13:同胞
父はよくおとぎ話を聞かせてくれた。父は自分の民族に誇りを持っていた。地位も低く、いつも不当な扱いをされても、それでも誇りを持っていた。家族のように迎えてくれた、ヴァラル人共重地区の人々もそうだった。子供ですら、おとぎ話を信じ、誇らしげにその話を何度も語っていた。彼等が最期を迎えても、その誇りと、意志を託して死んだ。死んでも、誇り高くあった。
その誇りは民族、そして祖先に対してだった。たとえ不遇な身であっても、先祖の栄光は語り継がれる限り、記憶する者を残す限り、不滅のものだった。ヴァラル人はかつてのカザル=ヴァードの生き残りたちだった。彼等はその歴史を書物から奪われたとしても、口伝えで遺した。時代と共に言語が忘れ去られたとしても、共通の歴史だけは守り抜いた。そしていつか再びアクラガスの人々に、諸外国の人々に認めてもらえるように、一人の強力な人物が、あらゆるヴァラル人の支えとなった。そして、何度その人物に死が訪れようと、アクラガス人の血で薄まっても、また強力な意志を持った人物が現れた。
そういった面では、ユーノもそうだった。ユーノもヴァラル人からすれば忘れられない人物であり、ユーノの死は、自分たちの無罪を証明する1つの要素だった。だからユーノと言う存在は現代にまで語り継がれた。“蝉”がユーノと言う人物の歴史を後世に伝えた。
「私が一番恐れるのは死なんかではない。私たちの名が忘れ去られることだ」
幼い頃、父がそう言っていた。
「名を残すために、足掻くんだ」
***
レイメはエマの手を振りほどき、ロームングルを庇うようにして両腕を広げる。煌く刃に目を閉ざし、覚悟を決めた。ここで終わる、そう思った。
「……出来ない」
ローエンの剣がレイメの目も前で止まっている。ロームングルはグラムスを持ち直し、レイメをのけようとする。しかし、足元でイルヤが小さく鳴いた。
「……できる筈がない……!」
刀身が小刻みに震え、ローエンの瞳には先ほどと違い、感情を灯していた。
剣が手から滑り落ち、それに伴って膝から崩れた。
「ローエン!!」
ルシエンが声を荒げる。剣を持ち直し、自らの手で始末をつけようと、片足を踏み出すも、目の前に現れたエマに止める。
「確かに突き詰めれば俺たちが迫害される最初の原因はこの男にある……しかし、ロームングル・バスティオンは俺たちの……俺達ヴァラル人の偉大な祖先だ。……ルシエン、俺はあと何回同族を殺せばいい? 俺は何回家族を裏切ればいい?」
ローエンは唇を歪ませていたが、両の眼からは涙が溢れていた。
ルシエンは鼻で笑う。「同胞を殺したくない、か」なんてくだらないんだと忌々しく吐き捨てる。
「くだらなくないよ」
エマが最初に口を開く。
「同胞は家族だもん。……じゃあ君は君の手で、アクラガスの人々を殺せるかい? 同じ血を、同じ歴史を持ったアクラガスの人々を。僕は君たちの間に何があったのか、彼が一体どんな罪を背負ったのか知らないよ」
エマは一歩一歩足を前へ前へと進める。その度に微弱な振動を放つエマの姿を、誰しもが動きを止めて捉えた。
「……でも、君が一番長く彼と一緒にいたんじゃないかな? だったら、彼がロームングルを殺せない理由は、君が最も理解してるんじゃない?」
ルシエンは言葉を詰まらせる。
「ねえ!!」
エマの紫水の瞳が赤く染まる。その威圧感に、レイメの肌の上を僅かな痺れが走った。それは他の者も感じていた。一番近くにいたルシエンが一番恐怖を感じていた。剣を持つ手が震え、動けと体に命じるが、本能が理性の命令を無視する。純粋な恐怖が彼を支配した。誰しもが恐怖を肯定せざるを得なかった。突然周囲の喧騒が止み、音は建物が燃える音と、崩れる音、そして太陽に焼かれた砂が舞う音だけだった。イルヤも本能からできるだけ身を縮めて頭を垂れ、すぐ近くにいたテウメッサは、とぐろの中心で頭を隠す。
「裁きの刻だ」
桃髪の魔導士の手に握られている、鳥の頭を象った杖がしゃんと鳴る。
「確かハルスは君たちアクラガスの属州だよね? だったら、君たちはハルスの人々を守らなければならなかった。しかし、その刃はトゥリオのみならず、ハルスの女、子供までも悪戯に貫いた。その傲慢の者たちには、奈落の底に座す天帝の御子の焔を」
上空に巨大な魔導式が展開し、業火によって形成された槍がアクラガスの兵士たちを貫く。傲慢なアクラガス兵はその身を焦がし、皮膚が全て焼けただれ、脂肪が解け落ちても地獄は終わりを見せない。その断末魔は音もなく、しかし空気を震わせた。
「ハルスの人々は財産に執着し、守らなければならぬか弱き命を捨てた。ならば、黄金をその身に」
再び上空に魔導式が現れる。力なき人々はその身の命を願った。しかし魔導は醜き心の持ち主を黄金の業火によって焼かれる。金が纏わりつくように、身体の穴という穴へとしみこみ、その身を灼熱によって焼かれる。体中を巡る血液は沸騰し、それでも全身へ駆け巡り続けた。そして心安らかな者達へは平穏なる死が与えられた。
「その御魂は父の許へ」
トゥリオたちは固唾を飲み込む。ルシエンもローエンも、レイメでさえも呼吸するだけで精いっぱいだった。
死者の魂をレーヴァテインの許へ導く。エマの頬は鱗のように幾重にも割け、瞳孔が竜のように細まっていた。
一気に町から生者の空気が消えた。あと残ったのはトゥリオとレイメ、ロームングル、イルヤとテウメッサ、数頭のジャバウォック、そしてルシエンとロームングルのみとなった。
「……君たちトゥリオを魔導で殺すのは、エマの魔導士としての在り方から外れてしまうなあ……」
トゥリオを一瞥する。
「出る芽は早いうちに摘んでおきたいけれども……」
自分の頬を、真っ赤に燃え盛る焔の手でなぞる。エマが暫し考えている間、トゥリオたちの間に緊張が走った。
「……これは僕個人からの命令だ。一族の主たちに名誉ある死を求む」
ほんの一瞬だけどよめきが走った。それを制し、幾人かの首魁は片方の拳を、片方の手の平に合わせ、忠義を示した。その後で、自らの斧や骨刀、魔導に類似したゴエティア、或いは己のジャバウォックにその身を喰わせた。
「その御魂は母の許へ」
最後に、ルシエンに注意が向けられる。
「君はどのようにして殺そうか。ああ……イルが耳を削がれ、鼻を削がれ、目を抉られ、胸を抉られ、皮を剥がされ、“浄化の”焔に焼かれたように、君もそうしようか! ね!」
エマはにっこりとほほ笑む。ルシエンの手に握られていた剣を、エマはやすやすと受け取り、彼の右耳に充てる。ルシエンの恐怖は限界に達し、足掻くことも、呼吸もままならなくなっていた。
「……ああ、ヴァラル人を虐げていたなら、彼等の前でやった方がいいかな? あっ、もういないのか……それか彼か、ロームングルに……彼女の力を使って蟲にしてもいいなあ」
うっそりとほほ笑む。桃色の髪の毛先は真っ赤に燃え盛り、耳は尖っていた。
「どうやって殺そうかなあ……」
「……エマ」
レイメはなんとか声帯を震わせる。振り絞っても、それ以上の言葉が続かなかった。場を支配する恐怖が、ロームングルにすら動くことも、何かを発することも許さなかった。
「ああ、いいことを思いついた。アクラガスの人間にやらせよう! そうしよう!! うふふ、とっても楽しそう」
「やめろ……!」
クスクスと嗤うエマに、静止の声を挙げたのは、黒髪の男・ローエンだった。エマは深紅の丸い瞳を数度瞬きさせる。
「なんで? こんな奴死んだっていいじゃん。君を殺そうとして、しかも君に同族殺し? をさせようとしたんでしょ?」
「それは……全てのことの発端は……俺が、悪い……」
ローエンは瞳を伏せる。「……フィオリアを殺したのは俺じゃない……だが、皆俺が殺したって思ってるんだろ?……だからルシエンは、俺を殺すためにやって来た。しかしルシエンが俺のことを信用しないのは無理もない、俺が、そうさせたんだから……」ローエンは苦笑する。項垂れるローエンにルシエンは唇を噛みしめる。
元々1話15000字~20000字程度の者をワードで3000字程度で区切って載せていたものを無理やり1話1話で区切りなおしたので、少々というより、かなり歯切れの悪い感じになっております。
大変申し訳ございませんが、どうぞお付き合いください。(6月17日)