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魔王の死骸が転がっている。
ここまで長かったような、短かったような。
ザカーなど比ではない、すさまじい死闘があったのだ、という事にしておく。
僕たちの身体から、ゆっくりと何か力のようなものが抜け落ちていくのが感じられる。
「アル……? これって!」アニスが何やら気付いた様子でこちらに声をかけてきた。
「ああ。説明していなかったね、アニス。魔王が死ぬと、僕たちのスキルは神様のもとに返納されるんだ。これで僕も君も、ただのカーター村の村人に逆戻りだよ。」
「そうなの?」ぴょこんと飛び跳ねたアニスが、その加減の違いにびっくりしつつもぱちぱちと目を瞬かせる。手をぐーぱーさせて、なんだか変な感じがするみたいだ。
「聞いてないわ。アル・カーター!」アマンダ様が詰め寄ってきます。
おやそうでしたかね。
「まあ、むしろよかったじゃないですか。これでアマンダ様は魔術学院の女学生に戻れるんですから、魔王討伐の殊勲を武器にそこらの侯爵令嬢あたりにブイブイマウント取ってきてくださいよ。」
「あらそうね。そういわれてみれば、悪い話でもないわね。」
すんなりと納得したアマンダ様の、顔がゆがみました。
いやマジで、物理的に顔がゆがんだ。おや?
「ちょっど! ごれ、どういう……ぷびっ。」どんどんヘンな形になっていきます。
「ああそうか。」僕はぽんっと手を叩く。
「もともとアマンダ様が持ってた魔力と悪魔の子の魔力が拮抗してなんとか胎内でバランスを取っていたのが、アマンダ様の力が失われてバランスが崩れたんですね。」
「じょっど……。ごれ……。がっがっ。どうなっぢゃうの!?」
「このままだとあと30秒くらいで死ぬんじゃないですか?」
「じょっど!!」
「大丈夫です、その為のアンナ様が……。あっ!」
ふとアンナ様であったはずの即身仏を見ると、力を失われたそれは、首がポロっととれてそこらに転がっていた。
「あ、先にアンナ様が身まかられましたね。ご臨終です。儚い命でしたね。」
「じょっど! ぞじだらわだじ……。」
「あー。何か嫌な予感がしていたんですが、これを忘れていました。魔王を倒す前にパーフェクト・ヒールでアマンダ様を浄化するのを忘れてました。
いやーまいったなー。」
そういえば直前までそんなこと考えていたんだけど、戦闘始まってからいろいろあってすっかり忘れちゃってたんだよね。
まあ、魔王の死の最後ギリギリまで最大火力であるアマンダ様の魔術は残しておきたかったから半ば確信犯的だったと言えなくもない。まさか倒したかと思って安心したところを……なんて展開が一番最悪だからね。
「ぶざげるなっ! ぶざげるなっ! ぶざげるなっ!」
何やらアマンダ様が叫びつつ、ぐずぐずと崩れてゆく。
「騙じだなあーっ!」アマンダ様のいまわの際の最後の絶叫がそれだった。
心に響く、いい遺言です。
それにしてもまったく心外だね。僕は騙したんじゃありません。ただ肝心なことをいくつか、あなたに伝えなかっただけです。
他に足りない情報はないかと、あなたが自分で考えなかったのが悪いのです。
僕はもちろん、聞かれれば答えるつもりだったんですから。
ドロドロに溶けた腐った水のような塊の中、「キィ、キィ」と泣く小さな肉片のようなものがあった。
僕はそれに近づき、ぐちゃっと足で踏みつぶした。
生まれたばかりの悪魔はこちらの世界での肉体の力は弱く、こうして踏みつぶすだけで簡単に殺すことができる、このあたりは『鑑定』さんと何度も打合せして頭に叩き込んできた戦闘要綱の一つだ。
つまり僕は、この可能性についても何度も頭の中でシミュレーションしていたってわけだ。ごめんね、アマンダ様。
僕は念のため、ランタン油を肉塊の上にまぶし、マッチで火をつけてやる。まあ、たいして効果もないんだろうけれど、これはちょっとしたおまじない。
「アニス?」
ここまでの急展開にびっくりとなったアニスが、またぴょこっと飛び上がる。
「次は君の奴隷紋だ。もうすぐ国軍の一番隊が戦闘結果の確認に来るだろうから、それまでに君の奴隷紋を解除する。」
「でもっ!」アニスは嫌がる素振りを示す。
「君がその奴隷紋を、酷い形で別れることになった僕との間に残った最後の絆として、特別大事に思っていたことは知ってたよ。僕との婚約を破棄したことを後悔していることも、僕は知っていた。
でももう、そんな奴隷紋にすがらなくてもいいんだ。
アニス、別に僕は君を嫌ったりなんかしていない。まあ、もう恋人ではないと思っているけど、ここまで苦楽を共にした仲間だと思っている。だから、奴隷紋なんかなくても、僕たちは今まで通り、仲良くやっていけるさ。」
「ほんとう?」アニスがびくびくしながらも、そう聞いてくる。
「頼むよアニス。僕が君の胸に奴隷紋を刻んだなんてことが知れたら、おじさん、おばさんになんて言えばいいんだよ。後であいさつに行くとき、僕は二人になんて言えばいいんだよ。
頼むよアニス。そんなみっともないもの、消させてくれよ。」
「そっか。それはそうよね。分かったわ。」
アニスは何やら納得した様子で、胸元をはだけて奴隷紋を見せてくる。
この、年頃の女の子が恋人でもない相手に肌をほいほい見せるの、なんとかならないのかね?
なまじアニスの心がわかるだけに、かえって辛いというか。
まあ仕方がない。
僕は紋を解除する操作をすると、あれほど禍々しくも食い込むように彼女の柔肌の上にのたうっていた紋が、何事もなかったようにあっさりと消えた。
なぜだかしんみりとした様子のアニスが、ほろりと一つ、涙をこぼした。
「さあ、これで君は自由だ。今なら奴隷の縛りがないから、約束通り僕を殺せるよ? どうする?」
「約束?」アニスがきょとんとなる。
「ほら、約束しただろう? 僕が君のお腹の中の赤ちゃんの命を摘んだ時、殺すなら魔王を倒した後にしろって。
あの時君が僕に向けた殺意は本物だったよ。だからアニス、今君には僕を殺す権利があるんだよ。」
「そんなこと、忘れちゃったわ。」アニスはけらけら笑った。
知ってた。鳥頭の君が3日と立たずにあの殺意を忘れてしまったこと、僕は知ってた。でももしかしたら君は本当は心の奥底で……。そんな期待があって聞いてみたけれど、やっぱり本当に覚えていないんだね。
まったく、『鑑定』さんは何万年も前の事から全部覚えているのに、人間の脳みそは便利に出来てるね。
さて困った、僕を殺してくれるアマンダ様もアニスもいなくなってしまった。
まあ、これも想定していたことだけれど、いざ迎えてみると寂しいものだ。
僕は自分が一番のクズだと思ったから、誰かに恨まれて死にたかったのに。
僕はポケットの中に忍ばせていた毒薬のビンを取り出し、口にあおった。
いよいよ店じまいとなると、なんだか寂しいものですね。
もうちょっと続きます。




