7:出立
「ねぇ、レイメ。僕らの目的は何だと思う?」
突然レイメが横になっていた寝台に忍び込んできた小娘が、問いに対しての答えに嬉々と瞳を光らせている。我がものと言わんばかりに寝台を占領し、当のレイメはかなり肩身が狭く、寒い思いをしているところだった。
エマに背を向け無視を決め込む。
「ねぇってば! ね~え~! ねぇってば!! 構ってよ~!!」
駄々をこねるエマに、仕方なく体の向きを変える。
傍から見れば添い寝しているようだが、振り返ってみればやけに得意気な表情を浮かべていらした。その上紫水の瞳を輝かせレイメの出方を伺ている。
「いや、ほんと……うざ……」
「レイメが構ってくれないなら、耳元で囁くように僕が一方的に話すぞ!」
それは嫌だと心の中で小さく呟いた。だからレイメは話を聞くことにして起き上がる。「できれば手短に済ませてくれよ……」今起き上がっただけで相当な体力が消費された。
「やったーー! 構ってもらえるぅ~」
やけにテンションの高いエマとは裏腹に、レイメの気持ちは鬱屈としている。一見ただの子供であるのに、時折見せる表情がとても嫌だった。子供であるはずなのにという気持ちが憂鬱な気持ちにさせていた。事実この一瞬でこの子供の表情はびっくりするくらいに落ち着いていた。
蝋燭が怪しく揺れる。
「君はどうすれば悪夢から覚めることができると思う? 或いは君は何の役割を果たさないといけないと思う?」
それはあまりにも難しい質問だった。つい先日までただその日その日を生きていたレイメにとっては考えたこともないことだった。
「この世界に生まれて来た人は必ず何かしらの役割を担って生まれてくる。特に魔導士が生を受けることには意味がある。例えば英雄トゥエンがラーヴァナを倒すことが使命だったように。どうように僕も使命を持っている」
「イルに戻ることか?」
桃髪の少女は怪訝な表情を浮かべながら首を振る。
「あの時僕はイルに戻らないって言ったでしょ」
確かにエデンが彼らに襲撃されたあの日、エマはそう言っていた。「でもその身体はイルの躰なんだろ?」率直な疑問を投げかける。
「そうだよ。確かに彼らトゥリオたちがイルに救いを求めたから僕が生まれたってのは一理あるね。彼等が長年の迫害の中で救いを求めた時、誰に求めればいいのかもう分からなくなってしまった。その中で人間の敵対者として復活したイルを求めたんだ。故に僕はこの肉体を持って生まれた。……でもそれと同時に僕はエマいう魔導士としてイルを救うために生を授かった。……君は何度も僕みたいな顔をした女の人の夢を見たことがあるでしょ? 彼女がどこにいたのか覚えている?」
頭の中に夢の光景が浮かび上がる。何処までも広がる草原に、古い門、空はどこまでも深く黒かった。そこに赤い瞳を持った桃髪の少女が立っていた。
「それが何か意味あるのか?」
「うん。その場所こそが目的地であり、僕が僕のまま死ぬ場所なんだ」
炎が煌々と揺蕩う。火が弾ける音、水が流れる音、風がざわめく音が嫌なほどに明瞭に鼓膜に届けられる。それ以上にエマの声はより明瞭に聞こえた。
「その鍵、つまりイルの魂とイルの体が揃った時、イルは再びこの世に蘇る。誰よりも深い憎しみを持ったかつての魔導士がね。でも全てを憎む反面、イルの心は救いを待ち望んでいるんだ。それは完全な意味での死。長らくエルの扉が閉ざされたことによって成し遂げられなかった、完全な死。つまり母なる闇への帰還。エルの扉を開いて、イルに完全な死を齎す、それが僕とロームングルの目的なんだ」
エマは静かな声で続ける。
「そのエルの扉が開かれればあらゆる生命が救われるんだけどね……例えば全ての始まりであり、ガイアそのものの禍根であるラーヴァナとか、更にはトゥリオたちを救うことができる。でもその扉は僕一人じゃ開けることが出来ない。開けるためには君と、君が持つその鍵が必要なんだ」
「なんで俺が……? 別に俺が居なくたってロームングルさんがいるだろ……」
「いや、大いにあるよ。僕は魔導士である以上、イルを殺したら僕もその命を終えなければならない。でも、僕は僕自身で死ぬことは出来ないし、この鍵の所有者は君なんだよ? 所有者以外が鍵を扱うことはできない、そうレイエルが決めてしまった。それに僕は必ずイルに戻ることを願ってしまう。だからそうならないように、君の手で最後殺してほしいのさ。どう? エデンの復讐にさ」
エマは悪戯に笑う。何故、へらへらと笑うことが出来るのか、理解できなかった。この子供は子供なのに自分を殺せと言う。そんなことを理解したいとも思わない。いや、理解してはいけない。
「俺にまがいなりにもまだ幼い子供を殺せって言うのか?……勘弁してくれよ……」
長く息を吐き出す。あまりにも鬱すぎる話だ。
「君の気持は痛いほどわかるよ。でも君にしかできないんだ」
聞きたくない返しだ。
レイメは暫く頭を抱え、唸る。「子供を殺せ」と迫られて、こんなに胸糞悪いお願いがあるのだろうか。途中で放り投げだして逃げることはできるだろうが、何よりもエデンが襲われたあの日に死んでしまった方が幸せだったかもしれないとすら思えてきた。
「お前は生きたくないのか」
これも率直な疑問だった。しかしエマにとってはあまりにも愚かな質問だった。
「それが僕の使命であるなら死ぬしかない。僕は死ぬ未来以外はないよ。でもまあ……君にはこの話を断る権利が一応あるにはある。条件はこの鍵の持ち主となりうる人を旅の最中に探し出すこと。……ほぼ無理だね」
「……回答権はないも同然じゃないか……」
結局選択肢のない話に怒りを覚える。この話に最初から答えは一つしか用意されていなかった。加えて気にしないようにしていたが、外からは異様なまでの恐ろしい何かを感じる。断った場合、首と胴体が仲良くしていられる未来が見えない。つまり、死の未来しか見えなかった。
エマは「だってぇ~」と、きゃきゃと笑う。というよりはしゃぎ始める。
枕を奪い、布団の中で足をばたばたとさせ暴れる。ピンと張られていたシーツは一瞬にしてぐしゃぐしゃになり、更にベッドの中央を陣取られるという由々しき事態に陥っていた。
「今日ここで寝るの~」
「は?! お前、自分の部屋与えられただろ?!」
「いいじゃん、一人よりも二人で寝た方が楽しいじゃない!」
「知るかよ、ゆっくりと寝かせろよ!」
横暴過ぎる。エマをせめてベッドから追い出そうとするも、「エッチ」とかあらぬ言葉まで飛んでくる始末だ。とんでもない由々しき事態、その間に気が付いたらロームングルの気配は無くなってた。
「僕一人じゃトイレに行けないの!! いいでしょ!!」
「知るかよ! 俺お前に頭やら腹やら蹴られながら寝たくない!」
「僕凄く寝相いいのに?! 言ってくれるよ!」
凄く凛とした声なのに、本人は布団から顔と僅かに手だけ出して声を張り上げるから、威厳も何もない。レイメはついに呆れて笑い声さえ出てきた。
「レイメ頭のねじ飛んだ?」
「飛んでないよ。いや、ほんとこれで魔導士だって言うから世の中おかしい」
笑いが止まらない。エマは子供のように頬を膨らます。
「僕のこと貶すとロームングルに言っちゃうからね」
「おまっ……それは卑怯だぞ!」
「卑怯じゃないよ! それが子供の権利だよ!」
再び言い合いが勃発する。
この時の俺は、エマのお子様加減に先ほどの話のことなどすっかりと忘れ去ってしまっていた。いや、あまり真剣に受け止めていなかったこと、そして何よりも鬱屈としながらもどこか楽観視をしていた……
***
剣を向けよ エルの子よ
我を貫け エルの光よ
イルは闇 エルは光
闇を打ち砕け 永久の安寧のために
我らは還らん エルの下へ
生まれ出た故郷へ 闇を連れよう
母の腕の中へ ただ一つの愛を求めて
***
翌朝、夜の痛みを引きずったまま里の入口へと立ち返る。
エマもロームングルも心配してくれない中、里長であるユリウスだけがレイメを心配してくれた。
「しばらくすれば薬草の効果が表れる」
ユリウスは苦笑する。
「もう一晩くらいいても良いのだぞ?」
心優しい声をかけてくれるが、エマはその意味を全く理解してくれなかった。
どこの誰のせいで今苦しんでいるのか、当人は惚けるだけでなく、「馬鹿は風邪ひかないから大丈夫だよ」とまで言い出す。事の問題はそこではない。真の問題はエマの寝相の悪さにあるはずなのだ。
「レイメよ……心を強く持て」
「ううっ……頑張ります……」
「エマも父なる光の加護があらんことを」
エマの小さな手を優しく包むように握る。
エマはふふんと笑った。
「僕に光はいらないよ。だって僕は強いもん」
「そうだな、エマ」
ユリウスの大きな手がエマの頭を撫でる。エマは子供心から嬉しそうだった。
イルヤもロームングルの首に巻き付いたまま、ユリウスにねだる。ユリウスが撫でてやると、やはり龍とは思えないような甘い声を出すのであった。
「レイメよ、そなたは最後まで光であり続けるのだ。そなたが真実を知り、史を刻め」
「それはどういう意味ですか」
「いずれ分かるさ」
どこか寂しげな表情だった。
「ロームングル、そなたには弟のことを頼む」
「……分かっている。それは私の責任だからな」
「いや、私の責任だ。……申し訳ない」
ロームングルの衣が翻る。
「我らは史を刻む」
イルヤが呼応するように嘶く。
「恐らく最後の別れだ、もう会うこともないだろう」
「ああ。……次は、母の腕の中で」
「じゃあな」
ロームングルは先に歩き出す。彼の鉄靴から僅かに金属が擦れる音を鳴らす。
「そうかー。僕は初めまして、さようならなのか。なんか寂しいな。ううむ……でもありがとう。一晩だけだけど楽しかったよ。あとユリウスの手おっきいから、パパに撫ででもらってるみたいだった!」
「そうかそうか……私も楽しかったぞエマ。それに懐かしい面々に会えた」
ユリウスは優しく微笑む。まるで本当の親子のように見えた。
「じゃあねユリウス。帰り道気を付けて。そして元気でねー!」
無邪気に手を振り、ロームングルの後に続く。
永遠の別れを前提の挨拶に、レイメだけが少し浮いているように感じた。それ以上に、考えたくない違和感がどうしても払拭できない。
本当に行かねばならないのか。その疑問がレイメに旅立ちを躊躇わせた。
「あの中でそなただけが違う。これからもそうだ。恐らくそなたは最初から暗闇を歩かねばならない」
「あはは……そんな最初からそう言われちゃうと気が滅入ってしまいますよ」
「悪い、しかしそれが事実なのだ。故に光を持ち続けよ。それが例え、いかにか細かったとしても、それに縋るのだ。……まるで他人事のようだな……大変申し訳ない」
「いえ、大丈夫です。俺は、大丈夫」
自分にそう言い聞かせる。エマを殺さなくてもいい方法だってあるはずだと、それをゆっくりと探せばいいのだと心に言い聞かせる。
「それではまた。お世話になりました」
丁寧に頭を下げる。ユリウスも丁寧に頭を下げる。
レイメは早足に駆ける。
次第に遠のいていく彼らの背を、黒肌のエルフは第二世紀のイルに重ねる。
あの時のイルは闇と光の争いを終わらせる、そういった。そして彼女も同様に無邪気に、屈託のない笑顔を浮かべ、別れた。それをユリウスは見送った。その後ヒルディエントとは合流したが、イルとは最後の別れとなってしまった。
「今度は命を落とすな。できることならば生きよ」
心の底から願う。
鬱蒼とした木々の間から、美しい陽の光が零れる。
「星は未来を映した。世界はそなたに牙を向けるだろう。光はそなたを殺すために追い、闇はレイメを殺すために追う。恐らくあの頃よりも苦しい旅になるだろう。エマよ、今度こそ光を見失うな」
完全に姿が見えなくなった時、ユリウスの頬を一筋の涙が伝った。