こんなの初めて
そこから先は目まぐるしい展開だった。
地面に伸びていた賊たちが連行されていく。士官学校からやってきた護送用の馬車だ。黒光りしたボディは鉄製。丸太のような足をもった馬が四頭で牽いている。
失神している飛竜も慎重に拘束が施さる。口には結束バンドがはめられ、翼も身体に縛り付けられる。とても痛々しい姿だ。
「安心して下さい。飛竜は士官学校に運ばれて治療されます。というか、まあ、僕が治療することになると思いますけどね」
「マハット先生が?」
「ええ、そういう役回りなんですよ。人使い荒いっていうか。端的にいえば人材不足ってやつです」
ぱんぱん、とマハットは飛竜の真っ黒な鱗を叩く。
試しにジェーンもその鱗を撫でてみる。硬くて乾いていて。まるで古い巨木の表面を触っているような感覚だった。
「彫刻家のおじ様たちは?」
「まずは士官学校で取り調べを受けるでしょうね。まあ、プロフィトロール家の令嬢を襲ったとなれば、極刑は免れないでしょうね」
「……そう」
帝国貴族は自身の治める所領の裁判権を持つ。プロフィトロール家の人間が事件に巻き込まれたからといって、プロフィトロール伯爵領の法で相手を裁くことはできないのだ。この場合、士官学校の領内で起きた事件は士官学校のルールで裁かれる。
「気に病む必要はありませんよ。確かにジェーンくんにも反省すべきところはありますが、命まで狙われる道理はないでしょう? 彼らも正当に裁かれることでしょう」
「お嬢様」
そこに護衛の女騎士たちが慌てた様子で駆けてくる。十倍以上の敵を足止めしていたプロフィトロール家の女騎士たち。見れば、傷一つ負っていない。
「お嬢様、お怪我は御座いませんか!?」
「いいえ、大丈夫よ。みんな本当にありがとう」
「不覚にも竜騎兵を取り逃してしまい、お嬢様を危険な目に遭わせてしまいました。処分は如何様にも」
「それを言ったら私だって御父様に顔向けできなくなってしまうわ。そんなこと言わないで」
「イエレナくんのおかげで、ジェーンくんにも怪我がなかったわけだし、そんな大事にしなくてもいいと、僕も思いますよ」
ジェーンの危機にイエレナが間に合ったのは、マハットのおかげだった。彼は自分の能力を過信していない。早い段階で連絡の魔石を使いイエレナに緊急事態を通告していたのだ。
「ジェーンさん」ゆっくりと蹄の音を鳴らして近づいてくるのはイエレナだ。「みんな無事で何よりね。馬車にも致命的な損傷はないみたい。間一髪だったわ」
ジェーンの乗っていた馬車はところどころに大小さまざまな傷が見える。投げられた槍が開けた大きな穴。飛竜の鋭く大きな爪が魔法障壁を突破してつけた傷。幸いにも中に乗っていた二人は傷を負わずにすんだ。御者、車輪にもダメージはない。馬車を牽く二頭の馬『カスタード』と『ホイップ』もおびえた様子はない。
「キミたちもよく頑張ったね。偉いぞ」
イエレナがカスタードとホイップのたてがみを撫でると、二頭は高いうなり声を鳴らして喜ぶ。彼女の腰に下げられた革製のバッグには馬用の道具がたくさん詰まっているのだろう。中から馬用の菓子を取り出して手ずから食べさせている。
「では、マハット先生、それにジェーンさん。そろそろ士官学校へ向かいましょうか。ここからは私が警護に加わらせていただきますね」
振り返りながらイエレナは微笑んだ。
現場の後処理は彼女の部下たちが済ませてくれるという。イエレナは教師である前に五人の聖天馬騎士を率いる小隊長でもあるのだ。
「あ、そうだ」イエレナはいいことを思いついた、とでもいうようにジェーンの顔を見つめた。「ジェーンさん、ちょっとこっちに来て」
「え?」
手招きのままにジェーンがイエレナの側に寄ると、
「えい」
とまるで赤ん坊でも持ち上げるかのように軽々とジェーンの身体を抱き上げた。
「きゃっ!!」
突然のことに何が起きたかわからなかった。自分が聖天馬の上に跨がっていることに気がついたのは、イエレナが自分の後ろにぴったりと寄り添うようにして騎乗してからだった。
「さて、行きましょうか」
「え? え?」
「『オーブ』!!」
イエレナが聖天馬の脇を蹴った。
――Bu、Fuuuuu!!
と、まるで竜巻が起こったのかと錯覚するぐらいの風が起きた。
「わっ!!」
ぐい、っと地面に向かって引き寄せられるような感覚、と一瞬の後、浮遊感。
オーブと呼ばれた聖天馬は大きく左右に翼を広げている。地面がどんどん遠くへ離れていく。
と、飛んでる!?
自分が宙に浮かぶ感覚は実に奇妙なものだった。足下には何もない。投げ出されたら死んでしまう。そんな高さ。しかし、聖天馬のがっしりとした身体が自分を守ってくれているかのようで、不思議と恐怖は感じなかった。
――Quuuu。
聖天馬が気持ちよさそうに身体を揺らす。
「どう。ジェーンさん? 初めて聖天馬に乗った感想は?」
背中越しにイエレナが尋ねる。
これまで感じたことのない気持ちだった。十五歳の少女の胸の中で何か、ざわざわとしたものが揺れていた。似た感情を過去から探すのなら、初めて舞踏会に出た時の気持ちに似ている。知らない世界を知りたいという、そういう想いだった。
「凄い、凄いです。こんなの初めて。女神様にでもなったみたい」
どこまでも見渡せる。澄んだ空気の向こうに美しい風景。
眼下に広がるのは遮るものなどない広大な平原。透き通るように綺麗な川。整えられた石畳の道がまっすぐと続いている。その上をからからと進んでいる馬車にはマハットが乗っている。山を越えてきた道。川向こうから橋を超えてきた道。いくつもの道が東西から合流して一本の大きな道になる。
人々の往来も急速に増えた。騎士も商人も聖職者も、馬に乗った人々の活気が溢れる。蹄が道路を叩く音が重なる。まるで愉快な音楽のようだ。
ジェーンはそれを上から見下ろす。
「この景色が聖天馬騎士の特権よ」イエレナが耳元でささやく。「これから貴女が目指す、ね」
オーブの翼がバサバサと風を薙ぐ。地上から平屋を八つ積み上げたほどの高さを飛んでいる。小鳥を追い抜かし、風を振り切って聖天馬は前へと進んでいく。
ジェーンはそっと振り返った。
ジェーンのことを抱きしめるような形で手綱を握るイエレナの姿がそこにはあった。
ああ、綺麗。
その赤髪の聖天馬騎士は、いままでジェーンが会った誰よりも美しかった。
私も、なりたい。
こんな美しい、聖天馬騎士に――。
「わあ、凄い!!」
思わずジェーンは叫び似た喜びの声をあげた。
目の前に現れたのは、巨大な石壁。高い見張り塔。水堀と川、そして切り立った崖。人工物と自然とが一体になり、強固な要塞をつくりあげている。
「あれが士官学校よ。帝国軍の教育機関だから、これ自体もひとつの大きな城塞になっているの。十万の敵兵に囲まれても三年は籠城できるわ」
草原に寝転がる兵士。川で水を飲む軍馬。軍歌を合唱する集団。
上からだと地上の様子もよく見える。
「オーブ!!」
イエレナの言葉で二人を乗せた聖天馬はその高度をゆっくりと下げていく。マハットが乗る馬車の横に並ぶと音もなくオーブの足は地面についた。大きく左右に広げていた翼は、ぴったりと聖天馬の身体に添うような形で畳まれる。
「緊急時以外は士官学校の上空は飛行禁止なの。ここからは私たちも地面の上を走るわ」
イエレナは笑いながら愛馬の身体を叩いた。
目の前には巨大な門。それは帝国の最高教育機関に相応しい荘厳さ。外と内との境界線。ひとたびくぐれば、もうそこは別世界。
イエレナが門番に向かって敬礼をする。それを受けた門番は腰に下げたラッパを取り上げ勢いよく吹いた。高らかな音が鳴り響く。
「オランジェット隊長、御帰還!!」
門番がイエレナの名を読み上げた。
「わあ、すごい!!」
マハットが語っていたように、まるで一つの街と見紛うような光景だった。
露天は開かれ、人々は賑わっている。士官学校の制服を着た若者と、騎士服姿の人影がひしめく。だが法服の聖職者もいれば、大きな荷車を土竜に牽かせる行商人もいる。
焼きたてのパンの香りに、中央の噴水。店先にまで商品が溢れた書店。教会の鐘の音。
「マハット先生がいってたこと、本当だったのね。帝都からずいぶんと離れているのに、こんなに人で溢れているなんて。すごいわ」
ジェーン達は人混みを抜けて進む。すると段々と人影はその数を減らしていく。街並みもだいぶおとなしいものに変わっていく。賑やかな商店は姿を消し、石造りの保管庫が立ち並ぶ区画に入る。そしてそのうちに辺りは背の高い木ばかりになり、人も建物もなくなった。
「え、イエレナ先生。どちらへ向かっているんですの?」
「もちろん、航空騎兵学部の学舎よ」
「だ、だってなんかどんどん奥まった方へ行きますわよ」
「ええ、そうよ。うちの学舎は他の学部から少し離れた場所にあるの」
「これは『少し』ってレベルじゃありませんわ。どうして航空騎兵学部だけ隔離されてるんです!」
ゆったりとした勾配のある坂道を上っていく。オーブは息一つ乱してはいないが、隣で馬車を牽くカスタードとホイップの二頭の鼻息は大分荒くなっているのが聞こえる。
「聖天馬は静かな環境じゃないと育たないの。だから少しだけ離れたところに学舎はあるのよ。その分、広い空間を私たちだけで独占できるの」馬車と併走しながらイエレナが楽しそうにいう。「私も候補生の頃は軟禁されたような気分だったけどね」
帝国唯一の聖天馬騎士養成学校。
当然、イエレナも含めて帝国の聖天馬騎士は全員この学校の卒業生だ。
「さあ、着いたわよ。ジェーンさん」
後ろからイエレナの声。学舎は小高い丘の上に建てられていた。乙女の花園。清らかな少女たちの楽園。
「ここが……、これから私が入る学舎……」
アーチをくぐると、大きな広場中央に入った。空に向かって槍を突き立てる聖天馬騎士の像。まるで新入生を歓迎するかのように爛々と咲き誇る花々。レンガの敷かれた道。ちらほらと路肩にはいくつもの馬車が停車している。荷下ろしをしている従者と、これから学舎生活を始める貴族令嬢の姿。
「お疲れ様、ジェーンさん。短い時間だったけど初めて空を飛んだんだもの。疲れたでしょ。今日のところは寮でゆっくりと休んでね」
イエレナがジェーンを地面に下ろす。
ジェーンは士官学校の土を真っ黒な靴で初めて踏む。
「ふう、いろいろあったけどやっと着きましたねえ。よかったよかった。イエレナくん、お礼は改めてまた今度させてもらいますね」
「もう、マハット先生。そんなこといってお礼なんてしてもらったことないですよ。期待せずに待ってます」
「あら、そうでしたかねえ」
頭をぽりぽりと掻くマハットに軽い返事を返して、イエレナも下馬する。ジェーンに向かってさっと手を差し伸べる
「ジェーンさん、次会うときは正式に先生と生徒としてね。貴女と授業で会えるの楽しみにしてるわ」
「はい……、ありがとうございました、イエレナ先生」
ジェーンはその手を取り、ぎゅっと握手した。温かい手だ。というよりもイエレナの手はその髪色のように炎が如く熱い。
その熱さに気をとられている内にいつの間にかイエレナは去っていた。まだ手の中には熱が籠もっている。いや、手の中だけではなく、胸の内にも。
「ではではジェーンくん、僕もこの辺でおさらばさせてもらいますね」
「え!? ちょっと先生!!」
突然のマハットの言葉に驚くジェーン。確かにジェーンを士官学校に送り届けた時点で、彼がジェーンの父に頼まれている仕事は終わったといっていいだろう。
御者やお付きの女騎士たちは馬車からジェーンの荷物を下ろしてどこかへ運んでいく。
「いやあ、処理しなくてはいけない仕事をたくさん積んでましてね。ほら、何せこの時期は入学生がたくさん来ますからね。その手続きをせねばなりません」
「私はどうしたらいいんですの? このまま放置されても困りますわ」
「イエレナくんがいっていたように自分の部屋でゆっくりしてたらいいですよ。今日はもう何も予定はありませんし。長旅の疲れを癒やして下さい」
「レディ・ジェーン。それにミスター・マハット」
それは知らない声だった。威厳のある女性の声。
真っ黒なワンピースドレス。丁寧に撫でつけられた碧髪。年齢は四十代半ばといったところだろうか。
「ウルゥ・チエミ・マドレーヌと申します。武術教官と学生寮の監督官を兼任しております。どうぞわたくしのことはマダムとお呼び下さい」
「……はい、マダム・マドレーヌ」
ジェーンはスカートの裾を持ち一礼する。
「レディ・ジェーン。貴女にはあまり芳しくない噂があるようですね。くれぐれも問題は起こさないように。聖天馬騎士候補生としての自覚ある行動を期待していますよ」
「芳しくない、噂……?」
そんなものジェーンには心当たりがない、といえば嘘になる。
貴族令嬢たちは社交界で目立つジェーンのことを好き勝手に噂する。誰と婚約した、だとか。誰の婚約者を奪った、だとか。もちろん根拠なんてない根も葉もない噂だ。
そういった噂をされていることを本人も知っている。知っていてむしろそれを誇らしいとさえ心のどこかでは思っていた。誹謗中傷こそが、自分が美しいということの何よりの証明であると。そうも思っていた。
「ではでは、ジェーンくん。僕はこの辺りで――」
「ミスター・マハット」
ウルゥはそそくさとその場を立ち去ろうとしたマハットをぎろりと睨んだ。
「はいッ――」と彼はまるで蛇に睨まれたカエルのように固まってしまってしまう。
「貴方もですよ。貴方に関してもよくない噂を耳にします。優秀なのは結構ですが、士官学校の教師として生徒たちに恥ずかしくない振る舞いを心がけてくださいまし」
「は、ははは……。ええ、ええ、分かっていますよウルゥ先生。じゃ、じゃあねジェーンくん。また今度!!」
ぴゅん、とマハットは逃げ去る。
はあ、とウルゥはため息をつく。
「ではレディ・ジェーン。あなたの部屋に案内いたしましょう」






