はぁい、仲のいい子同士で組んでください
「えーと、何だったかなぁ」マハット先生がぽりぽりと頬を描く。「あ、そうか、これが初回の講義でしたね。ではまあ、とりあえず魔法学の講義やれるだけやってみましょうか」
ふぁー、と大きなあくびを一つ。講義室は様々な薬品とカビついた古本のにおいが充満していてとても息苦しい。窓には黒い暗幕がひかれ日光は入り込む余地もない。天井の魔力灯だけが煌々と強い光を放ち続けている。
「ぐぬぬ、マハット先生。ゆるしませんわよ。わたくしがエリサさんを成敗するのを邪魔したこと。末代まで呪ってやりますわ」
「セシリア、候補生同士の喧嘩は校則違反ですわよ」
ぎぎぎと歯を食いしばっているセシリア。ジェーンはその隣から、ちらりとエリサの様子を確認する。昨日のことなど、何もなかったかのようにして澄まし顔のエリサ。
ジェーンにとってはその方が気が楽だった。セシリアのようにいつまでも憤るより、何もなかったことにした方がよっぽどいい。怪我だって、マハットの治療もあってか、もうほとんど痛みはない。少し青あざになっているだけ。それも時期に治る。
うん、顔には傷がなくって本当によかった。
「はい、じゃあ講義を始めますねぇ。安心して下さい。僕はウルゥ先生みたいに厳しくありませんからね。気楽にやってきましょう」
黒板に向かって立つマハットはくたびれたローブを身につけている。
「座学ばっかりだと眠たくなるし、僕の講義は基本的には演習形式で進めようと思ってますよ。実際にみなさんに魔法を使ってもらうって感じでね」
マハットはまたあくびをする。大きなカップに入った珈琲をぐびぐびと水のように喉に流し込んでいる。
「それじゃあ仲のいい子たちで三人組を作ってください、なぁんて言ったら、へへへ、みなさん困りますかねぇ」
氷をぬるま湯にぽいと入れたときのように、静かだった室内がぴきりと音を鳴らしてざわめきはじめる。
マハットは事も無げに三人ずつ適当に分かれて座れという。講義室の中、誰も動く気配がない。
「はい、さっさと分かれましょう。講義始められませんよ」
乙女たちが簡単には分かれられないのには理由がある。単純な候補生同士の仲の良し悪しではない。
聖天馬騎士候補生はほとんど全員が貴族令嬢。帝国貴族は、いわばそれぞれが一国の領主。同じ国の人間とはいえ、信じるものも、守るべき利益も、違う。家と家の問題は、国と国との問題になる。
「どうしましょう……」「よ、よろしければわたくしと」「そちらは男爵家の……」
貴族令嬢でもある彼女たちは一人一人がその家の外交官だともいえる。誰が誰と仲良くするか、友人になるかは非常にセンシティブな問題になる。簡単に仲良い人同士でグループを組む、なんてことはできないのだ。
もちろん、それはマハットも知ってのことだろう。
「どうしよう……。私、どなたと組んだらいいのかしら」
ジェーンはここにいる乙女たちのほとんどと顔見知りだ。社交界の華と呼ばれたジェーンは帝国中のあらゆる舞踏会に呼ばれ、顔を出していた。同じ年頃の貴族令嬢であれば必ずどこかの舞踏会では会っているのだ。
「ふん、マハット先生も下手なことしますわね。これじゃあ、まるっきりダメですわ」
「やっぱりセシリアもそう思う?」
「ええ、もちろん」セシリアは、ふん、と鼻を鳴らした。「このやり方では、みんながわたくしを取り合って喧嘩になってしまうのが目に見えてますもの。わたくしってば、罪な女ですわ」
おっほっほ、とセシリアが高笑いしている内に、周りではゆっくりと乙女たちの島ができあがっていく。
昔からの知り合い。同じ格の家同士。あるいはこれから仲良くしていった方がお互いに得だと思う家同士。声をかけあい席に着く。
そもそもジェーンのプロフィトロール家に、セシリアの実家タルティア家が足繁く通っていたのだって、それが理由だ。
新進気鋭のプロフィトロール家の協力を得たいタルティア公爵と、格式高いタルティア家と縁を持ちたいプロフィトロール伯爵。その二つの打算的な思惑から二人は幼なじみになったのだ。
貴族令嬢には自由に『友だち』を選ぶ権利なんてなかった。
すべてがすべて、家と家とのつながりの話だ。
「さあ、その調子ですよ。三人組が決まったら席について下さい」
次々とグループができあがっていく。だんだんと隣で笑うセシリアの声が萎んでいくのがジェーンには分かった。
「はぁい、これでグループ分けはできましたかね」マハットはこほんとわざとらしい咳をする。「じゃあまあ、そことそことそこの余った子たちは、余った子たち同士で組んでくださいねえ」
そこと、そこと、そこ。余り者たちは一人ずつ指を指された。
そのうちの一人はジェーン・マナカ・プロフィトロール。
現皇帝の右腕とも呼ばれるほどの政治手腕をもった伯爵を父に持つ、大陸一の美姫。
好色令嬢。淫売令嬢。
そのあまりにも立ちすぎた浮き名から敬遠され残された。
もう一人はセシリア・カエデ・タルティア。
今年度の入学生の中で最も位の高い公爵家の令嬢。歴史ある、けれど今や斜陽の一途をたどる名家の末女。
高慢令嬢。没落令嬢。
その隠そうともしない自尊心と、他者を遠ざける強気な高笑いが合わさって、誰も声をかけることはできなかった。
そして最後の一人はエリサ・ユイ・サハトルテ。
金貸し令嬢。悪徳令嬢。
新入生の中で只一人、商家が出自の少女。
「げっ、エリサさん」セシリアが潰されたカエルのような声を出す。「ちょっと、マハット先生!! なんでわたくしが余り者のエリサさんと組まなくちゃならないんですのよ!?」
びしり、とエリサの方を指さし、つばを飛ばすセシリア。
「そんなの簡単じゃないですか。君も余り者だからですよ、セシリアくん」
「むきぃー、失礼な!! 納得できませんわ!!」
「ふんっ」と、エリサがその真っ黒な髪をかきあげた。「勝手なこと言わないでよ。あなたと組みたくないのはわたしも同じだから」
「何ですって!?」
「聞こえなかった? タルティア公爵令嬢さま。あなたと積極的にグループになりたい人なんてこの教室にはいないの。あなたもわたしと同じあぶれ者なんだっていったのよ」
「んぎゃぁー!! な、な、な、なんですってー!! 名ばかりの成金貴族のくせに!!」
「現にこうやって余り者同士で組むことになったわけでしょ。現実も見えないの? 没落貴族ってのは。やっぱり馬鹿なのね」
「い、いいですわ!! 昨日の恨み、いま晴らして差し上げますわ!!」
激しくつかみかかるセシリアと、それを冷たくはねつけるエリサ。
一触即発の雰囲気にその間をジェーンはおろおろとするばかり。
「ちょっと二人とも……、今はダメですわよ、講義中よ」
「あなたもあなたよ。プロフィトロールさま」
「……へ? 私!?」
突然変わった矛先にジェーンが素っ頓狂な声を上げる。
「あなたみたいなのがどうしてここにいるのか知らないけれど、ゴッコ遊びがしたいならお屋敷でひとりでやってれば?」
「ごっこ遊び!?」
「そうよ、社交界、ダンス、それと男。あなたが好きなものってそういうのでしょ? それが何の気まぐれだか、士官学校に来て。本当は聖天馬騎士になるつもりなんてないんじゃないの?」
「そ、そんなことないわよ!!」
確かに、彼女は自分自身の意思で入学を決めたわけではなかった。今の気持ちがどうあれ、それは事実だ。
ジェーンの表情に少しばかりの後ろめたさが浮かんだことをエリサは見逃さなかった。
「ふん、どうだか。そもそもあんた、ちゃんと聖天馬に乗れるの?」
「どういう意味ですの……?」
「あら、分からない? 聖天馬は処女しか乗せないのよ。あんたみたいな男好きがちゃんと貞操守ってるのか怪しいっていってんの」
パッ、と茹でた蛸のように見る見るジェーンの顔が赤く染まる。
「な、何をいっているんですの!! 私は正真正銘の乙女よ!!」
好色令嬢などと呼ばれているが、ジェーンはまだ清らかな乙女であった。恋に恋する少女であったが最後の一線は守っていた。
それはもちろん父伯爵の目というのもあるにはあった。
しかし、何より聖典には「汝、姦淫するべからず」との一行がある。女神の言葉。熱心な普遍教徒のジェーンにとっては何よりそれを信じ守ってきた。
「貴女こそ――」
「何よ――」
一方、目の前のエリサは聖典の中で明確に禁止されている「金貸し」によって貴族になったという。ジェーンにとってそれは信じられないし、認めてはいけないことだった。
帝国貴族とは皇帝に忠誠を誓うと同時に、聖典にも忠実でなくてはならないはずだった。少なくともジェーンはそう信じていた。金貸しでありながら、帝国貴族である。このことは矛盾している。
「はぁい、そこまで」今にも罵倒の言葉を発しそうになっていたジェーンの口が、むぎゅ、と無理矢理閉じられた。「喧嘩はあとにしてくださいね。とりあえず講義を始めます。教師ってのはつらいもんでね、みなさんのせいで授業が延びても残業代はいただけないんですからね」
マハットの口封じの魔法だった。見れば、ジェーンだけではなく、セシリアやエリサの口も見えない魔力で閉じられていた。
「むぐぐぐ――」
観念したといった感じで三人同時に椅子を引き、席に着く。
一件落着。合い無くして講義室の一番端っこの島にはどよんと思い空気をまとった三人組が収まることになったというわけだ。
「現代航空騎兵戦において魔法は習得不可避の必須技能です。一昔前は古い騎士道みたいなものにとらわれて魔法に頼らなかった騎士たちもいましたが。まあ、そういう人たちはもう生き残ってないですね」
はっはっは、と愉快そうなマハットと白ける乙女たち。
マハットの講義が進むに従って、彼のかけた口封じの魔法も解けていった。まるで裁縫糸で縫い付けられたみたいだった口は次第に緩まってくる。が、今さらエリサに何事かを言い返す気力もなくなっていた。
向こうも同じ気持ちのようでこちらのことを気にした様子もなく、マハットの板書をノートに書き写していた。
金貸しの娘。家号買いの娘。ジェーンがこれまで会ってきた誰よりも、彼女の出自は聖典の教えからはかけ離れた貴族のあり方だった。
ふと、エリサの瞳がジェーンの心をのぞいたような気がした。
口の中が乾いていくようだ。何だろう、この気持ちは。エリサのことが怖い。怖いだけなら近づかなければいいのに。そうではない。怖いだけではないのだ。洞窟の向こう側の闇に恐怖を感じながらも、何か小石を放り込んでみたくなるような、そんな気持ち。
思わず、ジェーンの方から目線をそらざるを得ない。
何故だか額から汗が流れる。
「まずみなさんに覚えていただくのは索敵魔法です。貴族令嬢であるみなさんに今さら基礎の魔法の指導の必要はないでしょう。この索敵魔法は明確に士官候補生。つまりは軍人が覚えるべき基本の魔法です」
と、マハットはいいながら宙に術式を刻んだ。
魔法の発動には主に二つの方法がある。魔法言語を声に出して世界に刻む『詠唱』と、魔法言語を特定の法則で文字として記す『記述』だ。
マハットが行ったのは後者。世界の法則に一時的に介入するために編み出された術式を、魔力を込めて書き上げることによって発動させる方法。
純粋な魔力は発光した白の線になって見えるものだ。マハットの指先は白く光り、その軌跡は魔法文字となって宙に浮かぶ。
一瞬の後に書き上げられた術式は、一段と力強く光った後に霧散した。そして、変わって出現するのは宙に浮かんだ円状の図形だった。
「では、どなたか前に出て協力をしていただけませんか――」
「わたくしが協力してさしあげますわ!!」
マハットの言葉に、びしっ、と手を上げたのはセシリアだった。
ひええ、とセシリアの隣でジェーンが震える。講義の始めにあんな騒ぎを起こしたというのにどういう神経をしていたら挙手ができるんだ。
周りの候補生たちもくすすと笑っている。向かいのエリサは無表情。マハットは苦笑いを浮かべている。
「ええっと、誰か協力をしてくれる方は――」
「はいはいはーい!! マハット先生、わたくしを置いて他に適任はおりませんわ!!」
確かに子どもの頃からセシリアは魔法を得意としていた。特にジェーンが苦手とする炎属性の魔法に関しては魔法士の資格を得ることも難しくないといえるレベルにまで達していた。将来は魔法士になるんだ、と宣言していた時期も知っている。
けど、それにしたって凄い度胸だ。
「じゃ、じゃあ、セシリアくん。前に来て下さい」
諦めたといった感じでマハットが促すと、セシリアは胸を張りながらぐんぐんぐんと前へ歩み出た。
「タルティア様って、ちょっと変わっていらっしゃる方なのね」「ちょっと、ではありませんわよ」「あまり関わり合いにならない方がよろしいかもしれなせんわよ」「何をなさるかわかりませんものね……」
周りの候補生たちがこそこそと噂話をするのにもお構いなし。ただ難しく考えるよりも前へ進むというのがセシリアの生き方なのだ。
「索敵魔法とは、その名前の通り『敵』を『索す』ための魔法です。相手より早く相手の位置を把握する。戦いにおいて何より重要になる技術です」
さきほどマハットが展開した図形の上にはいくつもの点が浮かび始めた。それが自分たち候補生の位置を示すものだとこの部屋にいる乙女たちは全員すぐに理解する。
「原理は簡単です。魔法陣を中心として、薄い魔力を波のように周囲に飛ばすのです。コウモリが音波で自分の位置を把握するのと本質的には同じです。今はこの教室内に出力を絞っていますが、魔力量を調節すれば広範囲の索敵ももちろん可能です」
数秒ごとに図形の上の点は点滅する。その間隔で弱い魔力の波動を放出しているのだ。
「では、セシリアくん何か簡単な魔法を使ってみて下さい。そうだなぁ、魔力障壁でも張ってみて下さい」
マハットの言葉に、はいきた、とでもいうかのように得意げな顔をするセシリア。指先に魔力を溜め、空中に式を描く。
「《守れ》」というセシリアの声と共に魔力は意味を持ち、彼女の目の前に強大な魔力の壁が生まれた。
と、マハットの索敵魔法の光点がひとつ、他の点と比べて明らかに激しく早く点滅を始めた。
「はい、このようにセシリアくんの発した魔力に、僕の索敵魔法が反応しました。人間は黙っていても微量の魔力を帯びていますが、魔法の使用はその比ではない量を放出します。今、セシリアくんがやったように、考えなしに魔法を使うとたちまち敵の索敵魔法にひっかかってしまうというわけですね」
「考えなし!? ひどい、先生がしろっておっしゃったのに!?」
「戦いでは魔力を使わなくてはいけない場面が多々発生するでしょう。しかし、無闇に使えば敵に補足され自分や仲間の身を危険に晒してしまうというわけですね」
互いに相手の位置を探し合い、先に見つけた方が有利な戦況を作り上げる。それが現代航空騎兵の戦い方だ。言葉にすれば簡単な駆け引きのように思える。
教壇に立つマハットは黒板に索敵魔法の術式を記す。候補生たちは一斉に筆をとりそれを手元に書き写す。術式は数字と魔法言語、それと円や星形などの図形を組み合わせて成り立つ。その言語の意味それ自体だけではなく順番や描かれる位置なども含めて術式は術式たり得るのだ。
「ねえ」ジェーンもその式を書き写していたところ、目の前から自分を呼ぶ声がした。「貴女、よくあんなうるさいのといつも一緒にいるわね」
エリサだ。『あんなの』とはもちろんセシリアのこと。セシリアはまだマハットの隣でわあきゃあ騒いでいる。
ジェーンは苦笑する。
「セシリアと私は幼なじみなの。昔なじみっていうか、腐れ縁、かしら? 昔から屋敷によく来てくれてたの。ずっと二人で遊んでたわ」
「家同士のつながりってわけね。プロフィトロール伯爵家とタルティア公爵家の」
「……そうね。最初はそうだったかもしれませんわ。でも、いい子ですのよ、セシリアは、意外と」
「まあ、悪人ではないでしょうね」エリサはにこりともしない。「馬鹿なだけで」
真面目な顔から飛びだした言葉に、ジェーンは思わず声を出して笑ってしまった。
「あはは、そうですわね。馬鹿ですわよね。あんな風には私、とてもじゃないけれど振る舞えませんもの」
「貴女はもっと大馬鹿だけどね。プロフィトロールさま」
冷たいものいいを繰り返すエリサだが、少なくとも不機嫌ではないらしい。彼女の声色からそれは分かった。彼女の手元を見れば、いつの間にか索敵魔法の術式がノートの上に書き上がっていた。
「エリサさんって凄いのね」
「……は?」
心のままに呟いたジェーンの言葉に、エリサはまるで突然石でも投げつけられたような、ぎょっとした表情を浮かべる。
「武芸だけじゃなくって魔法も優秀なのね。凄いわ。私、同世代でこんな凄い人を見るの初めてよ」
「なにそれ。やめてよ。気持ち悪い」
「本心よ……」
エリサはその黒い髪の毛をそっと撫でながら、ジェーンから目をそらす。
「わたし、貴女のこと苦手だわ」
「でも私は貴女のこと気になってますわ」
すると、エリサは今度は訝しげな表情をして、
「もしかして……、貴女、そっちの趣味もあるの?」
「そっちの趣味……?」
ジェーンはハテナを頭に浮かべる。そして、エリサの表情から彼女の言葉の意味を察し、ぶんぶんと首を横に振る。
「違いますわ!! そういう意味じゃなくって――。なんか初めて会ったときから、初対面な気がしませんの」
「……初めて会ったとき?」
「ええ、入寮の日。貴女とぶつかったでしょ」
あの時、レイラと厩舎に向かう途中にエリサとぶつかった。初めて見る黒い髪と黒い瞳に、ジェーンは特別な何かを感じていた。
「――あれが初めてじゃなかったら――どう?」
エリサが事も無げにいう。冗談なのか分からないような口調。
「へ? どういうこと?」
と、問い返そうとした瞬間。
「もう、全く嫌になっちゃいますわ。人使い荒い先生ですこと。まあ、わたくしが優秀な上に美人だから、前に立って欲しい気持ちはわかりますけれど」
セシリアが、ふう、と一仕事終えたといった様子で戻ってきたので、その話はそれっきりになった。