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レイラ・キャンディ

「レイラ・キャンディ、調教士候補生です。あ、お茶の用意はあたしがしますから」


 レイラが着るのはジェーンの物とほぼ同じ制服。

 違うのは聖天馬騎士候補生に必須の黒タイツではなく、白いストッキングをはいていること。胸の学章も調教科のものは聖天馬を育てる女神がモチーフ。


 航空騎兵学部には二つの学科がある。

 一つはジェーンが所属する聖天馬騎士科。

 そしてもう一つがレイラの所属する調教科だ。


「大丈夫。任せて。これでもお茶の先生に褒められるくらいの腕前ですのよ」ジェーンは事前に温めていたポットに茶葉を落とし、沸騰したお湯を注ぎ、蓋をする。「蒸らし時間が重要なのよね。赤子泣いても蓋とるな、ってね」


 ふふ、と笑いながらジェーンはカップをお湯で温め、テーブルにはチョコレート菓子を並べる。その菓子を見て、わぁ、とレイラが声を上げる。


「こんな豪華なお菓子、あたし、初めて見ます」


 ビスケット生地にチョコレートがたっぷりとかけられた菓子。バターが練り込まれたサクサクの食感に、しっとりとした甘みがマッチする。初めて見る高価な菓子に、恐る恐るという様子でレイラはそれを一口かじる。


「んんん!!」


 声にならない声をあげるレイラ。何もいわずともその表情で「美味しい」とジェーンに伝える。


「気に入ってくれたみたいね」

「ふぁい!! とっても!!」


 三つ編みにした髪が揺れる。

 ジェーンはそこでようやくポットの蓋を上げた。スプーンでくるりとかき混ぜて、二つのカップに回し注ぐ。最後の一滴まで、ぽつん、と注ぎ終える。ミルクを落とし、お砂糖もひとさじ。


「はい、どうぞ」


 レイラはゆっくりと口を近づける。

 芳しい匂いだ。鼻の奥を優しく撫でるようで。ひと口、喉を通る。ミルクのまろやかさ、それとほのかな甘味。美味しさというよりもこれは喜びだ。胸の内側が清らかになるような茶葉の香り。


「ふぁあ、幸せです」


 そのとろけたような表情に思わずジェーンも笑ってしまう。これほどに喜んでくれるなんて新鮮だ。平民の女の子とはお茶をしたことなんてなかった。マナーもへったくれもない彼女の振る舞いだけれど、それがかえって新鮮でジェーンを楽しませた。


「私のルームメイトになるっていうのは貴女ね、レイラ」

「あ、はい、プロフィトロール様!! 申し訳ありませんでした。本当はお出迎えするつもりだったんですけど。あたし、いつの間にか寝てしまってたみたいで」


 レイラはカップをソーサーに置き、顔を伏せる。

 しゅん、と三つ編みも枝垂れる。


「そんなの別にいいのよ。そんなことよりも私ずっと嬉しいんだもの」

「……嬉しい、ですか?」

「私、初めてなんですもの。ルームメイトだなんて!! 友だちと一緒に生活するなんてワクワクするわ」


 その言葉にレイラが怪訝な顔をする。

 それを見て、ジェーンは不安そうに、ぽりん、と菓子をかじってレイラの顔を覗く。


「ごめんなさい、嫌だったかしら?」

「違うんです、違うんです!!」ブンブン、とレイラが首を横に振った。「でも、あたしは田舎の生まれの、ただの平民ですし。こうやってプロフィトロール様とお喋りすることさえ、本来は叶わない身なんです。プロフィトロール様の身の回りのお世話もさせていただくことで、この学校で勉強させていただくことを許されてるような立場なんです」


 士官学校の学費は無料だ。

 制服代も書籍代、食費も払う必要は無い。

 帝国の軍費と、貴族や豪商の寄付で運営されているためだ。貧しい家庭でも才能さえあれば子を士官学校に送り出すことができる。


 特に調教士学科には平民出身者も数多い。聖天馬ではあるが軍馬を育てるという仕事は基本的には貴族に仕える平民の仕事とされているからだ。その点は聖天馬騎士候補生が基本的には貴族の令嬢でなければならないのとは対称的だ。


 馬に乗り戦う騎士は貴族と、馬を育てる平民。役割は違くとも、どちらも軍には必要な仕事だった。


 それ故、レイラのような身分でも士官学校への入学は認められる。もちろん試験を突破できるだけの教養は必要になってくるけれども。


 といっても、貧しい家庭にとっては若い働き手を外に送り出すのは厳しい。畑の手入れも、家畜の世話も何より人手が必要だ。


「――だから、そんなあたしを友だちだなんて、恐れ多いです。あたしはプロフィトロール様に奉公させていただく立場なんですから……」


 奉公制度。

 それは貧しい平民が士官学校に通うための救済制度だ。

 貴族の子女のルームメイトとして共に生活をし、身の回りの世話をする。それと引き換えに毎月、給金を受け取る。それは実家への仕送りとしては十分すぎるほどの額になる。


 特に調教科の生徒はそのほとんどが農家出身だ。

 レイラと同じように、聖天馬騎士候補生である貴族の令嬢のルームメイトとなってその世話をする生徒も多い。


「なぁんだ、そんなこと?」ジェーンはポットから茶葉を取り出しながら言う。「ならそんなこと気にしないでいいわ。身の回りの世話だなんて、私はお屋敷でだって、ほとんど一人で何でも出来たんですもの。こうやってお茶でお友だちをおもてなしすることだってね」

「……けど」

「それにお給金を出してるのは御父様でしょ? 私じゃないわ」


 新しい茶葉をポットに入れて、お湯を注ぐ。二杯目の用意。


「だから、貴女が嫌じゃなければ、今日から私たちは親友よ」

「プロフィトロール様……」


 レイラはこれまで、貴族令嬢にこれほど近づいたことはなかった。貴族といえば雲の上の存在だ。

 貴族とは残忍で、我が儘。自分たちから税を取り立てるだけ取り立てて威張り散らすだけの存在だと、そう思っていた。


 その貴族の中で、ジェーン・マナカ・プロフィトロール。世相に疎いレイラでもその伯爵令嬢のことは知っていた。

 好色令嬢。そして、大陸一の美姫。社交界で世界中の男たちを手玉にとる悪女だという噂もあった。どれだけ恐ろしい人だろうと思っていた。


 でも、こうして顔と顔をつきあわせてみると、目の前の伯爵令嬢は、自分と同じ歳の少女らしい笑顔で自分と接している。


 少しだけ、戸惑う。


「プロフィトロール様、だなんて。そんな堅苦しいのはやめて。ジェーンって呼んでくれていいのよ」

「そんな、それは流石に……」

「人前で無理にとは言わないから、ふたりの時は、ね?」

「……それじゃあ、ジェーン……様」


 二杯目のお茶をふたりのカップに注ぐ。表面に牛乳の波紋がふわりと広がる。静かにそれを眺めるレイラ。

 レイラは貴族の世界を知らない。

 そしてもちろんジェーンも平民の世界を知らなかった。

 二つの世界の、二つの意思が、お茶を介して交流する。

 凝り固まった偏見を溶かすには、甘いミルクティーが一番なのかもしれない。


「あたしの実家は軍に馬をたくさん供出しているんです。その縁で士官学校にも昔から憧れていたんです」


 レイラの実家は帝国東方の大草原にある。

 かつて草原の民と呼ばれる人種が多く住んでいた地方で、馬や牛などの放牧による畜産業が盛んだ。草原の民が多く持つ特徴でもある紫色の瞳をレイラは持っている。


「父や母に無理をいって、学校に入れて貰いました。片道二時間をかけて町の学校まで通ってました。読み書きや計算を覚えて、何とかこうして士官学校に入学できました。聖天馬の調教士になって、家族を楽させてあげれたらなって、昔からの夢だったんです」


 それはジェーンとは全く違う境遇だった。


 夢のために苦労を重ね士官学校の試験を突破した平民の少女。


 一方のジェーンは聖天馬騎士を志したことはなかった。

 父の財産と家名、それとマハットからの推薦があったから、試験もせずに入学を許可された伯爵令嬢。


 少しばかり浮かれていた。イエレナ先生の姿を見て、自分も彼女のように空を飛び回れたらなんて考えていた。

 でも、自分よりも強く、自分よりもずっと前から、夢に向かって努力してきた女の子がいる。


 果たして自分には彼女の前で聖天馬騎士になる、と誓えるだけの覚悟があるのだろうか。

 それを考えると少しだけ暗い気持ちになる。


「あ、そうだ」レイラが思い出したように言う。「後で、あたしたちの聖天馬に会いに行きましょうか」

「私たちの?」


 首を傾げるジェーンに、レイラはこくこくと頷く。


「これからジェーン様が乗ることになる聖天馬は、あたしがお世話する聖天馬なんです。聖天馬騎士候補生と調教士候補生は二人一組になって一頭の聖天馬を担当するんです。一蓮托生ですね。あたしは三日前から入寮しているので、顔合わせすませちゃってるんですけど――」


 ジェーンは胸の内からワクワクが膨らむのを感じた。


「行きましょう。今すぐ!!」


 まだ自分が聖天馬に跨がって空を飛び戦う姿なんて、ちっとも想像はつかないけど。レイラと、二人で、一頭の聖天馬を育てるというのは悪くないと思った。この子とならうまくやっていけるだろう、そんな根拠のない自信があった。

 これもまた、彼女のすべてを愛する才能のおかげだろう。

 どんな環境をも愛せる、ジェーンの能力。


「へ、ジェーン様!? ま、待って下さい!! あと一口だけ、一口だけお菓子を食べてからでいいですか? いいですか!?」


 放たれた矢のように部屋を飛びだしたジェーンを追いかけるレイラは口いっぱいにチョコレート菓子を詰め込んだ。

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