第1章―【1】レールの上
小学生の6年間は、淡々としてどこか不思議な体験がいっぱい。
淡い気持ちも風のように過ぎ去り、後に残るのはぼんやりとした凪だけ……。
轟音が轟いた。
鐵の車体が、白い蒸気を発して無人駅の傍らを我が物顔で通過する。
車輪を廻すカムの軋む音、蒸気を圧縮するシューシューという音が不釣合いに真昼の情景を横切る。
ボクはその時蒸気機関車を初めて見た。
煙突から溢れ出る白い蒸気は、後に長く長く伸びて、ずいぶん時間を得て少しずつ消える。
ボクは無人駅のホームに佇んで、ゆっくりと通り過ぎる鐵を見つめていた。
蒼い空と白い雲が見下ろす殺伐とした風景は、少年の目に焼きついて離れない。
ボクが育った家のすぐ目の前には小さな無人駅が在った。
鬱蒼と茂る雑木に囲まれた国鉄の土地が目の前だったのだ。
歩いても一分。走れば、電車が構内に入ってから家を出ても電車に乗ることが出来た。
当時は柵らしいものも無くて、家の庭の前の空き地を横切ると、雑草を越えて直ぐ古い引込み線があった。
使われていない為、錆、朽ち果て、茶褐色そのもので、その引込み線の先には駅のホームが横たわる。
小さなボクは飛び上がる事はできなかったが、兄はさっそうとジャンプしてホームに飛び上がったりする。
小学一年生頃、学校も早く終わる当時のボクにとって、引込み線の線路は恰好の遊び場だった。
電車が入って来るわけでもないから、親も何も言わなかった。
もちろん、そんな事を言う暇も無く年中忙しく働いていたのだと思う。
電車が走らない線路は朽ち果てている。
枕木は腐り、それを固定する杭もあちこち抜けている。
砂利は全てが錆色にくすんで、刺さった杭も頑張って引くと、抜けてきた。
それを抜いてはイケナイのかどうかは、当時のボクには解らない。
おそらく、だれも困らなかったのだと思う。
そのうち友達が一緒に遊ぶようになった。
線路では色んな遊びが出来る。
『グリコ』という遊びは全国的なのだろうか……?
ジャンケンで勝った者が『グリコ』『チヨコレイト』『パイナツプル』と歩数を競うものだ。
枕木の並びはその遊びに適していた。
電車なんて通らない場所から遊びに来る連中は、珍しがって喜んだ。
その場所に電車は来ないから、その場所へ入ることに罪悪感などない。柵で囲われてもいないし、何処からが立ち入り禁止なのかも明確な表示などないのだ。
ボクにとってそこは、家の庭の延長に過ぎない。
庭から空き地、そして引込み線の敷地全てが、ボクのものだった。
しかし、保線工事が行われる時期になると、毎年家の前の空き地は線路でイッパイになる。
使用前のレールか、使用済みのレールなのかは判らない。
とにかく家の前の空き地には無数の線路が交互に、ボクの背丈ほど積み上げられた。
一年目は怖くてやり過ごしたが、二年目以降は風変わりな遊び場と化していた。
しっかりと積み上げられたレールは、新たなボクの縄張りだった。
普段よりも少し眺めのいい優越感に浸れる場所。
『危険』なんて、当時の遊びには付き物だから、自己責任で身を守るのが当たり前だ。
もちろん、友人たちも同じレールの角で洋服を破いたヤツはいるが、怪我をして血を流した者はいない。
転んで擦り傷を作るのは、何時でもそうだから誰もその親さえも気にはしないのだ。
「ユミ。こっち来いよ」
「待ってよ、ここ歩き難いよ」
色黒でいつもジーパンばかり履いた少年のようなユミと、ボクはよく遊んだ。
線路の向こう側に住んでいるのだが、幼稚園の頃から母親どうしが親しかった為に、ボクたちも自然に仲良くなった。
一度だけユミが積み上げられたレールの隙間に足を挟んで取れなくなった事があった。
「待って、足。足が取れない」
「なんだよ。トロいなぁ」
ボクはそう言いながらも、彼女の足を引っ張る。
「痛いよ」
すっぽりと隙間にハマった足は、中の空間で余裕が在るにも関わらず、その場所から抜き取る事が出来ない。
さすがに焦った。
男っぽいとは言え、ユミは女だ。
スカートなんて履いているのを見た事が無い。
でも……
以前子ども会の海水浴に行った時、着替え中に身体に撒きつけたバスタオルがポロリと外れた事があった。
ユミはたいした焦る様子でもなくて、サラリと外れかけのバスタオルを身体に巻きなおしていた。
その瞬間をたまたま見てしまった僕は、彼女の身体が間違いなく女で在る事を知っている。
ただ、やっぱり身体も色黒ではあったけど……。
ボクはユミに足の向きを色々変えてみるように指示する。
「取れないね……」
ユミはまるでひと事のように呟いた。
「仕方ない、少し座って考えよう」
ボクはこの事がすぐ後の家で自営業を営む親に知られないか、ドキドキして落ち着かなかった。
幸い住居が空き地側を向き、店の間口は反対側の通りに面しているから、忙しい親には全く気付かれなかった。
でもボクはドキドキしていた。
このままユミの足が永遠にレールの積み上げられた隙間から外れなかったらどうしよう。
今日の夕飯は、ユミとここで食べよう。
トイレに行きたいって行ったら、ボクはどうしよう。
ボクは顔を紅くして焦っていた。
しかし、ユミもゆっくりと腰を下ろすと、つま先がピンと伸びたせいか足がスルリと抜けた。
「あっ、抜けたよ」
ユミは色黒の頬を揺らしてのん気に笑った。
黒髪がふわりと肩に揺れる。
「なんだよ、ビックリさせんなよ」
ボクは安堵の息を零して、半分怒りながら笑った。
「朋ちゃん泣きそうだったよ」
ユミが揶揄するようにボクの頬を指で突く。
「そんなんじゃないよ」
よかった……永遠に取れないかと思って、焦った……。