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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

そして世界は灰になる。

作者: 雛風


 男が目を覚ますと、そこは、灰の海だった。

 視界に広がるものは青い空と、灰色のもので埋め尽くされた地面だけ。そこに何があったのか、そこになにかあったのか、全てが不明瞭になっている。


「また……またみんな」


 彼は弱々しく呟いた。体を起こして膝をつき、顔を手で覆う。

 風が彼の黒い髪を撒き散らし、周りにある大量の灰を空へ飛ばしていく。風の空気を押す音が、やけに大きく聞こえる。彼の呼吸音と風の音以外一切聞こえない。ひたすらに静かな世界が広がっていた。


『大丈夫だよ』


 女性特有の高い声が聞こえた。男が勢い良く顔を上げて前をみると、そこには少女が一人立っていた。彼女は灰の海に黒のブーツを沈ませ、男に手を差しのべた。


「また、元に戻せば良いよ。だから泣かないで、エリアル」


 彼女の肩で切り揃えられたピンク色の髪が、風に揺れる。顔は鮮明に見えないまま、その世界は闇に包まれていった。


 * * *


 この世界には、最強と呼ばれる勇者がいた。

勇者とは人のためにその力を振るい、魔を打ち払い、平穏を切り開いていく。

 青年――エリアル・ハインズはその勇者の一片である。黒の髪と赤の精悍な目を持つ彼は、地位こそそこまでないものの、十九歳という若さにして『最強の勇者』として崇められていた。彼はギルドでパーティーを組まず、単独で魔物を討伐している。


 今この世界には、魔王がいない。正確に言えば、魔王は何者かによって倒された。しかし倒したのは人間ではない。魔王と、同じ魔族である。

 かつて魔王は人々をその力でねじ伏せ、恐怖の底へと貶めていた。だがそれを同じ魔族の、それも小さな少女が殺したとして、世界を震撼させた。彼女は魔王を倒した最強の魔物、『魔神』として畏怖された。決して魔王を倒した者として、賛美されることはない。しかし魔王が死んだからといって、魔物が消えるわけではない。


「こんなもんか」


 エリアルの眼前には魔物たちが数十匹倒れていた。衛兵が森で捕らえた魔物たちが檻から逃げたらしく、暴れて周りの壁や地面を少し破壊されていた。街の人々は家に隠れて窓から様子をうかがっている。

 エリアルの前で意識を失っている魔物たちの体には、切り傷や弾痕、武器で傷つけられたような痕はどこにもない。しかし彼らは、手や足、体の一部がなくなっていた。それらがあったであろう場所の、地面には、黒みの少ない灰が小さな山を作っていた。


 彼は生まれながらに強い法力を持っていた。法力とは魔力の相反するもの。人間が持つ特殊な力である。法力を使って外界に特殊な現象を起こすことができる。それは法術と呼ばれていた。

 皆が持つ得意な法術は人それぞれだが、彼の場合は、どんなものでも灰にして消し去る『灰化はいか』というものである。

 対象の一部を灰化させることもできれば、体全体を消滅させるのともできる。法力の強い彼なら、接触せずに使える上、距離も関係ない。どこからでも、誰にでも放つことができる。


「さっ……さすがエリアル様!」

「かっけーっ……!」

「エリアル様大好き!」


 魔物が討伐されたと分かると、街の人々は慌てて家から飛び出てきてエリアルを賛美した。

 能力やそのコントロールだけでなく、彼自身の戦闘力も抜群である。能力を使わずに勝つことも造作ない。それ故に彼は尊敬され、崇められている様である。

 街の人々の額には少し汗が浮かんでいるが、まだ夏には早い。涼しい風が魔物たちの灰を飛ばしていった。


「まあ、これくらいなら当然だな」

「……あ、あの、エリアル様。実はお頼みしたいことが……」


 エリアルが賛美を受けていると、青年が一人彼のもとに駆け寄ってきた。エリアルと同じくらいの年頃の彼は地図を見せて、ある地点を指差す。そこは城壁外の大きな森の一点で、森の木々よりもかなり大きな大樹ひとつそびえている場所だった。


「ギルドの小隊が、ここに魔物の巣を発見しましたのですが……レベル差がありすぎて到底勝てず……エリアル様にお頼みしても宜しいでしょうか……?」

「ああ、もちろん。俺なら魔物の再発も防げるだろう。すぐ行って狩ってくる」

「ありがとうございます!!」


 頼られる嬉しさを噛み締め、エリアルは腰に手を当てて笑う。彼は青年から地図を受けとると、さきほど倒した魔物たちは衛兵に任せてそこから離れ、城壁へと向かった。

 薄黄色の煉瓦でできた壁が縦横に大きく広がっている。城壁と同じ色の、巨大な城門のそばには詰め所があった。エリアルはそこに行き出国申請を済ませる。

 手続きが全て終わり、巨大な門が重低音を響かせて開いていく。エリアルは門が開ききると、その先、国の外へと足を踏み出した。

 門を抜けた先には草原が広がっていて、その奥には森が見える。エリアルは衛兵に軽く手を振って森へと歩きだした。


 森に着くと、一気に魔力が感知された。近くから遠くまで、森の中に何体もの魔物がいるのがわかる。エリアルは警戒を強め、いつでも戦闘体勢を取れるようにして森の中へ入っていった。

 森は木々が大量に生い茂り、細く伸びた枝と緑の葉が空を覆って太陽の光を遮断していた。薄暗い森を進んでいると、前方で影が更に深みを増していた。少し先で木が途切れており、視線を上げると、開けた広い地に巨大な大樹がそびえているのが見える。


 そこには魔物が数体いた。エリアルは開けた地に足を踏み出さず、木の影に隠れて様子をうかがう。

 魔物たちは皆、小さな子供たちのようである。大樹に凭れ掛かって休む魔物もいれば、元気に走り回っているのもいる。彼らの周りには青や紫の蝶が飛び交い、魔物たちは蝶と無邪気に遊んでいた。

 しかしそこには虫だけでなく、小さな精霊たちも沢山いた。精霊たちは魔物達と共に大樹で涼み、遊んでいる。


「なんで精霊が魔物なんかと……」


 エリアルは魔物の近くに精霊がいるのを見て状況が上手く掴めずにいた。しかし例え子供といえど魔物には変わりないためか、エリアルは手元で黄色い法力の粒子を膨張させていく。

 地面に黄色の魔方陣が描かれる。魔方陣が展開しきると、エリアルは手を前に突き出し躊躇ためらいなく魔物たちに向かって法術を放った。


「……!」


 しかし彼が放った術は魔物たちの前で打ち消された。小さな破裂音がして土煙が大樹の回りを横切る。


「……邪魔をしないでくれるか」


 土煙が晴れて視界が良好になる。エリアルは前方へ目を向け、視線の先を睨んだ。彼の前には、魔物達を守るようにして少女が立っていた。

 見た目はエリアルより少し年下、十七歳ほどに見える。肩で切り揃えられたピンクの髪を持ち、黒の服とスカート、同色のブーツを身に纏っていた。頭部には、ピンクの髪の隙間から黒い角が二本生えている。彼女の周りで禍々《まがまが》しい魔力が漂っている。魔人で間違いないだろう。

 少女は前に突き出していた手を下ろした。彼女の白い瞳がエリアルを射抜く。


「この子達は何も悪いことはしてないよ」

「……だが魔物だ。いつどこで人を襲うかわからない」

「……私がそれを止める」

「お前が?」


 少女はエリアルに睨まれても怖じ気づかず、しっかりと彼を見つめ返す。


「私は、この世界全ての魔族を制することができるから」

「っ、ははっ! 笑わせるなよ。一魔人の子供が他の魔物全てを制御するなんて、できるはずないだろ」


 目の前の小さな少女の、大きくでた言葉にエリアルは笑って否定する。しかし笑われても彼女は表情を変えない。


「たった一回攻撃を相殺しただけで……調子に乗るな!」

「…………」


 エリアルは先程よりも格段に強い法術を少女へ放つ。しかし、彼女は簡単にそれを払った。


「!?」

「君は強い。そして――私も強い」


 払われた術の法力が少女の魔力と混じり合い、破裂して大きな高音を響かせる。重なった二つの力は木や地面を大きくえぐり強い風と大量の土煙をうみ出した。

 破裂音と風の音が静かだった森を切り裂いていく。突風が彼女のピンクの髪を巻き上げ、黒のスカートをはためかせる。

 土煙が晴れて少女とエリアルが互いの姿を視認できるようになると、彼女は口を開いた。


「魔王を殺したのは誰か、知っている?」

「……魔族の少女だと、言われている……まさか」

「そう……」


 エリアルは彼女の問いに、しばし頭を回転させる。そしてその答えを思いだし、それから推測される事柄に気づいて目を見開いた。

 そう、彼女こそが、魔王を倒した最強の魔物。


「私はメルシディア、魔王を死へ追いやった者だよ。人は皆、私のことを『魔神』と呼ぶらしいけど」


 名を名乗り、彼女は自分の中にある魔力を最大解放してエリアルを見つめる。膨大な魔力とその圧が、森の中だけでなく遥か遠くへと広がっていく。

 エリアルの赤い瞳は動揺と明らかな恐怖を孕み揺れていた。それもそのはず、彼は強いとはいえ魔王と対峙したことがない。魔王の持つ強い魔力すらも間近で感じたことがない彼にとって、魔王以上の者の魔力は畏怖の対象でしかない。


「なんで魔神が、こんなところに……」

「この子達を守るため。この大樹は、森で住む生き物からしてみれば憩い場所」


 エリアルから出た言葉は先刻とは真逆の、弱く小さなものだった。メルシディアはその様に目を伏せ、解き放った魔力を再び自身の中へと収める。そしてうつむき、彼の疑問の答えとなるであろうものを口にした。


「だのに人間たちは度々ここに来ては、休んでいる魔物に奇襲を掛けてくる。今日も、連れ去られた子達がいた。あの子達の生命反応は消えてしまっているから、もう……」

「っ……」


 おそらく彼女のいう魔物は、彼がさきほど倒した魔物のことだろう。人間たちはよく、捕まえられるほどレベルの低い魔物を狙い、捕獲して実験や娯楽に使うことがある。


「助けられなかった……」


 後ろからメルシディアに魔物が近づいてきた。四足歩行の、小さな象のような魔物は彼女の足にすり寄る。その魔物は右目の部分に布が付けられていた。

 メルシディアはその子の頭を撫で、小さく悲しみの声をこぼした。その冷たい音には、決して表面には出されない怒りが底に沈殿していた。

 エリアルは拳を握って目をそらす。しかし彼女に寄ってきた魔物の目を見て、口を開いた。


「それって……」

「この子は目を潰されたの。もう少しで治せるから、戻りはするけど……傷つけられた事実は消えない」


 彼女の白い目は哀に染まり、その端に怒りを覗かせている。しかしそれでも殺意はあまり見てとれない。

 エリアルは例え魔神であろうと、目の前の少女が人を傷つけるとは到底思えなかった。


「……俺たち人間からしてみれば、魔物は危険因子だ」

「……今はもう、違う」

「お前は、お前が言ったようにちゃんと全ての魔物を制御できるのか」


 エリアルの問いを聞いてメルシディアは彼の目を見つめた。

 なぜその質問を投げ掛けてくるのか。今までメルシディアが出会った人間たちは、しっかりとした対話すらさせてくれなかった。だから彼がまるで、魔物に寄り添おうとしているように見えた。


「……うん。今は人を襲わないようにはしてある。危険なときも逃げることを最優先に、って指示もしてる。逃げるために物は破壊してしまっても、人間を傷つけた子はいない。なのに人間は、みんな……」

「だったら。だったら俺と一緒に、旅をしないか」

「へっ……?」


 顔を伏せた彼女にエリアルは、はっきりとした声で言った。彼に突然誘われ、その誘いの意図がわからずメルシディアは目を丸くする。


「魔物はもう怖くない、って、人間たちに知らしめるんだ」

「でも、そんなことしたら君が」

「大丈夫だ。俺は勇者だからな。人を守れば、自然と評価や信頼はついてくるもんだ」


 彼はニッと笑う。メルシディアは目を見開いた。彼女は渦巻き絡み付く不安が溶かされ、代わりに心の中に温もりが溶け入ってきた気がした。


「そっか……でも、この子達はどうしよう。結界は張るけど、この子達自身が外に出たりしたら何があるかわからない……離れていると面倒見れないし……」

「それなら、良いアテがあるぞ。ちょっと変わった奴だけどな。付いてきてくれ」


 エリアルはそういうと背を向け歩き出した。彼の後ろをメルシディアが付いていく。


 二人は森から抜けて草原を歩く。しばらくすると草原の中に一つ、丸い湖が広がっているのが見えた。湖のそばには小さな丸太小屋がある。

 メルシディアは小屋を見て驚いた。こんな魔物がいつ現れるか分からない広大な草原に、家を立てて住み着くのはリスクが高すぎる。


「こんなところに小屋が……危険すぎるのに」

「だろ? まあ、あの小屋は最強の防御術を使う法術師が結界を張ってくれてるから一応、大丈夫なんだけどな。それでも外に出たら危険なのは変わりないが……あそこに済んでる奴は俺の幼馴染みなんだが、さっきも言ったように変わり者なんだよな」


 エリアルはメルシディアに同調して苦笑いする。小屋の前に着くと木製の階段を上がりドアの前に来る。エリアルはノックをしながら声をかけた。


「リグレッタ、いるか?」

「はーい……あっ、エリアル! どうしたの?」


 小屋の中から女性の声が聞こえてきて足音が近づいてくる。ドアが開くと十代後半ほどの女性が顔を出した。

 金色の瞳は陽の光を反射させて眩しく輝く。長い白髪は後ろで一つに結われていて白の束が腰まで伸びていた。胸元の空いた服からは白い肌が覗き、その深い谷の下に豊満な実を携えている。

 彼女はエリアルを見て笑顔で問う。しかし隣にいたメルシディアに気づいくと目を見開いた。


「そ、その子、魔人じゃ……」

「ああ、こいつはメルシディア。魔族って言っても、こいつは人を傷つけないから大丈夫だ」

「初めまして、私はメルシディア。魔王を倒した魔族です」


 エリアルの紹介を受け、メルシディアは自分でも名乗り素性を明かす。彼女の素性を聞いて女性が驚かないはずはない。


「! それって、魔神って呼ばれてる……」

「…………」

「こんな小さな子が……魔神ってこんなに可愛かったんだねっ!」


 メルシディアは悲鳴か怒号か、畏怖か、またはそれら全てかが振り掛けられると思っていた。しかし彼女の想定したものは何も来ない。代わりに飛んできたのは嬉々とした声と、何やら柔らかいものがメルシディアの顔に押し付けられた。


「う!? あ、あのっ、くるしっ……」


 突然のことにすぐに対応できずメルシディアは苦しそうな声を漏らし手をバタつかせた。女性は慌てて彼女から離れる。


「あっ、ごめんね。魔神ってどんな強面かと思ったら凄く可愛かったんだからつい……。私はリグレッタ・フリゴバール。人や動物、魔物たちの医者よ」

「! 魔物も……」


 リグレッタと名乗った女性は苦笑いして謝る。しかしメルシディアはそれよりも魔物の医者という言葉に食いついた。


「うん。私は『治癒』の法術が得意でね。エリアルほど法力はないけど、様々な種族を治癒することができるの」

「でも……できるからって、どうして魔物まで……」

「魔物でも傷ついていたら痛いでしょ? だから怪我をしたら治してあげなきゃ、って思うの」

「…………」


 メルシディアは目の前の人間の言葉を、すぐに受け止められずにいた。彼女のような考えに初めて出会ったのか、驚きで言葉がでなくなってしまう。エリアルもリグレッタの言葉に呆れて笑う。


「な? 変わってるだろ?」

「えー、そんなに変わってるかな……? それに今は魔神が――メルシディアちゃんが魔王を倒してから、魔物たちから一気に殺意や威圧を感じなくなったし。実際にここにいても襲われることが全くなくなったからね。だからもう、大丈夫だって思ったんだ」


 変わっている、という自覚がないのか、そう言われることに違和感を覚えてリグレッタは首をかしげた。そして付け足すように口を開く。


「前までは魔王に支配されていた子達は危なくてあまり近寄れなくて治癒できなかったけど、今では多くの魔物に接触できる。あなたのお陰だよ」

「私は別に、なにも……」


 リグレッタは、にっこりと優しく微笑んだ。人間から称賛や礼を受けるのはなれていず、メルシディアは戸惑う。今の彼女には目の前で咲くリグレッタの笑みが温かすぎて、メルシディアは目をそらした。


「ところでリグレッタ、本題なんだが」

「あ、そうだね。まあ立ち話もなんだし、中入ってよっ」

「ああ、ありがとな」


 彼女に案内されて二人は小屋の中へと入った。木製の壁や天井はどこにも破損がなく、室内も物が煩雑していずスッキリしていた。天井から吊るされたガラスケースには法術で明かりがともっている。壁に付けられたコルクボードには、いくつか写真が張られていた。

 リグレッタは二人を木製の椅子に座らせ、自分はキッチンにいってお茶を注ぎながら話し出した。


「それで、用ってのは?」

「あの森の大樹に魔物が住んでいることはご存知ですか?」

「ああ……うん、知ってるよ。でも……人間たちが頻繁にあの子達を襲っている……」


 最初にメルシディアが、リグレッタに質問をした。リグレッタはお茶を持ってきてテーブルに置き、自分も椅子に座って答える。人間たちの行動を知ってはいるが、攻撃法術が得意というわけではない彼女では、大勢の人間を止めることはできない。リグレッタは申し訳なさそうにうつむいた。


「……たまに魔物たちに法術治療のされた跡を見つけますが、貴女だったんですね」

「うん……私も私の他に誰かが治療した痕跡があったから他にもいるとは思ってたけど、あれはメルシディアちゃん?」

「はい。……おそらく魔族とあまり相性が良くない法術治療を施すのは大変だと思いますが」

「まあね……なかなか治りは遅いよ。でもメルシディアちゃんの魔術治療が完治を急速に早めてくれているからね」


 法力や魔力にはそれぞれ相性がある。人間に法力、魔族には魔力が相性が良く、治癒術の場合相性に反すると効力が減ってしまう。それでも治癒を施さないよりはマシではあるが。


「そんなに違うものなのか?」

「うん。それに、魔術治療をしたのがメルシディアちゃんだからね。ほんと、今まで感知したことない強力な魔力で補助されているから、初めて見たときはびっくりしたよ」


 回復術を使わないエリアルは魔術治療と法術治療の違いを知らず不思議そうにしていた。リグレッタは彼に問われて苦笑を返した。


「そうなのか……それで、リグレッタ。実はメルシディアと一緒に、魔物に脅威性がないことを広めるために旅をすることにしたんだ」

「一応、大樹付近に結界は張っていますが……私がいない間あの子達の様子を見れなくなってしまうのが不安で」

「私に面倒を見てほしいってことね」

「すみません……」


 事を理解したリグレッタは、エリアルたちが頼みにきたであろうことを口にした。彼女に迷惑をかけてしまうことになるからか、メルシディアは申し訳なさそうに小さく謝った。しかしリグレッタは特に気にした様子もなく笑う。


「いやっ、気にしなくていいよ。私、魔物好きだしねっ! でも……ここと森とじゃ距離があるからな……」

「もしあなたが嫌でないのなら、ここと森の空間を繋げることもできますが」

「!」


 頭を悩ませるリグレッタを見てメルシディアは可能な提案をした。彼女のその提案を想定していなかった二人は驚いてメルシディアを見つめる。


「そ、そんなことできるの?」

「はい。森と小屋までの間にある草原と、小屋や湖の空間を入れ換えれば良いだけですから」

「だけって……」

「じゃ、じゃあそうしてくれると嬉しいな」


 驚きの引かない二人をよそに、メルシディアは冷静な声色で説明する。目の前の魔神の力が計り知れないと、リグレッタは痛感した。そして苦笑いしつつメルシディアに頼んだ。


「わかりました。少しその場でじっとしていてくださいね」


 メルシディアは椅子から立ち上がり、数歩下がって手を前に出す。窓やドアは閉まっているのに風が生まれ、止むことなく吹き続ける風はコップに入ったお茶に波を立て、メルシディアのピンクの髪を散らす。

 風に押されてスカートがはためき衣擦れ音を何度も鳴らしていく。彼女の足元、床に紫の光線が引かれ魔方陣が描かれた。


 メルシディアは手を前に出して親指に中指を当て、指を鳴らした。風が煩く鳴っているはずの空間に、パチンッと軽く高い音が大きく響く。

ーー瞬間、窓から見える周りの景色が一変した。

 湖の周りに広がるのは草だけだったはずが、木々が大量に生い茂り小屋や湖を囲んでいた。


 風が止んで、宙に流れていたメルシディアの髪は重力に従い、下に落ちて元あった場所に纏まっていく。リグレッタは椅子から立ち上がり、急いで外に出る。広がる木々の海に目を見開いた。


「す、凄い……」

「一応、小屋には法術結界と魔術結界を重ねています」

「ほんとに? ありがとっ」


 リグレッタが礼を言っていると、後ろから何かが近づいてくる音が聞こえてきた。木々から姿を現したのは魔物たちで、彼らはリグレッタのもとに集まってくる。右目に布のある魔物が近づき彼女にすり寄った。


「あっ、ふふっ。擽ったいって」

「……やっぱり森に何度も来てるだけあって、魔物たちもリグレッタさんにはなついているみたいですね」

「ほんと、嬉しいことだよ……」


 魔物たちのなつき具合にメルシディア驚きつつ、安心して魔物とリグレッタの様子を眺めていた。


「それじゃあ、行くか」

「うん」

「あっ、ちょっと待ってっ……これ、あげる」


 用も済んで出発しようとした二人をリグレッタが止める。魔物から離れて一度家に戻ると、黒いコートを持って二人のところに戻ってきた。


「コート……?」

「うん。このコート、フード付いてるから角隠せるでしょ? 人間たちにバレて、メルシディアちゃんが襲われないように」

「……ありがとうございます」


 リグレッタは、にっこり笑って彼女の頭を撫でた。誰かに撫でられたのはこれが初めてで、メルシディアは驚いて彼女を見る。しかし撫でられる感覚に嬉しそうにして、気持ちよさげに目を細めた。


「それじゃあーー行ってらっしゃい!」

「! ……行ってきます」

「行ってくる」


 リグレッタは明るい声でにっこりと笑い二人を送り出す。彼女の言葉を聞いてメルシディアは、少し照れ臭そうにして返答し、手を振って歩きだした。



「リグレッタさん、なんだかお姉さんみたいだったね。私には家族いないから、なんだか嬉しい……」

「ああ……まあアイツ世話好きだからな。昔から」


 草原を歩きながら、メルシディアは呟いた。嬉しさを噛み締めるようにして唇を閉じる。


 ポスッと音がしてフードが下へと落ち、メルシディアの頭に乗る。さきほどまで外界に姿を見せていた彼女の二つの角は消えていた。しかし彼女はフードをつけたままにしていた。


「お前、角しまえるならフード要らなくないか?」

「……ううん。このままで良い」


 彼女は撫でられた感覚を思い起こしてフードの端を握り、布を鼻へと近づける。仄かに香る人間の、リグレッタの匂いに頬を緩ませた。


「……そうか。そういや作戦たてないとな」

「でも……魔物は悪くないと知らしめるにはどうしたら……口でいうだけじゃ信じてくれないだろうし」


 メルシディアは悩ましげに言葉を返した。魔族とはいえ、彼女は有名な『魔神』であるから余計に恐怖を煽る可能性が高い。悩む彼女とは反対に、エリアルは笑って口を開いた。


「なら、行動で見せれば良い」

「行動……?」

「お前、近くの魔物を呼び寄せたりするか?」

「うん。できるけど」

「じゃあ決まりだな。行くぞっ」

「えっ、どこにっ。あ、待ってっ」


 メルシディアは何のことかよく分からないまま、歩調を速めたエリアルの後を慌てて付いていく。


 彼が向かったのは彼の住んでいる国だった。城門のそばまで来ると、城壁の外の詰所で入国申請をする。武器の所持、荷物確認などを済ませていく。


「君、顔を見せなさい」

「…………」


 エリアルは問題なく入国審査に通ることができた。しかし門番がメルシディアを見てフードを取るように命令する。角は隠せているため、メルシディアはすぐにフードを取った。


「……では次に魔力感知審査をする」

「! 忘れてたっ」


 エリアルは門番の言葉を聞いて、魔力感知審査があることを今さら思い出した。彼は焦ってメルシディアを見るが、対する彼女は落ち着き払っていた。


「……魔力はないようだな。通ってよし」

「え……」

「ありがとうございます」


 魔力感知器には引っ掛からず、メルシディアにも入国許可が下りた。エリアルは驚いて彼女を見る。

 巨大な門が重い音を立てて開いていく。二人は国の中へと入っていった。


「お前どうやって……」

「ふふっ、魔力を全て隠すことは一応できるからね」

「なんでもありだな……」


 驚いた彼の顔が面白かったらしく、さっきまでは耐えていたがメルシディアは笑いだした。笑う彼女の横でエリアルはため息をついていた。


「それで……どこに行くの?」

「王都から少し離れたところだ」



 エリアルが足を止めると、メルシディアも止まる。二人の目の前には大きな倉庫が建っていた。倉庫の扉の前には数人の男たちが見張りをしていた。

 エリアルが彼女に目で合図し、二人で見張りの男達の背後に回り彼らを気絶させていく。メルシディアは、気絶させた男達をゆっくり地面に置き、聳え立つ建物の扉へと目を向けた。


「ここって……」

「奴隷の闇市だ。亜人種だけじゃない、人間の奴隷もここで売られてる」


 エリアルは簡潔に答えた。奴隷制度や人身売買は世界的に禁止されている。国の法律でも厳しく取り締まられているが、それでも網を抜けて違法な商売をするものたちもいた。


「確か奴隷は世界的に禁止されてるはず……」

「ああ。だから、壊しに行くぞ」


 メルシディアがしっかり頷くとエリアルは黒い扉を蹴飛ばした。大きな音が鳴り響いて、室内にいた者達の視線が一気にエリアルたちに注がれる。


「お楽しみのところ悪いね」

「何者だ。ここはガキの来るところじゃねえぞ」

「何者……『魔者』、かな?」


 メルシディアは角を出すとフードに手をかけて取る。首元のボタンを外してコートを脱ぎ、ニッと笑い、今まで隠していた黒い羽を勢い良く広げた。


「ま、魔人だ!」

「何で人間と魔人が一緒にっ」

「何でって? お前らの気持ちの悪い娯楽を」


 エリアルは机に置かれていたビール瓶の首を持ち机に叩きつけて割る。そのまま瓶の首を持ち、割れ目の鋭利な部分を男の首に押し当てる。ビール瓶のガラスが容易く食い込み肉を押し破って奥へと入っていく。


「潰すためだよ!」


 メルシディアは宙へ飛び、奴隷たちを奥へ隠そうとした男の首に向かって背後から蹴りを入れた。凄まじい蹴りの威力に男の体はその場に留まれず、勢い良く壁へと吹き飛んでいった。


 彼女はエリアルの合図で魔物を召喚し、敵だけを攻撃するように指示する。指示を受けた魔物たちは散り散りになり、逃げようとしていた男達を捕獲していった。

 メルシディアは空間魔術で、奴隷にされていた人間や亜人達を安全な場所に移動させる。


 しばらくしてエリアルとメルシディア、彼女の魔物たちが圧倒的戦力をもって敵を下した。さっきまでの喧騒が嘘かのように静寂が支配する。メルシディアは魔物を戻し、羽と角を再び隠す。そしてエリアルと共に奴隷にされていた者達のところへ移動した。


「勇者様っ。この度は本当に、ありがとうございました」

「いや、助けるのは簡単なことだ。だが……」

「これからどうするか……ですか……」


 エリアルを見た者たちが慌てて駆け寄ってきて口々に礼を言う。しかし彼らには、おそらく金や家、食べるものなど不足しているものが多いだろう。それら全てを補えるほど、エリアルに力はない。


「それなら心配しないで。お金や食事、住む場所や仕事、環境はある程度なら補助してあげられるよ」

「ほ、本当か?」

「うん」


 そばで聞いていたメルシディアが声を上げた。既に角や羽は隠しているが、周りの人間たちは彼女に怯えていた。亜人たちは魔族に畏怖はない様子である。


「あ、あの……ありがとう、ござい……ます」

「……うん」


 人間の女性が一人、一歩前に出てきて礼を言った。その声も体も震えていたが、言葉に偽りはない。

 人間から礼を言われるのは慣れていないらしくメルシディアは照れ臭そうにして頭を掻き、はにかんだ。

 メルシディアは人間や亜人たちに資金や住宅、職、食料などを魔術で与え、社会的バランスを崩さないように供給過多にならないよう調整していった。


 この奴隷解放騒動は国だけでなく世界中に、すぐに広まっていった。あの『魔神』が人間や亜人達を救ったことも同時に広まり、一気に魔神、『メルシディア』の存在が明るみにでた。



 その後エリアルとメルシディアは他国にも訪れ、人間と魔族の確執を取るようにして善行を行い続けた。そして次第に、魔族を連れた旅人として二人の存在は広く轟き、今では人々から多くの尊敬の念を受ている。彼らの存在は王の耳にまで届き、魔族と人間を繋ぐ仲介役として国に正式に任命されるほどにまでなっていった。

 世界は魔物を受け入れつつある、かに見えた。


「ーー! 森の魔物の生体反応が、消えた……」


 宿で昼食を取っていると突然、メルシディアがフォークを落とした。エリアルのいる前方へ視線を移す。思考が停止しているのか、彼女は呆然と彼を見つめ固まってしまった。


「魔物の近くの、人間の、生体反応も……」

「! 報復か。くそっ、すぐ森に戻るぞ!」


 エリアルは勢い良く立ち上がり、呆然としているメルシディアの腕を強引に引いて部屋を出た。

 彼はメルシディアの手を引きながら城門へと走る。森までは遠い。それに出国審査で時間を取られてしまう。エリアルは焦る心を何とか押さえ、より速く森に行く方法を模索する。


「エリアル」

「っ、メルシディア? 今は急がないと間に合わなくなるぞ!」


 メルシディアが突然足を止め、彼の手を押さえて前へ動かないようにする。彼女の行動が理解できず、エリアルは少し語気を荒げた。


「……掴まって」

「え、うお!?」


 メルシディアは返答せず呟く。突然町中で羽を広げ、エリアルを抱き抱えて空へ飛び上がった。突然の上昇に彼は驚きの声を漏らす。

 上空の冷えた空気が頬を撫ぜる。空に上がった瞬間、森が赤くなっているのが見えた。


「っ……急ぐよ」

「うわ!?」


 彼女は勢い良く森に向かって飛び風を切る。眼前の赤がメルシディアに焦りを促す。勢い良く滑空し強風が体を打ち付ける。エリアルは目を開けられずに半目のぼやけた視界で赤を捉えた。


「な……んだよ、これ……」


 森付近につくとメルシディアは地に降り立った。

 目の前で赤が揺れる。森全体を、炎が埋め尽くしていた。森の中には入っていないのに離れていてもその熱が伝わってくる。木は既に原型を留めていず倒れているものも多くあった。


「リグレッタ……リグレッタはっ」

「エリアル待ってっ」


 エリアルは慌てて森に入り、小屋に向かって走り出した。メルシディアは炎の赤に腕で目を覆い、急いでエリアルの後を付いていく。


「あ……」

 

 前方でエリアルが足を止めた。小屋があったはずの場所には、一際大きな炎が上がっている。少し離れたところには人間の男たちが数人いて、その足元にはーー


「リグレッタ……」


 一糸まとわぬリグレッタの体は所々に火傷があった。火傷は少量だったが血の量はひどく、地を赤く染めていた。その赤に少しの白が混ざっていた。

 彼女の周りには四肢が引きちぎられた魔物達とその血が散乱していた。 リグレッタを守るようにしてそばで倒れている魔物は布越しに目に深く剣を刺されてきた。


「あ……あ……」

「エリアルっ、落ち着いて」


 エリアルはその場に膝をついた。強大な法力の金の粒が現れて風を生む。メルシディアは慌てて駆け寄ろうとする。しかし魔方陣が彼の足元で描かれ、法力が膨張していき強風が森を蠢く。メルシディアはその場に踏ん張るが風圧で後ろへと押されていく。彼の法力は止むことなく膨張し続け、森の木々やそこにいる男達の指を段々灰へと変えていく。


「うわ!? 指が!」

「た、助けて! 耳が、耳が!」


 男たちは悲鳴を上げてその場にうずくまる。しかし止まない法力の膨張に彼らの体は灰へと変わっていく。

 気づけば周りの炎は全て消え去り視界は良好になっていた。エリアルの赤い目は、はっきりとした見える、赤い海に沈む幼馴染みだけを捉えていた。その爪が砕けて灰になったとき、彼の目が揺れた。


「あ――」

「エリアル! エリーー」


 彼がそれを視認した時にはもう、既に遅かった。

 世界が膨張した彼の法力を拒絶する。世界のキャパシティを越えた力は押さえ込まれ反発し、爆発して法術で世界中を包んだ。

 必死で名を呼ぶメルシディアの声は巨大な爆発音で途切れてしまった。




 エリアルが目を覚ますと、そこは、灰の海だった。

 視界に広がるものは青い空と、灰色のもので埋め尽くされた地面だけ。そこに何があったのか、そこに何かあったのか、全てが不明瞭になっていた。

 エリアルの『灰化』の法術は世界中に行き渡ってしまった。そして彼自身も暴走を起こし、街に出て全て人々を法術で襲っていった。

 暴走したときは意識がなかったのに、今になって全ての記憶が彼の頭に雪崩れ込んでくる。


「おれ……おれは……」


 彼は弱々しく呟いた。体を起こして膝をつき、顔を手で覆う。

 風が彼の黒い髪を撒き散らし、周りにある大量の灰を空へ飛ばしていく。風の空気を押す音が、やけに大きく聞こえる。彼の呼吸音と風の音以外一切聞こえない。ひたすらに静かな世界が広がっていた。


「大丈夫だよ」


 女性特有の高い声が聞こえた。懐かしい声。どこかで聞いたことのある言葉。

 エリアルが勢い良く顔を上げて前をみると、そこには少女が一人立っていた。気絶するまで一緒にいた、魔人の少女が。

 彼女は灰の海に黒のブーツを沈ませ、彼に手を差しのべた。


「メルシディア……なんで……」

「私は『魔神』と唱われたものだよ? 強い法力に打たれたからといって死なないよ」


 メルシディアはにっこり笑った。その笑みは冷めたエリアルの心にスッと溶けて内から温めていく。


「っ……俺……メルシディア、俺、色んな人たちを……」

「大丈夫。全て元に戻せるから。だから泣かないで、エリアル」


 風にピンクの髪が揺れる。風が止むと髪は彼女の肩に戻っていく。


――これも聞いたことのある言葉。


 エリアルはそう思った。彼女にこんな言葉を掛けられたことはあっただろうか、と彼は自身を疑った。


「そんなこと、できるのか……」

「うん、できるよ。全てを元に戻し、皆の記憶を消し去る。そうすれば君が世界を破滅させたことは誰も知らない」


 世界を再生するなど、神の所業である。エリアルは彼女の力を認めていないわけではない。むしろ彼女は、世界で一番強いと思っている。それでも、できないこともあると、わかっていた。

 しかしメルシディアは笑みを消さない。『できる』と断言した。彼女はエリアルのそばにより、彼を抱き締める。彼の冷えた体が、彼女の熱を奪って行く。


「メルシディア……」

「大丈夫だよ。世界を戻すなんて簡単だから。だから、笑って。エリアル」


 メルシディアは耳元で優しく囁いた。そして彼の背中で、右手の親指と中指を打ち当て「パチン」という軽い破裂音を鳴らす。

 音が響いた瞬間、周りの灰は消え去り、目の前には以前までと何も変わらない街の風景が広がっていた。


「……!」


 目の前で起きた変化、眼前の光景にエリアルは目を見開く。驚きと共に、冷えた体の中を安堵が広がる。

 今起こったそれは、魔力の強いメルシディアだからこそできるもの。崩壊した世界を、強大な魔力により元に戻した。

 街にいる者たちは何もなかったかのように行き交い、普段通りの生活を過ごしていた。誰も、今さっきまで世界が灰になっていたなど思っていない様である。


「ああ……ありがとう、メルシディア」


 エリアルは一度メルシディアを押して体を離し、彼女に笑みを見せる。触れた手をしっかりと握り言葉を紡いだ。




 それからエリアルは今まで通り、魔物が害悪でないと世界に広めるために動き続けた。

 しかし、エリアルの力は彼が思うよりも何倍も強力だった。彼の怒りや悲しみ、憎しみなどの感情が膨張すると、その度に彼の力は暴走していた。


「また……また、俺……」


 彼は何度も全てを灰へと変えてしまっていた。

 けれど何度世界が灰になろうと、メルシディアだけは必ず彼のそばにいた。


「大丈夫、大丈夫だよ。全て、元に戻すから」


 彼女は何度も、灰の中で彼を抱き締めた。


 * * *


「どうしたのエリアル」

「いや……ちょっと、お前と会ったときのことを思い出してただけだ」

「そんな前のこと……」


 メルシディアは少し笑いつつ彼の隣を歩く。この前までは人々を悩ませていた暑さも、今ではすっかり涼しくなっている。


「あっ、メルシディア様っ!」

「メルシディアだ!」

「……なんだかメルシディアばっかだな」

「そうかな?」

「え……エリアル様!」

「っ、エリアル様サインください!」

「ふふっ、ほらね?」


 今や街では二人は英雄級の人気をもっていた。エリアルはメルシディアばかり声をかけられて羨ましそうにするが、彼の方にもファンたちが来てメルシディアは微笑む。


「まあ……それより、今日は王と謁見するんだよな」

「うん。闘技場で面白いものを見せてくれるって」

「た、楽しみだな……」


 エリアルは今回の本題である、王との謁見に話を切り替えた。今日は王直々の招待だった。二人は有名になったとはいえ王と謁見するのは数少ないため、エリアルは少し緊張している様子である。


 しばらくして二人は闘技場へ着き、中に足を踏み入れた。煉瓦造りの巨大な建物はヒビ一つ入っていない。


「へえ……ここが闘技場か……」

「勇者様、メルシディア様。お待ちしておりました。さあ、こちらへ」


 案内人の男が二人に声をかけ先導する。三人の足音が静かな建物内に響き渡る。案内人は目的の場所に着くと二人へ向き直った。


「こちらです。では、私はこれで」

「行こう」

「あ、おう……」


 二人が着いた場所は闘技場のグラウンドへ抜けるゲートである。案内人は頭を下げると去っていった。メルシディアはそのまま、彼と共にゲートを潜る。


「……? え……なあ、メルシディアこれって……」

「…………」


 ゲートを抜けた先、観客席には大勢の人々が集まっており全席が埋まっていた。そして前方、闘技場の主賓席には王や姫など、周りには騎士たちがいた。

 人々の視線がエリアルへ注がれる。状況が読めずに彼は戸惑ってメルシディアを見る。しかし彼女は何も答えない。


「諸君! そして勇者エリアルよ。今日はよく集まってくれた」

「国王陛下……! あ、あの。これはいったい……」

「そうだな、単刀直入に言おう。これよりーー勇者エリアルの処刑を執り行う!」

「!?」


 エリアルは少し声を張って王に問う。王は真剣な顔で、大きな声を響かせた。それと共に観客席から大きな歓声が湧き上がった。驚いているのはエリアルだけで、メルシディアですら、表情一つ変えていない。


「えっ、なっ……」

「エリアルよ。お前のことは全て筒抜けだったぞ」

「! どういう……」

「お前が、何度もこの世界を破滅させ、沢山の者達を灰にし殺してきたことをな」

「!? な、何で……」


 王は手を横にだし観客達の歓声を静止させる。そしてエリアルに状況を飲み込ませるかのようにして話し始めた。王の言葉に彼は驚いてさらに困惑する。


「気づかなかったのか? 民がなぜ、あそこまでお前を賛美していたと思う。民の顔色はどうだだった」

「っ……」


『さ……さすがエリアル様!』

『すっげー……!』

『っ……エリアル様大好き!』


 それはエリアルが強い勇者だったからだろうか?


「彼らは皆、お前の力を恐れ、お前の機嫌を損ねないように必死でいた。お前に逆らったら、消されると思ってな」


 王は今まで誰も口にしなかった事実を彼に放った。エリアルは周りへ目をやるが、彼を賛美し擁護する声は聞こえない。


「……でも、どうやって……」

「ほとんどの者がお前の力によって何度も消されていった。その中で、その史実を伝えることができた者は一人しかいないだろう。そやつにはお前と出会う前から、我の命でずっとお前のことを監視し続けていたがな」

「うそ……だろ……? なあ、嘘だよな……?」

「…………」

「メルシディア!」


 エリアルの赤い目がメルシディアを捕らえる。赤に沈む彼女は俯いていた。しかし彼が強く名を呼ぶと、彼女もエリアルへと目を向ける。


「……嘘じゃないよ」


 そうして、事実をはっきり述べた。


「で、でも……世界の破滅に関して皆の記憶は消してるっていつも」

「それも、嘘なんだ。覚えていないだろうけど、私と君の出会った、あの大樹での出来事の前からずっと、君は何度もこの世界を破滅し続けてきていた」

「そ、そんなはず……」

「でも私の存在を悟られないために、君が世界を壊す度に私が世界を戻し、そして君の記憶だけを消し去った。そして君と出会ってからも、君は何度も世界を破壊してきた。けど私は世界を戻すだけ。君の記憶も、人々の記憶も何も手をつけていないよ」


 メルシディアはそう言い、手を前に出して魔術を使う。消されていたエリアルの記憶が再生され彼の中へと侵入していく。


「っ、そんな……メル、シディア、なんで……」


 自分の知らなかった事実に、彼は頭痛がに襲われて膝をつく。メルシディアに裏切られたという事実は、彼のなかでは憎しみは生まなかった。代わりに、彼の体の奥底に冷えた黒い何かが重く落ちていき、沈殿していった。


 彼の言葉に応える者は誰もいない。

 静かなときがゆっくりと過ぎていく。しかしそれは決して心地のよいものではない。湿気て体に、心にまとわりつく。


「怖かったんだ」

「え……」


 不快な空気を、メルシディアの声が裂いた。静まりきった空間に、彼の声は酷くはっきりと姿を現した。


「私も、怖かったんだよ……君が。最初こそ、殺すなんて皆の考えが分からなかった。でも、君が人を灰にしていくのを私は何度も見てきた。君を除き、私だけは灰にならずに、全てを、何度も」


 メルシディアの声は小さく弱く、しかし確かに響く。


「だから、君を殺さなければいけないという皆の考えに、納得しちゃったんだよ……。幼子の前で、握られていた母親の手が灰になって落ちていったとき――少女が少年に愛を囁く瞬間、その唇が溶けていったとき――一家の犬が新たな生命を産み出した途端その小さな生命の喉が剥がれて散っていたとき――君は危険だと、思ってしまったんだ」


 正確に外界に出ていたはずの声が震え始めた。

 メルシディアの目から水が溢れていき、その粒は光を反射させて煌めく。悲しみの溶け入る粒が美しさを纏い流れていった。


「でも……! でも君といた時間が! 今になって私を砕いてくるんだ! 私は」


 あまり感情を露にしない彼女から、熱を帯びた言葉が放たれる。


「私は君を」


 その思いは確かに。


「私は君が――」


 その想いは大きく。


「メルシディア!」

「っ!」


 彼女の名を呼ぶ声が大きく響き渡り、メルシディアの言葉を斬る。国王は上から二人を見下ろしていた。


「断罪の時間だ」

「っ……」


 王の言葉がメルシディアの心臓に絡み付く。

 彼女は先ほどの続きを言うことなく、国家法術師と共に投影術を使った。

 投影術はこちらと他国を繋ぎ、各国に闘技場の状況を見えるようにし、こちらの音を繋ぐ。そして各国の映像もこちらに写っていた。


「最後の審判を行う! エリアルは何度も世界を崩壊させ、我々を惨殺し続けてきた。エリアル・ハインズに死の制裁を求めるものは挙手を!」

「っ……」


 投影術により沢山の国の人々がこの最後の審判に立ち会っていた。しかし、この場にいる者たちだけでなく、映像に見えるものたち全員の手が上がった。


「リ……リグレッタ……?」


 エリアルは視界の先に見慣れた女性をとらえて目を見開いた。彼女、リグレッタは闘技場の端に座っていて――手を挙げていた。


「な、なんで!」

「…………」


 リグレッタは何も口にしない。今の彼の言葉は、明らかに彼女に向けられたものである。しかし、彼女は悲しげな目をして俯いていた。挙げた手や体は、震えていた。


――ごめんなさい……。


 絶望に落とされた彼の幻聴だろうか。慰めの声が、聞こえた気がした。


「では、これに異議を唱える者は立ち上がり、その理由を述べよ!」


 王の声が響いた。しかし闘技場にも、映像にも誰も、立ち上がろうとする者はいない。静けさが世界を包んだ。


「判決を下す!」


 冷えた空気が、鼻から侵入してエリアルの体の熱を奪っていく。


「正当なる民意によって、エリアル・ハインズをーー死刑に処す! 執行人を魔神メルシディア、立会人を全世界の人間とする」


 歓声が湧き上がった。投影術の映像からも歓声が聞こえてくる。闘技場は一気に騒がしくなったのに、エリアルの耳には自分の呼吸音しか入ってこない。

 荒く、速く、細く。鼻だけでは足らず、半開きになった口からも酸素を吸い込む。




 人間を人間たらしめるのは何か?


――この人殺し! さっさと死ね!


――バケモノが! とっとと消えろ!



 人が人であるには、他者から『人である』と認められなければいけないのだろう。


『消えろ!』

『消えろ!』

『消えろ!』


 様々声で騒がしかった世界は、一つの言葉に集約されて重く強く言葉のつぶてを放つ。


「…………」

「……ま……メルシディア……っ!」


 メルシディアが魔力を再現させると、エリアルは慌てて防御体勢を取った。

 彼の制止の言葉を聞かず、メルシディアは魔術を放つ。眩しい光が闘技場を白く染める。エリアルも、観客も、王も、目を手で覆い光を遮断する。


『!? 貴様! これはどういうことだ! これではなにも見えんだろ!』


 光が収まると、エリアルとメルシディアの周りには巨大な金の魔力障壁ができていた。教会のように美しいその壁は外と中を遮断し見えなくしてはいるものの、音はしっかりと通していた。


「……っ」

「私は、きっと君には勝てない」

「でもお前は、十分強いだろ」


 メルシディアは瞬時にエリアルの背後に回る。彼はすぐさま後退し彼女と距離を取った。メルシディアの言葉を彼は否定する。


「そうかもね……でも、私が君より強ければ、君が世界を崩壊させる前に防げるはずだよ。私には、元に戻すことしかできない」

「戻すことしか、ね……それでもまるで、神みたいだな」


 エリアルは苦笑いする。目の前の『魔神』は、やはり神と同等の存在だと心中で思った。

 そして、目の前の少女には殺されたくないと――殺させたくないと願った。

 

「私たちはこの世界には相応しくないんだよ、きっと……」


 そんな彼の思いに反して、彼女は角と羽を出し魔力を完全解放する。金の魔力障壁の中で魔力同士が衝突して空気を裂く音が何度か響く。


「だから――終わらせよう」


 メルシディアが魔力を手の中で溜め、エリアルに急接近する。エリアルも法力を解放し、手に法力の粒子を最大限溜め、彼女の攻撃を迎え撃った。


 強大な魔力と膨大な法力がぶつかる。


 二つの衝突地点に空気が吸い込まれていった。


 やがてその流れが停止する。


――刹那、吸い込まれた空気が逆流して押さ出され広がり、巨大な爆発が生まれる。


 破裂する轟音が響き渡り、世界が一瞬にして崩壊し――数秒して巨大な魔方陣と共に世界が再生された。


 * * *


 男が目を開けると、そこは、ただ真っ白な世界だった。

 何もない、寂しい世界。しかし彼の隣には、彼女がいた。


「メルシディア……ここは……」

「以前までいた、あの世界とは違う世界だよ……私たちはあの世界には相応しくない。だったら、私たちの合う世界を創れば良い」


 メルシディアと呼ばれた少女はニッと笑った。体を揺らし、その動きに合わせてピンクの髪が舞う。


「私の力では既存の世界に自分の力を適応させることはできないから、新しく作ったんだ。私の強大な魔力とエリアルの膨大な法力がぶつかったとき、君の法力を吸い込んでね。そしてあの世界を一度壊し、私たちの存在を消滅させてから再生させる魔術を起動した」


 いくら彼女でも、同時に世界の崩壊と再生、創生の三つを行うことは不可能だった。そこで彼――エリアルの力を使ったのである。

 エリアルの法力は強大なものである。彼の力を自分のものにすることができれば、彼女にとって三つを同時にこなすことは容易い。


「この世界は私の制御下にある。その中で誰かが暴れようと思っても、創造主である私は制御することができる。君の『灰化』で世界が滅びることも、ない」

「……本物の神じゃないか……ほんと、お前ってすげーな」


 黙って聞いていたエリアルは、次元が違いすぎる彼女にもはや驚かず、考えることをやめていた。


「お前が羨ましいよ。俺には……壊すことしかできない」

「そんなことないよ。君は破壊だけじゃなくて、生み出すこともできる」


 小さく重く、彼はため息をつく。しかしメルシディアは、すぐさまそれを否定した。


「? どういうことだ? 俺はそんな法術は使えないぞ……?」

「それは、その……」

「……?」

「こ、こういう……こと」


 メルシディアはエリアルに近づき頬に手を添えた。


「え……」


 エリアルは半開きの口から短い音を溢す。そこに蓋をするようにして、メルシディアは口を合わせた。彼女の口は愛を捩じ込み、温かい息が重なる。エリアルの脳が、遅れて状況を飲み込むと彼は目を見開いた。


「っ……」

「……っ! お、おまっ……」


 メルシディアはすぐに離れ、白の瞳を熱く揺らして彼を見つめる。その頬は赤くなっているものの、エリアルの顔はそれ以上に赤く染まっていた。


「好きだから。私は一生、貴方を殺せないよ。勇者様」


 メルシディアは後ろで手を組み、ニッと笑って見せた。



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