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「貴様あーっ! アニスに何をしたあーっ!」
開口一番、ロイド様が殴り掛かってきました。
うん、知ってた。
「アニス?」僕がアニスに声をかけると、死人のそれが張り付いたような能面顔をしたアニスが、そんなロイド様の横っ面を握りこぶしで張り倒した。
「ぷげらっ!」ヘンな声立ててロイド様が真横にすっ飛び、宿屋の一階の端から端まで大移動した。
宿屋の親父がすごく嫌な顔をしたけど、後でたっぷりチップを弾むので勘弁してもらいたいところだね。もちろん勇者様のお金だけれど。
聖女アンナ様が目をぱちぱち、びっくりした表情になった。
「あーすみません、アンナ様。今ので勇者様がちょっと死にかけてしまったみたいです。アンナ様の力でお助けいただけますか?」僕が申し訳なさそうにお願いすると、「まあっ!」とちょこちょこと勇者様のそばに駆け寄った。
「それとアニス? ちょっと力が強すぎだよ。僕は、攻撃されたら死なない程度に反撃しろとは命令したけど、あれじゃ当たり所が悪かったら死んじゃうよ。もう少し手加減して?」
「分かったわ。」アニスはわかったんだかどうだか分からない表情でそう口にした。なんだかこれ、駄目っぽそうだ。
アニスはどうも勇者様に対し、やるせない怒りを覚えてしまったようだ。
もともとアニスは妊娠をきっかけに恋心が少しづつ形を変えて、生まれるはずの子供の人生のため、勇者様とはどこかで別れて一人で産み育てる決心をしようとしていたようなんだよね。
やっぱりあちこちに女性を作って快楽のみを追求する勇者様に、どこか心が不安を覚えてしまったようなんだ。
それが今回最悪な経緯で子供を失い、やり場のない怒りがすべて勇者様に向かってしまったんだろうね。
僕を恨めと言ってみたものの、アニスはわざわざ戻ってきてくれた(とアニスが思っている)僕を素直に恨めないみたいだ。
だからと言って勇者様に八つ当たりするのは完全にお門違いだと思うけどね。
もちろんこのあたりのアニスの心の機微については、『鑑定』さんが全部教えてくれるんだ。
『鑑定』さんは歴代の賢者様がみんなして認める最低のクズスキルだけれど、僕はそれなしでは生きていけない『鑑定ジャンキー』だからね。
それにしても、と僕はあたりを見回す。魔女のアマンダ様が見たらない。どうにも待っているのに飽きて、一人で二階に引き上げてしまったようだ。あの方は協調性が全然ないからね。
これだけ騒ぎを起こしても降りてくる気配がないのは、きっと自慢の長い爪のお手入れでも始めたんだろうね。アマンダ様はひとたびそれを始めると、よっぽどの事態でもテコでも動かなくなるからね。
本当は全員そろった場で話したかったけれど、まあ仕方がない。
聖女様の手当がよかったのか、勇者ロイド様がようやっと息を吹き返したよ。マジで死にかけていたみたいだね。
僕はロイド様のそばに近寄った。
「アニスと話し合って、僕、戻ることに決めました。荷物持ちと鑑定しかできないけど、よろしくお願いしますっ!」
うんと腰を曲げてぺこりとお辞儀をしてみせる。うまく頭を下げられたかな?
「まあっ! こちらこそよろしくお願いします!」嬉しそうににこにこ微笑んでくださる、聖女アンナ様。
「貴様あーっ! アニスにナニをしたぁーっ!」
元気になったロイド様が再びつかみかかってきて、ドカッ! アニスの蹴りを食らって身体をくの字に折り曲げる。今度は口からぶくぶくと泡を吹きだしたぞ。
『鑑定』さんが「死にかけてる」て教えてくれる。
「すみませんアンナ様。勇者様がまた天に召されようとしているので、お引き止めいただけますか?」僕は再び頭を下げる。「まあっ!」アンナ様がいそいそとロイド様の介抱を始める。
どうでもいいけど、ロイド様のいう「ナニをした」ってマジもんで「ナニ」の事を言ってるみたいなんだ。
僕とアニスが二人で抜け出した2時間くらいの間、二人で男と女の「ナニ」してたと思ってるみたいなんだ。
自分だったら絶対そうするから、僕もそうだと思い込んでいるみたいなんだ。
それでさっきっからあんなに怒っているんだよね。
おまけにアニスが死人みたいな顔してるから、僕が嫌がるアニスを無理やり押し倒したお話になっているみたいなんだよね。
風評被害も甚だしいよね。
「えーっ。どうやら一部の方々に多大な誤解があるようですので、その点についての訂正も兼ねて、アニスとの話し合いの結果と今後についてをお話したいと思います。
まず、僕がパーティに戻る条件として、アニスには奴隷になってもらう約束をしました。」
「まあっ!」介護の手を動かしながら、聖女アンナ様がぱちくりと目を瞬かせる。
勇者ロイド様の頬もピクリと動いたから、あの世の川に近づきつつも、意識はちゃんとあるみたいだ。
「それで滞在している奴隷商人に掛け合って、先ほど無事に奴隷契約が完了しましたので、僕はパーティに戻りたいと思います。とくにいやらしいことがあったわけでなく、アニスが僕に絶対服従する奴隷になったというのが結末です。以上! 報告でしたっ!」
聖女アンナ様が、癒しの術の手を止めて、パチパチパチと拍手をくださる。
勇者ロイド様はギリギリと歯ぎしりのような音を響かせている。
アニスは無表情に僕の後ろで突っ立っている。
「さてここからが本題です。」おほんと僕はせきをする。
「今回の一連の対応結果により、パーティ内のパワーバランスが変わりましたので、今後は皆さんも僕に絶対服従してもらおうと思います。」
「まあっ」聖女アンナ様がびっくりとした顔になる。「絶対服従って、どういう風にすればよいのでしょう?」
「僕が裸になれって言ったら、つべこべ言わずに黙ってすぐに裸になってくださいね?」僕がそう返事を返すを、何やら決心した様子のアンナ様がすっくと立ちあがって、貫頭衣となっている聖女の衣のスカートの端を握り締め、一気に下からまくり上げた。
「いえ、聖女様。もののたとえです。今は裸にならなくていいです。」
なんだか僕の方が恥ずかしくなってしまった。
「ごめんなさい、アル様。絶対服従だと聞いたので、つい慌ててしまって。」
アンナ様もすっかり顔を赤らめてしまわれました。
まあ、聖女様の素敵なおみ足などを見れたので、僕としてはラッキーでしたが。聖女様ってば、スカートの下には何もお履きになっていらっしゃらないのですね。眼福です。
「ぎざま、じぶんのいっでいるごとのいみがわがっているのが……!」
どうやら言葉を発する程度には回復した様子の勇者様が、なんだかもごもごとお言葉を口になさいます。
正直無視してもよかったんですが、ある程度先に説明したほうが良いだろうと、ここは返事をしてやることにしました。
「えーっ。その点についても誤解があるようなので、この際はっきりと申し上げます。
まずは根本部分での認識の相違について、ご説明申し上げます。
巷では勇者様は魔王を倒せる無二の存在で、この世で最も強いお方だと認識されております。
実はこれ、半分は嘘です。
確かに勇者様と聖剣がないと魔王が倒せないのは事実なのですが、一番強いのは勇者様ではありません。
もちろん、魔族特攻の勇者様は魔族からしてみれば最強ですが、人族同士の争いでは大した力をもちえません。
例えば、集団戦、特に大規模な戦争行為で最強なのは魔女様です。大魔法を無尽蔵に繰り出す殺戮兵器である魔女様を相手にしたら、勇者様が敵方の大将になって突っ込んできても、魔女様の前にたどり着く前に全滅します。
それから、平和な時代で政治や宗教、文化的な戦いで最強なのが聖女様です。圧倒的な大衆の支持と、清廉な姿勢に偶像性。聖女様がカラスは白いといえば、次の日には世界中のカラスがペンキで白く塗りつぶされます。勇者様が何を言っても、全て聖女様の意見に塗り替えられます。
そして対人戦で最強なのが剣聖であるアニスです。アニスは人殺しに特化した武力を持っていますから、例えば魔女様が魔術を発動させる前に余裕をもってその首を刎ねることができます。聖女様なんて5秒で首ちょんぱです。仮に勇者様がアニスに対し聖剣を振るっても、その切っ先をかいくぐって必ず先にアニスの刃があなたのもとに届きます。
分かりますか?」
「……」勇者様は燃えるような目で僕を睨みつけつつも、ぐっと奥歯をかみ殺して、だんまりを決め込んでいる。
この人全然分かってない。
「つまりですね、僕たち5人お互いに争い合ったとき、特に政治や宗教による争い、あるいは集団戦、もしくは魔物が絡んだ戦闘といった極めて特殊な条件がない限り、まずアニスが勝つんです。
アニスは僕たち五人で戦うと、9割以上の確率で勝利するんです。仮に4人が団結してアニス一人と戦っても、アニスがまず勝つんですよ。
勇者様はアニスに絶対勝てないんです。分かります?」
「……」勇者様は黙っているけど、やっぱり分かっていない。
「そんなアニスが僕の奴隷になっちゃったんです。分かります?
アニスが僕についた今、あなたは絶対に僕に勝てないんです。だからあなたは僕に絶対服従するしかないんです。
僕が言っていることの意味、あなたは分かっていますか?」
「……」うん、これ分かっていない。
まあ仕方がない。口で言っても分からない勇者ロイド様は、圧倒的な現実を目の当たりにしていただくことで、どちらが上かを身体で理解してもらうことになるだろう。
何一つ思い通りにならず、誰も自分のいう事を聞かず、何をしても反応もなく、ただただ言われるままに従うしかない、圧倒的な現実を身体で理解してもらうことになるだろう。
半年前に荷物持ちだった僕が味わったのと同じような、あるいはもっとどうしようもない現実があるのだという事を、否応なしに理解してもらうことになるだろう。
それまではどうか、今の幸せな勘違いにひたっていただきたいものですね。
「はいっ!」しばしの沈黙の間を縫って、聖女様が元気よく手を上げた。「アル様に言われたら私はいつでも裸になります!」うん、聖女様も全然分かってない。
▼なんか思いついたけど、うまく挟み込めなかったので外した一文。
ちなみに言わなかったけど、情報戦最強は多分僕だろうね。パワーバランスを見極めて、状況支配に最適な一コマであるアニスを確実な方法で取ることができたので、今まさにその情報戦で勇者様へ攻撃をしている最中です。絶対負けない自信があります。
まあなくても伝わるかな? どうなのかな?