8 姿と記憶
<アルクトスの独白 5日目>
懲りもせずに旦那様の妹君が押しかけてきた。屋敷を取り囲むように水壁の魔法術を用意してあったので発動させる。下準備に多少時間はかかるが、妹君は光系なので入ることは出来ないだろう。
私だけ立てこもるのであれば水に火を混ぜた魔法壁を貼るという方法もあった。水系や火系は多いが、反発する水と火を同時に使える者はあまりいないため、誰の進入も出来ない鉄壁の防塞になる。それくらいしても外からの害を排除したかったが、さすがに火で誰かが怪我をしたり、旦那様が出入りできないのはまずいので水壁にとどめた。 「どこの要塞……」とお嬢様はぽつりと呟いていた。
妹君は夕方まで叫んでいたが、帰って来た旦那様に叱られてようやく渋々と帰ったようだ。
その後、旦那様から妹君が自警団に私討伐の要請をしていたと聞いた。おそらくまだ諦めてはいないだろう。旦那様からは「妹がまた来たら、渡しておくれ」と書状を預かった。
夜にお嬢様の様子を見に行った所、うなされることなく、ぐっすり眠っていた。安心した。
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<アルクトスの独白 6日目>
昼過ぎまでお嬢様に勉強を教えていたが、妹君は今日は来ない様子である。王都の祖父の家に寄って助言を求めたところ、妹君の状況を教えてくれた。
「メリーアン様はひどく誇り高いお方でな、そのせいで夫婦仲もよろしくない。夫のザリバン子爵に言ったところで無駄じゃろう。長男のダイアン殿は年若いが将来性のあるお方。このままだと母君が放逐される可能性もあるとお伝えしたらどうかの」
「放逐?」
「メリーアン様の言動は酷く自分勝手であるからのう。お嬢様だけではなく周囲にもそうじゃ。他の奥方を笑いものにしたり使用人を手荒く扱ったりと、そういった訴えが夫のザリバン子爵にもあるようでな」
このままでは離縁させられ、どことも知らぬ場所に放逐される可能性もある、と。
貴族社会では致命的な醜聞である。できればザリバン子爵もそれは避けたいとみえ、メリーアン様に行動を改めるようにと何度も伝えてはいるがなかなか直るものではないらしい。
「それもあってメリーアン様はお嬢様の、というか旦那様の爵位をケビン殿に継がせたいらしいのう。離縁ではなくケビン殿がお嬢様の位置に納まれば、自然とメリーアン様もガイダン侯爵家に戻っても不思議はないじゃろ?」
冗談ではない。間違っても彼女にも、その息子にも仕えたくはないと思ってしまうのは情けないが本音の所だ。
助言に感謝をしつつ、祖父の所を離れる際に何冊かの紙束と、焼き菓子を貰った。
「お嬢様は、お絵かきが好きでのう。お暇そうなときに渡すとなんだかんだ言いつつお描きになられるのじゃよ。持っておいき」
祖父の家の壁に飾られたままのお嬢様の絵を見て、頷く私に祖父は言った。
「お嬢様をしっかり見て、守ってさしあげるようにな」
お菓子の食べさせすぎもいかんぞ、と祖父は笑っていた。
そのままザリバン子爵家に訪問し、ザリバン子爵と長男のダイアン様と話した。子爵はやはり離縁の準備をしているらしい。ダイアン様も致し方ないと諦めた顔だった。
「母にとって大事なのは、ケビンだけなのだ。私に言われたところで行動を改めることはないだろう」
ダイアン様は弟が生まれた時から、自分に対するよりもずっと弟に愛情を注いでいる母を間近で見ていたと。さぞお辛かったものと察せられたが、私が口を出すのも 僭越なため突然の訪問を詫びてお暇することにした。やはりメリーアン様のことはこちらで対処をしよう。
「アルクトス殿」
「はい、ダイアン様」
車に向かう途中に、ダイアン様が追いかけてきた。
何か言いたいことがあるようだが、何度も言葉を 躊躇ためらって言い出せないようだった。
「どうぞお気を使わず。仰ってください」
「……変な事をお聞きしてもよろしいか。気を悪くしたら本当に申し訳ない。アルクトス殿のご両親は亜人でしたか?」
「いえ、普通の人間であったかと」
両親は亜人の子孫ではあるようだが、人間だった。
亜人の間に生まれる子は、亜人になることもあれば普通の人になることもある。人は基本的に人しか生まない。例外がただ一つだけ。
先祖返りは、えてして人間の両親から生まれることが多い。
「不躾な質問であることをお許し頂きたい。先祖返りということで……母親に疎まれたことは?」
伝えていいのかどうか、少しだけ迷った。
「申し上げにくいのですが……両親に会ったことがないのです」
「会ったことが、ない?」
虚をつかれたように彼は目を見開いた。
「母は私を祖父に預け、そのまま父と共に行方知らずで。おそらくはどこかで生きているとは思うのですが」
亜人であるということは、良いことも悪いこともある。特殊な能力に優れていることを褒め称えられもするが、その異形を恐れられもする。
我が子が異形の存在であったら、どれほどの衝撃だろうか。推察することしかできないが、母の許容量を超えていたのだろうと思う。その事を哀れに思った事はあれど、恨んだことはない。
「失礼を……申し上げて本当に、お詫びのしようもない」
顔を曇らせ頭を下げるダイアン様に、気にすることではないと伝えた。両親はいなかったがその分祖父に可愛がってもらったのだ。しかしダイアン様は首を振って言った。
「父は出来ることならば母と離縁は避けたい様子だった。実際、母の行動を制する手はあるだろう。父が言っても聞かぬが、母にも苦手な人はいる。父方の祖母だ。祖母は父とも仲が良くはないが、私が言えば手助けしてくれるのは分かっていた。けれど何故、私が手を尽くさなくてはならないのかと。愛しもしてくれない母のために、何故私が、と恥ずかしながら思わずにいられなかった」
でも、とダイアン様は続けて微笑んだ。
「きっとこのまま放逐してもシエーナや伯父様にご迷惑をかけるだろう。母のためだけではなく、従妹のためにも動こう。何より私は一度しっかりと、母に恨み節を伝えたかったのだ」
そう言ってどこかに使いを手配されていた。少しだけ表情が吹っ切れたような様子であったことが救いである。
深夜、屋敷へ戻ってお嬢様の様子をこっそりと見る。今日も健やかに眠っているようだ。良かった。
少しだけ私事を振り返る。
国や重鎮が先祖返りを保護し、重要視するのも、その希少性と能力の高さに価値を見いだしているだけの話なのだ。
新たな魔法学の発展の礎として、基本五系の巧者を五人雇うより、先祖返りを一人雇うほうがよっぽど複雑で高度な研究ができるのがその理由だ。亜人でも同時に二つの系統を使うものは多くない。しかし先祖返りは、相反する水や火、風と土を同時に使えるものがよく生まれる。
かつては迫害および監禁により先祖返りを利用していたようだが、彼らによってある研究施設が一夜で更地になるなどの反撃を受けたそうだ。その後も続く迫害への反撃に、国は友好関係を築く方向へと転換したらしい。実際どうであったのかは昔のことすぎて不明である。
祖父に育てられて学園を卒業した後、しばらく各地を放浪した。人も亜人も、どの国でも変わらず、仲良くなれる者もいれば敬遠する者もいた。他国の先祖返りと話したこともあった。人や亜人と同じように、仲良くなれる者も敬遠する者もいた。
なるほど変わらぬものである、と納得して自国へ戻った。祖父の元を離れてから8年近く経っていた。
すぐに国や貴族から沢山の雇用要請が来て、祖父に相談した。このまま国や研究施設に勤め、魔法学の発展に命を尽くすのがやはり一番かと。
祖父はひょっひょと笑った。
「ひよこが若鶏になった素振りで戻ってきおった。お前の知った世界なんぞほんの一部じゃ。そのままどこに勤めたところで、お前の割れた壺に水が満ちることはあるまいよ」
「祖父殿、何が言いたいのですか」
「お前がまだまだ未熟者だということじゃよ。そうじゃのう、お前は何かほしいものはあるのかの? 金、嫁、生き甲斐、名誉。あるいは、居なくなった両親を探したいかの?」
「……」
特に無かった。生きていけるだけの金があれば良く、このまま独り身で構わなかろうし、高い地位をほしいという思いもない。母親も父親も、自ら去った人を追いかけるのは悪いだろうと思っていた。もし何かあるとすれば。
「祖父殿に、恩返しを」
「かーっ、阿呆か、ひよっこが! 孫に寄りかかるほど耄碌しておらんわ!」
そしてやはり叱られた。しばらく怒っていた祖父だが、ふと何かを思い立った様子だった。
「……そうか、そうじゃの。恩返しか。アル、爺に恩返し代わりに長期の休みを寄越さんか? 爺の代わりに、ガイダン侯爵家にお仕えしてほしいんじゃが」
驚いた。祖父にとってガイダン侯爵家の仕事は生き甲斐そのものだった。特にお嬢様には並々ならぬ愛情を抱いている様子だったのに。
だが祖父に頼られることなどめったにない。二つ返事で了承した。
「お前はお前のままの目で、お嬢様を見るといい。水が満ちるかも知れんし、そうでないかも知れん」
その時言われた祖父の言葉は、当時よく意味が分からなかった。
「だが、お嬢様はどうじゃろうな。きっかけが、何かきっかけが欲しいのう。未熟者の孫でも構わんから、何か」
悩ましげに呟いた祖父の言葉は、お嬢様に使えない魔法の話だったのだろうか。それとも。
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<アルクトスの独白 7日目 その1>
やはりまた妹君が来た。水壁を貼ったまま待っていると、ダイアン様もやって来た。もしメリーアン様がきたら連絡が欲しいと言っていたので、こっそりと別の場所から連絡の車を出したのだ。
水壁の外に出るとダイアン様がメリーアン様に最終通告をしているところだった。
「母上、それ以上自分勝手な真似をなさるのであれば、ザリバン家の名を捨てる覚悟はよろしいか」
「まぁ! 母に対して何て言いぐさなの! さっさとお帰りなさい、ダイアン!」
「帰るのはあなただ、母上。母親としての権利を主張したいならば、せめて義務を果たしてからにしてはいかがか。私はあなたに母として、可愛がられた記憶などない」
メリーアン様は顔をしかめて言った。
「あなたはそうして、可愛くないことばかり言うからよ。ダイアン。ケビンほどに可愛かったなら、もっと可愛がっていたわ」
「違うでしょう、母上。ケビンが生まれる前から、私が話しだすよりも昔から、あなたに抱き上げられた記憶もない。あなたが私を厭うのは、私が父によく似た顔立ちだからだ」
淡々とダイアン様に言われたメリーアン様は黙り込んだ。図星だったのだろう。たしかにダイアン様と、ザリバン子爵はよく似ていた。そしてケビン様はメリーアン様に似ていた。
「あなたが父を好きではないことも、その父に似て生まれたことも、私のせいではない。あなたに分かるだろうか。自分にどうしようもないことで厭われ、それでもあなたに愛されたいと願う小さい頃の私の気持ちが。手ひどく拒絶されるごとに、悲しみと憎しみが募る私の気持ちが」
そうしていつの日か諦めた。諦めるしかなかったと、ダイアン様は呟いた。
言われたメリーアン様は居心地悪そうに視線を左右に揺らしていた。そんな彼女にダイアン様は小さく笑って言った。
「もはや母としての情を持てとは言わない。あなたには無駄だろう。であれば少なくとも、子爵夫人としての器量を持たれてはいかがか。他子爵家に対しての嫌がらせ、忠告をした使用人を勝手に首にする。果ては決して外に出ないようにという父の言葉をどうお考えなのか」
「そ、そんなの、ケビンがお兄様の養子になれば全部解決でしょう?」
嫌がらせをした子爵家は目下になるし、今までの使用人もいらないし、夫とはもう会わないで済むじゃない、といくぶんか気勢を弱めてメリーアン様は言った。
「その件に関してですが、メリーアン様」
私が口を挟むと妹君は「ヒィ! クマ! 化け物! 寄らないで!」と叫んだ。
「旦那様より書状を預かっております。当家ガイダン侯爵家と、メリーアン様は一切の関わりを禁じ、これ以上の接触があれば国に訴え、兄妹としての縁を完全に切ることも辞さないと」
彼女は呆然と口を開けた。
「そんな……そんなこと、あるわけがないわ! お兄様が、私を! 縁を切るなんて!」
私がさしだした書状をひったくるようにして見た彼女は、わなわなと震えた。信じたくなかろうがそれは旦那様の直筆。見覚えのある文字のはずだ。最後まで読み終えた彼女は、崩れるように泣き出した。
「旦那様は、メリーアン様がお嬢様に接触することを望みません。旦那様にとって一番大切な御家族はシエーナお嬢様なのですから」
泣きながらも彼女は叫んだ。
「嘘よ! だって、あんな、魔法も使えないような欠陥品、何の役に立つっていうの!? 私の方が、ケビンの方がお兄様の役に立てるに決まっているわ!」
「そのようなお考えだからこそ、お嬢様に接触してほしくないのです」
三日前、旦那様はメリーアン様に再度の訪問を禁じた。しかし同時にお嬢様がきちんと成長した後であればまた来ても構わないと。旦那様はメリーアン様にこう言った。
「メリーアン。分かるね? これが最後の忠告だよ。シエーナが成人するより前にうちに来たら、僕は君を見限るよ。いい加減におし。両親に甘やかされ続けた君は、どれだけ僕に叱られても懲りなかった。それでも叱られなくなったらもう、お終いだからね」
その「お終い」が来たことを受け入れられずに、メリーアン様は泣き続けていた。
泣き続ける彼女を車に乗せたダイアン様が、周囲を見回して怪訝そうな顔をした。
「……ケビンは?」
なんと間抜けなことをしてしまったのか。メリーアン様を排除するのを優先して存在を忘れていた。ケビン様は水系の魔法持ちだとダイアン様から聞き、慌ててお嬢様の元に駆けつけた。
お嬢様を罵るケビン様の前に怒りのまま飛び出そうとした瞬間、ぱっとお嬢様が動いた。
「誰があんたなんかに助けを求めるかこのKY野郎が!!!」
投げ付けられた水差しに悶絶するケビン様を見ながら、どことは言わぬが痛くなった。隣で同じような顔をしているダイアン様がいた。
怒り続けるお嬢様の「アルは喰わない」という言葉に喜んで良いのか、そろそろ止めたほうがいいのかと悩んだのであった。
屋敷を去るダイアン様の横顔には、憑きものの落ちたような笑顔が浮かんでいた。
見送った後に、道具置き場へと向かう道でお嬢様は「ダイアン従兄様、どこか嬉しそうだったね」と呟いた。
「ずっと胸につかえていたものを、吐き出すことができたのでしょう」
「……そっか」
メリーアン様の胸にどれほど響いたかは分からないが、それでも尚、伝えたことでダイアン様は前に進むことが出来たのだろう。
「伝えることで、救われることもありますから」
「……」
お嬢様は何も言わなかった。笑みを浮かべると、私の手を引いた。
「……早く行こう、アル」
「はい、お嬢様」
夕暮れに、大きな影と小さな影が映った。斜めに伸びるその小さな影は、消えてしまいそうなほどに細かった。