『取り敢えず候補』と幼馴染の王太子 ※タイトル変更しました
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「ユーグ・ド・カフカスの婚約者候補にマルグリット・ド・サヴィニーを新たに加える!」
「王太子殿下! 私そんなこと頼んでません!」
会場に静寂が訪れた。
先ほどまでの騒ぎに何事かと集まっていた人々は口をポカンと開けて壇上の王太子殿下を見た。だが漸く状況を察すると今度は気の毒そうな顔をした。
「王太子の婚約者候補は頼んでなれるものじゃない!」
「だから頼んでません」
「とりあえず受けろ。これは命令だ!」
皆確認するように周囲を伺い、互いに頷き合うとそっとその場を離れ始めた。
私はその様子を柱の陰から見守っていた。
そして私の向かいの柱の陰に、やはりこの事態を見守っている人物がいた。
そう隣国テッサロニのピエール王太子殿下である。
ピエール様は一心に何かを見つめている。
そもそもこの騒ぎの発端はかれこれ30分程前まで遡る。
王立学園の卒業式。
華やかな衣装に身を包んだ貴族の令息令嬢で溢れる会場の扉が勢いよく開かれた。
皆が何事かと見守る中、颯爽と現れた王太子殿下は高らかに宣言した。
「カトリーヌ・ド・ラメット、本日を以って貴女をユーグ・ド・カフカスの婚約者候補から外す!」
会場が一瞬静まった後、ざわめきが起こった。
「貴女がここにいるマルグリットを虐めた証拠は揃っている。貴女のような性根の悪い者が未来の国母になれると思うか?」
ユーグ王太子殿下の後ろには、マルグリットと呼ばれた小柄な女子学生が立っていた。彼女は生まれたての小鹿のように足をぷるぷるとさせている。それに合わせ彼女のピンクブロンドの髪もふわふわと揺れる。
彼女の両脇には彼女を守らんと宰相子息のジョルジュ様と騎士団長子息のエドガー様が立っていた。
「私は、私は…………その女がいけないのです! 私のドレスを引きちぎって」
「マルグリットは故意ではなかったと言っているぞ。しかもちゃんと謝罪もし代わりのドレスも直ぐに贈ったと。それなのに貴女は仕返しをして虐めた。違うか?」
「…………」
「全て事実だ。言い返せまい。残念だ…………」
カトリーヌ様は膝から崩れ落ちた。
事の成り行きを見守っていたラメット侯爵が血相を変えて娘カトリーヌに近寄る。無理やり立たせようにも泣き喚いて手が付けられない。
「嫌ーーーーっ。王太子殿下、嫌ですーーーーーー」
困り果てたラメット侯爵は会場の警護にあたっていた騎士と共にカトリーヌ様を会場の外に引っ張っていった。
そして今に至る。
ユーグ様が婚約者候補から外した侯爵令嬢の代わりに、マルグリット子爵令嬢を候補者に加えようとしたにもかかわらず拒絶されたところである。
ユーグ様はぐったりとした表情でマルグリット様と話を続けている。
ユーグ・ド・カフカス王太子殿下。
ここカフカス王国の次期国王であり、私シャルロットの幼馴染でもある。
私はカトリーヌ様を婚約者候補から外すという第一声を聞いた時、幼馴染の愚行を呪った。
それにはもちろん訳がある。
ユーグ様には幼少の頃に選定された4人の婚約者候補がいた。
一人目は伯爵令嬢のルイーズ様。
彼女は幼い頃から想い合っている方がいたらしい。
幸い伯爵家は裕福であり野心家ではなかったため1年前に辞退を申し入れた。
候補者の中だけで比較すれば一番家格が下だったため受理された。
二人目は侯爵令嬢のカミーユ様。
彼女の弟である侯爵家嫡男が半年前に不慮の事故で亡くなった。
弟に代わりカミーユ様に婿養子を取ることとなり侯爵家は辞退を申し入れた。
侯爵家の存続に関わるため受理された。
そして3人目の侯爵令嬢カトリーヌ様。
子爵令嬢を虐めて王太子殿下よりつい先ほど婚約者候補から外された。
まぁ、カトリーヌ様にも多少同情の余地はないでもない。
それと言うのも、マルグリット子爵令嬢がある時何もない所で躓き、たまたまそこに居合わせたカトリーヌ様のドレスを引っ掴んでしまったらしい。カトリーヌ様が無残な姿になったことは言うまでもない。
まぁ、その後執拗に虐めたという事実はユーグ様が言っていたように残念でしかないが。
さて、最後の4人目。これが私、リオンヌ公爵家のシャルロットだ。
と言っても事情を知っている人達からは『取り敢えず候補』と呼ばれている。
そもそも何故私が『取り敢えず候補』なのかというと、それはユーグ様のお言葉に因るものだった。
実は幼少期にユーグ様を泣かせてしまったことがあった。
木に引っかかってしまったお気に入りのリボンを取って欲しかったのに、尻込みして一向に動いてくれないユーグ様を散々貶したのだ。すると拳を握って俯いていたユーグ様が泣き出した。
そんなことがあったため、私が四人目の候補者になったと知ったユーグ様はこいつだけは絶対嫌だと言い張ったらしい。ただ周囲の大人たちからしたらユーグ様と年の近い公爵家の令嬢が候補者にならないのは不自然だという理由で、暫定的に候補に残されたのである。
それ以来ユーグ様にとって私は『取り敢えず候補』、私にとってユーグ様は単なる幼馴染となった。
一人目と二人目は既に辞退が受理され候補から外れている。
残りはカトリーヌ様と私の2名。
そのカトリーヌ様を外してしまうということは、残りは『取り敢えず候補』の私だけ…………。
つまり候補者がいなくなると言う事なのだ。
だからこそユーグ様は子爵令嬢のマルグリット様を候補に加えると宣言した。
それなのにマルグリット様は先ほどから頑なに拒絶している。
受けてくれればいいのに。
実は私はマルグリット様とは面識があった。学園でカトリーヌ様に関する相談をされていたのだ。結果的にはカトリーヌ様の自滅で終わったわけだが、一応、相談料として候補者に残ってもらえないものか。
もやもやとした思考の中を彷徨っていた私は、人々が『取り敢えず候補』の存在を思い出す前に会場を後にした。
ここはリオンヌ公爵家の庭園にある四阿である。
この季節まだ薔薇が咲くには早いが、それでも春の花々が四阿を彩っている。
あの卒業式から数日が経過していた。
学園も終わってしまい『取り敢えず候補』な私に、やらなければならない事は殆どない。
侍女が淹れてくれたお茶を飲んでいると侍従が来客を告げに来た。
「ユーグ王太子殿下がお見えでございます。いかがいたしましょうか」
「昨日も来たわよねぇ。今日もなの? まぁお断りするわけにもいかないものね。こちらにお通ししてちょうだい」
「かしこまりました」
下がっていった侍従と入れ替わりでユーグ様がいらした。
どうやら今日も沢山のお菓子と花束を持参したようだ。
「ようこそおいでくださいました。ユーグ様」
「なぁ、ロッティ聞いてくれよ」
「それよりユーグ様。花束を下さるのは嬉しいのですけれど、こう毎日ですと公爵邸が花で埋まってしまいそうですわ」
「それはすまない。だが、花束を渡すのはやはり礼儀だと思う」
「えぇ。それはそうでございますね」
なまじ紳士な発言なだけにため息がこぼれる。
そこに救いの声がした。
「姉上! 私もご一緒して構いませんでしょうか」
キラキラした目で見上げる様に思わずギュッと抱きしめる。
侍女が心得たように椅子を運んできて、弟のジャンが隣に座った。
「なんでいつもジャンは邪魔をする?」
「違うよ。私は姉上をお守りするためにいるだけだから」
あぁ、可愛い。私はジャンの頭を撫でてあげる。ジャンの髪は子供特有の柔らかい質感でとても癒される。
「だから、聞いてくれよ。マルグリットが候補者になるのは絶対嫌だと言ってきかないんだ」
「そもそも何故、マルグリット様を候補者にしようと思われたのです?」
「それは私を頼ってくる姿がとても微笑ましくてだなぁ」
「そうですわね。彼女は庇護欲をそそるタイプだと思いますわ」
「そうだろ? なんというか守ってやりたいと思わせるんだ。うん」
「では説得を続けるしかありませんね」
ジャンを見れば、その通りだとばかりに頷いている。
「分かったよ。また来る」
「お気を付けて」
また来るって、暇なのかしらね?
私はお茶を淹れ直そうとする侍女を止めて、冷めたままのお茶を口にする。
それにしてもこれ、どうしようかしらね。
貰ったお菓子の山を眺めて呆然とした。
次の日、私は四阿にいた。
私はお茶を口にして、まだまだ減らないお菓子の山と格闘していた。
すると侍従が来客を告げる。
「子爵令嬢マルグリット様がお見えでございます。いかがいたしましょうか」
「わかりましたわ。こちらにお通ししてちょうだい」
「かしこまりました」
下がっていった侍従と入れ替わりでマルグリット様がいらした。
「ようこそおいでくださいました。マルグリット様」
「シャルロット様。聞いて下さい。ユーグ王太子殿下がどうしても婚約者候補になれとしつこいのです」
「はぁ。そもそも何故、候補者になるのがそんなに嫌なんですの?」
「だって面倒なだけじゃないですか。それに私の家は子爵家です。とても王族に嫁げるような身分ではありません」
髪のふわふわ感と違って、よく現実を見ている。
「失礼いたします。ピエール王太子殿下がお見えでございます。いかがいたしましょうか」
「はい?」
何故テッサロニ国の王太子殿下がここに?
その時ふと思い出した。
ピエール様がカトリーヌ様の騒ぎを一心不乱に眺めていたことを。
でもあの時は既にカトリーヌ様は会場の外に出た後。残されていたのはユーグ様とマルグリット様だけのはず。 そのピエール様がわざわざここに来る。それはつまり彼の目的の人はここにいるということだ。―――それはマルグリット様しかない。
「わかりましたわ。こちらにお通ししてちょうだい」
「かしこまりました」
下がっていった侍従と入れ替わりでピエール様がいらした。
「ようこそおいでくださいました。ピエール王太子殿下」
「シャルロット嬢。マルグリット嬢。こんにちは」
「それで今日はどうされたのでしょうか」
「ほら、テッサロニ国として未来の王妃候補と親しくしておいて損はないと思いましてね」
「やはり王太子殿下ともなられるとそのような事まで視野に入れて行動されるのですね。だから私は婚約者候補にはなりたくないと言っているんです!」
マルグリット様の怒りに合わせたようにピンクブロンドの髪が揺れる。
その姿にピエール様の目がとろんとした。
あぁ、やはりこの方の狙いはマルグリット様ですね。
でもでも、マルグリット様を持って行かれては『取り敢えず候補』の私だけにになってしまう…………。
「マルグリット様が候補者になりたくないというお気持ちは分からなくはないですわ。でしたら、説得を続けるしかないのではありませんこと?」
がっくりと肩を落とすマルグリット様を優しく宥めるピエール様の目は猛禽類のようだった。
凄い変わりようにびっくりする。
マルグリット様はもう逃げられないわね…………。
「シャルロット様、また参ります」
「えぇ、お気を付けて。マルグリット様」
「マルグリット嬢、良ければ私が送っていくよ」
「宜しいんですか? ありがとうございます!」
「それじゃ、シャルロット嬢。また来ます」
「え、えぇ、お気を付けて。ピエール王太子殿下」
皆また来ますって。暇なのかしらね?
私はお茶を淹れ直そうとする侍女を止めて、冷めたままのお茶を口にする。
それにしてもこれ、どうしようかしらね。
減らないお菓子の山を眺めて呆然とした。
そのまた次の日、私は四阿にいた。
私はお茶を口にして、相変わらずお菓子の山と格闘していた。
今日はユーグ様の来訪を察知したのか弟のジャンが既に私の横を陣取っている。
ジャンがお菓子に手を伸ばした。少しはお菓子の格闘を手伝ってくれるようだ。
すると侍従が来客を告げる。
この時間だとユーグ様よね。またお菓子が増えてしまう……。
「失礼いたします。ピエール王太子殿下がお見えでございます。いかがいたしましょうか」
「あら? わかりましたわ。こちらにお通ししてちょうだい」
「かしこまりました」
下がっていった侍従と入れ替わりでピエール王太子殿下がいらした。
てっきりマルグリット様と同じ頃に来るとばかり思っていたのに。
「ようこそおいでくださいました。ピエール王太子殿下」
「シャルロット嬢。こんにちは。それと、こちらの紳士はどなたかな?」
「あぁ、弟のジャンですわ。ジャンご挨拶をして」
ジャンが「はい、お姉さま」と言ってピエール王太子殿下にご挨拶をする。
「これは将来が楽しみな紳士だね」
言われたジャンは満面の笑顔で私を仰ぎ見る。私はジャンの頭を撫でてあげた。
「それで今日はどうされたのでしょうか?」
「実は折り入って相談があってね」
ピエール様曰く、自分はピンクブロンドの髪をこよなく愛している。特にマルグリット嬢のピンクブロンドは見事の一言に尽きる。だから是非とも自分の婚約者にしたい、ということだった。
カフカス国の王太子妃になるのを躊躇っているマルグリット様が果たしてテッサロニ国の王太子妃になるのかしら? と思うのだが、ピエール王太子殿下はきっと自信があるのだろう。
「実はお恥ずかしい話なのですが私は『取り敢えず候補』でして、マルグリット様が候補から外れてしまうと候補者がいなくなってしまうのです。それはユーグ様そしてカフカス国としては辛い状況になりますので、難しいご相談かと思いますわ」
「姉上は『取り敢えず候補』なんかじゃないよ」
可愛いジャンの訴えにピエール王太子殿下も目を細める。
「もちろんですよ、ジャン殿。全て私にお任せ下さい」
こくこくと頷くジャンの頭にぽんと手を乗せたピエール王太子殿下は私に質問をした。
「シャルロット様。ご確認なのですが、シャルロット嬢はユーグ殿のことは嫌いですか?」
「えっ?」
私がユーグ様を嫌いかどうかなんて考えたことがなかった。
だってユーグ様からお前だけは嫌だと言われてしまっていたから。
「別に嫌いだなんて考えことはありませんわ」
「では、好きですか?」
「えっ?」
私の気持ち? だってずっとただの幼馴染だと思ってきたから。
私が知っているのはユーグ様のお気持ちだけだ。
「わかりません。ただユーグ様のお気持ちはわかります。ユーグ様は私の事を拒絶されたのです。だから『取り敢えず候補』なのですわ」
「なるほど。そろそろかな?」
「はい?」
ピエール王太子殿下は私の背中の方にちらりと目を走らせると、私の側までやってきて小声で「失礼」と言って私のことを抱きしめた。
へ?
何が起きているのか分からないが、意外にがっしりとした腕の中にすっぽり埋まってしまい身動きがとれない。
段々と顔が熱くなってくる。
「何をしている!」
聞こえてきたのはユーグ様の怒気を孕んだ凄みのある声。こんな声今まで聞いたことがない。
ピエール王太子殿下は私の耳元に「見ていてごらん」と囁いて、漸く私の事を離してくれた。
「もう一度聞く。何をしている!」
「これはこれは、ユーグ王太子殿下。何をそんなに怒っていらっしゃるのですか?」
「ロッティは私の婚約者候補だ! ピエール王太子殿下は触れないでもらおうか」
「これはまた不思議な事をおっしゃいますね」
「何がだ!」
「ユーグ王太子殿下はシャルロット嬢だけは絶対に嫌だと言われたとお聞きしておりました。シャルロット嬢が何と呼ばれているかご存知ですよね? それならば私が『取り敢えず候補』をテッサロニに連れて帰っても構わないではありませんか」
ピエール王太子殿下は再び私の事を抱きしめた。
「くそっ!」
ユーグ様は私の手を強引に引いてピエール王太子殿下から引き剥がす。
そして自分の腕の中に私がいることを確認するとギュッと抱きしめた。
「ロッティは私のだ! 誰にもやらん!」
自分の身に何が起こっているのか分からない。ユーグ様が腕の力を強めた。
「失礼いたします。マルグリット様がお見えでございます。いかがいたしましょうか」
「あぁ、良い頃合いだね。私がお相手するよ。ユーグ王太子殿下、マルグリット嬢は私がもらうよ。さぁ、ジャン殿もご一緒に。それじゃ、お幸せにね」
「なっ、おいっ」
ピエール王太子殿下はジャンを引き連れると侍従と共に行ってしまった。
四阿には私とユーグ様だけが残された。
「あの、ユーグ様? そろそろ離して頂いても?」
「あっ、あぁ。済まない」
「あの、ユーグ様? 先ほどのお言葉はどのような……」
少し俯いていたユーグ様がゆっくりと顔をあげた。
「ロッティ。君が私の唯一の婚約者候補だ」
「ユーグ様。マルグリット様をピエール王太子殿下にとられてしまった今、文字通り婚約者候補は私一人だけしか残っておりませんわ」
「そんなこと言うな。私が昔泣いたのはロッティのためにリボン一つまともに取れない自分が許せなかったからだ。そんな私ではロッティと共に歩むのは相応しくないと思った。だから恥ずかしくない人間になるまでロッティを候補にしたくなかった。でもずっと……私にとってはロッティだけが候補だった。決して『取り敢えず候補』なんかじゃない! 頼む、私の正式な婚約者になってくれないか」
ユーグ様は片膝をついて手を伸ばした。
あの卒業式から僅かな時で、まさかこんなことになるなんて。
私は胸に手を当てて自分の気持ちを確認する。
ずっとロッティと呼んでくれるこの声と一緒にいた日々を思い返す。
「でも、マルグリット様のことを守ってやりたくなる存在だと」
「それは候補者がロッティだけになったらプレッシャーを与えるんじゃないかと心配したんだ」
「それならどうして毎日マルグリット様が候補者になってくれないと相談に」
「ロッティの顔が見たいからに決まってる!」
これまで胸の中にあった蟠りが解けていく。
私はユーグ様の手の上に自分の手をそっと重ねた。
ユーグ様が目を見開き泣きそうな顔で微笑んだ。
次の瞬間再びふわりと抱きしめられた。耳元から「ロッティ、ありがとう」というユーグ様の優しい声が聞こえてきた。
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