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Stern Baum ~ Fake ~

作者: kohaku

Stern Baum ~フェイク~

       AquaNightOnline 編




背の高い男が部屋を出て行った後暫くして、左手を固定していた電子ロックが外された。

少女はひりひりと痛む手関節をさすり、小さくため息をつく。


「さて、どうしようか…」


一通り部屋を見渡すと、やはり窓など逃げられそうな場所はなく、唯一のドアは彼女の力ではビクともしない、叩いても音は吸収されるだけ。

ここがどこかは分からないが、外部に音が漏れる事はなさそうだ。


男が淹れた、冷めた珈琲を排水溝に流し、空いたコップに水を入れて飲み干した。そして、ベッドサイドのテーブルに置かれたクッキーを手に取り一口サイズに砕いた後、口にすることなくそれをサイドテーブルに戻した。


「とにかくここから、逃げださなきゃ―――」


彼女が研究していたカチューシャ型のBrain- Augmented Reality machine Interface…通称BARMIバームを装着し、指定されたソレを起動する。


「BARME Program、link on―――

VR機能追加、AquaNightOnline(アクア ナイト オンライン)―――ゲームスタート」





Stern Baum ~フェイク~






日本/聖倭大学構内 カフェテラス


右手で握った珈琲カップを口に含みながら、差し出されたノートパソコンに映し出された世界を見て、驚愕する。


「これを、貴方が一人で?」


目の前に座り、ニコニコと微笑む部下に、少女は驚きの声を上げた。


「はい。先生の研究されているARデバイスで、流行りのVRゲームが行えないかと思いまして―――」

「へぇ……VR(仮想現実)世界ね―――」


画面に映し出されていたのは、寒色系の色で統一された美しい世界。

先生…と呼ばれるには若すぎる少女はパソコンを操作し、そのプログラミング確認する。

プログラミングは専門外だが、細部まで創り込まれたその世界は、彼女の研究を加速させるには十分だった。


「ゲームが脳…いえ、心に及ぼす影響は既に研究されているとおりですが、現実世界では体験できない様々なパターンにおける脳波のデータ収集を行うには、VRゲームは最適だと考えました。」

「有難う、雪原さん。とても興味深いわ!是非このデータをお借りしたいです」


好奇心に満ちた瞳で画面を見つめる少女に、雪原と呼ばれた男はニンマリと口元を綻ばせた。


「勿論です、是非研究にお役立て下さい!!これは先生の為に創った世界なのですから―――。」




Case:1 チュートリアル


それは、フィールドの殆どを海中が占めているという美しい世界だ。プレイヤーはアイテムやスキルを駆使しながら、エアライフ(空気がなくなるまでの時間)水中で稼働する事が出来る。勿論、各所にエアスポット(安全エリア)が設けられており、安全エリア圏内の街には宿屋や鍛冶屋、魔法具店などもあり、プレイヤーは敵がドロップするアイテムの他、ジル(お金)で武器や防具を購入する事も可能だ。


基本は様々な種類の剣を持ちいての戦闘だが、魔法具(アイテム)を消費する事により一時的に魔法が使用できる。


エアライフがなくなったあと、一定時間水中エリアにいる事、若しくはHPゲージがゼロになった時点でゲームオーバーとみなされログアウトされる。

再ログインは可能だが、現実時間で24時間の再ログインができない他、持っていたスキルやアイテム等はすべて失われ、エアライフ時間が通常スタート時の8割しかないという、実質マイナススタートとなるデスペナルティがある。そして、ゲームオーバーしたプレイヤーが持っていたアイテムは倒した敵、もしくはプレイヤーのストレージに移される。

(死因が対人・対物でない場合は、一定時間内は付近に四散され、敵・味方 誰でも取得可能となる)


ラスボスを倒すという分かりやすいストーリーと、コンバートが行えず誰もが平等なスタートとなる設定である事、様々なアシストが受けられる事、また、レベル制を廃したスキル制で初心者でも扱いやすく、水をモチーフにした美しい世界観と、人魚の様に海底を散策できる不思議な感覚が話題を呼び、戦闘系VRMMOには珍しく女性プレイヤーの指示を集めていた。


中国の五行相剋説(火>金>木>土>水>火)が元となっており ゲーム開始時にプレイやーは“火・水・木・金・土”の何れかのエレメントに属する。


それぞれに特製があり、火、木、金、土エレメントは任意選択が出来るが、水のみはランダムを選択し、うち1割の確率で得る事が出来る希少性の高いエレメントだ。よって、アクアナイト・オンライン内で水のエレメントを持つプレイヤーは数名しかいないとされている。


街など安全地帯以外のフィールド内ではPK(プレイヤーキル)が可能だが、同属性同士ではPKがシステム上行えず、また、火エレメントを持つプレイヤーはプレイヤー同士のPKに関与されないシステム特性がある。

よって、ビギナーや女性・子供のプレイヤーが火エレメントを選択する傾向にあり、このゲームのプレイヤーの約半数は火エレメントを選択している。


また、ギルド制がなく、代わりに二人一組で動くバディ制を採用している。

バディ間と特殊レアアイテムの保持者のみ、直接触れる事でエアライフの受け渡しが可能なのだ。エアライフの譲渡は互いのエアライフが均等量になるように与えられる。よって、与えた方もまた、危険を伴う行為となり、注意が必要である。



(フレア):赤色系統の髪色を持つ。他エレメントからの剣や魔法によるPKが無効化される。一方、他エレメントに対する剣や魔法によるPKが行えない。


(クリューソス):金色系統の髪色を持つ。他エレメントに比べ、初期設定の防御力が2割高いが、初期設定の俊敏性が2割低い。


(バウム): 緑色系統の髪色を持つ。他エレメントに比べ、初期設定の俊敏性が2割高いが、初期設定の防御力が2割低い。


(ラント): 黒~灰色系統の髪色を持つ。エネミーの6割が水エレメントであるため、五行相剋効果によりエネミーとの戦闘を有利に進められる可能性がある。他に比べて初期設定のエアライフ値が2割低い。


(アクア):青色系統の髪色を持つ。他にくらべて初期設定のエアライフ値が5割高いが、任意選択が不可能。






Case:2 アクア 


五感がゲームに移行し視界を取り戻すとそこはアバター選択画面―――

ではなく、空と海が青く繋がる美しい空中にいた。


「は?」


思わずわが目を疑う。海がモチーフのゲームなのだから、当然空を飛ぶ機能(翼)等は存在しない。

セナは、徐々に身体に圧し掛かっていく重力を感じた。


(ログインしてすぐ死ぬとか、ありえないでしょ?!)


彼女の体は、徐々に加速度を増しながら落ちていく。


(何か、使えるものは…)


慌ててステータス画面を呼び出すと、初期装備の剣と盾があった。

防御と切る初期スキルは備わっているらしい。

それを両手に装備し溜めに入ると、水面に叩きつけられる瞬間、初期装備のスキルを発動させた。




ザバン!!!



穏やかだった水面に、大きな水しぶきが上がる。耐久値を超えた剣と盾は粉々に砕け散り、ポリゴンの欠片となってあっけなく消えてしまった。

セナの体は水の深くまで沈み込む。

視界の端にあるHPゲージは黄色(注意域)になり、その下のエアライフゲージがゆっくりと減り始めた。


(とりあえず、即死は防げたか…)


周囲を見渡すと、キラキラと宝石のように輝く水面と、ゆらゆら揺れる光が海中を照らし、小魚が気泡を求めるかのように集まってきた。もっと深くには海藻や岩が映り、スキューバダイビングでもしているかのようだった。

通常なら呼吸なしでは数分と持たないが、水の中でも呼吸が出来るようだ。

このエフェクトの美しさが、老若男女を問わぬ多くのプレイヤーを虜にしているのだろうか。


セナは水面に向って泳ぎ出すがなかなか水面にたどり着けない。

そうしているうちに、額に青い石を持つ大きな魚の影を見た。


(これ、アメリカ映画でよく見るシーンだ……)


数体の獰猛な牙と鋭い眼光がセナをロックオンし、周囲を旋回する。


(剣も盾も砕けた…初期装備は他にない。こんなに早く積むなんて)


一体のサメ型エネミーが、その大きな口を開け、セナに向って飛びかかってくる。



一体の直進攻撃は体を翻して辛うじて避けたが、そのサメ型の群れは上下左右から襲い掛かる。


(なんとか、しなきゃ―――。死因が“サメの餌”になってしまう )


突進攻撃をひらりと避け、敵の鼻先に拳を振った。

殴られたサメは大きく顔を振って離れる。


(サメは、鼻先を殴れ―――って、当たっていたのね)


だが、サメ型エネミーのHPゲージは全く減っていない。

攻撃を避けて鼻先を叩くことで時間は稼げても、これでは敵を倒すことができない。

それどころか、彼女のエアライフゲージは半分を切っていた。

水面に向って泳ごうにも、サメ達の攻撃は治まらない。水面に向かうにつれ、サメ達の攻撃が激しさを増す。

手足に、避け切れずに掠った傷が増え、HPゲージが減少する。


エアライフゲージが1/4を切る。水面まで間に合わない―――



(助けてッッッ!!!)








パリン!!!


サメ達が、次々にポリゴンの欠片となって四散する。


(何?)


セナをロックオンしていたエネミーの視線が、後方に向き、攻撃態勢に入るが、鼻先が届く間もなく破片となって砕けた。


(誰か…いる?)


視界の隅を見ると、エアライフゲージがレッドゾーンになっていた。

慌てて水面に鍛冶を切るが、体が重くなり、思うように動けない。ゲージが点滅を始める。


(ゼロ…?)


全身が重くて体が動かせない。瞼も重く、瞳を開ける事すらできなかった。


霞がかかる思考の中、遠くで声だけがうっすらと、聞こえる。

唇に、何か温かいものが触れ、体が浮上しているのが分かった。



何かに、優しく包まれる…



ふと気がつくと、先程まで全身を纏っていた身体の重さがなくなり、瞼を押さえつける倦怠感も外れていた。

目を開けると、碧い髪の男性が視界に移る。

男の腕が、セナの体をすっぽりと包み込んでいる。どうやら、陸地まで引き上げたくれたようだ。


「生きているか?」

「……はい」


訪ねる男に、セナは短く返事をした。


「お前その恰好、初期装備だろう?ビギナーがどうして大海(こんなところ)にいるんだ?」

「大海?」

「そうだ、ここは俺達上級者クラスが狩場にしている危険地帯だ?幾らアクアだからって初期装備で…」


セナはステータス画面を可視化し、文句を並べる碧い髪の男にプレイ時間を見せた。


「プレイ時間、15分?」

「始まりの街がサメの巣だなんて、とんだご挨拶なゲームね…ログイン数秒で死ぬところだったわ」


そういうと、男の腕を振り払って立ち上がり、ずぶ濡れの服を叩いた。

呆気にとられる男に小さく礼をするセナ。


「ありがとう、助かりました…碧い人」


男は少し、驚いた表情を見せる。


「碧い人って…俺にも名前が―――。それより、お礼がそれだけじゃ足りねぇな」

「?」

「エアライフゲージの受け渡しはバディ間か、このレアアイテム『空の指輪』がないとできないんだぜ?バディを組んでいないお前に深海でエアライフを譲れるのは、このゲームのなかでは俺くらいだ!」

「……そうなの?」


胸を張って威張る男は、セナの予想外の反応に滑り落ちる。


「そうなのって、ゲーム始める前にチュートリアル受けただろうが!!」

「いや、ゲームスタートして目覚めたら空の上で、数秒後には深海の中だったから」

「はぁ・・・・・・。」


ステータス画面を開いて自らの容姿やエレメント、ゲームの概要などを確認し出すセナを男はまじまじと見渡した。


にわかに信じがたいが、目の前の少女は嘘をついているようにも見えなかった。

相当訳アリの、危ない存在だと第六感が告げる。


・・・この女に関わるな、と。


ニヤリと笑みを浮かべる男は、ステータス画面を操作するセナの手を握り、自らに引き寄せた。

体勢を崩し、男の胸に抱き寄せられるセナ。

両手で男の腕をはがし、離れようと頑張る姿が、男にはいじらしかった。


「離して変態!」


「命の恩人に対してご挨拶だな?!お前が訳ありなのはよぉく分った。面白い!だから女、俺がバディを組んでやる!」


アクアナイトオンラインのゲームシステム上、エアライフゲージが他エレメントプレイヤーより多い水属性(アクア)は喉から手が出るほど重宝される。しかも、自分は単独でこの深海を散策できるほどのスキルを持った上級プレイヤーだ。

目前の少女も、この提案なら受け入れるだろうと、男は確信していた。


だが、程なくその期待は音を立てて崩れ去る。


「要らない」

「どうしてだ?!」


情けない声が、男の喉から零れる。


「そもそも貴方に私をバディにする理由がない。一方的で不平等な関係ほど危険なものはないわ」

「いやいやいや、メリットならあるぜ!ANOでも珍しいアクアの美少女を連れて歩くだけでも、他の男達が振り向いていくだろう?立派なメリットだ」

「トロフィーワイフ?趣味悪い」

「お前、可愛い顔してえげつない言葉知ってるな……」


男は口元を引きつらせた。


(思っていたより手ごわい。今まで、アクア(希少性が高く)でプレイヤーレベルも高い俺の誘いを断った女なんていなかったぞ?!)


状況に反して、男の胸が躍る。

どうやって目の前の美少女を落とそうかと、狩猟本能が掻き立てられた。


「俺はpirate king、呼び方はお前の好きに呼べばいい!お前、名前は?」


セナは男を無視して陸地を歩き出す。

彼の言うように、初期装備では何ともできない。とにかく町へ向かって装備を調えるのが先決だった。


「こら!無視すんじゃねぇよ、キスした仲じゃねぇか」

「キス?」


足を止めて振り向くセナ。


「ああ、エアライフの受け渡しにはバディでもアイテムでも相手に触れなきゃ成らねぇからな。目の前にお前のような美少女が漂っていたら、そりゃ男なら誰だって―――」



バチン!



男の右頬が赤く染まる。セナが平手打ちをしたのだ。

その眼は微かに涙が滲んで見える。


はっと我に返り、顔をしかめるセナ。


「…ごめんなさい、助けてもらったのに大人げない事をした。とにかくもう、私に関わらないで」


くるりと振り向き、そのまま街へと消えていった。

男は突然に叩かれた右頬を押さえて、不敵な笑みを浮かべる。



「こりゃ、惚れるわ」




Case:3 海賊王(pirate king)


ステータス画面から“始まりの街”らしきものを探すセナ。

だが、それはセナのいる現在地から遥か南に位置していた。


「大変なところに飛ばされちゃったわけね…」


(システムのバグか、あるいは雪原の意図したものか)


歩きながら、先程男を叩いてしまった左手を眺めた。


「悪い事、しちゃったな…」

「そう思うなら俺を連れて行けよ、テティス」


背後から、セナの左手を覗き込むように立つ先程の碧い髪の男。


「ひやっ!!」


索敵スキルなど持ち合わせていないセナにとっては、不意を打たれた驚きだった。

びくりと全身を震わせて、目を丸くする。


「やっぱり可愛いな、お前」

「私は ”テティス(女神)”なんかじゃない」

「ほぉ、知っていたのか。喋り方がアバターに似合わず大人っぽいというか、実は年食ったおばさんだったりして」


声を上げて笑う男。

スッと、背後から男の頬に木の枝が当たる。


(いつの間に……)


 「何か用ですか?碧い人」

「碧い人はないだろう?せめて海賊王とかキング、とかさぁ」

「ついてこないでって言ったはずよ、碧いの」

「格下げされたし」


両手を上げて降参の姿勢を見せ、振り返る男は、またもやセナの動きに感心した。


「素手でサメの鼻頭ぶん殴っていたから普通じゃねぇとは思っていたが、その動き…やはりただ者じゃねぇな、お前。」

「……見ていたの? に、助けてくれなかったんだ」

「お前があのまま食われるような女だったら、助けてないな。あーいや、助けてたかなぁ、お前すげぇ美人だし!……って、あれ?」


豪快に笑いだす男。だが、ふと前を見るとセナはいなくなり、既に遠くを歩いていた。


「つれないなぁ、テティス!悪いようにはしねぇから、俺とバディ組もうぜ!」

「いやだ。私は誰ともバディは組まない。」

「じゃぁ組まなくていいから名前くらい教えろよ!」

「いやだ。付いてくるな、碧いの」

「だから俺の名前は――――」

「…好きに呼べと言ったくせに」


(それ(碧いの)、って名詞になっちまってたんだ…)


「pirate kingとか、カッコ悪くて呼べない。略奪者で侵害者で、剽窃(ひょうせつ)者よ?傍に居たくもない」


(あはは…意外に言葉を知ってるんだな)


「…ったく、仕方ないなぁ」

「はい?」


辞書を引いたような彼女の台詞に苦笑いを浮かべた後、男は頭を掻きながら、ため息を見せた。


「じゃぁせめて、“アオイ”と呼べ」

「・・・・・・あおい?」


今まで無視を貫いていたセナが、不意に男に視線を合わせた。


発音を確認するかのように復唱し、名を呼ぶ彼女に、ドキッと胸が打つ。

それを隠すかのように、男はセナから視線を逸らせた。


「———……」

「…やっぱり、“碧いの”でいい」

「“の”は要らない~!!!」




結局、“アオイ”と呼ばれる事になった碧髪の男は、セナと行動を共にする事となった。

といっても、同行を許可したわけではなく、同行する事を拒否されなくなったと言った方が正しい。

町へ向かう途中、素手や付近に落ちている枝木、拳サイズの石等を武器に、現れる敵を倒しては、避けていくセナの戦闘センスに、終始呆気ととられるアオイ。


「お前、本当にこのゲームの初心者か?いやでも、他のVRMMOはやり込んでいるだろう?」

「…………。」

「お前さぁ、———」

「フレンド登録していない人には、メッセージは飛ばせないの?」


セナから初めて声がかかった。


「えっ?あ、ああ、基本はそうだ。GMからの案内なんかのメッセージは来るけどな」

「そうなると、やはり関係者と連絡を取るのは難しいか……(ここのGMには関わりたくないし)」

「テティスのANOでの目的は、グラフィック鑑賞じゃねぇんだろ?だったら深海にいる海の王を倒す事だよな?手っ取り早くスキル集めたいなら―――」

「アオイ」


セナは立ち止まる。


「おっ!やっと名前よんでくれ……」

 「私には時間がない、RPGゲームを楽しむためのパーティが欲しいなら他を当たってほしい。」

「どういうことだ?」

「……信じるか否かはアオイの勝手だけど、リアルの私には1週間程しか時間がない。その間に海の王とやらを倒すか、何か生き残る方法を探さなければいけない。

正当な方法でゲームクリアしようなんて初めから思っていない。システムの抜け道を探りながら、必要となれば際どい事も、ルール違反もなんだってやる」


可愛らしい見た目にそぐわぬ冷たい瞳が、彼女の本気度をにじませた。

中学生かそこらの少女から、人すらも殺すと言わんばかりの気迫を感じ、アオイは思わず足を下げる。


「アオイが私に同行するというなら、武器もスキルもライフさへも私に奪いつくされる覚悟でいて。私は貴方を、道具としか見ないから」

「最高の殺し文句じゃねぇか?シビレるねぇ!」


セナは小さくため息をつき、振り向いて再び街へと歩き始めた。


「“海賊王”は周りのプレイヤーが俺に付けた通り名だ。俺は善良なプレイヤーを騙しもするし殺しもする。そして、有り金もアイテムも奪って強くなった。まぁ、要するに普通のプレイヤーじゃないって事だ」


「……。」


セナは足を止めず、無言のまま先を行く。

その背後を追い抜き、アオイは彼女の前で立て膝をついた。

そして彼女の右手を取って、その手背にキスを落とした。


「――――――……何の真似?」

「惚れたぜ!丁度刺激が欲しかったんだ。訳あり女神に俺の命を預けるぜ」

「……忠告はした、じゃあ早速使わせてもらいます。」


そういうと、セナはステータス画面を操作しアオイにフレンド登録の申請を送りつける。

「嫌なら拒否して」とキャンセルに伸ばすセナの手を遮り、慌ててOKを選択した。


「先ずは武器を1本欲しい。出来れば軽い剣で。次に、それなりの武器が揃う街に最短ルートで案内してほしい。スキル上げと戦闘慣れをしたいからアイテムを使わずに。3つ目は案内と同時に街に着くまでに、ANOのシステムや概要について知っている事をすべて話してほしい。」

「いきなり酷使するなぁ~」

「嫌ならいつでも離れていい」

「嫌とは言ってねぇぜ?」


慌てて両手をふるアオイ。


「街に付いたら次のお願いをする。その時は、便宜上私の事も幾つか話をしようと思う」

「お願い?そうか…お願いかぁ」

「なに?」


怪訝そうに眉をひそめるセナに、アオイは心の中で笑みを浮かべた。


(自然に出るものなのか、あえて選択して使用しているのか、言葉のチョイスが大人びてはいるが、”命令”ではなく”お願い”と来たか―――)


「いや、俺のテティスのお心のままに」


そういって、アオイはアイテムストレージから彼女に合いそうな剣を幾つかチョイスし、可視化して見せた。


「一つ目は、素人でも扱いやすい、反りの入った片刃の刀剣のセイバー。オランダ語でいうサーベルってやつだ。二つ目は両手剣の短刀、間合いは短いがサメを拳で殴るテティスの動きを見ていればありだと思った。三つめは刃渡り75㎝の太刀、日本刀と言われる奴だ。素人が扱うには少し技術が必要かな」


セナは迷うことなく日本刀を受け取る。


「へぇ、それを選ぶか」


(一番選びそうにないものを選ぶところがそそるねぇ)


「それじゃぁ、ついて来いよ!———あぁ、疲れたら、いつでも抱いてやるぜ?」


へらへらと冗談を続けるアオイを無視し、セナは無言で彼の後に続いた。




Case:4 死の海


(もっと早く、ねを上げると思ったが…やはり只者じゃねぇな)


街に向い、フィールドのほとんどを海が占めるANO内では珍しい森のダンジョンを縦断するアオイとセナ。

土と木を属性とするエネミーが9割を占めるため、水属性の彼らには属性による付加ダメージを与えにくく、受けやすいという、戦い難いフィールドとなる。転移結晶を使わず最短ルートを指定されたため、素人にはやや厳しいと思われた森を抜ける道を選び、且つ足早にフィールドを駆けぬけているのだが、後方を付いてくるセナは途中で道を塞ぐモンスターさへも諸共せずに後ろを付いてくる。


一番使い勝手の悪いと思っていた日本刀を扱う姿は、戦場の女神と呼んでも過言ないほどに美しく、舞っているかのようだった。


ただ敵を倒しながらフィールドを駆けぬけるだけではない、このANOについて本来すべてのプライヤーにあるはずのチュートリアルを受けていないというのだから、その概要と、この世界の仕組みについてアオイが知っている事をほとんど話した。

所々で質問が帰ってくることから、話を聞きながら戦闘をしている事がわかる。


会話に意識を向け、戦闘を片手間で行っているという事か。

アオイはセナに悟られぬよう苦笑いを浮かべた。


「以上がANOの概要だ、これだけ知ってりゃ困ることはないと思うぜ」

「ありがとう、とても分かりやすい説明だった」


目前の敵を一撃で倒したセナは小さく礼を返した。



森を抜けると、そこから海路で”目的地”を目指した。


このANOはフィールドのほとんどが海の為、海路を渡るのが一般的だが、VRMMOの醍醐味というべきか、船の揺れも忠実に再現されていた。


「~~~ううっ」


デッキにもたれかかり口元を抑えるセナ。


「―――……大丈夫か?テティス」

「大丈夫―――まさか、ゲームで船酔いするとは思ってなかったから」


支えようとするアオイの腕を押しのけて手を伸ばすセナ。

だが、言っている傍から再び胃の内容物が湧き上がるような不快感が、セナを襲う。


「気持ち……悪い」

「―――ったく。素直に甘えとく方が可愛いぜ?」


小さなため息の後、青い顔で涙目を浮かべるセナの頭を、すっぽりと覆う様に抱き寄せた。

離してと腕を伸ばすセナの背中を、優しく摩るアオイ。

初めは抵抗していたセナだが、湧き上がる不快感に耐え切れず、アオイに身体を預けた。


「―――……」


目的地に近づくにつれ、辺りは深い霧に覆われ周りが見えなくなる。

怪しくなる雲行きに目を細め、大人しくハグされる彼女に問いかけた。


「テティスは、運は良い方か?」


突然の問いかけに、顔を挙げるセナ。

涙目で上目遣いを見せる彼女に、不謹慎な感情が過るアオイは思わず視線を逸らせた。


「―――……運が良かったら、私、こんなところに居ないわ」

「……そうなのか?」


アオイの身体を離し周囲を見渡すと、同乗していたプレイヤー達が口々に騒めき出していた。


「何―――?」

「ああ、映画とかでよくある難破船の前触れ――――――」

「へっ?」


間の抜けた声を出すセナに、アオイはニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「おい!あれを見ろ!!」


途端に船尾の方が騒がしくなる。

嘔気を抑えながら、セナとアオイも船尾に駆けつけた。

人だかりの向こうには、海面から大きな8本の触手がうねり出ていた。


「何あれ!」

「ははっ、出たな――――」


肩をすくめるアオイを、睨むセナ。どうやら彼は、この状況を予想していたらしい。

騒めくプレイヤーの一人が叫んだ。


「モンスターだ!全員戦闘準備!バディとエアライフ値を確認しろ!」


「船って安全な乗り物じゃないの?!」

「まさか?ここは”死の海”と呼ばれる、大ボス”海の王”の直接支配下なんだ。霧の都に近づく船はほぼ半分の確率でモンスターと遭遇する上級者用のフィールドだぜ?

テティスは下がっていな?もし船が難破したら全速力で陸地に向って逃げるんだ!」


「アオイ?!」


波が高ぶり、大きく船が傾く。真っすぐ立っている事が困難となったセナは、近くの柵にしがみついた。


「今回の敵は水エレメントか…さて、彼等はどう倒すんだろうな」


他人事のようにニンマリと口元を綻ばせるアオイを、口元を覆いながら横目で睨んだ。


「ラントは前に出ろ!!」

「皆で一斉に叩くぞ!!」


プレイヤー達が声を掛けあうと、黒い髪の男達が先頭に立ち、剣をふるう。

だが、8本の触手は自在にその動きを変え、剣を避けてしまう。


「あの腕、別々に動くのかよ」

「まるで、蛸じゃねぇか!!」


後方から、弓を持つプレイヤーが遠距離攻撃を行い、その隣から魔法石による魔法攻撃が次々に飛ぶ。ダメージは確実に与えられているが、それぞれの触手が、硬い船を叩きつけ、船は大きく傾いた。


「きゃぁぁぁぁ!!!」


柵にしがみつくセナを支える様に、アオイが腕に抱き抱えた。


「―――このままじゃ、船、沈んじゃう?!」

「だろうな―――」

「何を落ち着いているの?!アオイはあのモンスターを倒せないの?」

「ははっ、俺を誰だと思ってんだ―――。余裕だろ?だけど、モンスターを倒すより、涙目で叫ぶテティスを見ている方が楽しいな―――」

「ふざけてないで、さっさとアイツ、倒してきて!!」

「嫌だね―――」


森の中では涼しい顔をして、初心者とは思えない身のこなしでモンスターを倒していたというのに。

今の彼女はとてつもなく可愛い。

それは、アオイの心をくすぐらせた。


このままでは、大勢のプレイヤー諸共船が沈んでしまう。

ゲームオーバーとなって、デスペナルティを受けている時間は、ないというのに。


「蛸は、脊椎動物のように神経系が中央集権化されてない」

「ん?」


口元を抑えながらアオイを睨みつけると、セナは船尾で戦うプレイヤー達に向って叫んだ。


「聴いて!蛸の神経細胞の3分の2は体や腕の中に分散している!脳からのインプットがなくても腕そのものが意思決定できて、神経のリングで脳を経由することなく情報交換することができる!」


「白藍色の…髪。アクアか?!」


後方で叫ぶセナに、息を荒らすプレイヤー達が振り向いた。


「敵は海中の本体を合わせて9体いると思えばいい!こちらもタイミングを合わせて同時攻撃しないと船が沈んでしまう!」


「8本がそれぞれの意思を持って動く…?!」

「よし、全員で別々の腕を狙うぞ!」

「了解!」


彼女の言葉に、別々に攻撃を行っていたプレイヤーが互いに息を合わせて攻撃を始めた。


「―――へぇ」


彼女の知識は勿論だが、まさか人を動かすとは思っても見なかった。

その意外な行動に、感心するアオイ。そんな彼の腕を、掴むセナ。


「ん?」

「―――……アオイは、アイツを倒せるんでしょ?どうしたら……動いてくれるの?」


(私には―――死に戻っている時間はない……)


じっと、アオイの瞳を見つめるセナに、ニンマリと嗤う。


「そうだな―――テティスが可愛くキスをして、お願い……」


アオイが言い終わらぬうちに、彼の頬に唇を寄せた。

呆気となるアオイに、セナはフイと視線を逸らせる。


「―――お願い、アオイ。アイツを倒して―――」

「―――……ハハッ!(こんな可愛い“お願い”をされて、断れるわけないよな)」


セナを柵に捕まらせたまま、揺れる船の上で立ち上がるアオイ。


「いいぜ―――。俺のテティス(女神)の心のままに……」


そう言うと、アオイは前方へ走り出す。

襲い掛かってくる触手をひらりと交わし、その腕に飛び乗った。

別の腕が、アオイを振りほどこうと襲い掛かる。


「アクア・・・・?!」

「いや―――あいつは……」

「海賊王!」


口々に叫ぶプレイヤー達の言葉を、耳にするセナ。


「―――よし、海賊王に続け!」

「同時に腕を狙え!一気に畳みかけるぞ?!」


プレイヤー達が腕をめがけて剣や魔法を叩きつけた。

反対側では別プレイヤーが同時に腕を押さえつける。


プレイヤーがそれぞれ分担して腕を抑え込む隙に、長剣を肩に担いだアオイは腕を根元から次々に切り落としていった。切り落とされた腕が次々に青い欠片となって空を舞う。


(本体は、海の中か―――)


沈むモンスターを追いかけ、アオイは海へと潜った。


「アオイ?!」


セナは柵に乗り出し、海の中を覗き込んだ。


「危ない嬢ちゃん!」

「君まで落ちてしまう!!」


「―――……」


心配気に、アオイの消えた水面を見つめるセナを、止めるプレイヤー達。


「大丈夫だ、海賊王はアクアだから…俺達よりもずっと、水中戦に強い」

「―――……アオイ」




気泡で海中の視界が一瞬遮られる。

そこには、海上の嵐が嘘のような、静かで美しい世界が広がっていた。

水面が淡い光を反射し、キラキラと輝く。

うっすらと蒼く光る世界は、水族館で見る海中よりもずっと神秘的で綺麗だ。


辺りを見渡すと、真下に腕を失った巨大蛸がこちらを睨んでいた。

と、周囲に墨が漂い、海面からの視界を遮り真っ暗となる。



(……煙幕か―――)


ゴボゴボと、気泡の漂う音だけが聞こえる。

落ち着いた様子のアオイは索敵スキルを発動させ、周囲に神経を尖らせた。


(どこからくる…ヤツは、どこから―――)


ふと、後方から水の流れる気配を感じる。


(そこか……)


アオイは後方に向って、剣を振るう。

黒い視界に、赤く輝くポリゴンのラインが浮かび上がる。そして、

パリン…という涼し気なエフェクトと共に大蛸型のモンスターは四散した。



大蛸のモンスターが消えたのを確認し、アオイは海面に顔をだす。上では、柵に捕まり不安げに海を見下ろすセナがいた。

上から投げ下ろされたロープ付きの浮き輪に捕まり引き上げられると、戸惑いがちに視線を送り合う他プレイヤーに背中を向け、アオイは船内へと入っていった。


「―――……アオイ?」


不思議そうに、その背中を見送るセナの肩を、一人のプレイヤーが止める。


「嬢ちゃん―――悪い事は言わねぇから、海賊王には関わらない方が良い」

「―――……どうして?」


首をかしげて問い返すセナ。


「今回は、虫の居どこが良かったのか助けてくれたが―――あいつはプレイヤーキルもいとわないレッドプレイヤーだ」

「残忍非道、極悪上等―――ついたあだ名が“海賊王”ってなわけよ」

「―――……」


そう言えば、彼と会った初めの頃…本人からも聴かされていた。


(そんなふうには―――見えないけれど)


穏やかな海風に煽られて、先程までセナを苦しめた吐気は、いつの間にか消えていた。

前方に、ぼんやりと浮かんだ薄茶色の塔を一人のプレイヤーが指さした―――


「あれが、霧の都だ」

「あそこが…目的地」


一末の不安を抱えながら、セナは霧の都へと乗り込んだ。






Case:5 霧の都


桟橋に降り立ったセナは、きょろきょろと辺りを見渡す。

他プレイヤーが街に消えて行った後、最後に降り立ったアオイを待っていた。


「ここが、霧の都…なんだか寂しい街ね。ここから最終ダンジョンに向うって言うんだから、もっと華やかでもいいのに」


霧にむせぶ街を見ながら、ぼそりと呟いた。


「いや、最終ダンジョンに向う為の都なんて、女性達の多い始まりの街なんかと比べたら男ばかりのむさ苦しい場所と相場が決まってる―――。行くぞ?」


アオイに促され、二人は街の中へと向かった。

街の中はPKが不可能でエネミーも入ることが出来ない、言わば安全地帯であり、外から見た寂しい雰囲気とは異なり、沢山のプレイヤーやNPCが行き交い活気にあふれている。


「ここの武器や防具は耐久値が高い事で有名だからな、ついでに手に入る魔法石や結晶類の種類も豊富と来たから攻略組はこぞって集まるんだ!」


大ボス、ポセイドンの巣食う最終ダンジョンに程近く、プレイヤー救済の為の大賢者シュネーがいるとあり、攻略に向うプレイヤー達の多くはこの“霧の都”を拠点として攻略にいそしんでいるという。


自慢げに説明しながら隣を歩くアオイ。

セナは街に入った時から、こそこそと小声で話をするプレイヤー達の視線を感じていた。


「アクア(水エレメントプレイヤー)の絶対人数が少なくて珍しいから、こんなに視線を感じるのか?」


アオイは、フンと鼻を鳴らす。


「お前に向けられる視線は憐れみに満ちた慈悲の視線だろうが、俺に向けられているのはそんな可愛い物じゃない」


そういうと、周囲を一瞥する。先ほどまで視線を向けて小声で話していたプレイヤー達が、一斉に視線を逸らせて去っていった。昼間の大通りだというのに、すっかり人がいなくなる。


「言ったろ?俺は天下の大悪党の『海賊王』様だって!おおかた、初期装備の美少女を無理矢理連れて歩いている誘拐犯にでも見えているんだろうよ」


自嘲を浮かべるどころか、豪快に笑うアオイ。


「……誘拐犯ねぇ。」

セナはしばらく考えた後、ふと思いついたように柏手を打つ。


「貴方、意外に役に立ちそうね」


「どういうことだ?」

「使える男だという事よ。一通りのアイテムを手に入れたいから案内して?先ずは道具屋から」

「道具屋?武器や防具じゃなくて?」


彼女の優先順位に疑問を抱きながらも、アオイは先程までの道中の戦闘を思い返していた。


「それはそうと、土と木のエレメントを持つエネミーをよく軽々と倒せたな」

「五行相剋説の事?確かに苦戦したけど、状態変化を使えば倒せない相手じゃないわ」


(苦戦…しているように見えなかったが)


先程の船上船では可愛く震えていた物の、その他の戦闘に置いては彼女のHPは全く減っていなかった。

本当に、ビギナープレイヤーなのかと疑いたくもなる。


「状態変化って、氷・水・水蒸気ってアレか?」

「そう、“水の3態” junior high(中学)位の理科で習うヤツ。木のお化けは凍らせてから切り落とし、土グマは固体内の水分を蒸発させて強度を下げた後に切る感じ。さっきのサメと言い、ポリゴンで出来ているくせに細かい設定をプログラムされているようだから、助かったわ。GMの神経質で真面目な性格が読み取れるゲームね―――」


「…普通じゃない俺が言うのもなんだが、テティスも相当な異材だよな…。」


苦笑いを浮かべながら、小声でつぶやくアオイの言葉を、セナは聴かないふりをした。


「ついたぞ、ここが道具屋だ」

「じゃぁ私は外で待っているから、これ、買ってきて?」


そういうと、メッセージに幾つかの道具が記されていた。


「逃げないだろうな?」

「心配ならそこの木にでも括り付けておく?」

「……いや、連れていく」


そういうと、彼女を片腕で抱き上げた。


「っわ!!」


くっつくなと、両手で話そうと暴れてみるが、アオイの腕はビクともしない。街中では刀で攻撃する事も出来ない。


アオイが店に入ると、店内にいたプレイヤー達はその姿を見るなり視線を逸らせて下を向き、店の隅に逃げていく。


(よっぽど名の知れた悪党なのね、この人…)


セナの冷たい視線や、プレイヤー達の態度は気にもせず、アオイは指定された道具をBOXに入れていく。


「ポーション類と無限水筒に…首輪に腕輪に鎖……。鎖ぃ?!」


ぶつぶつと独り言をつぶやきながら購入をしていたアオイが声を出す。


「可愛いのにしてね?」

「……何に使うんだ、こんなもの」


「アオイをもっと悪役らしくしてあげる」

「はぁ?」




買い物を終えた二人は店を出た。

アオイは購入物品をセナに送る。


「ありがとう、えっと…ジル(お金)は―――」

「要らねぇよ。俺はお前の足で財布だと言ったろ?」

「……そう、じゃぁ遠慮なく」


OKを選択し全てを受け取ると、セナは鎖の端を購入した首輪と結合して、首輪を自分に装備した。

もう半分の鎖は腕輪と結合させ、アオイの左手を握ると、その掌に置いた。


「なんだこれ?」


手を握られた事にドキッとしながらも、渡された腕輪に思考が追い付かないアオイ。


「何に見える?」


首をかしげて問うセナ。


「何って……(鎖が付いた首輪をした美少女と、鎖が付いた腕輪を持った男…)まるで俺がお前に首輪をつけて使役しているみたいじゃねぇか」


「よし、そう見えたならいい」


そういうと、防具屋に案内するよう促した。


「分った。だが―――」


アオイは、渡された腕輪を乱暴に引っ張り上げる。首輪に繋がったセナの体が、アオイにひき寄せられた。


「お前の話を聞くのが先だ。約束だったよな?」


鎖を手繰り寄せ、アオイはセナの顔を強引に上向かせた。


「そうね、でも……」


首輪を両手で握り、頸動脈の圧迫を避けるセナは少し苦し気な表情を作った。


「らんぼうなこと、しないで?」

「~~~~ッッッ!!!」


妖艶なその表情に、思わず手に持っていた鎖を離すアオイ。

精巧に作り込まれた人形のような、整った彼女の容姿に吸い込まれる。


(こんな事で何を動揺しているんだ、俺!! 相手は年下だぞ!多分。)



人形のような可愛らしい見た目に反した冷静さと判断力に幅広い知識は大人だと言われても違和感なく受け入れてしまうほどだった。

周囲を見渡すと、向けられる視線がより一層冷ややかで怪しいものを見るようなソレになっていた。


「あのなぁ…俺を人攫いに仕立て上げて何するつもりだ」

「私、リアルで捕まっているの」

「はぁ?」


唐突に、想定外の言葉が返ってきたため、アオイは耳を疑った。


「部屋には食料がなく、水しか摂取できない。私が生き残る道は二つ、一つは餓死する前に犯人が指定したゲームをクリアする事。もう一つは、餓死する前にこの場所が特定され、犯人が逮捕される事。」


セナは淡々と、自分が置かれているという状況を説明する。

まるで何かのドラマか小説のような内容に、顔をしかめるアオイ。


「だったら、俺がその犯人の名前を聞いてリアルで警察に通報しようか?」

「ドラマとかで犯人役が言うお決まりのセリフ知らないの?」

「…警察に通報すれば子供の命はない―――とか言うやつか?」


彼女は小さく頷く。


「この部屋、窓がないから現在地の特定が不可能。このゲーム以外のネット接続も無理だった。警察が動いている事を知ればヤツは私をほおってはおかない。ゲームを切断するか、場所を移動させる。いずれにしろ、私が外界と連絡を取る手段が全くなくなってしまう。」


セナの言葉に、アオイは小さなため息を落とす。


「これは、彼の作ったゲーム。私を希少性の高い“アクア”にしたのは、ゲーム内で監視がしやすいからでしょう。だからと言って、何もしなければ餓死する。彼に気付かれないギリギリの行動は起こそうと思っている。だから、アオイは何も知らないフリをしていて」


まるでフェイクのような話だが、彼女の表情は硬く、嘘を言っているようにも見えない。だからと言ってそうですかと信用できるような内容でもなかった。彼女の言っている事が本当だとすれば、これは重大な犯罪であり、人の命に関わる事件だ。


彼女が淡々と話す言葉に重みがある。

ここ数年、インターネットを介した事件は多発しており、VRMMOを使った今までにない悪質で凶悪な事件も後を絶たない。美少女を捕まえる悪質な事件があっても何ら不思議はない。


「ぼ、防具はどんなのにするんだ?硬いのにすると防御力は上がるが水中だと動きづらいぞ?」


知らないふりをするために、話を逸らせるアオイ。

その不器用過ぎる対応に、クスリと小さく笑うセナ。


「スピードや回避力を上げる、軽いローブとかがいい。あと、デフォルトで可愛いの」

「可愛いの、な―――」


(やっぱり、女の子なんだな)


防具屋では、先程とは打って変わり、先行して辺りを見渡すセナ。

ピンクや水色、白と言った可愛いローブを手に取って悩んでいる姿は、年相応の少女の姿そのものだ。


「こうやってると、可愛いんだけどな」


ふと、彼女とのデート風景を想像するアオイ。


(リアルの彼女はどんな姿だろうか、このアバターの様に可愛いのだろうか。名前は何というのだろう、実年齢は…)


アオイの、セナに対する関心は膨らむばかりだった。


(惚れちまったんだから、仕方ねぇよな。彼女を守って、ゲームをクリアする―――俺が今できるのはそんな事しかない)


そんな使命感に燃えがら、彼女が装備を選ぶ様子を見守っていた。



Case:6  タイムリミット


その頃、セナの失踪を知った立夏と白木が動き出す。

幾ら携帯電話に連絡を取っても繋がらず、GPSも無効化されていた。最後に彼女を見かけたのは大学のカフェテリア…そこでは研究室の部下と二人でいるところが目撃されていた。

その部下、水原は彼女と研究の話をした後、ラボに戻って自分の仕事をしていたといい、彼の目撃情報も確認できた。だが、水原と別れた後のセナの消息はつかめておらず、誰とどこにいたのか、誰も知らなかった。


「今警察を動かして、セナの行方を追っている。暫くバームの使用は禁止だ、彼女がいないのでは、有事に対応する事が出来ないからな」


声を荒立てる白木に、立夏は厳しい表情で頷いた。心の中では心配で仕方がない、今にも叫び出してしまいそうだ。そんな立夏のインカムに、ノイズと共に着信が入る。


(なんだって、こんな時に―――いったい誰から)


通信を繋ぎ、不機嫌な声を返す立夏。


「なんだ―――俺は今、忙しい!」

『―――Polarisの光を追ってくれ…。俺が、必ず見つけ出す』

「―――お前は―――……」


目を見開く立夏は、白木にアイコンタクトを送った。



霧の都を拠点としたセナとアオイは、攻略組の船頭を切り、海の王が巣食うといわれる海底洞窟(シーラビリンス)にもぐり続けていた。


中央の塔は敵が現れるものの、エアライフを気にしなくていい地帯。

そこから広大な海を泳ぎ、各ダンジョンのボスモンスターを倒すと地下に伸びる階段へのドアが開かれ、次のダンジョンへ移れるという仕組みだ。


ダンジョンの所々にエアスポット(エアライフを回復する場所)は設けられており、そこを安全地帯(拠点)としながら進んで行ける。

また一度クリアしたダンジョンはアクティベート(ライセンス認証)する事で、転移結晶で移動する事が出来る。


テティス…彼女の名前はまだ知らない。

通常フレンド登録をすると名前が表示されるが、彼女は情報非公開にしているようで“???”が並んでいる。名前が呼べないのは不便なので便宜上テティスと呼んでいるが、当初の様な拒否は見られない。

おそらく名前が知れ渡り、このゲームのどこかにいる彼女をさらった犯人に、自らの動向が知れるのを恐れての判断だろう。


(これだけ暴れてりゃ、噂はとっくに耳に入っているだろうけどな―――)



驚くことに、最前線でボスモンスターを倒しているのはほとんど彼女だ。

ボスの弱点を見つけるのが早く、まるでAIのような正確で無駄のない動きをする。

そんな彼女の動き(と容姿)に惹かれて着いてくるプレイヤーも多く、各所のボス部屋攻略の際には、彼女の呼びかけで数十人の屈強なプレイヤー達が集まってくる。


PKを重ねていたアオイが単独で動いていた頃には、想像も出来なかった光景だと苦笑いを浮かべた。

だがセナの戦闘には難点が幾つかあった。

ひとつは頑なにバディーを組もうとしない事。アオイに関しては、レアアイテムの『空の指輪』で指先だけでも触れる事が出来れば彼女にエアライフを送ることが出来る為、ボス戦などの長期戦が予想される場合は、要所に彼の名を呼び、手を伸ばす。

自分だけに向けられる彼女の視線が、他のどの女をバディにしていた時より嬉しく、アオイにとっては心地よかった。


もう一つは、極度の人見知りだった。これはもう、コミュニケーション障害といっても過言ではない。当初と比べてだいぶ慣れてきたアオイに対しては、それなりに会話も行っていたが、いつボス攻略をしたい等という他プレイヤーへのアナウンスは全てアオイを通して行い、自分は他プレイヤーと話したがらなかった。


彼女の話が本当ならば、大人にさらわれたこの状況で、人を信じられないというのも頷ける。だが、彼女の戦闘スタイルからは他人に頼ろうという気配が感じられず、今までずっとソロプレイヤーだろうなと安易に想像が出来た。


戦闘中は当然鎖を外しているわけで、他プレイヤーが俺の呪縛から彼女を救おうとわらわらと周りに集まりもするが、毎回“助けろ”と言わんばかりにアオイに視線を送っている。

彼が近づくと他プレイヤーは距離を取る為、彼女に友達が出来る様子もない。


「モテる彼女に言い寄る男たちを振り払うような、リアルでは到底経験できない優越感だ」とアオイは揶揄い笑っていた。


言うまでもないが、ゲームの中では恐怖と希少性と強さで一部の風変わりな女性プレイヤーが言い寄ってくるが、リアルでの彼はモテないらしい。母親の遣いで時々車を走らせることはあるが、仕事も個人でプログラマー兼SE(システムエンジニア)をしている為、クライアントとのやり取りはほぼメール、何かコンピューターに問題が起きて実動が必要な時のみ接触するという、いわゆる引きこもりだという。


数日前からテティスとダンジョンにもぐるようになってからは、食事等の最低限の日常生活以外は部屋からも出ない為、家族からも心配されていた。



テティスの身の上が本当ならば、彼女に残された時間はもう僅か。一刻も早く海の王を倒すしかない。

それは、彼女の動きを見ていれば明らかだった。


リアルでの空腹感を紛らわせるためか、ゲーム内での食事量が増え、時々ウトウトと体を傾けたりぼーっとする時間が増えてきた。

そんな彼女の姿を間近で見ている攻略組の一部からは、アオイに直接注意喚起を行うプレイヤも出ていた。無理な攻略に彼女を付き合わせるな…と。

アオイが言い寄られている姿を見ると、決まって彼女はごめんなさいと申し訳なさそうに、謝りに来る。

だが、彼女をフォローすると決めたのはアオイ自身だ、他プレイヤーの評価など、今はどうでもよくて気にもとめていなかった。


後から思えは、この状況こそがテティスの作戦通りだったのだが、この時のアオイには知る由もなく、ただただ彼女の衰弱に心を締め付けられていた。




「テティス、無茶をするな!一旦カバーだ!」


フィールド内のエアスポット(エアライフ値を回復できる場所)から、エアライフを補充したアオイは、フィールドボスと戦闘中の彼女に戻るように声をかけた。

だが、彼女の動きは止まらず、ボスに剣撃を叩き込んでいる。HPゲージこそ緑(安全圏)を維持しているが、エアライフ値は先程からイエロゾーンにあり、レッドゾーンに差し掛かろうとしていた。


「くそっ!このじゃじゃ馬姫が!!」

「俺達が援護する!テティスを無理矢理でも引き戻せ!」

「頼む!」


周囲のプレイヤーが魔法石で援護する。

ボスの攻撃が怯んだすきに、ターボ(一時的移動速度上昇)結晶を使い、彼女の隣に滑り込む。

その腕を掴もうと伸ばした俺の手を振り切り、彼女は攻撃の為の姿勢に入った。


「お前!いい加減にッ――――!!」

「意識が切れそうなの、このままラストアタックを撃たせて…“お願い”」


気づけばボスのHPゲージはレッドゾーンに入っていた。周囲のプレイヤーの遠距離援護もあり、敵は仰け反っている。これを逃せば攻撃パターンが変わった次の一手が来るかもしれない。

今がチャンスという事か。


「一撃目は俺がやる!」


そういうと、スピード系の剣撃を発動させた。アオイの長剣がボスの左腕に赤いラインを刻む。


「テティス、スイッチ!」

「やあぁぁぁぁぁ!!!!」


「グアァァァァァァ!!!!!……」


彼女の刀がボスの腹部に大きなラインを刻み、断末魔のサウンドエフェクトが鳴り響く。

パリン…と、小気味の良い音と共に青い破片が水中に四散し漂った。


Congratulations!



と、死闘に似合わぬポップな映像エフェクトを確認すると、スキル発動後の硬直に入った彼女の体を無理矢理抱き寄せた。

レッドゾーンギリギリとなっていた彼女のエアライフ値が、ゆっくりと半分程まで回復する。エアライフ値の譲渡は、一度発動すると双方のプレイヤーのエアライフ値が同じになるまで譲渡される。ほとんど空っぽの彼女に譲渡し、自らのエアライフ値が半分以下になっても安全にエアスポットまで移動できるのは、アクア(エアライフ値が通常の倍ある)彼くらいだ。


「なんだよ、珍しいな…逃げないならこのまま抱いているぜ?」


安全地帯に到着し、エアライフの移行が終わってもなお、腕を振り払わない彼女を不審に思い顔を近づけると、意識を失っていた。HPゲージもエアライフ値も問題ない。アバターが残っていることから、リアルで何かあったに違いない。彼女の体を大きく揺さぶり、アオイは声を上げた。


「おいテティス、しっかりしろ!おい!」


共に安全エリアに一時避難している他プレイヤーが騒めき出す。


ここは目立つ…


アオイは転移結晶を使い、拠点にしていた霧の都にある借宿に飛んだ。


完全に意識が途切れ自体が起これば、彼女のアバターは消えてしまうだろう。おそらく寝落ちに近い状況に違いない。宿のベッドに彼女を降ろし、アオイはゲームから一時ログアウトした。




犯人を刺激しないように?そんな悠長なことを言っている場合じゃない。テティスがログインしてからもう直ぐ一週間、リアルの体に異常が起こっていても不思議はないじゃないか。


(もっと早く、彼女の話を信じて行動を起こすべきだった。)


ゲームをログアウトしたアオイは、携帯電話を握り締めた。だがその手は、110を押す前に止まってしまう。


ゲーム内で知り合った女の子が、リアルで誰かにさらわれているようだ―――。


そんな事を言って、誰が信じてくれる?

警察はきっといたずら電話だとしてかけあってくれない。アオイは、テティスのリアルの名前どころか、本当のアバターネームすら知らないのだから。


(それどころか、あの世界(ANO)では俺が彼女を誘拐している犯人の様ではないか。)


「くそっ」


暗い部屋で、パソコンモニターのLED光だけが部屋を薄く照らしていた。

もう長い時間ゲームの中にもぐっていた。遮光カーテンに覆われたこの部屋では、現実世界が昼なのか夜なのかもあやふやとさせる。


ガシャリ、と、自室のドアを開くと、ドアの下に”無理をしないように”と書かれたメモと共に、おにぎりと栄養ゼリーが置かれていた。


「……何をしているんだろうか、俺は」


洗面台で顔を洗う。不揃いに生えた髭と、ぼさぼさの髪をした男の姿が映る。

ゲームの中での”アオイ”とのギャップに我が事ながら愕然とした。

彼女を救える英雄にでもなっていたつもりか…現実世界の自分は、こんなにも無力だというのに。



「どうすればいい…どうすれば、君を助けてあげられるんだ?」



テティス―――。





暗い部屋で、パソコンを叩く雪原。


ANOでの噂を嗅ぎつけた捜査員達は、海賊王を名乗る男を、セナ=クラーク失踪の再重要参考人として捜査を進めているという。ゲーム内アバターの身元特定、さらには現実世界での居場所特定には時間がかかる。彼女と最後に面会したのが自分だと言う事で、一時は重要参考人として捜査を受けたが、作り上げたアリバイが効を奏し、自分の元へは捜査が及んでいない。それどころか、彼女の部下として捜査の進捗状況を聞ける立場となった。


ANOの製作者が雪原であり、そのゲームの中にセナ=クラークがいる事が警察にばれてしまったのは痛手だが、警察がセナ失踪事件の犯人として海賊王を探している間、雪原からはさらに捜査の目が離れていく。


恐れる事は何もない、この計画は完璧だ。もう直ぐ…もう直ぐ―――


頭の中で成功イメージを膨らませる雪原の顔を、モニターのブルーライトが怪しく照らす。セナを閉じ込めた部屋を移すモニターを見つめながら、彼は不気味に笑った。


「You will not give it to anyone———.(貴女は誰にも渡さない)」


テーブルに置かれたコーヒーカップが揺れ、中の珈琲がテーブルに飛び散る。珈琲は静かにテーブルを伝い、テーブルから零れ落ちる。まるで人の体から流れ出た静脈血液の様に、雪原の足元に黒いシミを作った。


「I want to break that dear body…early(早く、その愛しい体を壊したい…)」


雪原はVRデバイスを装着し、ベッドに横になる。


「ゲームスタート―――」



Case:7 絆


ゲーム最前線で攻略にいそしむプレイヤーの一部が、テティスを連れて回る海賊王の噂をネットに公開し、それを嗅ぎつけた捜査員が“海賊王”を重要参考人として探しているという。


ネット犯罪は裏付けが取りにくい。だが、昨今のVRMMOでの犯罪事情と、数名の証言から警察がアオイを犯人として動くかもしれない。

警察に捕まるのが怖いんじゃない、いっそ捜査員がアオイの元に来たのなら、そこに彼女が居ない事を確認し、噂が嘘である事は直ぐに証明される。

本当に恐ろしいのは、そんな事をしている間に本物の犯人を取り逃がしてしまうかもしれない事だ。


(やはり警察に通報した方がいいのだろうか?)


アオイは煮え切れぬ思いを抱きながら、ゲームの中へと戻った。


「どこに、行っていたの?アオイ」


ドアを開けると、ベッドにちょっこりと座るテティスが居た。

込み上げる思いを抑えきれず、アオイは彼女を抱きしめた。

アオイの体重を支え切れず、テティスの体はベッドに沈み込む。


「ちょっと、何するの!離して!!!」


覆いかぶさる俺の下で、じたばたと暴れるテティス。


「急に意識をなくしたから、何かあったと思ったぞ―――」


不安で、この先どうすればいいか分からなくて。

モヤモヤとした感情を抑えきれない彼の言葉を聞き、急に抵抗を止めたテティス。


「ちょっと、寝落ちしちゃっただけ―――」


・・・・・・。


「一部のプレイヤーの噂が、捜査員を動かしているとネットニュースで流れていた。きっと俺を犯人として探している」

「アオイに、嫌な役をさせてごめんなさい……」

「そんなことはいい!テティスが無事ならなんだってする!だけど、警察が誤認捜査をしている間に、本物の犯人は…お前の体はどんどん衰弱してしまう。教えてくれ、犯人は誰なんだ?!警察の捜査の目をきちんとヤツに向けさせなければ―――!!!」


 感情に任せ、アオイはまくし立てる様に彼女を責めた。


「セナ……」

「え?」

「私の名前」


アオイの体から左手を抜け出してメニュー画面を開くと、セナは情報非公開を解除した。

視界に、彼女の名前がローマ字表記で出てくる。


続いてセナはメニュー画面を操作すると、今までの戦闘で手に入れたありったけのギル(お金)と武器や魔法石をアオイに送り付けた。


「どういう、つもりだ?」

「アオイが持っていて?私はこれだけあればいい」


可視化した彼女のアイテムストレージには、アオイが譲渡した刀と、可愛い防具をと選んでいたローブなど今身に付けているものと、彼女が俺に買わせた首輪と鎖だけが入っていた。


「そんな装備で戦えると思ってるのか?!次のダンジョンが最終ボスだ!一刻も早く、海の王を倒すのだろう?!」


テティスの―――いや、“セナ”の行動が、アオイには理解できなかった。

正確には、理解したくないから目を背けていたのだ。


彼女のログインから既に1週間。

冷静に笑う彼女だが、すでに限界を超えているのだろう。


「アオイ、最後のお願い…聞いて?」


アオイはゆっくり体を起こし、セナを起こして座らせた。


「私は、この刀を持って犯人を倒しに行く。アオイは、海の王を倒してほしい。」

「俺一人で、行けと言うのか?」

「大丈夫。アオイは、強いから―――。きっと、皆が…アオイを助けてくれる」


セナの表情から、彼女の決意は固い事が分かった。そしてもう、時間が残されていない事も。

アオイはベッドに座る彼女の前に膝を落とし、その右手の甲に小さくキスした。


「お前の願いは何だって叶えてやる。セナ―――」


そして、後ろを向かずに部屋を出た。

きっとこれが、今のアバターの彼女との最期になると感じていた。



部屋を出たアオイは、すぐさまテティスの使っていたネットワークでプレイヤー達に呼びかけた。


今日、海の王の攻略を行う…と。


彼女が居ない戦闘に、どれだけの人が集まってくれるか分からない。

だけど、時間はもう、残されていない。


(約束したんだ…彼女の願いを叶えると。)


数分もしないうちに、プレイヤー達から返信が帰ってくる。

そして、集合場所に指定した広場には、20人を超えるプレイヤーが集まった。


「どう…して?」

「テティスからメールを貰っていてな、最期の決戦になるから準備をしておいて欲しいってさ」

「転移結晶はこのくらいで足りるか?回復ポーションもありったけ買って来たぜ!」

「海の王は水属性の可能性が高いって聞いたぞ、ラントの奴等を集めてきた!」


最前線で共に戦った仲間たちが、次々に声をかけてきた。


「で、テティスは?」


ドクンと、胸が鳴る。


「テティスは、戦闘に参加できない」

「……そうか、やっぱりなぁ。女神が居ないとなると、大きな痛手になるぞ」

「すまない…俺が―――」


俺が彼女に無理をさせたから。そう言おうとしたとき、プレイヤーの一人が手を出して拒んだ。


「良い良い、話はテティスから全て聞いている」

「え?」

「彼女から直接メッセージを貰うのは初めてだったから、てっきり愛の告白かと思ったのによぉ」

「残念だったな、俺にも来たぜ?メッセージ」

「俺もだ!」


次々に声が上がる。あのテティス(セナ)が、自分でプレイヤーにメッセージを送った、だと。

こんな事は初めてだった。


「なにやら深い事情があるテティスに、お前が振り回されていたんだろ?悪名高い海賊王も、本気で惚れた女にゃ頭が上がらないってか!」

「さぁ、時間がねぇんだろ?行こうぜ、海賊王」

「そうだ!海の王だか何だか知らねぇが、俺達が海の支配を乗っ取ってやろうぜ!」

「……ありがとう、皆」


「なんだよ、アンタらしくもねぇ!」

「行こう、最終ボス…海の王の間へ」


アオイ達は転移結晶を取り出し、深海の最深部へと向かった。




Case:8  決意の一刀


アオイや仲間達とボス戦を行っている途中から、セナは強い眠気を感じていた。

おそらく現実世界の飢餓状態の彼女の体が、活動を停止して生命を守るためのエネルギーの温存にかかっているのだろう。


ボスのHPゲージは赤に差し掛かる。ここで、倒れるわけにはいかない…


アオイがこちらに向かってくる。ふとエアライフ値を見ると赤に差し掛かっていた。


( 奴を倒すが先か、私が倒れるが先か……。)


周りを見渡すと、沢山の仲間たちがボスの足止めをしてくれている。

セナはアオイの手を振り払い、剣撃の溜めに入った。



これでとどめをさす!


セナは今持てる最上級の剣撃を放った。

スキル発動後の硬直のせいか、それとも頭を支配するこの眠気のせいか…。

セナは全身があたたかいものに包まれるのを感じ、意識を手放した。



気が付くと、現実世界に戻っていた。意識を手放した事で、強制ログアウトされたのだろう。

体が重く、関節を動かすことが苦痛だった。

両足や両手が、浮腫で腫れあがる。

この1週間程は水分しかとっていない為、Na(ナトリウム)が足らず上手く代謝が出来ないのだろう。


水分を取っているくせに脱水とは不思議に思うかもしれないが、人の体は塩気(Na)がないと水分を体内に取り込めない。細胞内に水分が溜まるが血管内に水分が少ないため浮腫(むくみ)と脱水を起こす。以前は高血圧だの生活習慣病だの騒ぎ立て、減塩が推奨されていたのに、突然に発汗時の水分補給に塩分を一緒に摂るようにと言われ出したのはしばらく前のことだったろうか。


ベッドから重たい体を起こし、ベッドサイドに座る。

足裏が浮腫み、地についている感覚がない。



もう、歩く事すら出来ない…。



2週間余り前、血液疾患を必死に勉強する際、基本だと一般的な解剖生理学について母に叩きこまれた。それが、こんなところで身をもって体験する事になるとは。

空腹が度を超すと、空腹感を感じなくなる。

代わりに、脳に糖分が行き渡らず頭がぼっとして思考が定まらない。膨れ上がった自らの掌を見つめ、舐めてみる。手汗が、砂糖の様に甘く感じた。



これが、最後の戦いだ。そう感じたセナは、再びベッドに体を沈めた。



「BARME Program、link on―――AquaNightOnline―――ゲームスタート」




ログインしたそこは、借宿のベッドの上。

セナは最終決戦に備え、最前線で闘ってきた仲間達にメッセージを送った。


大丈夫、アオイと彼らの絆は海の王なんかに負けたりしない。


(そして、私も……。)


メッセージを送り終えた頃、部屋にアオイが帰ってきた。セナを見るなりその体を抱きしめた。



結局最後のボス戦を、アオイや皆に押し付けてしまった。

せめて彼らを守ってくれるようにと、持っているアイテムをアオイに預けた。


振り向かずに部屋を出ていくアオイの背中に、セナは小さくつぶやいた。


「ありがとう、アオイ。 さようなら」



アイテムストレージから、残された刀を装備したセナは、街の中心にある神殿に向った。


重たい扉を押し開けると、広い空間の奥には緑の髪に緑と白を基調とした長いマントを羽織った雪原が立っている。

背の高い体格が、いかにも大賢者の風格を盛り立てている。


「やっと、私のところに来てくださいましたか、先生…いや、ここでは海の女神、テティスと呼ばれているようですね」


両手を広げて迎え入れる雪原。セナはゆっくりと彼に近づいた。


「私への祈りの言葉はまとまりましたか?現実での貴女の体は可哀相で見るに堪えません。はやく、救って差し上げたいと思っていたところです」


Schnee(シュネー)…ドイツ語で“雪”ですか。意外に分りやすいアバターネームで助かりました」

「貴女が見つけてくれないと、お話になりませんからねぇ。さぁ、時間がありません…私に祈りを捧げてください。その心と体を全て…私に―――」


シュネーの笑い声は、神殿中に反響し、その厳かな雰囲気を壊した。


「祈りの言葉は、貴方を倒した後に捧げます」





セナは、左手に長刀を装備すると、刃先をまっすぐシュネーに向けた。


「はっ…ハハハッ――ハハハハハハ!!!!!この私に、勝負ですか?その体で?!」


シュネーは高笑いを響かせる。


「……良いでしょう、可愛い先生の最期のお願いです、叶えて差し上げましょう」

「システムコール、ゲームマスター権限…空間変移、PK可能———」


神殿内の空間が歪む。大きく『DUELモード』の文字が浮かび、周囲が結界に囲まれた。


「これでこの空間内ではPKが可能です。私は、貴女の事をとても尊敬しているんです――そのお年でバームを開発し、天才科学者の名を欲しいままにした。部下として、お傍で研究を見ていられるのは、幸せでした」


ククク…と、不気味な笑い声を浮かべながら、シュネーが話す。


「でしたら何故、こんな事をしたのですか?」


刀を、真っすぐシュネーに構えたセナが、問いかける。シュネーもまた、大きなロッドを構えた。


「それは、貴女がとても、可愛らしかったから―――研究よりも何よりも、貴女を傍に置きたかった…ねぇ?セナちゃん―――」



雪原は―――真面目な研究者だった。少

なくとも、セナが日本で研究を行う為に、部下として紹介された時は、まだ。


セナは人見知りが激しく、周囲に人を置きたがらない。

だからこそ、彼女の傍にいる人は限られ、研究においては雪原に頼ってしまっていたのかもしれない。



自分だけが、先生の傍にいる―――。

若くて真面目な雪原に、歪んだ心が芽生え、それがどんどんと歪に膨らんでいた事に、セナも周りの人間も、気づかなかったのだ。



「二人で―――二人だけの世界を創ろうよ」

「断る」


地を蹴り、一瞬でシュネーの間合いに詰め込んだセナは、左手で彼の腹部を抉った。

赤いダメージラインが、緑と白のマントに線を描く。


「ふふふ――――流石、ですね。でも惜しいです―――私は大賢者シュネー…

ねぇセナちゃん…この戦いが終わったら、貴女は私の物になってくれませんか?」


「―――…何を、気持ちの悪い事を。私は、誰のものでもない…自分の世界は自分で創る」

「ははっ―――大人しく、言う事を聞いてくれれば、痛い思いをさせずに済んだのに」


シュネーの挙げるロッドから、幾つもの魔法弾が召喚される。

この世界での魔法は、魔法石を使用しなければ使えないとうたわれていたはずだったが―――。


「自分だけ、チートですか?!」

「言ったでしょ?私は大賢者です―――人々が私に頭を下げ、願い―――その知恵をこうのです」


魔法弾が、セナをめがけて襲い掛かった。

刀で払い、払いきれないそれは寸前のところで避け、カウンターの刀撃をあてていく。


確実に、削られていくシュネーのHP。

間合いにさへ入り込めば、遠距離のシュネーよりも戦闘能力は高い。

最前線で攻略に尽力してきたセナが、神殿でプレイヤー達を見下すだけのシュネーに負けるはずがなかった。


「ふふ―――流石、というべきですか…」


再びシュネーがロッドを振るうと、セナの足元が凍り付いた。


「何?!」


氷に足を取られ、動けない。


「―――……ッ」


「ねぇセナちゃん―――私なら、人見知りの強い君の傍にいるし、君の研究を手伝える。そうだね―――君の知らないことも、色々教えてあげるよ?」


カツカツと、シュネーのヒール音が、ゆっくりとセナに近づく。

シュネーを睨みつけるセナの頬に触れ、その指を、彼女の唇へと滑らせた。



そんな挑発になど、屈しない―――。

セナは、シュネーを睨みつける。


「I’m cool.(要らない)

お星さまにだって見えない世界は、私の大切な人達が、教えてくれるもの―――」


「―――??」


ニコリと微笑むセナの瞳に気を取られ、一瞬の隙をつくるシュネーの首に首輪を装着すると、もう片方の輪を後方へと飛ばした。


「?!!」


仰け反るシュネーは、頸部の圧迫を避けるため両手で首輪を握る。

その無防備な腹部に、セナはありったけの刀撃を放った。


糖分が足らない頭は、もうこれ以上回らない―――

正真正銘、これが最後の一撃だ


「私は、こんなところで諦めたりしない―――Stern Baum(星の木)をこの空に、繋ぐまでは」


腹部に突き刺さる刀を見下ろし、シュネーは不気味に哂う。


「ふふ―――。私も、貴女を―――諦めたりしませんよ?地獄の果てまで……」


シュネーのHPゲージが溶けていく雪のように消えていく。


パリン・・・・・


小気味のいいサウンドと共に、シュネーを形作っていたアバターは青白い欠片となって四散した。

空間に貼られたDUELモードの結界が消える。身体が、鉛の様に重い。

セナは両膝を床に付けて座り込んだ。


「今度こそ、限界…か」


(もう何も―――考えられない。身体が、動かない…)


「お願い…私を―――見つけて…―――」


呟くような言葉を残し、セナのアバターは床に崩れ落ちた。





Case:9 碧の剣士ナイト


「もう少し―――だったのに!!」


DUELでセナにとどめを刺された雪原のアバターは消え、彼の意識は現実世界へと強制ログアウトされた。彼の腹部には、DUELで刀に突かれた時の重苦しい不快な感覚が残っていた。机に並べられたモニターを見ると、セナの体がベッドに横たわっているのが見える。雪原はゆっくりと息を調え、不快感が体から消えるのを待つ。


「こうなれば…」


(直接この手で壊してやる!)


雪原はVRデバイスを外すと、重たい体を起こして部屋のドアを開けた。


ガシャリ

重たい金属の音が響く。


「ここまでだ!雪原誠、セナ=クラーク失踪の最重要人として逮捕する」


狭いドアの隙間をこじ開け銃を構えた警察官が雪崩れ込む。目を見開き呆気となる雪原の体を拘束した。


「どうして…」


両手を拘束され、床に抑えつけられる雪原を、3人の男が冷たい瞳で見下ろしていた。顔を上げた雪原の背に、冷たい汗が伝う。


「15歳の少女に、お前はまんまと嵌められたんだよ。」

「———何?」

「お前はプレイヤーの動行やネット上の情報から、警察が“海賊王”と呼ばれる男を探していると思い込んでいたようだが、そんな奴は初めから探しちゃいない。俺達は初めから、セナに異常な執着を見せる…お前(雪原誠)が、何処に彼女を隠したのかを探していたんだ」


「なぜだ?彼女の失踪日、私にはアリバイが―――。」

「そんなもの、とっくに崩れている。アリバイに差し出されたカメラのソースコードを辿れば、お前のプログラムが映像を書き換えた事位直ぐに分る。」


雪原には今回の作戦に絶対の自信があった。


「どうしてここが――わかった?」


ここは山奥の廃墟。道中の防犯カメラは全て調べ上げ、フェイク画像を重ねて加工した。

それがなぜ破られたのか、信じられなかった。

往生際悪くもがく雪原に彼を見下す男が告げる。


「Polarisが教えてくれたんだ―――“私を、見つけて―――”と。」

「ポラリス・・・・だと?」


「セナはお前には渡さない―――誰にも、彼女のStern Baumを邪魔はさせない」


射殺されそうなその瞳に、言葉を失った雪原は脱力し、両膝をついた。


「識、セナを閉じ込めた部屋を発見した!」

「わかった、今行く―――」


雪原の部屋のモニターに移るセナの体は全く動かない。事態は一刻を争っていた。


「大変です!鋼鉄の扉に電子ロックが掛けられているようで・・・」

「何?!……電子ロックならプログラムを解除しろ!」


警官の声に、苛立ちを募らせた白木が叫ぶ。その様子を観た雪原はフッと微笑を溢す。


「貴様―――」


部屋に押し入り、雪原の胸座を掴む立夏。


「私のアカウントは消され、私ではもうあの扉は開けない。扉の開閉権限はサブアドミニストレートであるあのゲームのラストボス、海の王に委ねられている。」

「なんだと……。っつ!自衛隊を呼べ!何でもいい、あの鋼鉄の扉を破壊しろ!!」

「くそっ!」


指示を飛ばす白木の隣をすり抜け、立夏と織がセナの閉じ込められた部屋へと向かう。



「Try it… if you can do it…….(出来るものならやってみろ)あの部屋は潜水艦の外壁に使われる分厚い鋼鉄で出来ている。そう簡単に切れはしない!囚われの姫の命の灯が消えるが先か、それとも碧の剣士が海の王を倒すが先か―――ククク……フハハハハ!!!!」


雪原の高笑いが静かな森の廃屋に響いた。




長い螺旋階段を降り、最下層の深海のダンジョンへと向かう一行。道中、アオイは集まったプレイヤー達に、セナから受け取ったアイテムを配った。


カツカツと響くヒール音に、メンバーの緊張が高まる。


「これは、テティスからだ。彼女には時間がない―――何としても、今日、海の王を攻略したい」


言葉に、力がこもる。そんなアオイの肩を、プレイヤーの一人がポンと叩いた。


「分っている。ここに集まった奴らは皆、お前と同じ気持ちだ」

「そうさ!倒すぞ…テティスの為に」

「……ああ、行くぞ!」


現れた、重いボス部屋の扉を開く。

長くのびる絨毯の先に、天井まで伸びる王座がそびえている。

盾にも横にも伸びる広い空間の、両サイドの壁に幾つもの青白い炎が灯った。


一同が、緊張した面持ちで息を飲む。王座に座る半魚人の姿をしたソレが、ゆっくりと立ち上がり、右手に握る三俣の矛を挙げた。


『よくぞここまで来た、地上の者達よ。私はこの深海とすべての海を統べる王、ポセイドン。私には向かう愚かな者たちよ、その魂を私に差し出すがよい』


ポセイドンと名乗る最終ボスが、戦闘の始まりを告げた。

途端、両サイドの壁に浮かんでいた炎が、様々な形の敵兵へと姿を変えて襲い掛かかる。

同時にプレイヤー達のエアライフ値も、ゆっくりと減少を始めた。


「先ずはエアスポットを探せ!」


『そんなものは、この部屋には存在しないよ』


ポセイドンが言葉を発する。


(プレイヤーのセリフを返した…ヤツはAIか?!)


魚や鰐型、蛇、人型など、様々な敵兵が行く手を阻む。


「エアスポットがない部屋、だと?」


『当然だ、ここは王の間。地上の者の為の空気などは必要ない。さぁ地上の者たちよ、おぼれ死ぬが先か、我らに殺されるが先か―――』


「エアボトル(アイテム)がなくなった奴はバディーから離れるな!時間がない、一気に畳みかけろ!!」

「おぉぉぉぉ!!!」



プレイヤーが一斉に攻撃を開始する。


(戦闘が始まれば中からはドアを開けられない。プレイヤーの持つエアボトル(アイテム)がなくなればゲームオーバーだ…どうする?!)


「海賊王!雑魚は俺達に任せて、お前はポセイドンの首を取れ!」

「……わかった!」


アオイはターボ結晶を使い、一気にポセイドンの前まで躍り出る。

連続で繰り出される剣撃がポセイドンの鉾を交わし、その体にダメージラインを刻んでいく。

だが、幾重にも重なるHPゲージを削れるほどの有効なヒットを取れない。


あいつら、長期戦に持ち込む気か―――


『どうした?エアライフ値が厳しそうだぞ?』


後方で敵と戦う仲間達を見渡すと、エアボトルを使い切ったプレイヤーも見られた。

半魚人の口元が、煽るようにニンマリと綻ぶ。


「…くそっ!」


攻撃が、効いていないわけではない―――だが、これではポセイドンを倒す前に、こちらのエアライフ値が底をつく。


何か…方法は?こんな時、お前ならどうするんだ?


セナ―――


『裏切りの星―――』

「はぁ?」


アオイと剣を交わすポセイドンは、ニンマリと嗤いながら問いかける。


『海賊王―――だったか、お前は、何のために闘う?ここで奴らのエアライフ値がなくなれば、残るはお前一人―――奴らの全てのアイテムを得ることができるぞ?』


「―――……」


『強くなりたいのだろう―――だから、この世界に来た。だが、こ奴らはお前に“海賊王”を押し付け…嫌う。お前の強さに嫉妬し、フェイクを押し付けた』


(やはりコイツは、AIプログラムか)


脳と繋がれたARデバイスは、脳波を…感情情報すらも読み解くことが出来るのか?


「何のため―――って?」


奥歯を噛み締めるアオイ。戦闘の疲労が吹き飛ぶほどの苛立ちが、全身を蠢く。


「ははっ―――“フェイク”…。そうだな、俺は自分を変えたくて、“フェイク”を求めてこの世界(VRMMO)に降り立った。心と体が繋がり、いつか―――フェイクが、“本物”になればいいと」


ゲームの世界の“海賊王アオイ”が、現実世界の“碧(俺)になればよいと―――。


「約束の為に、闘う―――おまえを倒すと、任された……あいつ等と、一緒に!!!」


『?!!』


アオイの怒りに反応するように、碧色のアバターが加速度を上げた。

ポセイドンに反撃のチャンスを与えるわけにはいかない。

他プレイヤーのエアライフ値はイエローライン、アオイ自身のエアライフ値も、半分に差し掛かっていた。


「そのまま一気に畳みかけろ!海賊王!!」


背後から、エアライフ値もHP値もイエローラインに入った仲間達が駆けつけ、ポセイドンの身体に攻撃を仕掛ける。


「お前ら―――」

「お前だけ、カッコつけさせる訳にはいかないからな」


下手なウインクを見せ、アオイの隣に並ぶ、仲間達。


「解った!」


一斉攻撃に、ポセイドンのHPはレッドゾーンに差し掛かる。その時

ポセイドンが三俣の矛を天に伸ばす。

と、半魚人を中心に巨大な渦巻きが発生した。


『おのれ……』


「なんだこれ?!」


プレイヤー達はすぐさま竜巻から距離を取る。


「っわ…ぅわぁぁぁぁ!!!」


ポセイドンの後ろで戦っていたプレイヤーが竜巻きに呑み込まれ、青い破片と化した。


「これじゃぁ近寄れねぇ―――」


ポセイドンの竜巻は、周囲で戦っていた敵兵達をも呑み込み、半魚人型をしていたボスの体がブクブクと膨れ上がっていく。ワニのような頭に大きく開く口とのこぎりのような鋭い歯、硬い皮膚に尻尾が生えているが、手足が長くに足歩行をして近づいてくる。


せっかくレッドゾーンまで削ったHPは再び層を連ねた緑のラインへと戻ってしまった。

大きな図体とは裏腹に、動きは素早く、手を払いのける一撃で、2名のプレイヤーを青い破片と変える。


「そんな…」

「こんなの、ありかよ―――」


プレイヤー達の間に、絶望と落胆の声が次々に広がる。

エアライフゲージはすでに全員がイエローラインに点滅しており、レッドゾーンにかかっている者達もいた。


周囲のプレイヤーが動きを止める中、アオイが姿を変えたポセイドンの、正面に立つ。


「それでも、やるしかねぇよな」

「海賊王…」

「そうだろう?皆。セナは…テティスは、俺達にアイツを倒す事を託したんだ!!!」


彼の声に応える様に、落胆していたプレイヤー達から闘志が蘇る。


「あぁそうだ!テティスにカッコ悪いところ見せるんじゃねぇぞおめぇら!!」

「おぉ!!」


水をかくように腕を動かすと、前方に刃のような水撃が放たれる。

後方から回り込もうにも、大きな尻尾が床や柱ごと割り砕く。


「魔法石が余ってるやつは出し惜しみするんじゃねぇ!」

「バディを組み直せ!エアライフ値を繋げ!!」


一度は崩れかけたプレイヤー達の動きが、アオイの言葉で統制が取れ始める。

これが、セナ繋いだ絆―――



星の木に宿る光のように、一つ一つの輝きが集う…

いつか現実世界で貴女が魅せてくれた、Stern Baum(星の木)の世界のようだ。



「テティスが言っていた……この世界はリアルの動植物の特徴を結構忠実に再現している…ヤツの姿がワニなら目は正面からの攻撃に弱く、口は開く力が弱いはずだ!」


そう言うと高く飛びあがった。ポセイドンは上を向き、鋭い爪を構える。


「だったら俺達は、両目を潰す!」


アオイに意識が向いているポセイドンの両目に、攻撃を集中させるプレイヤー達。

両眼を潰されたポセイドンは大きく首を振って怯んだ。


「いまだ―――アオイ!!」


プレイヤー達の声が、アオイの背を圧す。


「これで、どうだ!」


アオイの長剣がポセイドンの口を上から突き刺した。

串刺しにされたポセイドンは口を開くことが出来ず、プレイヤー達を目視する事も出来ない。

ヤツが放つ攻撃はAIらしからず的を得ない。


「これが最後だ!一気に畳みかけろ!!」


アオイの言葉を合図に、プレイヤーは一斉にポセイドンに攻撃を行った。

自らのエアライフ値が切れるが先か、それともポセイドンの莫大な量のHPを削るが先か…。



それは、時間との勝負だった。


エアライフ値が切れたプレイヤー達が、次々に青い欠片となって四散する。

『空の指輪』で彼らにエアライフ値を割り振っていたアオイのエアライフ値もレッドゾーンに差し掛かっている。これが、正真正銘最後の一撃だ!


「くらえ!!!!!!」


アオイの剣が、ポセイドンの体を抉った。


『ぐああああああ――――』


断末魔を上げた後、ポセイドンの体は涼し気なエフェクトと共に海の光に流れた。




後方で、固く閉ざされていた部屋の扉が開かれる。

すると、関を切ったようにプレイヤー達が流れ込み、中にいた者達へエアボトルを差し出してきた。


「エアライフ値がレッドの奴は他にいないか?!」

「回復した奴はエアスポットまで急げ!」

「カバーできる奴、こっちを頼む!」

「ヒール(回復)はあるか?!」


床に落ちた剣を拾いながら、アオイは肩をすくめる。

その表情は、少しの疲労と充実感に満たされ綻んでいた。





「まるで、災害現場の救急隊のようだな」


周囲を見渡すアオイが、プレイヤー達の様子をみて呟く。


「ボス攻略を行うと聞いた他プレイヤー達が駆けつけてくれたみたいだ。前線で闘う力はないが、役に立ちたいと思っていたサポート系プレイヤーは多いからな」

「エアライフ値やHPが切れてゲームオーバーになったプレイヤーも、デスペナで自分は再ログインできないが、この部屋にエアスポットがない事をネットで拡散してくれていたみたいだ」


アオイに寄り添う様に、共に善戦を果たした男が声を掛ける。

そう言えば―――彼は闘いの途中アオイの事を、“海賊王”ではなく、“アオイ”と呼んでいた。


「そういやお前、俺のプレイヤーネーム知っていたんだな?」

「ああ?そりゃ―――テティスがあれだけ叫んでいたらな。彼女だけは、お前の事を海賊王とは呼ばなかった」


――― アオイ ……


「ここに集まる皆が、ポセイドンを倒したんだな」


配られたアイテムを受け取り、エアライフ値を回復させたアオイ達は、安全地帯まで移動した。



バタン…と、重たい扉が閉じる。


Congratulations!の文字と、明るいサウンドエフェクトが鳴り響いた。



ログアウトした碧は、VRデバイスを外す。

閉じられた遮光カーテンを開くと、外は眩しいばかりの真昼間でがたがたとなる生活音が、現実世界に戻ってきたのだと痛感させた。


重い身体と自らの両手を見つめる碧。



「俺―――意外に諦め悪かったんだな……」


ゲームで会った“テティス”は無事だろうか―――。

インターネット画面を検索してみるが、それらしきワードは見つからない。


―――俺にはもう、君と繋がる 糸がない……


いや、また会えるか―――




SternBaumは きっとどこかで 繋がっているから……





Case:10 繋がった糸


ガチャリ と、金属音を立てて開く扉に、雪原は目を見開いた。


「嘘だ―――まさか…ポセイドンが倒された?」


電子ロックが解除された事を確認した識と立夏は、セナの横たわるベッドへ雪崩れ込む。


「全身浮腫、衰弱が激しい―――パルスも弱い」

「担架をここへ!直ぐに搬送だ!救急車には俺が同乗する」



識は、セナの乾いた唇に触れた。


―――それでも、生きていた。


「よく頑張った―――セナ」



救急車内では立夏が血管内脱水で腫れあがった腕に輸液ラインを取る。

心臓疾患を持つ彼女の心電図を注視しながら、慎重に補液が開始された。




あれから1週間が経ち、セナ⁼クラークへの傷害で逮捕された雪原誠の事情聴取の内容が、立夏や識、入院治療を行うセナにも伝えられた。

発見時の迅速な処置が効を奏し、彼女の体は驚くほど速い回復を見せており、今ではリハビリを行うほどだ。


「そう―――皆が、頑張ってくれたんだ…私を、助けてくれた」


事情を聞かされたセナは、布団を握り締めた。


「念のために、聖倭大学病院への転移手続きを取った―――。発見時は急を要した為、最寄りのこの病院に搬送したが、向こうの方が水月さんも近くにいていいだろう―――?」

「ありがとう、立夏……識も、アルも―――心配かけてごめんなさい」

「まったくです―――。本当に、貴女には何度心臓を止められかけたか…」


頭を抱える白木に、くすくすと柔らかく笑うセナ。


「―――私を見つけてくれて、ありがとう…識、立夏、アル!」

「―――どこにいたって、セナの事は 必ず見つけてやる。」

「ふふっ!」


コンコンコン・・・・


病室のドアが鳴り、看護師が顔を出す。


「セナさん―――そろそろリハビリの時間なので、理学療法士の先生が下に降りてきてって!」

「はぁい!じゃ、行ってきます―――」

「おう!」


ベッドから体を起こすセナの背中を見送る識と立夏は、顔を見合わせた。



点滴は1日1本となり、本日分の輸液は午前中で終了した。

右腕に残った持続点滴ルートは生理食塩水でロックされており、服で隠せは一見では何のために入院しているのかもわからない程に顔色も良い。


エレベーターを降り、リハビリ室へと向かうセナに声がかかる。



「セナ?」


茶色くふわふわとした髪が揺れる。

振り向いたセナを、黒髪の男性が驚いた表情で呼び止めた。


「―――……?」


髪色が違う―――だけど、アバターとそっくりなその顔を見間違えるわけがない…


「春間さん―――お待たせしました!」

「それじゃぁ行ってくるね、碧」

「うん、リハビリ頑張って―――?ばあちゃん」


声を掛ける理学療法士に連れられてリハビリ室に入る老婆を優しく見送る青年を、じっと見つめるセナ。


―――どこかで…会った事がある……?


「碧―――?」


小首をかしげるセナに、振り向いた碧は柔らかく微笑みかけた。


「会えたね―――テティス」

「――――“アオイ”?」




――――きっとまた会える…

SternBaumは 繋がっているから

 

  この広い、空の下で。








Stern Baum ~フェイク~  AquaNightOnline 編

                          THE END ―――――





     



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