《後編》隠し続けていたもの
悪夢のせいでなかなか寝付けず、眠りに落ちることができたのは明け方だった。
──今日は血の臭いが濃い。そう思って目が覚めた。
城の中がざわついているようだ。
また父がたくさん処刑したのだろう。
結婚してここを出て行けば、この嫌な臭いとも決別できるのだろうか。
ベッドの上に起き上がり、窓の外を見た。よく晴れている。
だけど、と思う。私は城を出たくないのだ。出ても構わないと思えるほどの縁談がこなければ、結婚なんてしたくない。
と、扉が開いてエミリエンヌが入ってきた。
「調子は?」と尋ねる。「ちゃんとはちみつ生姜を飲んだ?」
だけど彼女は答えなかった。手にしていた服をベッドに置く。
「すぐに着替えて下さい」
「今日はこの服の気分ではないわ」
「ダメです。これです」
エミリエンヌの顔は強ばり、口調は冷たかった。
「どうして?」
「今すぐ着替えなさい」
そう答えたのはジュスタンの声だった。見ると扉の元に彼が立っていた。
「何をしているの。王女の寝室を覗くなんて無礼にもほどがあります」
「あなたはもう王女ではない」とジュスタン。「寝間着で処刑されたくなければ、着替えることです」
「……処刑?」
「あなたの父は先に逝きましたよ。暴虐の限りを尽くした王は誰に守られることもなく、あっさり我々革命軍の手で殺されました」
◇◇
寝室から中庭へ行くまでの間に、ジュスタンが説明をしてくれた。革命軍は父が処刑した者の親類や縁者を中心に構成されており、国民の支持を得て地下活動を行ってきたこと。ジュスタンとエミリエンヌも6年ほど前からその一員であること。
それらの話を私はまるで別世界のことのように聞いていた。
兄妹は私に恩義を感じていたのではなかったのか。懸命に仕えてくれていたのは、この日のための嘘だったのか。
私のことを嫌っていたのか、憎んでいたのか、共に遊んだのも学んだのも旅をしたのも苦痛でしかなかったのか。
ジュスタンもエミリエンヌも、寝室を出てから私と目を合わせない。
だけど、それならあの執拗なまでの結婚の勧めはなんだったのだろうか。
私を逃がそうとの考えだった、ということはないだろうか。
中庭に着くとそこには見たことのない男たちがたくさんいて、私を見ると歓声を上げた。口々に「処刑を!」と叫ぶ。
父と同じく、私を守ろうという人はいないらしい。
ふと悪夢を思い出した。
結婚相手に愛されず、最後は処刑される私。あれはこれを示した夢だったのだろうか。
「ジュスタン」
私は十年共にいた従者の名を呼んだ。
「なんですか」彼はやはり私を見ない。
「処刑はあなたにしてほしい」
ジュスタンが驚いた顔をして私を見た。滅多に表情を変えない彼が珍しい。
「……なぜです」
「あなたの腕を信用しているもの。きちんと一刀で首を落としてくれるでしょう?」
ジュスタンの目が揺れた。
「あの!」とエミリエンヌが男たちに向かって声を張り上げた。震えている。「アダルジーザは許してもらえないでしょうか。彼女は愚かなだけで悪い人間ではありません」
群衆が不満の声を上げる。
「兄と私は彼女に命を助けられました。恩人である彼女を処刑すれば、私たちは暴虐の王と同じことをすることになります」
だけれど不満の声は止まずにますます大きくなる。
「エミリエンヌ。止めなさい。あなたの立場が悪くなるだけよ。私の価値はなくなったということなのでしょう。ジュスタンの言う通りね。確かに後がなくなった」
頬を一筋の涙が伝わった。
「声を上げてくれて、ありがとう。あなたは素晴らしい侍女だった」
それからジュスタンを見る。
「あなたも素晴らしい従者だった。私に見る目があったのよ。さあ、怖いからさっさと終わらせましょう」
「……そんなに悪い姫じゃない」
また新しい声がした。群衆の中からひとりの男が進み出た。それはかつて私のせいで処刑されかかった騎士団長だった。
「私は彼女の我が儘で落ち度もないのに処刑を言い渡された。だが彼女の嘆願でそれは覆った。更に」と元団長はぐるりと見渡した。「クビになった私にこっそり退職金を持たせてくれた。エミリエンヌの言う通り、愚かだけど悪人じゃない。彼女を処刑するのは良心が痛む。私たちの目的は暴虐の王を倒し、国に平和をもたらすことだ。殺戮をすることではない」
結局、革命軍の中核人物たちの話し合いとなった。そこにはジュスタンもいた。
そうして私は免罪されることとなった。
しかも亡き母の母国の王室に送ってもらえるという。
急展開の厚待遇だ。
ただし乗り合い馬車の旅で、供はジュスタンだけ。私はひとりで服を着たことも髪を結ったこともないから、エミリエンヌも一緒に来てほしかったけれど、叶わなかった。彼女は恋人が革命軍にいて、城突入の際に少しだけあった戦闘でケガをしたという。それは心配だろうから、諦めてあげたのだった。
◇◇
ジュスタンとふたりきりの旅は、資金も乏しいようで庶民が泊まるような宿に泊まり、食事もひどいものだった。それでも私は文句を言わなかった。
というかジュスタンが必要最低限しか口をきかないのだ。もしかしたら彼は私の供は嫌だったのかもしれない。他の中核が新生国家を作るために奔走しているなかで、罪人の娘の護衛だなんて。
それでも慣れない着付けを手伝ってくれるし、髪も結ってくれる。ジュスタンが何を考えているのかは、さっぱり分からなかった。
ある晩のこと。ぼんやりと考えた。
ジュスタンと私は資金がないから泊まる部屋も一緒で、時にはベッドがひとつしかないときもある。そしていつなんどきも彼は必ず私に背を向けて寝ている。
やはりこれは心安らげるひとときに、私の顔など見たくないということだろう。
素直に早く結婚しておけば、これほど迷惑がられることはなかっただろうか。
ジュスタン自身も未婚で、私の知る限り恋人はいない。だけどそのように思っていたエミリエンヌには大切な相手がいたのだから、実はジュスタンにもいるのかもしれない。
この長旅が終わったら、恋人と結婚するのかもしれない。エミリエンヌは兄が戻ったらそうすると話していた。
「ジュスタン」
声をかけてみるが、返事はない。いくら待ってもだ。
私も彼に背を向けて目をつぶった。
◇◇
何週間もかけ、ジュスタンとの微妙な日々に耐え、たどり着いた母の実家で私は門前払いをされた。
王女でなくなった私に価値はないそうだ。王の愛人としてなら迎え入れてもいいと言われたが、私が答えるより先にジュスタンが断っていた。
行く当てのなくなった私を連れて、ジュスタンは黙々と着た道を引き返した。行きよりも更に口数が減り、必要なことさえ首の動きで示すほどだった。
私は自分の身の上よりも余程、彼の頭の中が気になったけれど喋ってくれないのだから分かりようがない。
それでも身支度を手伝ってくれる彼の手つきは丁寧で、余計に私は混乱するのだった。
やがて自国に戻るとジュスタンは、行きとは違う道程をとった。どこへ行くのと尋ねても返事はない。どんどんと田舎になっていき、そのうち乗り合い馬車すらなくなった。
最後は徒歩で丘をのぼり、そうやってたどり着いたのは有名な女子修道院だった。
「もう、あなたが行けるところはここしかない」とジュスタンは私を見ずに行った。
「良かった、修道院で。娼館に売られるのかと思ったわ」
以前見た悪夢のように。
「そんなことっ」と言いかけて、彼は困ったような目をした。「修道院は嫌がると思った。話せばあなたは逃げるかも、と」
「逃げてどこへ行くというの?」
「……盛りを過ぎてもまだあなたは美しい。地方の小金持ち程度にならまだ妻にと望まれますよ」
「嫌よ。私に相応しくない男なんかとは結婚しないわ」
そうして私はこの女子修道院に入ることになった。シスターたちは暴虐の王の娘を拒むことはなく、ただし王女としての特別扱いもないが大丈夫かと尋ねた。ジュスタンは心配そうに私を見ていたが、私は問題ないと答えたのだった。
丁寧に院の生活の説明を受け、それが終わるといよいよ彼との別れの時間となった。
出会ってから十年も共にいたのに、別れはあっさりしたもので、ジュスタンは院長にアダルジーザを頼みますと礼をして終わり。私にはひとこともなかった。
私は彼を見送ろうと共に建物を出た。
よく手入れされた庭を通り、外に出る。日は高いのに往来に人影はなく、緩やかな坂道を小さな動物が横切っていった。
「じゃあ」とジュスタンはよそを見て口を開いた。「しっかりやって下さい。もうあなたの身支度を手伝うひとはいませんからね」
「そうね」
「……案外、大丈夫そうですね。都を出て一日も持たずに我が儘が爆発すると思っていたのですが」
「……」
全てが一変したあの日に見た悪夢を思い出した。恐ろしくリアルで、いまでも鮮明に思い出すことができる。あの夢を見ていなかったら、現実を受け入れられなかったのではないだろうか。あんな風に身をやつし、気が狂い、殺人犯として処刑されるよりは、今のほうがずっとマシだ。
……ジュスタンがいてくれたし。
「では私は行きます。息災で」
そう言って彼は歩きだした。いつものように。用を済ませたらすぐに戻ってくるかのように。
ジュスタンが少しずつ遠ざかる。
「私に結婚を勧めていたのは、逃がすためだった?」
ずっと聞きたかったことが口をついて出た。
「もしそうだったなら、結婚をしなくて悪かったわ。ごめんなさい」
『ごめんなさい』なんて言葉を口にするのは初めてじゃないだろうかと、どこか冷静な私が考える。
ジュスタンも驚いたのか、足を止め振り返った。
ひとつ素直になったら、胸の奥に封じていた思いまでが溢れてくる。
「嫌だったの。城を出たくなかった」
涙がこぼれる。とまることなく次から次へと溢れてしまう。
「……あなたと離れたくなかった。結婚を勧められるのは苦痛で、みじめでしかなかったわ」
だめだ、幼子のように泣くなんて。王女だった私には似合わない。最後はきちんと別れたい。
手のひらで、涙をぬぐう。
「だけど全て終わったこと。ここまで送ってくれてご苦労様。気をつけて帰りなさいね」
タッとジュスタンが地面を蹴って駆けてきた。
「ど……」
どうしたのと問う間もなく、抱き寄せられ口づけられる。
「帰って来なければっ」混乱している私を強い力で抱きしめながら、ジュスタンが叫ぶ。「盗賊に襲われ死んだのだと、そういうことにしてくれると言われている」
意味がよく分からず、更に戸惑う。
「エミリエンヌもそれでいいと」
エミリエンヌ。ジュスタンが帰ったら、恋人と結婚するとの話だった。
「アダルジーザ。私と共に生きてくれますか。地位も金も何もない、主なしのはぐれ騎士でしかないけれど、あなたを愛している」
『愛している』?
「だってあなたはしつこく結婚を勧めたわ」
「革命から逃がすためだった!そうでなければ、誰とも結婚などさせずに城に留めておきたかった。あなたは私のことなど眼中にないのだと思っていた」
ぎゅうぎゅうとジュスタンは私を抱きしめる。
「私、悪夢を見たのよ。酷い死に様だった。あれにならないのならば、王女ではない生活も耐えられると思うの」
「アダルジーザ」
ジュスタンが腕を緩めて私を見た。
「ジュスタンと一緒にいたいわ。私が必要なのは、あなただけよ」
「アダルジーザ!」
再び唇を重ねられて、よく分からないうちに私は疲れてしまった。どうやら恋人同士になるのは旅より大変らしい。
◇◇
修道院入りがなくなったことを、ふたりで院長に詫びると、彼女はたまたま訪れていた付近の教会の司祭を連れてきた。
そうして礼拝堂で、この修道院で初の挙式が執り行われた。
きらびやかな婚礼衣装も、豪勢な顔ぶれの参列者もなかったけれど、満面の笑みのジュスタンが隣にいてくれて、私は初めて幸せな気持ちになったのだった。
式が終わると夕方で、院長は泊まっていくかと親切に尋ねてくれた。
「ただし女子修道院ですから、男性は離れた棟になります」
「ご厚意に感謝いたしますが、遠慮をします。ようやく背を向け寝たふりする必要がなくなったので」とジュスタン。
「寝たふり?」
ジュスタンは無言でにこりとすると、私の手を握りしめた。
お読み下さり、ありがとうございます。
こちらは単独作品ではありますが、主人公アダルジーザは拙作『冷血騎士の困難な恋』に出てくる極悪人アダルジーザの生まれ変わりです。
『冷血騎士』であまりに酷い一生を送らせてしまったのが気になっていたので、次世で幸せになってもらいました。