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第3章―【1】しぐれ

 古い引込み線の脇には、昔使用したらしい国鉄の作業小屋が何軒か並んでいた。

 まるで枕木を柱に使ったような真っ黒に朽ちた木造の建物で、今で言うプレハブ小屋のようなものだった。

 もちろん使われなくなってからだいぶ経つらしく、誰かが出入りしている様子は無い。

 中の部屋は三つに区切られて、机や棚、ロッカーらいしきモノがまだ残っていた。壁には作業着やヘルメットがかけられたまま、時間だけが何時の間にか経過してしまったように見える。

 気付かないうちに過ぎてしまったようなその時間の姿が、ボクの興味をそそった。

 ただ、ガラス窓越しに中を覗く事は出来ても、頑丈に施錠された扉からは中へ入る事は出きない。

 さすがにガラスを割って入り込むような悪事を働くつもりもない。

 その後に建つ物置らしきボロ小屋は中へ入れたけれど、中はがらんどうでボクの興味をそそるものは無かった。


 小学四年生の夏休み初日は雨だった。

 朝からしとしとと雑木を湿らすような霧雨だった。

 ボクは久しぶりに引込み線周辺をぶらぶらと歩いてみる。

 ひと気のない無人駅と何も動かない古い引込み線。

 朽ちた敷石が雨に濡れて、てらてらと光っている。

 サトシや他の仲間と学校のプールへ行く約束をしていたけれど、この天気でそれも中止になったボクは、いささか暇を持て余していた。

 まさか、夏休み初日から宿題に手を付けるバカもいないだろう。

 雑草のかげから見た国鉄の作業小屋は、霧雨に浮かぶ古い難破船の如く黒く霞んでいた。

 建物自体が生い茂る雑草に半分埋まって、窓は黒々とした景色を映し出し、僅かな景色の光を反射している。

 その時だった。

 窓に人影が見えた。

 ボクは目を見張った。

 あの建物は、誰も出入りしていないはずだ。

 その人影は、一瞬窓を横切って直ぐに消えた。


 以前兄に妙な噂を聞いたことが在る。

 この駅を作った当時、引込み線の脱線事故で複数の人が亡くなったそうで、その亡霊が古い小屋に捕り付いている。

 確かボクがまだ幼稚園で、兄貴はちょうどボクくらいの歳の頃だ。

 まさか……。

 確かめたいけれど、足がすくんで前には出られなかった。

 湿った風がひゅうっと吹いて、草木をさわさわと揺らした。

 ボクは踵を返し、伸びきった雑草を掻き分けて家に帰る。

 部屋に戻ってアレがナンだったのか考えた。

 考えた。

 何も思い浮かばない。

 だって、あの建物の扉のカギは古く錆びて誰も開け閉めした形跡なんてないのだ。

 今日だけ誰かが入ったのだろうか?

 いや、ボクは遠目にも扉の大きな南京錠がかけられたままなのを確認したんだ。

 だから、あそこに人がいる事はありえないんだ……。





「ねぇ、トモ。あそこの小屋に誰かいない?」

 翌日、小学校のプールで出合ったユミが言った。

 サトシとゴッちゃんと一緒に午前中にプールに来たボクは、目を洗う水道場に一人でいたらユミに声をかけられたのだ。

 昔のプールは塩素消毒剤が強いのか、しょっちゅう目を洗わないと直ぐに痛くなった。

 だからと言って、ゴーグルを着ける事は禁止されていた。

「はぁ?」

 最初ボクは、『あの小屋』の意味が判らなくて、振り返りざまに変な声で応える。

「ほら、駅の近くにボロい小屋があるでしょ」

 ユミが、Uの字に上に向って飛び出た蛇口に顔を近づける。

「ああ、あの小屋」

 前屈みになったユミの背中に、ボクは声を返した。黒い肌に肩甲骨が盛り上がっている。

 密着したスクール水着の背中の中央には、ゴツゴツとした背骨が浮き上がった。

「何で?」

 ボクは彼女のうっすらと産毛の生えた背中を見つめたまま問いかける。

「うん……なんとなく」

 ユミは片目ずつ目を洗いながら言葉を返した。

 以外に器用な事をするもんだ。

「なんとなくって?」

「誰かいたように見えた」

 ユミが顔を上げて、バスタオルで目の周りを拭った。

「何時見た?」

「この前」

「この前って?」

「この前はこの前だよ」

 ユミは時折一人であの辺りを歩くのだろうか?

 ボクはふと考えた。

 彼女はボクと一緒の時だけ駅周辺で遊んだりすると思っていたけれど、ひとりでもぶらぶら歩く事があるのだろうか?

「一人で?」

 背中を高らかな笑い声が通り過ぎると、ボクがひやかされているかと思って少しだけ意識した。

「いいじゃん。別に一人で歩いたって」

「別に、悪くはないけど」

 やっぱりそうだ。

 ユミはボクと同じように、あの引込み線周辺の閑散とした景色の中を、独りでぶらぶらする事があるのだ。

「それよりさ、あそこカギ付いてたよね?」

 ユミは目を洗いに来た他の誰かに場所を譲るようにして、その場を数歩さがる。

 ボクもそれに合わせて、後へ足を運んだ。

 ピーッと笛の音が響く。

 来場人数が多い日は、奇数学年と偶数学年が交代で交互にプールへ入る。

 その入れ替え時間を知らせる笛の音だった。

 隣接した茂みから聞こえる蝉の声に混ざって、人のざわめきが周囲を取り巻いた。

 明らかに学年の違う人波に、ボクたちは話しを続ける。

「あたしカギかかってるの見えたんだ。でも、中に誰かいたよ」

 ユミは少し訝しげに笑った。

 前髪を上げたオデコに、三本小さなシワがよる。

 きっとあの人影だ。

 ボクが見た人影と、ユミが見た人影は一緒なのだろうか……?

 陽射しが注ぐ肩がジリジリと暑さを感じているはずなのに、何故かボクは背中に冷たい電気を感じて身震いするのを抑えた。

 黒髪を二つに束ねたユミの顔は、陽に焼けて真っ黒だった。






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