第2章―【2】なわとび
「家どこ?」
千春がボクに訊いた。
この時、ボクらはボクの家を既に通り過ぎていた。
彼女と離れるのが惜しくて、ボクは自分の家を通り過ぎたのだ。
自営業の食品店の店先に母親がいないかドキドキしながらボクはそこを通り過ぎた。
「もう過ぎた……」
「なんで?」
千春は怪訝に、それでも楽しそうに笑う。
楽しそう……彼女の笑顔がボクにはそう思えた。
「別に……何となく」
ボクは何食わぬ顔で言う。
「千春の家は、何処?」
「この先、もう直ぐよ」
ボクが自分の家を通すぎてまで彼女について来た事を、千春は追及しなかった。
「ここ曲がってすぐ」
彼女が指差した先に、オレンジ色の屋根瓦の白い家が在った。
ボクは黙って千春について行った。
なのに、彼女は拒むどころかあつかましいボクを、玄関を通してくれた。
「チョット待ってな」
千春は小走りに廊下を駆けて階段の上に消えると、ランドセルを置いて直ぐに戻って来た。
「上がって」
「えっ?」
先は予想していなかった。
ボクは何も考えずにただ、千春についてきたのだ。だから、そのまま家に上がることまでは考えていない。
もしかして無意識の計画は、玄関先でちょっと話しをして満足げに帰る。そんな感じだったのかもしれない。
「ほら、せっかく来たんだから遠慮いらんよ」
彼女の広島なまりは、なんだか言い回しが柔らかい。
ボクは「うん」と頷いて、靴を脱いだ。
千春は台所から、麦茶の入ったグラスを二つ持ってくると、茶の間のテーブルに置く。
ボクは自分の手提げ鞄を傍らに置いて、絨毯に腰を下ろした。
みんなと同じランドセルが嫌で、ボクは二年生の後半から手提げ鞄で学校へ通っている。
「お母さんは?」
「ウチは共働きだから、夕方まで一人なんよ」
「そう……」
いま考えると、彼女は淋しかったのかもしれない。
転校初日の複雑な気持ちはボクにはよく解らないけど、少なくとも不安はあったと思う。
それでヘラヘラと懐いた仔犬のようについて来たボクを、彼女は簡単に受け入れてくれたのだろう。
もちろん、初のクラスメイトとして。
「見て見て、カワイイでしょ?」
隣の部屋に消えた千春が戻って来ると、肩には鳥が乗っていた。
黄緑色の小鳥だ。
ボクはこの時、手乗りインコと言うものを初めて見た。
小さな黒い目がキョロキョロとあちこちを見ている。
「な、カワイイでしょ?」
「う、うん」
ハッキリって、ボクにはよく解らなかった。
犬や猫は可愛いと思うけれど、鳥を可愛いと思った事はない。
それでもボクがそう応える事で、千春が喜ぶ事はボクなりに解っていた。
「飛ぶよ」
千春は、部屋のなかでインコを放った。
黄緑色の小さな物体が、バタバタと忙しなく動きながら部屋の中を舞う。
千春は自分で放ったインコを追った。
ボクも何だか分けが解らず追う。
犬と戯れるような、そんな感覚だろうか……?
でも、インコは自分勝手に思いのまま、隙あらばこの部屋から飛び出ようと言わんばかりに羽ばたきまくっている。
それでも暫くすると、千春が延ばした手にインコは帰ってきた。
とりあえず、人に懐くようだ。
「持ってみなよ」
千春がインコを差し出す。
ボクはテレ笑いを浮かべながら、彼女に促されてインコを手に乗せた。
足が硬い……細い指ががっしりとボクの手を掴んでいた。
「可愛いでしょ?」
「う、うん……」
ボクはとりあえず笑う。
千春の笑顔は、こちらの笑顔を誘うのだ。もちろん、手に乗ったインコをどうしていいか判らない困惑の混じったものだったけれど。
「縄跳びする?」
インコを鳥篭に戻してきた千春は、手に縄跳びを持っていた。
広島では男子と縄跳びなんてするのだろうか? それとも、千春が変わっているのだろうか……。
ボクはユミと縄跳びなんてした事がない。
もちろん、学校の友達や体育の授業ではしているが、女子と二人きりで縄跳びなんて思いもよらなかった。
彼女の当たり前な発言と笑顔に、ボクは再び笑いながら頷いた。
分譲したての場所に建つ千春の家の前は、まだ空き地だった。
彼女は一人で縄跳びを廻して跳び始める。
スカートを揺らしながら飛び跳ねる千春の姿を、ボクはぼんやりと見ていた。
「入りなよ」
千春が誘う。
あの中へ入るというのか? 一人用の縄跳びにふたり入れるのだろうか?
しかし入れと言う千春は、その経験があるのだろう。
ボクは彼女の飛び跳ねるリズムに乗って、ナワの中へ飛び込んだ。
旨くナワを跳び越えた時、千春の顔が目の前にあった。
近すぎて顔全体が見えない。
黒々とした睫毛に覆われた彼女の大きな瞳が、三日月形に笑っている。
足元を見つめる視線が時折ボクの方を向くと、その度に鼓動が跳ね上がる気がして、ボクは一心不乱にナワを跳び越えた。
千春の短い髪の毛が午後の陽射しを浴びながら、彼女のオデコの上でパサリパサリと飛び跳ねていた。
千春の手が、ボクの肩を掴んだ。
彼女の体重の半分がボクの身体にかかると、ボクは反射的に彼女を支えた。
背の順で並ぶと、いつも真ん中より少し前のボクは、決して体格のいい方ではない。
手足のすらりと長い千春は、丁度ボクと同じくらいの背丈をしていた。
千春の黒い髪の毛がボクの額に微かに触れる。
二人で跳んでいた縄跳びナワに、千春が足を引っ掛けたのだ。
「アハハ、ゴメン」
千春は声を上げて笑いながら、バランスを崩してボクに掴まった。
彼女の着ている長Tは、甘いような洗濯洗剤の匂いがした。
その次はボクがナワを引っ掛けてバランスを崩す。
ボクは千春に掴まれなかったけど、逆に彼女の方が手を出して僕を掴まえてくれた。
そんな繰り返しを何度もしながら、それなりに楽しいふたり縄跳びを僕らは夕方まで続けた。
家並の向こうで、夕陽がオレンジ色に空を染め始めていた。