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第1章―【2】鉄橋

 引込み線を辿っていくと、切り替えレバーの外されたポイント部分が在る。本線との切り替えポイントだ。

 当然のように、その先に在るのは電車が走る生きた線路だ。

 生きた線路は枕木が黒い。

 電車から落ちるオイルで、黒光りしているのだ。

 いま考えると、何処から落ちるオイルなのか不思議だし、もしオイルを零して走っているとしたら、ちょっと怖い。

 しかし、思うにベアリングやグリス系のオイルが車輪やその周辺から飛び散るのだろう。

 とにかく生きた線路は、黒く、怏々しく輝いていた。

 線路の車輪が当たる部分は、常に黒鉄色に磨き上げられて怪しく輝いている。

 夏だった。

 その線路の先には雑木林が続いていた。

 緑の木々に囲まれた中に消え入るように伸びるレールは暑さで歪み、照りつける陽差に陽炎を漂わせて、行き先を揺らしていた。

 そこは今いる自分の世界とは違う、果てしなく遠いどこか異世界に通じる魔法のトンネルのようにゆるゆるとうごめく。

 ボクはその陽炎の先に行ってみたかった。

 夏草が生い茂る緑に囲まれた不思議の世界。

 セミが鳴いていた。





 家の庭で飼っている犬が、子供を産んだ。

 ボクはユミと一緒に仔犬を抱えて線路を歩いた。

 抱えた腕の中で、名も無い仔犬がクンクンと鼻を鳴らす。

 ボクは白と黒のブチ毛の仔を、ユミは真っ白な綿毛のような仔を気に入っていた。

「ねえ、何処行く?」

 同じく胸に抱いた仔犬の小さなふわふわの頭を撫でて、ユミが言った。

「鉄橋まで行こうよ」

「鉄橋?」

「あの先に運河を渡る鉄橋が在るんだ」

 ボクは引込み線が本線に交わる手間で、鋼鉄のレールが何処までも延びる先を指差した。

「この先、行けるの?」

「行けるさ。地面は続いている」

 腕の中で仔犬がク〜ンと鳴く。

「でも、電車が来たらどうするの?」

「横に逃げれば大丈夫」

「逃げられなかったら?」

「逃げれるさ」

 ユミは仔犬の頭に手を乗せたまま、ボクを見つめていた。

 彼女の心配を打ち消すようにボクは

「じゃあさ、次の電車が行ったら直ぐに行こう。1本通れば、暫く来ないだろ」

 ユミは小さく頷く。

 ボク達はオンボロ小屋のような駅の待合室へ行った。

 小さな駅のホームに、ポツリと佇む公衆トイレのような小さな待合室。

 時間表を確認すると使われていない引込み線の錆びた線路に腰掛けて、ボク達は電車が通るのを待った。

 待合室に留まらなかったのは、どこかやましい悪戯心があって容易く大人に出会うことを拒んだからだと思う。

 間も無く急行電車が怏々しく通り過ぎる。

 ゴッと風が巻き起こり、地面が揺れた。

 4両編成のローカル線は、あっと言う間にボクたちの目の前を通過して小気味よく刻む音が遠ざかってゆく。

「よし、行こう」

 ボクはユミを促して黒々とした線路に足を踏み入れると、足早に歩いた。

 枕木から枕木へ、足を踏み落とさないようにポンポンと跳ねるようにボクたちは歩く。

 まるで枕木から足を踏み外したら地の底へ落ちてしまうかのように、きっちり枕木から枕木へ飛び跳ねる。

 身体が揺れると、胸に抱いた子犬がフサフサとそれに合わせて揺れた。

 真夏の日差しを吸収した鋼の線路は、ボクたちを暑く照り返す。

 両脇に木々の生い茂る壁を抜けると、鉄橋が見えた。

「鉄橋だ」

 ユミが声をだしてボクを追い越した。

「おい、仔犬気をつけろよ。落とすなよ」

「大丈夫だよ」

 ユミが抱いた子犬は、後ろ足をダラリと垂らしてユサユサと揺れていた。

 ボクはユミに負けないように、足を踏み出して枕木を跳ぶ。

 一瞬仔犬が腕の中で「フギャン」と小さく鳴いた。



 鉄橋の上は砂利が敷いていない。

 まさしく、枕木以外の場所は下を流れる川面に続いていた。

 ボクたちはその手前で立ち止まって下を見下ろした。

「高いね」

 ユミは不安を高揚を入り混ぜた不思議な笑みを浮かべて仔犬を抱きなおした。

 線路の二本のレールの間には、細い鉄網が敷かれていた。おそらく作業員などが歩く為の通り道なのだろう。

 そして、線路の横にも、人ひとりがやっと通れるような橋がかかっている。きっと電車が来た時の退避の為だ。

 何にしても、もしもの逃げ場が在るのは安心する。

 というか、最初から退避通路を渡ればいいのだけれど、ボクらは線路の真ん中を歩き出す。

「下見ると吸い込まれそうだ」

「男の子って、縮んじゃう?」

「な、何が?」

「ううん、なんでもない」

 ユミはおかしな笑いを浮かべると、細い鉄網の上で無理やりボクに並ぼうとする。

「ばか、二人同時はヤバイって」

「朋ちゃん、あたしを押さないでよ」

「押すかよ。ていうか、ユミは俺の後ろを歩けよ」

 二人の抱く仔犬同士が顔をぶつけて「フゲッ」と潰れた声を出す。



 川の水は茶褐色に濁っていて、何かが棲んでいるようには見えなかった。

 でも、時折何かが跳ねて川面に波紋を作った。

「あ、魚だよ」

「うそだ」

「本当だよ」

 ユミが指をさすと、身体がよじれてボクは思わず鉄網から外れて枕木に足を着いた。

「危ないって」

「本当に魚が跳んだもん」

 ユミはそう言ってプッと頬を膨らませると、さっさと歩き出す。

 歩く度に鉄網の通路はガシャガシャとしなって頼りない音を響かせた。





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