第一話 徒歩で帰りたい
「はい、じゃあ、帰りますよ、ミト王女様。今日は一日がかりで帰るんで急いでください」
「あ、ちょっと待って、シューケル」
馬車の前で、ドアを開けて待っている執事服のシューケルが面倒くさそうに舌打ちする。
「……なんっすか?」
「今、あなた、舌打ちしたわね?」
「しましたよ?」
「私一応、王女だよね……?」
「一応も何も正真正銘王女じゃねっすか? もう忘れたんですか? アホの子ですか?」
「王様の子よ! 王女に向かってそういう態度はどうかなって思うんだけど!」
「ていうか、俺と王女の仲で今更舌打ちくらいいいでしょうに」
「いつも思ってるけど、周りに人がいるから許してあげてるだけだから!」
「じゃ、いつも許してないってことか?」
もはやタメ口になってるシューケル。
「うん、いつもイラッと来てる」
「そっか……」
「分かってくれた?」
「我慢しろ」
「出来るかぁぁっ!」
襲いかかる王女。
だが、長身のシューケルよりもかなり小柄で、しかも近衛であるシューケルより力もないので、王女の攻撃は何のダメージもない。
「目! 目行くよ! 目!」
「やめろ! 目は洒落にならないだろ!」
猟奇的な王女が誕生した。
さすがに目はヤバいのでシューケルも必死で止める。
「あんた、子供のころからの私の近衛のくせにどうして私にそんな態度なのよ!」
「子供のころからだからだろうが! もうお前のお守は面倒なんだよ! ワガママだしな!」
「王女がワガママ言って何が悪いの!」
「悪いわっ! てめえは自由奔放すぎるんだよ! 俺がどれだけ苦労してると思ってんだよ!」
「それがあんたの仕事でしょうが!」
指をつけたしのハンドサインにして、目を狙うミト王女と、その両手首を掴んで阻止しているシューケル。
こう見えて、十六歳と十七歳という、まあ、落ち着いててもいい年頃の男女だった。
「シューケル、やめなさい」
「カルク! でも、こいつが……」
「こいつ呼ばわりしない!」
怒鳴るように叱るのは、カルク、と呼ばれた女性。
シューケルほどではないが長身スレンダーの女の子で、歳は十七歳。
年相応以上の落ち着きがある。
シューケルと同じく王女の近衛だ。
真面目な性格であり、表情もほとんどないという、年頃の女の子としてどうなのそれ、って感じの子だった。
だが、彼女はある呪いにかかっており、それは周囲に多大な迷惑をかけていた。
シューケルと同じ年だが、この三人ではお姉さん的なポジションにいる。
「はあ……分かった、ごめんな? 王女?」
「うん、こっちも頭に血が上ってた。頭の悪い、たかが近衛相手に本気になって!」
「んだとこらぁっ!」
「やめなさいと言っているでしょうが!」
カルクの叱責でシューケルが動きを止める。
王女が「やーい、ざまみろ」みたいな顔をしているが、見ないようにした。
「まったく、あなたも自分の使命を忠実にこなしなさい」
「……分かったよ、もういいって」
「分かっているのですか? 我々の使命は、王女殿下のおまんこを、あらゆる肉棒から守ることです」
「分かったからもう喋んな!」
少し顔を赤らめてシューケルが言う。
ちなみに王女は涙目だ。
有能で気遣いも出来る優秀な近衛であるカルク。
彼女は魔王的ななんか悪いっぽい存在の、呪い風な何かによって、自分の意志に関係なく、その口からエロい言葉を吐いてしまうのだ。
しかも無自覚であり、自分で気付いていないのだ。
「ま、ま、まあ、貞操を守ってもらっているという意味でね? うん、分かってるから、うん……」
「王女も乗らんでもいいからな?」
涙目でもちゃんと返答する辺り、健気。
「で、何なんっすか?」
「何が?」
「いや、だから、さっき馬車に乗るの待てって言ってじゃないっすか」
「ああ、あのね? 一度、ここから歩いて帰りたいなって思って」
にっこりと、年相応の笑みを浮かべながらミト王女が言う。
「ははは、王女様、ちょっと今から本音言いますけど、お堪えくださいね?」
「え?」
「お前はアホか」
「アホじゃない! ちょっと賢い目!」
「王女様は国土の広大さも知らねえのかよってことだ!」
「知ってるわ! ここから王宮まで一日はかかるわよね!」
「それは王族専用の馬車に乗ってだ! 歩いて帰ったら四日はかかるわ!」
「そんなわけないじゃないの! 騙されないわ!」
王女様は基本、アホの子ではない。
本人の言う通り、高度な学問を勉強しているため、そこらの同年代よりは相当賢いのは事実だ。
でもね、本で学ぶ学問には限界ってあるでしょ? そういう事なの。
王族専用の馬車は、乗り心地快適なまま、高速で移動出来るため、国土の端にあるこの地方からでも一日乗っていれば帰れるのだが、それを徒歩で帰ろうとするとかなり大変だ。
「あのな、起きたままで寝ずに、速度も落とさずに歩くと仮定しても丸二日かかるんだよ。休憩したり寝たりしたら四日くらいかかる。お前のワガママ度合い考えたら更に倍はかかるな」
「そんなにかかるわけないじゃないの! ねえカルク?」
シューケルを信じずにカルクに訊くミト王女。
こういうのってイラッと来るよね?
「まあ、オナニー四十回分はかかるでしょう」
「多っ! それは一日何回計算なんだよ?」
「? オナニーって何?」
「王女は知らなくていい」
口の悪いシューケルも、さすがに王女に変なことを教えると、彼の雇用主である王様に怒られるので、教育に悪いことは聞かせない。
「まあ、とにかく時間がかかるんだよ。今日明日に帰れなくなる」
「本当なら、仕方がないわね……でも、しばらく用事もないから、帰らなくても大丈夫っだから歩いて帰ろう?」
「駄目だ」
「何でよ!」
「危ないだろうが! お前は王女なんだぞ? こんなところで襲われたり死んだら大事件だろうが!」
王女という高貴な人間に限って自分の重要さを理解していないものだ。
「それは大丈夫。私がいなくなっても、弟が後を継ぐから関係ないし」
「そういう問題じゃねえよ!」
彼女は王女様だから、死ぬとか襲われるとか、全くの未知のことで、現実感がないのね?
でもそんなことは、子供の頃からの近衛であるシューケルは分かっていた。
「お前に何かあると、俺や俺の家族が王様に罰を与えられるんだよ!」
「じゃあ、私が頼んで、罰はシューケルだけで、家族はしないであげてって言うから!」
「お前は泣かす!」
「泣かない!」
「男が女を泣かせていいのは破瓜の時だけだ!」
「お前は黙ってろ!」
生意気な王女とはいえ、殴るのはまずい、という程度の常識はあるシューケル。
後でチクられてひどい目に遭うから。
遭わなかったら殴ってもいいと思ってる。
「あのな? 俺は一応王女様の盾として仕えてるんだ。お前が何かあった時、俺は死んでるんだよ」
「え? そんなのやだ!」
「だったら俺を殺さないようにしろよ」
「あんたが死なないようにしなさいよ!」
「お前が危ない目に遭わなかったらそもそも死なねえよ」
「じゃ、遭わない! そろそろ行きましょうか。歩いていくと、時間がかかるし」
ミト王女はさっさと歩いていこうとする。
「だーかーらー!」
「まあ、待ちなさい、シューケル」
「なんだよ、カルク?」
「こう見えて私も性欲旺盛だ」
「そんなこと今言われましても!」
多分別のことを言いたいのだろうが、誘われているようにしか思えず、顔を赤くして困るシューケル。
「五人までなら行ける」
「……そっすか」
「あなたなら、十人は行けるでしょう」
「あー……そうだな、相手にもよるが」
長いつきあいのシューケルには、彼女が「自分は強い。五人までなら勝てる。あなたなら十人は行けるでしょう」と言いたい事を理解した。
「ならば、悶々と若く青臭く猛る性欲をため込んだ王女殿下の濃く芳しい愛液を、放出して差し上げることも必要なのではないの?」
まあ、多分、王女もストレスがたまってるから、たまには心を休めさせた方がいいと言いたいのだろう。
「まあ、言いたいことは分かる」
「なら──」
「だけど、すげえ面倒だからな? 泊まるところとかどうするよ?」
「そこは王女様には奴隷プレイと思っていただくしかないか……」
「……うん、本人がいいなら別にいいけどさ」
「? どういうこと?」
「歩いていくとなると、泊まる必要かあるから、宿とか、泊めてもらったりとか、場合によっては野宿ってこともあるってことだ」
「面白そう!」
「お前がいいならいいけどな」
二人ならともかく、女のカルクもいるし、そんな面倒ごともないだろう。
「分かった、じゃあ、行くか」
「うんっ!」
そして、彼らの王宮までの旅が始まった。