第2章―【4】水たまり
不本意ながら途中、タイトル変更させていただきました。
『夏の瀬』ではないか? というご指摘をいたただきました(^^;
たしかに…ただ、電子広辞苑で調べたら、年の瀬とは言っても、夏の瀬とは常用ではないようです…。
『夏の背』という言葉をどこかで見かけた気がして、文字列が気に入っていたのですが…
それでもご指摘されると確かに『やっぱ夏の瀬か』…と、一般に違和感があるようなので、いっそのこと語句を変更する事をご了承下さい。
内容は『夏の背にヒグラシ』の続きです。
雨が降っていた。
いつもの通学路も、淡く滲んだ景色にアスファルトのグレーが煙るように霞んでいる。
雨の日はただでさえ学校へ行くのが憂鬱なのに、昨日の今日でその心の沈み具合は尚更だった。
負けるのは判っていた。みんなそうだったと思う。
ある意味、負けっぷりを楽しむ予定だったのだ。
その中で、自分たちがどれ程のものか、さりげなく量りにかければいい事なのだ。
しかし、クラスの女子が試合を応援に来て、負けっぷりにシラけて途中で帰ってしまった。
それが、試合に負ける事以上にボクたち男子のプライドをズタズタにした。
その中に桜井千春がいた事で、ボクとサトシは完全に落胆していた。
傘の舳先から激しく雫が滴り落ちるのを見つめながら、ボクは何時もより重い足取りであるく。
路面は全てが水溜りのようで、スニーカーがジャブジャブと雨水を踏みつける。
側溝から溢れた雨水が小さな川を作っていた。
ボクはそれに気付かず足を踏み出して、足首まで水に浸かってしまった。
背中でくすりと笑い声がした。
聞き覚えのある声だった。
ボクはゆっくりと振り返る。
「ちゃんと、足元見てあるきなよ」
相変わらず風変わりなイントネーションで千春が言った。
「見えなかったんだよ」
思わずボクは言い返す。
立ち止まったボクに、千春は並んだ。
学校へ行くときに一緒に歩くのは初めてだった。
前を歩く彼女はよく見かけるけど、もちろんボクは声なんてかけない。
下校時間に比べて、周囲には登校中の他の生徒が沢山いるし、何処にクラスメイトがいるかも判らないから。
一瞬並んでボクは、千春の一歩前に出た。
千春はほんの少し小走りに再びボクに並ぶ。
「昨日は面白かったね」
彼女は登校中であろうと、男子と並んで歩く事に抵抗はないようだ。
「ボロ負けが?」
「違うよ。野球を間近で見るの初めてだったし、朋ってボール投げるのうまいんだね」
千春は赤いチェックの傘を揺らして屈託なく笑う。
昨日途中でいなくなったくせに、どうしてそんな笑顔で昨日の試合を語るんだろう。
ボクの名前は瀬戸内朋也で、彼女は先日まで瀬戸内くんと呼んでいた。
なのに、この朝彼女はさりげなくみんなが呼ぶようにボクを『トモ』と呼んだ。
素早く反応しそうになったけど、気付かないふりをした。
「でも、とるの下手だけどね」
「アハハ、エラーもしてたね」
千春はボクの腕に手を伸ばして触れた。
悪気のない言い方と仕草は理解できたが、やっぱり心の何処かがチクリと疼いた。
「でも、カッコよかったよ」
「最後まで観てないくせに」
相変わらず雨音が傘を叩いていた。
二人分の雨音は、喧騒となってボクと千春を包み込む。
「観てたよ」
ボクは彼女を振り返る。
「観てたよ。あたし、途中でミカちゃんたちと別れて戻ったの。でも何だか一人でベンチにいるのもなんだし、グラウンドの入り口で観てた」
千春は引き返して、試合を最後まで観てたらしい。
「9回も、三振ひとつとってたじゃん」
その通りだ。
ボクは渾身の低めギリギリストレートで、3番バッターから三振を取っている。その後、再び4番にホームランを打たれたけれど……。
校門の隅にも多きな水溜りが出来ていた。
大雨の時は何時もこうで、水はけが悪い立地は有名らしい。
ボクが遠回りしようとすると千春はボクの腕を再び掴んだ。
「跳んで」
「はあ?」
「跳んじゃお」
別に跳べないほど大きな水溜りでもないけれど、何だか無駄な行為に感じた。
それでもボクは校門前の大きな水溜りをパッと跳び越えた。
傘が風に煽られて、雨が顔を叩く。
千春は小走りに水溜りを回避すると、ボクの腕を掴んで
「スゴイスゴイ。本当に跳べたね。凄いじゃん」
確かに思いの外ギリギリだった。
「行こ」
千春が目の前の昇降口へ促す。
ボクは何だかわけが判らずに彼女の後を追った。
今考えると、彼女はボクを褒めたかったのかもしれない。
ただそれだけだった気がする。
昇降口を入ると、ユミが内履きに履き替えているところだった。
雨の日の昇降口は、いささかざわめいている。
ボクはその喧騒に紛れてユミをかわそうとしたけれど、何かを感じたテレパシスのように、彼女はボクを振り返った。
目が合った。
けれども、ボクは視線をそらしてわざと千春に話しかけた。
「俺の球速いだろ」
「えっ?」
「俺の投げる球さ。速くね? 向こうも面食らってたし」
「う、うん。よく判んないけど、そうよね」
ボクはせわしなく会話が途切れないようにして、千春と廊下を歩いて階段へ向った。
ユミの姿が見えない場所まで来ると、ボクは走って階段を駆け上がり教室まで向った。
昨日の試合でユミが稲葉と親しげにしていた事がボクの心に引っ掛かっているのか、それとも今千春と一緒だった事に疚しさを感じるのか自分でも判らない。
ボクはとんだ捻くれ者なんだ。