CAR LOVE LETTER 「The Spirit of Competition」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:MITSUBISHI PAJERO EVOLUTION(V55W)>
もう、ダメかも知れない。
俺もナビゲーターも砂まみれで疲労困ぱいして、もうどうでもよくなって来てしまっている。
俺達は今、砂漠のど真ん中にいる。世界で最も有名なラリー、パリ・ダカールラリーの競技の真っ只中なのだ。
だが、今俺達の車は走っていない。俺のドライビングミスで、砂漠の砂の深い所に足を取られ車がスタック、つまり砂にはまって動けなくなってしまったのだ。
慎重に走って来たし、ここまでずいぶん順調で、プライベーターのクラスでは上位も狙える所にいたのだが、魔がさしたんだ。
ジャッキで車を持ち上げようと、スコップで砂をかきだし、いろいろとチャレンジしているのだが、砂にジャッキが埋もれてしまい、脱出出来る気配がない。
もう、ダメかも知れない。ナビゲーターは衛星電話でリタイヤと救助の連絡を取ろうとしていた。
俺は彼の遺影を見つめ、「すみません。」と呟いた。
俺は元々サラリーマンで、ラリーは学生の頃から続けていた。
ラリーと言ってもパリダカの様な冒険ラリーではなく、閉鎖された林道なんかを走る、国内モータースポーツのカテゴリーで走っていた。
モータースポーツなんてかっこいい呼び名はあるが、実際にはラリーなんてマイナーな競技だし、言ってみればものすごく金のかかる趣味みたいなものだった。
趣味の延長とは言え、地区戦で勝つ事もしばしば。全日本選手権に出られそうな感触もあった。
俺にとってみれば自慢話なんだが、職場ではそういった話をまともに聞いてくれるヤツなんか居やしない。誰もが、それ勝ったら賞金出るの?とか、金をかけ過ぎだとか、車オタクだとか、そんな言葉しか発しない。
彼、以外は。
彼とは、会社の先輩だ。彼なんていっているが、歳は俺の親と同じ位で、現場を取りまとめている気のいいおっちゃんだった。
彼もモータースポーツが好きで、とりわけラリーが大好きで、俺の話をいつも真剣に楽しそうに聞いてくれていたんだ。
「俺も若かったらそういうのやってみたいんだけどねぇ。」俺の話をひとしきり聞いたあと、羨ましそうに言う彼の顔を今も覚えている。
ある日、俺が世話になっているチームの社長が「パリダカに挑戦してみたいんだ。」と言ってきた。スポンサーもいくらか見付かり、金の工面も何とかなりそうだって言うんだ。
前々から酒飲み話で、やってみてぇなぁ、なんて言ってたけれど、その日の表情は今までの酒飲み話の様なものではなく、気圧される程ギラギラした真剣そのものだった。
しかも、俺にドライバーをやらせたいって言うんだ。
パリダカレベルになったらそれこそ今までやってきた趣味みたいなものとは訳が違う。かける金も技術も生半可ではない。
それを社長は俺に託したいって言うんだ。
俺も悩んだ。
モータースポーツは小さい頃からの憧れで、パリダカの様な競技に出場することはまさに夢だった事だ。しかしそのためには、厳しいトレーニングや車に対する知識、語学力、そして何より今まで以上のドライビングスキルが要求される。
つまり、サラリーマンとの二足のワラジで何とかなるような甘っちょろいものではない。
俺は、その悩みを彼に相談してみた。そうしたら、彼は俺が欲しいと思っていた答えを返してくれた。
そうだ、相談なんかじゃない。俺は唯一の理解者である彼に背中を押してほしかったんだろう。
彼もそれがわかっていたんだと思う。
翌月、俺は会社を辞めた。
雀の涙程度の退職金となけなしの貯金を元手に、アパートを引き払ってチームの事務所に寝泊まりして、パリダカへの準備を進めて行った。
彼にはちょくちょく連絡して、近況報告みたいな感じで励ましをもらった。電話の最後にはいつもの三河弁で「頑張りん。」と言ってくれた。
パリダカの出場が決まり、車も俺も仕上がりは順調で、俺はまた近況報告がてら、気分よく彼に電話してみた。
車は古いモデルだけど、ベースの素性が良くて改造も費用が抑えられる、パジェロエボリューションにした。今はファクトリーでバラバラにして、ボデーに補強を入れているのさ。
昨日も練習に行ったきてさ。今までよりも断然速くなってきて、俄然やる気が沸いて来ているところなんだ。
いつもの様に饒舌に話す俺に対して、彼はやけに元気がなかった。
何でもないと言う彼に、どうかしたのかとしつこく問うてみると、彼は渋々真相を明かした。
「実はね、手術するんよ。そのために、今入院しとるんだわ。」
何と。俺は驚いた。しかも病名は膵臓がんだと言うじゃないか。
俺はその週末、彼を見舞う事にした。
病床の彼は、意外な程元気だった。
本当に病気かよと思う位よく笑い、顔色もよかった。元々歳の割にものすごく体力のある人だ。多分、手術も乗り切れるだろう。
「何か拍子抜けです。次は手術後の弱った顔、見に来ますわ。」
「おぉ、来い来い。待っとるでね。」
それが最後の会話だった。
しばらくして、前の会社の同僚から電話がかかってきた。訃報だった。
手術の後、一旦自宅療養していたらしいが、がんが再発して再入院して、そのまま治療の甲斐なく、彼は息を引き取ったと。
嘘だ。そんな馬鹿な話があるか!
俺は真偽を確かめるため、お通夜に飛んで行った。
斎場の真ん中には白い棺と、その後ろの祭壇にはにこやかに銀歯を見せて暖かく微笑む、彼の遺影が飾られていた。
悪い冗談だ。
俺にはそんな実感はこれっぽっちも沸かなかった。
お寺さんはお経を終え、何やら説法を始める。彼の死について語っているようだ。
何を言っているのか訳が分からない。頭がくらくらする感覚を覚えた。
説法が終わり、棺の顔の蓋が開けられる。皆が彼の顔を拝もうと、棺を取り囲む。
俺はそこで、涙が一気に溢れてきた。
彼はもう居ない。もうラリーの話も出来ない。パリダカの土産話を目一杯するはずだったのに。
突然俺の中に実感が沸き起こったんだ。
お通夜の帰り際、彼の奥さんに遺影をお借り出来ないかとお願いしてみた。俺は彼をパリダカに連れて行きたかったんだ。
奥さんは、快くそれを了承してくれた。
そして俺達は今、アフリカの砂漠に居る。
砂漠の夜は寒い。
昼間は50℃にもなる灼熱地獄だが、今は3℃位しかない。
もう外で二時間以上作業をしているので、かなり体が冷えて来ている。
「悔しくて仕方ないけど、もう諦めよう。」ナビゲーターは衛星電話を今まさにかけようとしている。
俺も同感だ。悔しくて仕方ないけど、もう限界を感じていた。
力なくうなだれたまま、「ああ、そうしよう。」と答えようとしたときに、ふと鼻孔の奥にミント菓子の香りを思い出した。
そうだ。彼はいつもあのミント菓子を口にしていたな。
「これを食べるとスカっとしていいんよ。」と俺にもよく分けてくれたな。
前に俺が仕事で大失敗して、もうダメかも知れない、なんて落ち込んでいた時なんか、「何言っとるだ。そんなもん大丈夫だって。諦めたらあかん。頑張りん!」と俺の手の平から溢れそうな程ミント菓子をくれたっけな。それが彼流の励ましだった。
俺はそれが嬉しくて涙が出そうだったんだが、その大量のミント菓子を一気食いして、それをごまかしたんだ。
そうだ。諦めたらあかん。
俺はナビゲーターへの返事を飲み込み、ふらりと立ち上がった。
工具を手に、砂に埋もれるパジェロエボリューションに駆け寄る。
「何をする気だ。」ナビゲーターは呆れた顔をする。俺はそれを尻目に、また黙々と作業を始める。
ラリーカーにはアンダーガードという、岩なんかの固い物から車を守る、いわゆる鎧の様な部品が取り付けられている。その内のひとつを、俺はまた砂にまみれながら取り外す。
外したアンダーガードをさっきまで掘り込んでいた、車の腹下に滑りこませる。
ぴったりだ。これで砂に埋もれて役に立たなかったジャッキが使える!
俺は猛烈な勢いでジャッキをかける。するとゆるゆると車が持ち上がる。脱出出来そうだ!
俺は運転席に飛び込み、パジェロエボリューションを叩き起こす。
ギヤを突っ込み、アクセルを入れるとぐらりと車が動く。行ける、行けるぞ!
しかし、タイヤはまた砂を巻きあげるばかり。パジェロエボリューションの重さに耐えきれず、アンダーガードもミシミシと音立てて変形し始めた。
まだだ!頑張れ!俺は祈る気持ちでもう一度アクセルを入れる。その瞬間、メキメキメキ!と大きな音を立てて、アンダーガードが半分に折れる。
それと同時に、パジェロエボリューションはふわりと前に転がり出た。
「やった。やったぞ!うおおー!」ナビゲーターが衛星電話を放り投げて感極まる。
「おい!行くぞ!」俺達はくちゃくちゃになったアンダーガードと工具を回収し、チェックポイントを目指した。
その後なんとかチェックポイントに辿り着く。チームのみんなは半ばリタイヤを覚悟していた様で、パジェロエボリューションの姿を見るや、大喜びで駆け寄ってきた。
結果は指定時間の四時間半遅れ。俺達はかなりのペナルティを課せられ、目標は上位入賞から完走する事に切り替えざるを得なくなった。
しかし、今日このチェックポイントに辿り着けなかった車は20台を遥かに越えたらしい。その中には常に上位入賞している自動車メーカーのワークスチームもあると言う。
そんなサバイバルラリーの様相を呈してきたこの砂漠のステージで、明日も競技を続けられるだけでも、感謝しなければいけない。
俺とナビゲーターは、具だくさんのスープとパンの、かなり遅い夕食で、お互いの労をねぎらった。
しかし、車両整備スタッフ達の仕事はこれからだ。彼らの頑張りに報いる為にも、俺達は諦めてはいけないのだ。
スープをすすりながら、ナビゲーターが重く口を開いた。
「正直、もうダメだと思った。あの、ゆらりとパジェロが動いた感覚が忘れられないよ。ひょっとしたらさ、後ろから押してくれたのかも知れないな。」
ナビゲーターはそう言い、俺の首からぶら下がるパスケースを指差した。
パスケースの中には、彼の遺影が入っている。
俺はまた、ミント菓子の香りを、ふと思い出した。
パスケースを手に取り、彼の遺影を見つめる。その優しい表情は、「頑張りん。」と、いつもの三河弁で励ましてくれている様だった。
病魔と闘いながらも、2009年8月28日に旅立たれた、私の仕事の恩師であり、父のように慕ってきた、Hide.S氏へこの物語をささげます。
今までの貴方の心遣いに心から感謝するとともに、ご冥福をお祈りいたします。