第3章―【4】感触
この夏はなんだかユミと一緒の事が多かった。
おそらく夏休みの初めに彼女と過ごした事が引き金になって、気が置けない心地よさを思い出したのかもしれない。
とは言っても、プールに行く日取りを合わせて、その帰りに出来たばかりのコンビニエンスストアへ立ち寄ってコーンアイスを食べるのが決まりのようなものだった。
互いに電話をするような事はない。
プールの帰り道、次に何時来るかを相談して決めるだけだ。
途中で待ち合わせて一緒に行くような事もなかった。
その頃のボクとユミは、あくまでも学校のプールで出逢って帰りを共にする。
偶然のようで必然的な、そんな付き合いだった。
しかしこの日、午前中にユミから電話があった。
お腹が痛いから、今日はプールに行かないという事だった。
ボクは準備していたプール用具を眺めて息をつく。
ユミと都合を合わせる事で、サトシとは全く連絡をとっていないから、何だかいきなりプールに誘うのも今更のようで気がひけた。
彼もプールへは行っているようだが、時間が合わないのか何故か出くわさないのだ。
ユミと一緒の時はそれで都合よく感じたが、彼女が欠けた事でいささか困惑めいていた。
それでも特に予定のないボクは、結局午前中のプールに出かける。
水に入るのは好きだし、泳ぐのも好きだった。
ギラギラと眩しい蒼穹には、銀色に近い入道雲が大きく立ち昇っていた。
ボクはプールサイドに腰を下ろしたまま空を仰ぎ、どれだけ高い空に昇るか判らない入道雲を見つめた。
くるくるとトビの舞う姿が、黒い影となって浮かんでいる。
眩しさに耐えられず頭ごと視線を下へ向けた。
膝を抱えた体育座りの足先を見つめると、コンクリートのタイルに黒アリが歩いていた。
フッと日陰が出来る。
ボクの足先のすぐ前方に白いつるりとした脛が見えた。
指の長い、スラリとした足がこちらを向いている。
ボクはゆっくりと顔を上げた。
逆光の中に、彼女のシルエットが浮かんでいる。
濡れた短い髪が、空を背景に少し跳ねていた。
その日のプールは何故か人が少なかった。
辺りを見回しても同じクラスの連中がほとんど見当たらなくて、他の学年、他のクラスももちろん少ない。
たいていあるはずの、交替制によるプールへの入水がその日は無くて、ただ時間毎に休憩が用いられるだけだった。
プールサイドに何時もの賑やかな喧騒はない。
蝉の声が通り過ぎ、陽射しがコンクリートタイルを白く照らしていた。
笛の音が聞こえた。
微かなざわめきと共に、水しぶきを立てて入水する連中を、ボクたちは並んで眺めていた。
「あたし、泳げないのよ」
「うそ」
「ほんとうだよ」
千春が恥ずかしそうに目を細めて笑う。
「トモは泳ぎ上手いよね」
夏休み前の授業で、彼女はボクの泳ぎを見ている。
そう言えば、千春の泳いでいる姿をボクは見ていない。
「ぜんぜん泳げないの?」
「うん。ぜんぜん……」
千春は恥ずかしさをしのぐ為か、ボクの二の腕をパシリと叩いて笑う。
「そんな目で見るな」
誰かが飛び込んだ水しぶきが、目の前に飛んできてタイルを濡らす。
本当は飛び込は禁止だけれど、今日はひと気が少ないせいか監視員のお兄さんもあまり注意はしないようだ。
「じゃあ、俺が教えてやるよ」
「ホントに?」
千春はボクの腕を軽く掴んで笑う。
やたらと嬉しそうなのは、何か理由が在るのだろうか?
ボクと千春は深水の場所へ行って、水に体を浸けた。
25メートルプールは飛び込台の在る側が一番深くて、対面に向うに従い段々浅くなる。
深水の場所で遊ぶ連中は少ないので、比較的空いているのだ。
「足着かないよ」
「着くよ」
顎がちょう水面に浸る辺りでボク達の足はようやく着く。
泳げない人間にとって、顎が水面に浸る感覚はとてつもなく不安らしい。
しかしボクが手本を見せると、千春はギリギリで足を着き、安堵の笑みを浮かべながらプールサイドの手すりを放した。
「大丈夫だろ?」
「うん」
頷いた拍子に口が水の中へ入って、千春はブクブクという返事を返してきた。
プールサイドに手を着いてバタ足の練習。
彼女は水面に顔を着けるのは抵抗がないらしい。
それとも横でボクが支えていたからなのだろうか。
ボクは千春の身体の何処に触れて支えればいいのか躊躇しながら、結局おなかの部分に腕をあてがった。
バタバタと身体が動いて、何だか柔らかくて冷たくて……とにかく妙な感じだった。
それが顔に出ないように、ボクは千春を支える。
フッと、身体が流れた。
プールサイドから手が離れてしまったらしい。
千春が慌てて立とうとしたから、ボクも急いで彼女を支え直そうと両手を動かした。
少しの出っ張りに両腕が引っ掛かるようになって、彼女を抱きかかえる。
千春は慌ててボクの腕を払おうとしたけれど、ボクは千春が混乱していると勘違いして腕に力を込めて彼女を支え続けた。
しかし……ボクが抱え込んだ小さな出っ張りは、彼女の小さな胸だったのだ。
「ご、ごめん」
気付いたボクは、慌てて腕を離す。
再びプールサイドにしがみ付いた千春は、息を切らしながら
「別にいいよ。大丈夫」
顔が紅潮していたのは恥じらいのせいか、それとも勢いのあったバタ足のせいだろうか。
ボクはとりあえず彼女の言葉を信用する事にした。
気にすればするほど、彼女が羞恥すると思ったから。
だからボクが気にしない素振りを見せた方がいいと考えた。
だけど……
アザラシのお腹の様な(アザラシには触った事がないけれど……)水着の上から触れた彼女の柔らかい胸の感触を、ボクは暫く忘れる事はできなかった。
それから今度は、気を取り直してクロールの腕の回転を教えた。
その後、平泳ぎを教えると
「こっちがいいなぁ」
と、彼女は笑う。
見た目にも泳ぎ易そうだったし、息継ぎも直ぐに出来るようになった。
ボクはといえば、どうしても視線が彼女の胸に留まってしまう……。