人間社会の複雑さ、矛盾と向き合うこと。そして敵になるか味方になるかわからない精霊の出現。そして、会社周辺や、この教習所に漂う魔性の気配。
明日から学科講習と構内実習が始まる。
*
学科の講義、教習所場内での実技練習が始まります。魔力を使えば難なくクリアできるはずの各課題も誠実に人間として取り組もうとするギンレイにはいささか肩が凝る展開になりそうです。
*このお話しは連載中の「しあわせのたぬき」 https://ncode.syosetu.com/n8347hk/
シリーズもの別編です。