第八章 勇者はヒーロー
極東プロレスの練習場を後にして、駅に向かう途中、矢城さんと天童さんが話しかけてきた。
「伊織君って、あんなに強かったんですね。僕たちとの稽古では、そこまで強いとは思いませんでした。」
「ああ、伊織って本気出すと、相手殺しちゃうから。でも、相手が強いと手加減も難しいって言ってたよ。」
「そうですか。あれで手を抜いているなんて信じられません。」
「そうじゃのぅ。田舎で猪や熊を相手に一撃で倒していたらしいからのぅ。」
お祖父ちゃん、悪ノリしすぎ。
「確かに、一撃必殺。その通りですね。しかし、熊ですか。」
いや、勇者の力を説明するなら、これくらいでいいのか。
「伊織様、素敵でしたわぁ。」
美鈴さん、あなた関係ないでしょ。
「でも、先生。あの様子じゃ、これからが大変ですよ。香川さんしつこいですから。」
「そうなのか?」
「ええ、僕が勧誘された時も、何度断っても来ましたから。」
そうか、そういや二人とも香川さんに勧誘されてたんだ。
「そういや、伊織君って何の病気なんですか?ここまでの力を活かせないなんてどうにかならないんですか。」
やばい。そういや病気で医者に止められていることになってるんだ。
「いやいや、心臓じゃよ。長い時間激しい運動はできんのじゃ。じゃから動きに無駄もないし、あっという間に終わるじゃろ。」
お祖父ちゃん、ナイスフォロー。
「確かにそうですね。伊織君、運動らしい運動もせずに、相手を倒してしまいますものね。」
納得してくれた。よかった。
「伊織様、病気ですの?父に言って、名医を紹介させてくださいませ。」
美鈴さん、嘘だから。でも父って、美鈴さん何者?
「まあ、大丈夫じゃ。激しい運動さえしなければ、十分に元気じゃからのぅ。」
そんな会話をしながら駅に着いた。
「先生、それでは失礼します。今日はいいものを見せていただきました。」
矢城さんと天童さんは別のホームに向かって行った。
で、美鈴さん、どこまでついてくるのかなぁ。
結局、美鈴さんは家までついてきた。
伊織とつかず離れずの距離をずっと保っている。
「伊織様、今日は素敵でした。がんばってチャンピオンになってくださいね。」
おい、伊織はプロレスなんかやらないわよ。
「今日は楽しかったでござる。プロレスラーなる者も身体を鍛えているだけあって流石でござった。」
「え、瞬殺してたよね。」
「いや、腹を殴ったのでござるが、倒れなかった故、急所の鳩尾や後頭部を狙いもうした。」
「えっ、一発で倒したんじゃなかったの?」
「最初の御仁は二発入れもうした。」
見えなかった。
「それで、プロレスどうするの?」
「そうでござるな。もう少し鍛えれば、騎士団で活躍できもうす。」
わけ分かんない。
「ま、いいわ。夕食何食べたい?」
「野菊殿の料理なら美味しゅうござるから、何でもようござる。」
これだ。天然の女たらしだ。
「ま、負けないから。」
そう言って美鈴さんは帰っていった。
翌日、矢城さんの言った通り、香川さんがやってきた。
今日は菓子折りつきだ。
「千葉先生、是非とも伊織さんを極東プロレスにください。」
呼び方が『さん』に変わってるし。
「いや、伊織殿は激しい運動を医者に止められておるのじゃよ。」
「えっ、そうなんですか。」
「じゃから、空手も剣道も公式試合には出ておらん。それに本人の性格が目立つのを嫌っておるしのう。」
「激しい運動がダメで、あの強さ。どうにかなりませんか。昨日のように一瞬で倒すのであれば、激しい運動とはなりませんが。」
「香川さん、言っていることが矛盾しておらんか?一瞬で倒すプロレスを客は見たがるのかのう。」
「た、確かに。ですが、格闘技戦なら、一ラウンド五分の三ラウンド制ですし、それならフルで十五分。伊織さんがそこまでかかると思えませんし、一瞬で決まる試合もよくあります。」
「そうじゃのう。体力的にはいけるかもしれんのう。とはいえ、顔を知られるのもいささか具合が悪い。なんせ、空手の試合も断っておるからのう。」
「そ、それでしたら、覆面を用意します。」
「それに、伊織殿を取られると、この道場も困るしのう。」
「試合だけで結構です。練習も何も来なくて構いません。遠征が無理なら東京大会だけでもいいです。」
やばい、逃げ道が塞がれていく。
お祖父ちゃんの嘘もつきてきた。
「とはいえ、伊織殿がどう言うかのう。」
「もちろんです。伊織さんがこの条件で良いなら、是非ともお願いします。」
道場の床に頭をこすりつける勢いで下げている。
「もうすぐ伊織殿が仕事から帰ってくる。話を聞いてみよう。」
「お願いします。」
完全に土下座だ。
「ただいま帰りもうした。」
タイミングよく玄関が開く。伊織が帰ってきたようだ。
「伊織殿、道場に来て下され。」
お祖父ちゃんが、伊織を呼ぶ。
「香川殿ではござらぬか。今日はどうなされた?」
「香川さんがまた、伊織にプロレスやらないかって誘いに来たの。」
「伊織さん、お願いです。試合していただけませんか。」
「お手をお上げくだされ。昨日の試合で十分ではござらぬか。」
「伊織、昨日のような練習試合じゃなくて、伊織が見に行ったような本戦の試合の事よ。」
「ああ、お客さんの前でやる試合でござるか。しかし拙者、あまり目立ちたくはござらぬ。」
「それでね、顔を隠して覆面したらどうかって言うの。」
「覆面?おお、戦隊ヒーローでござるか。相手はどのような怪獣でござる?」
やば、この前のテレビと勘違いしてる。
「いや、怪獣ではなく、レスラー相手で、勝ち抜きの格闘技戦に出てほしいのです。」
香川さんが身を乗り出してきて、また土下座する。
「分かりもうした。そこまで頭を下げられては、断れぬではござらぬか。」
「え、伊織、いいの?」
「男がここまで頭を下げて頼むのでござるから、するしかないでござろう。」
とんとん拍子で話が進んでいく。
結局東京近郊の大会のみ覆面をつけて試合することになった。
伊織のデビューは一週間後から始まる極東プロレス格闘技頂上決戦に決まった。
香川さんは逃げられてはならじとばかりに、最も早い試合を組んだようだ。
今から急いで覆面を作るとのことで、デザインの希望とかサイズ測定とかバタバタとしながら、メモを取って帰っていった。
私もちょっと楽しみになってきた。
「伊織様ぁ、いらっしゃいますかぁ?」
やば、美鈴さんがやってきた。
「美鈴殿、今日も稽古でござるか。」
「み・す・ず。殿はなしってお願いしているでしょ。それより、さっき出て行ったの、プロレスの人じゃありませんでした?」
「ああ、試合に出ることになったでござる。」
「ちょっ、バラしちゃダメでしょ。」
慌てて止めたが、もう遅い。
「えっ、伊織様、プロレスの試合に出られるのですか?」
「一週間後とか申されておった。」
「やったぁ、今からメンバーに声かけて、応援団を作ります。それから旗作って、それから・・・」
「やめなさい。目立たないように覆面するんだから。」
「え、覆面?そんなもったいない。伊織様のお顔を隠すだなんて。」
「目立たないようにしてるの。」
「そ、そうですか。でも応援には行きますわよ。」
「あ、それくらいなら。」
この後、元暴走族の鈴姫連合に召集がかかったのは言うまでもない。
翌日、道場に集まった元鈴姫連合がすみっこで何か相談している。
「こらこら、何やってんのよ。ちゃんと稽古しなさいよね。」
私がそう言って話の輪に入ると、
「姐御ぉ、伊織さん、プロレスデビューするんでしょ。俺たち目いっぱい応援します。それで相談してたんですが、リングネームは何なんですか?」
「リングネーム?」
「だって覆面かぶってマスクマンなんでしょ。だったら伊織って名乗れないでしょ。」
「あっ。」
「あっじゃないっすよ。かっこいい名前考えなきゃ。」
「そだね。どうしよう。」
「伊織さんに聞いたら、何でもいいっていうし、そういうわけにもいかないでしょ。」
「確かに。なんかいいのないの?」
「とりあえず、伊織さんのイメージから、瞬殺魔王とか悪魔将軍とかバトルキングとか、色々候補あげたんすけど、魔王、将軍、王ってのはダメだって言われて。」
「あんたたち、伊織にどんなイメージ持ってんのよ。」
「いや、そうじゃなくて、伊織さんって優しいし、プロレスの世界なら、逆に凄みのある方がいいかなと思って。」
そうか。でも、魔王は倒したし、将軍や王様は恐れ多いだろうし、伊織の性格じゃムリだ。
「他に候補はないの?」
「イメージからだと、サムライが一番しっくりくるんすよねぇ。」
「いいね、それ。」
「じゃ、サムライマスクとかザ・サムライとかラスト・サムライとか。ニンジャもいいっすよね。」
そんなこんなで、リングネームはサムライ・ニンジャに決まった。伊織も気にいったようだ。
香川さんに連絡すると喜んでくれた。
マスクのデザインも名前から黒を基調としたカブキ風になるらしい。
ステージ衣装はニンジャのイメージで、黒のノースリーブに黒のスパッツにした。
周りでどんどん盛り上がっている。
伊織は蚊帳の外だ。
試合当日がやってきた。
私は美鈴さんやヤッくんたちと一緒に応援だ。
初めてプロレス会場に来たけど、熱気が凄い。
格闘技ファンが多いことが嬉しい。
空手もまだまだこれからだという気がする。
会場にはお祖父ちゃんや杉村さん、刑事さん、矢城さん、天童さんもいる。
みんな結構ミーハーだ。
「それでは、本日より開催される格闘技頂上決戦を開始します。」
アナウンサーの声が会場全体に大きく響く。
「「「「おおぉぉぉぉぉぉぉ」」」」
会場もヒートアップしている。
伊織は第二試合らしい。
第一試合は、外人レスラーのトマス・ベインと、この前伊織に倒された三崎翔太が三ラウンドをフルに戦って、三崎の判定勝ち。
こうして見ると三崎さんもなかなか強い。
さて伊織の出番だ。
「本日注目の一番。無名の新人ながら実力は極東プロレス一番といっても過言ではない。サムライ。ニンジャァァァァ。」
アナウンサーが興奮している。
見ると、アナウンサー席で叫んでいたのは香川さんだった。
スポットライトを浴びて、伊織が出てくる。
あれっ?
「な、何よ、あの格好?」
伊織は最初に現れたときに着ていた白銀の鎧に刀を差している。
「姐御、いいっしょ。伊織さん、地味っすから、ステージ衣装に着てもらったんす。」
確かにいい。
でもあの刀って、本物だよねぇ。
「「「「おおぉぉぉ。」」」」
会場が盛り上がっているから、いっか。
「伊織様ぁぁぁぁ。」
「こらっ、美鈴さん、名前呼んじゃダメでしょ。」
「あっ、ごめん。サムライ・ニンジャ様ァァァァ。」
ダメだこりゃ。
伊織はリングに上がると鎧を脱ぎ黒一色の衣装になった。
マスクは見慣れないけど、結構カッコいい。
相手は外人レスラーのキラー・ディオだ。
とにかく大きい。
二メートル以上あるように見える。
伊織が小さいだけかも。
試合開始のゴングが鳴る。
香川さんがマイクに叫ぶ。
「皆さん、お見逃しなく。一瞬で・・・」
一瞬の静寂の後、
「決まったぁぁぁぁ」
あ、香川さん見てて、見逃した。
「もう一回、やってぇぇぇ。」
美鈴さんが叫んでいる。
美鈴さんも見逃したようだ。ざまぁみろ。
「やはり、その実力は伊達じゃない。サムライ・ニンジャのデビュー戦は、開始わずか七秒でKO勝ちぃぃぃぃ。」
香川さんが叫ぶ。
「「「「うおぉぉぉぉぉぉ。」」」」
会場も叫ぶ。
「それでは見逃した人のために、もう一度感動のシーンをご覧ください。」
アナウンサーの声と共に、備え付けてあるスクリーンに試合の再放送が流れる。
あ、これっていいかも。
見ると、伊織の後ろ回し蹴りが炸裂。
そのままキラー・ディオは倒れ込みKO。
「「「「すげぇぇぇぇぇぇ。」」」」
会場からは大歓声。
あれっ、伊織は?
スクリーンに気を取られている間に、伊織はリングから消えていた。
「それでは勝者にインタビューぅぅ、って、あれ?サムライ・ニンジャさん?」
リング・アナウンサーが慌てている。
解説席から香川さんがリングに上がる。
「サムライ・ニンジャは謎に包まれております。従ってインタビューも取材も受けません。ただ、こうして我が極東プロレスに参戦してくれることになりました。ファンの皆様、今後とも瞬殺の魔術を楽しみにしてください。次回参戦の予定は、我が極東プロレスのホームページで発表いたします。」
香川さん、ファンを煽るのがうまい。
次の対戦相手が魔王とかでありませんように。