14:同胞②
ぽつりと、砂漠の大地に一点一点、やや不規則な形をした円が刻まれる。空から降り落ちてくるそれはすぐに強くなり、枯渇した大地を潤す。家を焼く炎も勢いが少しずつなくなり、小さなものから消えていった。しかしそこに住まう者は最早なく、朽ち果てることを待つしかなくなってしまった。空からの恵みに感謝する声もなく、むしろ虚しさが募るばかりだった。
「じゃあ彼の代わりに君を殺せばいいかい?」
ローエンは首を横に振る。気が付けばエマの髪は美しい桃色に、竜の鱗のように割けていた皮膚は元の少し黒めの肌色に戻っていた。
ローエンは静かな声で言葉を紡ぐ。
「確かに何度も死んだ方がましだと思った。フィオリアに俺の死を求めたこともあった」エマの瞳がじっと見据えられる。エマはローエンの深く、とても暗い瞳の先を見つめる。
「……確かに死を求めていたが、俺の命に意味をくれた父のためにも……俺の命を繋いでくれた人のためにも、死ぬわけにはいかないんだ」
雨音が頬から伝う涙をかき消す。
「ルシエンだってその一人だ。ルシエンは俺のかけがえのない友だ。……自らの手で、多くの大切な人たちを殺めてきたが……この血に塗れた剣を今度は命を繋ぐために……!」
腰に差してあった一度も使っていなかった剣を引き抜く。その刃は良く研がれ、刀身が辺りの景色と同化するほどによく磨かれていた。エマに切っ先を向ける。
エマはクスリと笑う。「なんだかしらけちゃったな~」紫水の瞳がつまんないと訴える。ルシエンの前で軽く膝を折り、「死ななくてよかったね!」と笑いかける。
ようやく場の緊張感が解れ、詰まっていた空気が吐き出された。
「さあ、ここに居てもしょうがないし、次へ行こうよ」
けろっと旅立ちを催促する。そんなエマに、レイメからもれなくゲンコツがお見舞いされた。
「酷い!」
「酷いじゃねーよ! 酷いどころじゃねーよ!!」
つらつらとお説教の文句を垂れ流す。
ロームングルは丸まるイルヤの頭を撫で、緊張を解きほぐしてやる。イルヤよりも先に緊張が解れたのはテウメッサの方で、ロームングルの肩へ駆けあがった。
「君たちはヒルディからの命令でここに来たんだっけ? 何なのか分からないけど、僕たちのこと、見逃してくれない? 10日間ほどさ……」
より体の大きなトゥリオの目の前で、両手を合わせてお願いをする。トゥリオたちも戸惑いの表情を見せるが、「それが命令なら……」とロームングルからの無言の圧力で承認させられた。
「ところで君はどうするんだい?」
桃色の髪をなびかせ、ローエンに声をかける。
「どうするって……俺は……」
ルシエンを一瞥する。茶髪のアクラガスの騎士は体を起こし、先んじてハルスを発とうとする。
「俺はお前の無実が証明されるまで、お前のことを許しはしない」
主を失ったジャバウォックがルシエンに頭を垂れる。ルシエンをその背に乗せ、大きな両翼を広げる。珍しいこともあるもんだと、感心しながら「だってさ」と、ローエンに話を振りなおす。
「しかし俺に行く当てなんざ……」
「私のことは憎いか?」
珍しくロームングルから先に口を開く。
「私を殺せばお前は英雄になれる。英雄になれば、お前は認められる。……私は語られているほど綺麗な人間ではない。魔族に堕ちた人間、国を滅ぼした人間、そして民を貶めた人間だ。ならば、私を殺すためについてくればいい……」
エマが面白そうににやにやと見上げ、イルヤが間抜けに口を開けた。ついてくればいいという言葉に、テウメッサは目を輝かせる。
「ただし……全てが済んだ後で良いならな。……断ち切らねばならぬ」
「だから俺は……」
声が震える。そんなローエンを見かねて、レイメが口を挟む。
「要するに、ロームングルさんはお前のことが心配なんだよ。どうせここにいたってしょうがないんだし、俺達と来いよ」
「ルシエンは……」
「俺の心配はいい。……次会うときは必ず」
ジャバウォックの金切り声が轟く。足を一度後退させ、両翼に風を受けて飛び立つ。旋風が巻き起こり、ローエンは咄嗟に目を瞑る。次に視界を映した時、ルシエンはもうそこにはいなかった。
雨が弱まり、ハルスを包む炎はすっかり消え去った。淡い光が差し込み、遠くではナミュブアンが水球を造り、弾けさせる。一度土壌は潤うも、恵みを必要とする者たちは無に帰してしまった。
「……まあ、そんなに気を落とすなって」
軽く肩を叩く。すると有難い温情を、凄く嫌そうな顔で払いのけた。
「白髪に心配されるとは、俺も落ちたもんだ」
「しらっ……お前さあ! いい加減その白髪って言うのやめろよ!!」
「白髪じゃねえか」
「いや、まあ……そうだけど……これ銀髪だし!」
唸るレイメを無視して横を通り過ぎる。
「名はローエン。父から貰った、大切な名だ」
ロームングルが僅かに反応を示す。エマは嬉しそうに顔をほころばせた。ロームングルを見上げ、イルヤとテウメッサとキャッキャウフフする。
「お前たちの旅の目的は知らないが……本当は自分の家族の事なんか何も知らない……知ろうとも、理解しようとも思わなかったんだ。だから……それを知るために」
乾いた風が砂の上を駆け巡る。その風は古の王の心を揺らし、最高の魔導士の心を嬉々とさせた。ローエンの心の中には鮮明なほどに暖かな血の感触と、躰の温もり、同時に楽しかった思い出が映し出される。そして愛する者達が語る、彼が知らぬ祖国の物語、最後の民としての誇りが潰えた瞬間、民族に本当の死が訪れる。
「……語り継ぐために……」
テウメッサがローエンの肩によじ登る。その頭を撫でると、気持ちよさそうに鳴いた。
イルヤが羨ましそうに見上げるが、ロームングルは無視。彼の視界にイルヤは入っていなかった。
エマは苦笑する
「じゃあ、行こっか! 僕はエマ。魔導士さ! 彼はロームングルで僕の家来だよ、ふふん」
自慢げに鼻を鳴らす。
「俺はレイ……」
「白髪は白髪だろ」
レイメの顔が引きつる。さも当然のように言い放つこの男に、相当な怒りが込み上げる。自分のことを卑民と最初の頃自称しておきながら、言葉遣いが酷すぎる。
エマはロームングルにこっそりと耳打ちする。
「継がれているじゃないか」
「……古の、王」
ロームングルは小さく呟いた。エマの紫水の瞳が面白いと言わんばかりに、うっそりと細められる。
「さあさあ、道のりはとっても長いぞー!」
これからピクニックへ出かける子供のように、キャッキャッと先へ進む。先ほどまで濡れていた砂漠は、完全に姿を現した太陽の光によって乾き切り、また灼熱が焼かんとしてくる。
「僕は第四世紀を終わらせるよ、ロームングル。それが、僕が魔導士としての役割だ」
ナミュブアンがけたたましい唸り声をあげた。エスガリオンが相変わらず、砂漠の上を闊歩する。
レイメ達が歩んだ跡が、地表に刻まれる。その後をテウメッサが楽しそうに踏みしめ、イルヤが足跡を消していく。
「人はようやく自らの史を歩み始める。神の助けも、魔導師の力も最早必要ない。過去の悲しみがようやく断ち切られ、新たな光と新たな悲しみが始まる」
エマに呼応するようにロームングルが続ける。
「過去の遺物である我らは舞台から降りる刻が近づいた。次の世代へ託すために、我らは“歴史を”刻む」
「役者はそろった」
後ろではローエンとレイメがお互いの呼び方について、論争をしている。主にはレイメを白髪と呼ぶべきか、呼ばないべきかであるが。その次に彼らが始めた討議は、テウメッサの名前についてだった。
「え~、僕も混ぜて混ぜて~!」
エマもその輪の中に入る。年相応な子供の無邪気さを持ちながら、真面目にテウメッサの名前を検討する。ロームングルは興味ないと、その中には入らなかったが、決して悪い気分ではなかった。
イルヤの頭に乗ったテウメッサは、毛づくろいを始める。
この時はまだ、この旅の本当の意味を俺たちは知らなかった。心の底から楽しいと感じていた。これから起きる悲劇なんて、何も考えてはいなかった。
「ポチとかごんとか~……あっごさくは!? 名案!」
「いや……それは酷いにもほどがあるぞ。だったらそうだな~ティウネとか……」
「それだったらエリザベータの方がいいよ! でもごさくも捨てがたいな……」
「いやいや……それなら……」
砂漠の上を賑やかな声で歩む。そう、この時は本当に楽しかった。だからよく、俺はこの日のこともよく思い出すんだ。
ところでごさくは、従弟が飼っている体重40kg牧羊犬(ラブラトールレトリバー♀)の名前です。
牛舎のすぐ目の前が山でして、多くの野良猫たちと共生してるごさくと牛ですが、隣の意地悪なわんわんおと、山犬たちから猫と牛をかっこよく守っています。たまに夜戦っていましたね……