第4章―【3】夜光虫
船着場に行ってみようよ。
その夜、盆踊り会場に現れたヨウコさんは言った。
30分ほど輪の中で踊っていた彼女は、相変わらずラムネを飲み、アイスを齧っていた
ボクに小走りに近寄ってきた。
下駄がパカパカと軽快な音を奏でる。
「船着場? これから?」
防波堤沿いに暫く歩くと、船着場が在る。
漁船が並ぶ岸壁と岩場が在って、何度かそこで泳いだ事もあった。
盆踊りの最終日は、毎年そこで花火大会が行われる。
花火大会と言っても、手持ち花火をみんなでやるだけのささやかなものだ。
「大丈夫でしょ?」
彼女は自前の小さな懐中電灯を浴衣の帯から取り出す。
ボクは足元に置いた、婆ちゃんから借りた懐中電灯を見下ろした。
「うん」
ボクたちは防波堤に沿って歩いた。
暗闇から満潮の波の音が静かに聞こえる。
「こっちで泳いだ?」
ヨウコさんの笑顔は、薄闇にぼんやりと浮かぶ。
「前は泳いだけど、今年はまだ」
「あたしも」
ヨウコさんはククッと声を出して笑うと
「プールでいっぱい泳いだもんね」
言われて思い出す。
お盆前まで、ボクらは毎日毎日プールで半日を過ごしていた。
ウォーミングアップで1000メートル。流しで50メートルを5本。それから、種目別に5回タイムを測って、再び50メートルを5本流す。
毎日2キロ以上は泳いでいたのだ。
肩で息をつき、水が滴るヨウコさんの姿はここには無かった。
浴衣で小股にパカパカと音をたてて歩く、この地で出逢った少女。
「懐中電灯いらないね」
ヨウコさんは防波堤の先に見える船着場を見た。
遠くにイカ釣り漁船の明かりが煌々と光っている。
背中から聞こえる賑やかな音色が、少しずつ遠ざかって夜に溶けてゆく。
正面に続く微かな月影の導き出す闇に、二人の足音が響く。
彼女からはリンゴのような甘い香りがした。
シャンプーの香りなのか、彼女自身の香りなのかは解らないけれど、なんだかボクは眉間の奥に熱いものを感じる。
耳が終始熱かった。
「夜の海って、真っ黒だね」
船着場の桟橋から、ヨウコさんは海を見下ろす。
ボクも隣で一緒に見下ろした。
濃色の透き通る世界が足元に奥深く沈んでいた。
僅かな月明かりを浴びてチラチラと見える黒い岩や岸壁にへばりついたフジツボが、もうひとつの世界を見い出している。
ヨウコさんは帯に挟めていた小さな懐中電灯を取り出すと、海中を照らした。
明かりが通り抜ける場所だけが、白く浮き出る。
「あっ、カニ」
ヨウコさんが身を乗り出す。
海中の岩陰で、カニがこっそりと息を潜めていた。
ボクは何故か、昔ユミが古いボート小屋でひざを丸めて座り込んでいる姿を思い出す。
なんでこんな時に?
ヨウコさんの横顔を盗み見た。
「ね。いるでしょ」
「うん……」
ボクはただ頷いて見せた。
「明日、花火だね」
「手持ちの子供騙しだよ」
「でも楽しそう」
ヨウコさんはそう言って笑うと
「参加した事なかったけど……トモヤ君も来るでしょ?」
「うん……来ようかな」
「来ようよ」
ヨウコさんの手が、ボクの腕に触れた。
「うん。いいよ」
ボクは岸壁の縁に足を垂らして腰掛ける。
ヨウコさんは、小さな小石を掴んで足元の海面に放った。
濃色の水面にポチャリと波紋が広がる。
黒い海中に、キラキラとエメラルドの小さな光の粒が沸き立つ。
波紋に揺られるように淡く輝いた光は、幻のようにあっと言う間に深い世界に消えた。