表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

1/4



「コウタロウ様!」


自動ドアが開く。

サチは現れた青年を見て声を上げた。

背の高い青年だ。鋼のような色をした髪は短く刈り上げられている。頬がこけて見えるが、それは元々の顔立ちであって別に痩せているわけではない。濃紺の背広を着ているので分かりにくいが、むしろその身体は鍛えられたものだった。


「いい子にしていましたか?」


彼の年齢の半分にも満たないサチの背は低い。コウタロウは(かが)んでサチの頭を撫でた。

サチは最初、それを心地よさそうに受け止めるが、子ども扱いされているのに気づくと、すぐに不満げに頬を膨らませる。


「もう、コウタロウ様」

「ハハ、ごめん、ごめん」

「もう、知りません。それよりもお父様にはお会いしましたか?」


(たしなめ)められたコウタロウはそっとサチの頭から手を放す。それを名残惜しく思う自分に気づきながらも、サチは精一杯怒った振りを続けようとする。しかしコウタロウの答えに、今度は本当に憤慨した。


「ええ、お義父さんには先ほど。さっそく将棋(サ―チェット)の相手をしろと対戦を申し込まれました」


コウタロウは苦笑する。将棋(サ―チェット)は赤と黒、それぞれ18種、114騎の(トークン)を交互に動かし、相手の陣地を攻略する古典的な遊びだ。今の時代ではほとんどが盤上に立体映像(ボラグラム)を浮かべたものを操作盤(タッチパネル)で操作するものが主流なのだが、熱狂的な愛好者(フリーク)であるサチの父は昔ながらの本物の(トークン)(カード)賽子(ダイス)を使っての方法を好んでいた。

それらも見事な年代物で、売ればひと財産するほどの代物なのだが、この本物の盤の上に駒や札を並べる方法には大きな欠点があった。自動で駒を配置したり、点数を計算してくれる現代式のものと比べて、勝敗が決まるのに恐ろしく時間がかかるのだ。


「もう、お父様ったら。またコウタロウ様を独り占めするつもりね」

公式(ライド)ではなく、略式(ソル)ですから、夜には勝負がつきますよ」


窓の外を見るとまだ空は明るい。軍の中でも格別の名家であるサチの一族は超々高層建造体(メガストラクチャー)の中でも上層に居を構えることを許されている。それはかつてこの国の首都と呼ばれていた都市の全域に根を下ろし、上層を見れば雲さえも貫く、今やこの国の人間の1割が住まうという超巨大建造物。そんな夜になれば星空のような地上を見下ろすことが窓からの景色も、今はまだ薄っすらと白い雲が煙るのみだ。


「わざと負けて、早く終わってください」

「そんなことをしても、もう一戦挑まれるだけですよ」

「うぅ……でも」


仕事が忙しいコウタロウはなかなかサチに会う時間が取れない。こうして会うのも1カ月ぶりなのだ。


「夕食が終わったら、ゆっくりお話ししましょう」

「……約束ですよ?」

「ええ、もちろんです」


そう言って、またサチの頭を撫でる。それにサチは再び頬を膨らませようとして、すぐにそれを止める。両膝をついた濃茶色の瞳に自分の姿が映っていることに気づいたからだ。


「約束です」


頭を撫でていた手の平がサチの右の頬に触れる。指が長く骨ばった無骨な手だ。それがゆっくりと頬を這い耳朶に触れる。見た目の印象に反してコウタロウの手は温かく、指先の感触にサチは思わず熱い息を漏らした。


「あの……コウタロウ様」


頬が熱くなる。


「はい、何ですか?」

「あ、いえ……何でもありません」

「そうですか」


親指と人差し指がゆっくりとサチの柔らかな耳たぶを摘まむ。それが僅かな痛みと心地よさをサチに伝える。

爪の先が耳の溝を這う。

低い擦過音が聞こえると、サチは自分の背中に電流が走ったかのような錯覚を覚えた。

爪の先がゆっくりと耳の縁をなぞっていく。外側から内側へとゆっくりだ。

外から内へ。

コウタロウの指がサチの耳孔の淵へと達しようとしたときだった。


「………え?」


不意の喪失感にサチは声をあげた。

彼女の耳に触れていた指の感覚が突然消えたからだ。


「どうしましたか?」

「いえ……その」


先ほどまで自分の耳に触れていたコウタロウの右手をゆっくりと視線で追う。恐らくは無意識だろう。サチの指は自らの耳たぶへと向かっていた。

コウタロウは彼女の仕草を視界に収めながらも、むず痒そうに破顔する。


「ではまた夕食のときに。マイカさんも、その時にはいるんでしょ?」

「は、はい……お姉さまも、帰っていると思います」

「わかりました」


折っていた膝を伸ばし、すっと立ち上がる。並んでいたコウタロウの顔はもうサチの遥か上だ。


「ではまた夕食で」

「は……はい」


それから二言、三言を交わした後、コウタロウはサチの部屋を出る。名残惜しそうに閉まったドアを見るサチの指先はやはり右の耳に触れていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ