第十一章 勇者は大泥棒
伊織の次の試合まで一週間。
伊織は今日も警備の仕事に行った。
プロレスラーで食べていく気はないらしい。
最近、村田社長がしょっちゅうお祖父ちゃんを訪ねてくる。
伊織を気に入ったのか、お祖父ちゃんを気に入ったのか。どっちもヤだ。
今日はめずらしく仕事の相談らしい。
二人に簡単なおつまみとお酒を出して、私は自分の部屋に戻った。
「おじゃましましたぁ。」
あ、村田社長が帰ったようだ。
「お祖父ちゃん、何の話だったの?」
「おお、どうやら村田電器がヤクザの嫌がらせを受けているらしい。」
「え、どうして?」
「羽振りがいいからのう。金になりそうとなったら、喰らいついてくるのじゃろう。」
「で、どうするの?」
「とりあえず、武蔵君を紹介することになった。」
「あ、刑事さんね。それがいいかも。」
「ま、ただ、警察はことが起こってから動くから、起こりそうというのでは少し難しいがの。」
「そだね。どうせなら、伊織の警備会社に頼めばいいのに。」
「あ、その手があったか。」
「え、冗談よ。いくら伊織でもヤクザの相手はさせられないわよ。」
「ま、そうじゃの。いくら伊織殿でも、相手に鉄砲でも持ち出されたらかなわんからの。」
刑事さん、頑張れ。
伊織が仕事から帰って、この話をしたときに目が輝いたのは気のせいだろうか。
翌日、刑事さんがやってきた。
「先生、村田社長から連絡があって、今日はその報告に来ました。」
「おお、早速じゃの。それでどうなのじゃ?」
「それなんですが、まだ特に被害が出たとかではないので、いまのところ警戒して様子見です。とりあえず、村田社長の身辺には警護をつけました。」
「そうか、少しは安心かの。」
「ですが、事件ではないので、表立っては動けません。警護にしても四六時中とはいきませんし、村田社長のご家族までは手が回りません。」
「ま、警察の立場ではできることにかぎりがある、か。」
「そうです。それで、村田社長には信頼できる警備会社を紹介しました。」
「え、刑事さん、それって。」
「野菊さん、もちろん伊織さんの会社です。」
あちゃあ。
次の日から、伊織は職場が変わったと言っていた。
想像していた通り、村田電器の警護だ。
わくわくしている伊織を見ると、止められない。
でも、怪我はしてほしくない。絶対ダメだ。
プロレスラーだって何人も暴漢に殺されている。
力道山もそうだしブロディもそうだ。
伊織がそうならないともかぎらない。
私の心配をよそに、伊織は嬉々として出かけて行った。
戦闘狂というのではなく、世話になった人を守るのが嬉しいらしい。
夜になって伊織が帰ってきた。
今日は何もなかったらしい。
駅ビルの警護と、合間に美鈴さんの学校の送り迎えもしたらしい。
ヤクザが私を襲ってこないだろうかと期待したのは内緒だ。
伊織は、毎日朝から村田電器に出かけていく。
そうこうするうちに、伊織の三回戦の日がやってきた。
この日だけは警備は代わりの者が行くらしい。
とりあえず、いつもの応援団、いつもの秒殺、いつもの宴会の三セットは健在だ。
今日は相手が逃げ回り、三十八秒もかかってしまった。
この感覚って異常なのだろうか。
スポーツ紙の扱いが少し大きくなっていた。
翌日から、伊織は、また村田電器に行くようになった。
数日が経ち、伊織がにこやかに話してくれた。
「全て解決したでござる。」
「え、そうなの。もう大丈夫ってこと?」
「そうでござる。嫌がらせをしてきたならず者を懲らしめた故、もう大丈夫にござる。」
「こ、懲らしめたって、どういうこと?」
「今日、村田殿の車をならず者が取り囲み、脅かしてきた故、全て武器を奪って倒したでござる。」
「でも、ヤクザってしつこいって聞くよ。それだけで諦めるのかな?」
「力の違いを見せもうした故、多分大丈夫にござろう。」
「そっか、なら大丈夫かな。」
「また来るなら。今度は容赦せんでござる。」
「容赦しないって、殺しちゃダメよ。一生刑務所に行くんだから。」
「なら、腕一本くらいで。」
「それもダメ。やっぱり傷害罪で捕まるから。」
「どういたそう。」
「いや、そもそも力じゃ何も解決しないから。」
「拙者、役立たずにござる。」
「そんなことない。伊織がいるから、ヤクザも引き下がったんだから。」
「もうしばらく、警護を続けるでござる。」
「そうね。それがいいかも。」
伊織がうって変わって落ち込んでいる。
でも伊織が捕まるなんて嫌だ。
翌日から、また伊織は村田電器の警護に行くようになった。
数日が経ったが、ここのところ何も起こっていないとのことで、少し安心した。
そんなある日のこと。
「たのもう。」
玄関から声が聞こえてきた。
は?いつの時代よ。
まるっきり道場破りのセリフじゃないの。
玄関に行くと、背広姿の伊達男が立っていた。
「はい、どちらさまでしょうか?」
「こちらに伊織殿はおられるでしょうか?」
「伊織は今、仕事にいっておりますが。」
「そうですか。では、今夜八時に町外れの廃工場跡地まで来てほしいと伝言願えますでしょうか。私、津田組の加藤と申します。警察への連絡などは後々面倒になりますので、伊織殿一人で来るよう伝えてください。」
えっ、津田組?それって、西東京で一番大きい暴力団じゃないの。
村田電器の関係?仕返しにきたってこと?
しまった、お祖父ちゃんも留守だ。私しかいない。どうしよう。
思わず拳に力が入る。
「わ、分かりました。とりあえず伝えます。ですが、どのようなご用件でしょうか。場合によっては伝えかねます。」
「ほう、度胸のいいお嬢ちゃんだ。津田組って言えば、要件は分かってくれると思うよ。先日うちの若い者を可愛がってくれたお礼だと伝えてくれ。それじゃ待ってるぜ。」
口調が変わってきた。怖い。
そう思っていると、ヤクザはさっさと帰っていった。
夕方六時過ぎになって、お祖父ちゃんと伊織が帰ってきた。
急いで、津田組が来たことを伝える。
「分かりもうした。八時でござるな。」
「え、行くの?」
「後々面倒なのは御免こうむりたい故、行ってくるでござる。」
「ダメよ、何されるか分からないじゃない。」
「お礼でござろう。」
「違うから、お礼ってのは、お礼参りと同じ。仕返しってことだから。」
「それなら、望むところでござる。」
「お祖父ちゃんも何か言ってよ。」
「そうじゃのう。警察沙汰は後々面倒。ということは、ここの住まいも知られておるし、やっかいじゃのう。武蔵くんに個人的にということで相談してみるか。」
「そ、そうね。急いで、電話して。」
お祖父ちゃんの電話を待たずに、伊織は出かける用意をしている。
「ちょっと待って、伊織。行くのは電話の後にして。」
「それでは、八時に間に合わないでござる。拙者は大丈夫でござる故、心配めさるな。」
そうはいっても心配だ。止めても聞きそうにない。
こう見えて伊織はなかなかに頑固だ。
「分かった。それじゃ、私もついていく。」
「野菊殿、拙者一人と申されていたと伺いもうしたが。」
「警察がダメってだけで、か弱い女の子一人くらい何も言わないわよ。それに伊織、廃工場の場所知らないでしょう。」
か弱い?のか。
「そうでござるな。」
どこにいくつもりだったんだよ。
「しかし、気を付けてくだされ。」
「いざとなったら、伊織が守ってくれるんでしょ。」
「それはもちろんにござる。」
「なら、大丈夫。」
よね。多分。
「では、出かけもうそう。」
「あ、お祖父ちゃぁん、伊織と廃工場に行ってくるから。分かったぁ?町外れの廃工場跡地よ。」
「おお、気を付けて行くんじゃぞ。武蔵くんと連絡がついたら、わしも行くからの。」
止められると思ったのに、あっさり許可された。
これって、伊織と私の実力を認めてくれているんだろうな、きっと。
動きやすい服に着替えて、伊織を自転車の後ろに乗せる。
伊織は自転車の運転はまだできない。
廃工場までは結構距離があるため、私が伊織を乗せて自転車で行くことにした。
伊織は普段の服装だけど、念のためと刀を持っている。
三十分ほどして廃工場跡地に着いた。
ヤクザは、まだ来ていない。
まだ約束の時間まで二十分以上ある。
でも廃工場跡地って、ちょっと気味が悪い。
朽ちかけた建物以外は、ただただ広く、何もない。
町から離れているため静かだし、人通りもまばらだ。
少し怖くなって伊織にしがみつく。
伊織は嫌がりもせずじっとしている。
伊織の落ち着きを見て少し安心する。
向うから明るいヘッドライトが近づいてきた。
黒塗りの大きな車が三台やってきた。
先頭の車のドアが開き、加藤が降りてきた。
「ほう、逃げずに来るとは感心感心。で、お嬢ちゃんもついてきたのか。」
「伊織は場所分かんないから、つれてきたのよ。」
「そうか。けど早く帰った方がいいぞ。」
「脅しても無駄よ。伊織がいるんだから。」
「ちっ、面倒だな。手間が増えちまった。」
「若頭、お楽しみが増えただけじゃないですか。」
チンピラが吠える。加藤って若頭なんだ。
「馬鹿野郎、素人に手出してどうする。俺たちの礼はそこの細っちい野郎だけだ。」
「野菊殿に手を出さないとは、ありがたいことにござる。」
「は、ござる?これか、タケの野郎が時代がかった奴って病院で言ってたのは。」
「タケ?」
「てめえにやられたうちの若いもんだよ。」
「村田社長の車を襲ったならず者にござるか。」
「ならず者?違うだろ。タケを襲ったならず者はそっちだろうが。それより、村田社長の車を襲ったってどういうことだ?」
「拙者が警備を任されている村田社長の車を四人で取り囲み、散々悪態をついたあげく、車から降りた村田社長に殴りかかってきたでござる。」
「ユージこいつの言ってることは本当か?」
「若頭、そんなことより、やっちゃいましょうよ。」
「やかましい。答えろ。村田電器には手は出すなって言ってあっただろ。」
え、津田組が村田電器に嫌がらせって、若い奴が勝手にやってるの?
「タケが先走って、やっちまったのはそうだけど、でもタケは手の骨折られて病院じゃないですか。」
「そうか、おいっ、そこの伊織とやら、うちの若い者の早とちりだったようだ。すまねえな。けど、そっちもやりすぎてるから、今更引き返せねえのは分かるよな。」
「何のことでござるか?」
「お前が組のメンツをつぶしたってことだよ。」
「野菊殿、メンツってなんでござるか?」
「多分落とし前をつけろってことじゃないかな。」
「そっちの嬢ちゃんの方が話が通じるようだ。とりあえず、タケへの見舞金でも貰おうか。その後、てめえも腕一本で終わりにしてやるよ。」
「じょ、冗談じゃないわよ。悪いのはそっちでしょうが。」
「お嬢ちゃん、そんなことは分かってんだよ。それでも、やられたらやり返す。それがヤクザってもんだ。」
「野菊殿、話が通じる相手ではないでござる。危ないから下がっていてくだされ。」
「けっ、話の通じないのはお互いさまだろうが。けどそんな馬鹿は好きだぜ。」
「好かれても迷惑にござる。」
「は、そりゃそうだ。おい、てめえら、タケの不始末、きっちりカタつけてやれ。」
その言葉を合図に、後ろの車からもバラバラと下りてきた。
全部で十一人いる。
伊織はというと、相変わらずぼぉっと立ったままだ。
「「「おりゃぁぁ。」」」
木刀を持った奴が三人、伊織に殴りかかる。
伊織が少し動いたように見え、三人が倒れる。
どうやら刀の鞘で倒したみたいだ。まだ刀は抜いていない。
「へ?タケが言ってたように、少しはやるみたいだな。」
残りの八人が警戒しながら伊織を取り囲む。
「「け、逃げ道はないぜ。覚悟しやがれ。」」
皆、木刀や金属バットを持っている。
でも、剣なら伊織は全日本以上だし。
思った通り、見る間に一人二人と倒れていき、一分もしないうちに全員が地に伏している。
残るのは加藤一人だ。
「やるじゃねえか。玄人を本気にさせたのは間違いだ。後悔するぜ。」
そういって加藤は拳銃を出した。え、これって、ダメでしょ。
「伊織、逃げて。」
「無駄だよ。逃げたら背中に穴があくだけだ。」
「それは何でござるか?」
「は?拳銃も知らねえのか。てめえをぶち抜くもんだよ。」
「いおり、鉄砲だよ。火縄なしで玉が出てくる鉄砲よ。」
鉄砲なら江戸時代にもあったはずだ。
「ああ、鉄砲にござるか。飛び道具とは卑怯でござるな。」
「あ?卑怯で結構。要は勝ちゃいいんだよ。」
「そうでござるな。では拙者も遠慮はなしにいたそう。」
そう言って伊織が初めて刀を抜いた。
「ほう、度胸だけは褒めてやるよ。そんな刀、どっから持ってきた。素人が刀なんぞ振り回したら怪我するぜ。」
「大丈夫にござる。この刀は十年以上拙者とともに戦った相棒にござる。」
「十年?冗談も大概にしろ。てめえどう見たって十代の若僧じゃねえか。」
「伊織、何言ったって無駄よ。でも切っちゃダメよ。みね打ちだよ。」
「分かってござる。」
「は、俺が撃たねえとでも思ってんのか。」
そう言った瞬間、『バシュ』という小さな音と共に、伊織の前の地面が跳ね上がる。
伊織は動かない。
「謝るなら今のうちだぜ。」
「拙者を狙うなら、もうちょっと上にござる。」
「は?馬鹿かてめえは。それじゃ、腕の一本も貰おうか。」
加藤の拳銃が伊織に狙いを定める。
ダメ、伊織逃げて。私は足がすくんで動けなかった。
『バシュキン』
え、何が起こったの。加藤も伊織も動かない。
「外れたか、運がいい野郎だ。」
『バシュキン』
まただ。何か変。音が違う。
「え、伊織当たってないの?」
「大丈夫にござる。」
「てっめえ。」
『バシュキン、パラッ』
えっ、もしかして。
「玉切れにござるか。」
『バシュキン、パラッ』
やっぱり。
切れた弾丸が伊織の下に転がっている。
あんたは石〇五右衛門か。
加藤も気がついたみたい。
「てめえ、石〇五右衛門か。」