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3 侯爵令嬢シエーナ

 少し昔のことを振り返る。

 この世界に生まれ落ちた私は、生まれる前の記憶があった。

 日本の、普通の女の子であった。もうすぐ中学生になろうという時に病気になってしまった。

 最後の記憶は病院の白い天井。

 そして気がついたら、ガイダン侯爵家の一人娘として生を受けていたのだ。




 生まれた時に母が亡くなり、父には愛しい妻の忘れ形見として大変愛され、すくすく育った2年目のある日。

 屋敷の廊下を父に手を引かれて歩いていたら、父が廊下の上の方にある一つ消えた灯りを指さしてこう言った。


「シエーナ、あの灯りを点けられるかい?」


 こいつは何を言っているんだ、という視線で2歳児に見られた父は酷く落ち込んだらしい。

 当時の私としては、2歳児にあの高さの照明器具に灯りを、おそらく火を灯させようとするとはこの外道がというものであったのだろう。無茶振りをするな、と視線に出ていたようだ。

 しょんぼりとした父は右手を上げると照明器具にぽんと手を触れた。それだけで灯りは点ったそうだ。何だタッチパネル式か、と私も手を伸ばした。

 届かなかった。この外道が、と再度視線で訴えられた父は眉を八の字にして私を両手で抱えるとその照明器具へと持ち上げた。父が火をけしたそれに私も触れてみた。点かなかった。


「あー、まだちょっとシエーナには早かったかな」


 タッチパネルに早いも遅いもあるものか、と私はその日延々と照明器具を叩いていたらしい、と翌日筋肉痛になった父から言われたものだった。

 結論を言うと、この照明器具、魔法を使って点けるものだった。

 日本で照明のスイッチを押すのと同じくらい簡単に、この世界では魔法を使って照明の明かりを点けるのだ。

 ほうほう、ならば体は子供、頭脳は大人……いや中学生くらい、な私なら時代の最先端を行ってみせよう、末は天才児だ!と喜々として取り組んだところ。

 私は初歩の初歩である炎一つ灯せなかった。天才児どころか劣等生だった。即座に天才児を目指していたことはなかったことにした。若さ故の過ちなのだ!

 だって魔法って。魔力って。ちょっと火を灯してみてって言われたって、ライター持ってますかとしか言えないではないか。

 ちょっと風起こしてみてって言われても、団扇持って来ますねで何がいけないのだ。常人はつむじ風程度は誰でも操れるらしい。私はそよ風すら起こせなかった。ちょっと大きな団扇持って来ますね。

 五歳頃にはすでに「ガイダン侯爵家の無能な一人娘」の話はひそやかに噂されるようになったという。

 最初は父も、当時の執事のバトラも一生懸命魔法を使えるようにとあれこれ手を尽くしてくれた。しかし見事なほどまったく効果がなかった。

 あとはもう時間が解決するのではと期待して、学園入学年齢になった8歳。

 私はまったく魔法が使えないままであった。




 * * * * * * * * * *




「……いないわね」


 早朝、そろりと私は部屋を抜け出した。白いネグリジェワンピースの上に上着を羽織り、目指すは父の部屋である。

 昨夜。クマに見守られ食事をし、クマに「お休みなさい」と言われベッドに入り。

 ……あれ? 何で私クマに「おかわりはいかがでしょうか」とか「寒くはありませんか」とか言われているんだろう、と我に返ったのは朝である。

 そもそも、何故クマが執事。なぜ執事がクマ。大事なことなので二度考えたが分からない。何故クマ。

 私の前の執事は人間だった。高齢のために辞めてしまったのはほんの三ヶ月ほど前。そんな彼の孫がクマだなんで、おかしいではないか。


「お父様は、きっとクマに脅されているんだわ」


 執事をさせなければ喰い殺してしまうぞ、とか何とか。やばい私でもそれは屈してしまいそうだ。

 少し肌寒い廊下をスリッパの音をぱたぱたとさせながら、私は父の寝室へと向かった。両腕をさする私に、背後から声がかけられた。


「お嬢様、もう一枚上着を羽織られては?」

「ひぃ!」


 いつの間にか廊下脇にクマが立っていた。サスペンス映画なら私は第一の犠牲者である。

 クマが、いやアルクトスが今日もきっちりとした黒い執事服に身を包み、私から二メートル離れた廊下の端に立っている。住み込みの彼は我が家に一室を貰い、昨夜から寝泊まりし始めたはずだが、なぜこんな朝に出現したのだ。

 その巨体の腕には小さな私の上着がかかっているが、彼の体と対比するとひどく小さいことがまた恐怖をそそる。


「だだだだ大丈夫です!」

「かしこまりました。ご用件がありましたらいつでもお呼びください」

「わわわかりました!」


 私の返事に彼は黙って頭を下げた。じりじりと背を見せぬようにして、私は廊下を曲がると、私に出来る全速力で走った。時々背後を振り返るが、クマは付いてこなかった。ほっ。

 クマに襲われることもなく父の部屋の前まで辿り着き、私は扉に手をかけた。


「旦那様はまだお休みのようですが、ご様子を伺って参りましょうか?」

「ひいぃ!!」


 父の部屋のすぐ隣にクマがいた。ホラー映画だった。これはもしかして父に話すと殺されるのだろうか。私は扉に背を当てると、大きく首を振った。


「だ、だ、だいじょうぶ、です!」


 何がどう大丈夫なのか分からないが、とりあえずすり抜けられるほど扉を開ける。彼の返事を聞くよりも早く、私は中にすべりこんだ。

 はぁ……はぁ……。

 心臓がばくばくと跳ねている。これでもし部屋の中にクマがいたらもう死のう、と灰色の顔で私が父の部屋へと入っていくと、すやすやと安らかにベッドで父が眠っていた。イラッとした。


「お父様!」

「へぶっ!」


 私は優しく父をたたき起こした。彼は目を白黒させ、そして跳ね起きた。


「痛たたた、何だ敵襲か!? ……あれ、シエーナ?」

「おはようございますお父様、まずは声をひそめてほしいの」


 父の顔面に当たった鈍器のような辞書をすすすと隠して、私は父のベッド脇に陣取った。


「えと? おはよう……って早すぎないかシエーナ、まだ日も昇りきってないよ!?」

「しー! 大事な話があるのよ、お父様!」


 寝ぼけ眼の父は、しょぼしょぼと目を擦りつつ、枕元の眼鏡を探している。その眼鏡を装着したところで、私は出来るだけ低い声で父に尋ねた。


「お父様、アレはなんなの、アレ」

「あれ、って?」

「クマよ!」


 昨日はクマを目の前にして、私の思考回路はシャットダウンした。現実逃避という名の自衛行動である。


「ああ、アルクトス君かい?」

「それ以外の何だと思うの、お父様! どうして我が家にクマが、いや執事がクマで、というか、なんで私の世話を!」


 言いたいことがありすぎてまとめきれない私を見て、目をしょぼしょぼさせたまま父が私の頭を撫でた。


「シエーナ、新しい執事に照れているんだね」


 父の目は節穴という言葉すら勿体ないレベルで節穴だった。


「違うぅ! 純粋に、純粋に怖がっているの!!」

「ははは、アルクトス君は大きいからなぁ。シエーナにはちょっと怖いかなぁ」

「サイズ! 違う! 種族!」


 もはやカタコトで訴える私に、父は大きな欠伸をした。


「大丈夫大丈夫、すぐに慣れるよシエーナ。特にアルクトス君は亜人だから魔法にも優れていてね、今日からシエーナに魔法についての指導もしてくれるからね」

「駄目だ節穴どころの話じゃない!」

「シエーナは前の執事のバトラに凄く懐いていたから寂しいのは分かるけど、良い子にしてちゃんとアルクトス君の言うことを聞くんだよ?」


 ね? と言って欠伸をした後、私の額にキスをしてから、もぞもぞと父はベッドに戻った。そしてすぐにすやすやと寝息を立てる。

 わなわなと鈍器(辞書)を両手に掲げて、私は頭を振った。

 これは駄目だ、脅されているわけではなかった。純粋にクマに私を任せようとしているのだ。何故!?


「お父様のばか!」

「へぶっ!」


 顔面に再度のダメージを受ける父を尻目に、私は身をひるがえした。

 こうなったらもう節穴には頼らない、と私はぷんすかしながらベッド脇の眼鏡を手に部屋へ戻って行った。節穴には眼鏡なんて必要なかろうというささやかな反抗である。




 部屋に戻った私に、扉脇に立っていたアルクトスことでっかいクマは、「おかえりなさいませ」と扉をあけてくれる。ありがたいことだ。ありがたいことではあるが、何もしないでくれるのが一番ありがたいと思わずにはいられなかった。

 怯えつつも部屋の中に入り、椅子に座って一息ついた私に、彼は言う。


「まだ時間は早いですが、お休みになりますか?」

「いえ、結構です……」


 かなり早い時間に起きたのだが、ホラー的な何かですっかり目は覚めた。


「朝食の用意をして参りましょうか?」

「お、お腹すいてません」


 普段から食の細いほうなので、首を振るとその場に沈黙が降りた。もしや機嫌を損ねてしまったか、と青ざめてアルクトスを見ると、彼は困ったような顔をしていた。


「……えーと、では、朝食前に少しだけ、魔法学のお話をしましょうか?」


 もしかしてこれはどこかでイエスと言わないと終わらないループ会話なのだろうか。不安に感じた私は小さく頷いた。次の質問が「ちょっと左腕食べていいですか?」とかだったら断固としてイエスと言えないため、この辺で手をうつしかない。

 しかし私の返事に、クマはホッとしたようにつぶらな目を細めた。


「では少しだけ。お嬢様、少々お待ちくださいね」


 そう言って部屋を出て行ったアルクトスは、少しして戻ってくると小さな紙袋のようなものを手にしていた。窓際の椅子に座って彼を見る私に、アルクトスは話し出した。


「……そうですね、どこから話しましょうか。一番最初に学ぶべき事として、魔力には人によって系統があるということからですね」


 アルクトスは入り口付近に立ったまま、前足、いや右手を上げて言った。私との距離は二メートルを維持している。彼が近づいた分だけ私が後退りした結果である。


「主なもの、基本五系と呼ばれるものは、火水光土風となります。例えば旦那様は、基本五系のうちの、水系となります」


 その黒い爪の先からぷくりと水の塊が出現する。水風船のように揺れるそれは、彼が開いた手を握るとふっと消えた。


「他にも火、光、土、風などの初歩はお使いになられるようですが、基本的にどなたも系統以外のものは初歩までしか使えないものです」


 彼の言うように、父は水を中心とした魔法に優れている。私にも水を使った魔法を見せてくれたりしたものだ。吹き上げた水が虹を作ったり、逆に降ってくる雨を私の所だけはじいたり。すごいすごいと両手を打つ私に、調子に乗った父が「ほらシエーナ、流れる水の滝だよ」と流した水で溺れかけたのもいい思い出である。この恨み忘れるまい。


「奥様は土系だとお聞きしております。土系は土自体を生み出すことはできませんが、土地を肥えさせたり植物の生育を早めたりする能力に優れています」


 私を産んですぐに亡くなってしまった母のことは記憶にないが、とても花の好きな人だったと父が言っていた。そんな時は父も、少しだけ寂しそうな顔をする。


「ご両親の系統を継ぐことが多いので、お嬢様は水系か土系に優れていると思われます。水と土ですと系統的に水の性質を継ぐことが多いので、お嬢様も水系かも知れませんね」


 基本五系は火水光土風ではあるが、中でも火と水が系統的には多く、遺伝しやすいそうである。頷く私に、アルクトスは手に持った紙袋から何かを出した。


「ですのでこちらを、お嬢様に差し上げます」


 その大きな手にちんまりとした植木鉢が乗っていた。鉢には土が入っている。


「この中に一粒、種が入っています。魔力で育つ種類の種です。毎日魔力を込めて水をあげてください。旦那様の系統であれば水が、奥様の系統であれば土が影響されるので、何らかの変化があると思われます」


 私は頷いた。まったく何の変化もない場合、やはり魔力が使えていないということなのだろう。そんな未来になりそうな予感はひしひしとしている。うう。


「基本的に魔法学は実技授業をしないので、この植物に水をあげてください。朝食後は他の勉強を中心にしましょう」


 ……あれ?


「……水をあげるだけ、ですか?」


 一番重要なのは魔法に関してではないのだろうか。それだけでいいのかと拍子抜けして尋ねた。するとアルクトスは微笑んで頷いた。


「魔法学はやればやるほど効果のある、というものではありません。基本的には誰しも持っている普通の能力ですので、最初のきっかけさえあればお嬢様も普通に使えるものと思われます。逆を言えばきっかけがなければどれだけやっても意味がないのです」


 確かに、と私は自分の右手を見た。光すら点けられない小さな右手だ。

 魔法はただのスイッチだ、と父が言っていた。私のスイッチはいったいどこにあるのだろう。考え込む私に、アルクトスは優しい声で話しかけた。


「今後は一般教養を、学園に入学したのと同じように進めていこうと思います」


 頑張りましょう、とアルクトスに言われて私は頷いた。

 朝食後には歴史学や文学、数学などを進めていくことになった。問題はまず、アルクトスの書いた文字が遠すぎて見えないことである。せめて1メートルの距離までにじり寄ろうと思う。




 * * * * * * * * * *




<アルクトスの独白 2日目>


 シエーナお嬢様は確かに、何の魔法も使えないようだった。

 通常の人間ならば周囲に流れる魔力が見えるが、それが全く無い。そもそも魔法というものに対してピンと来ていないようだった。

 一方、一般教養については非常に理解も飲み込みも早い。その聡明さは魔法が使えない分を補って余りある。これで魔法さえ使えれば、学園でもおそらく上位陣に容易に組み込まれるだろうし、途中入学も十分出来ると思われる。

 今日はお嬢様が一メートルほどの距離まで近づいて来てくれた。物理的にもあと一歩である。頑張ろう。

 旦那様が「眼鏡を知らないか」と困った顔をしていたので、お嬢様の部屋から失礼して旦那様に渡しておいた。悪戯好きという側面もおありなのだなぁ、と微笑ましく感じられた。




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