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2 クマの執事

 私の部屋にやってきた父は満面の笑みで言った。


「シエーナ。紹介するよ。新しい執事のアルクトス君だ。今日からシエーナの世話をするからね」

「本日よりこちらにお仕えすることになりましたアルクトスと申します。よろしくお願いします」


 父に紹介された彼は低く落ち着いた声で言うと一礼をした。

 その黒い巨体を、特注したとしか思えないびしっとした執事服に収め、そして私の前に膝をついた。それでも尚彼を見上げることになるほど、その体は大きかった。

 クマだった。ちょっと何を言っているのか分からないかも知れないが、クマだった。

 いわゆるヒグマと呼ばれる彼を執事として紹介された私は、窓際のカーテンにへばりつき、死んだふりをするか猟友会を呼ぶかと必死に左右を見回した。

 彼は親愛の視線を私に向けていたが、「慈しまれつつ食われる」という恐怖しかない私は、彼の隣にいる人物に強く訴えた。


「お父様!! お父様!? 何なの!? 私聞いてない! どころか今日死ぬ心構えができてない!」

「ははは、シエーナは恥ずかしがり屋だな。すまないねアルクトス君、娘をよろしく頼んだよ」

「心からお仕えさせていただきます」

「お父様!? この状況をどう見たら恥ずかしがり屋だなで済ませられるの!? 自宅にクマよ!? 何なの北海道開拓時代なの!?」

「こんな感じで時々訳のわからないことも言うんだけど、可愛い娘でね。ああ、夜中とかにたまに夜泣きすることもあるから気をつけてやってくれ」

「はい、旦那様」


 そう言って微笑みあう線の細い顔立ちの父と、真っ黒な毛皮に覆われたクマ。シュールな光景である。

 私の訴えを子供の駄々としか受け取っていない父に絶望しつつ、私は逃走経路を探した。入り口は父とクマに塞がれている。クマは今二メートル越えの巨体をかがめるようにして膝をついているが、油断してはいけない。クマの走る最高速度は時速60キロである。車の速度と同じなのだ。一方私は8歳。履いているのはスリッパである。駄目だ死んだ。

 窓の外を見るとたいへんいい天気である。しかしその腰高窓は、私の肩と同じ高さであり、がっちりと厳重な鍵が掛かっている。駄目だ死んだ。

 私は絶望の表情でクマを見た。アルクトスと名乗ったその黒毛のクマは、私の視線に笑顔で応えた。駄目だ死んだ。

 私が窓際のカーテンにしがみついたまま死んだ目で固まっているのに、父は困った表情で声をかけた。


「シエーナ、いつまで恥ずかしがっているんだい? ちゃんと今日から新しい執事が来るって話はしたろ?」


 それは聞いた。今まで勤めていてくれた老齢の執事の代わりに今日新たな執事が来るのだと。


 「アルクトスという青年で、前の執事バトラの孫なんだ。まだ若いからシエーナと仲良くやれると思うよ」という父の言葉は記憶に新しい。

 だが私達には最大の相互理解が欠けていた。


「なんでクマなの!?」


 そこは聞いていない。まったく聞いていない。まず真っ先に伝えるべき情報ではないかと訴えたい。

 そんな私に窘めるように父は言う。


「シエーナ、人を外見で判断するような娘に育てた覚えはないよ」

「外見というか! いや外見だけど! 外見だけど私が今問題にしているのはそこではなくて!」


 何と説明すればいいのか頭を抱える私に、クマがフォローするように声をかけてきた。


「旦那様。お嬢様はもしかして、私のような亜人と会うのは初めてでは?」

「――ああ!」


 そうかそうかと、父は頷いた。そして改めて言い直した。


「シエーナ。紹介するよ。新しい執事の亜人のアルクトス君だ。今日からシエーナの世話をするからね」

「だからお父様! やっぱり私達には相互理解が欠けていると思うの!」


 一番必要な情報を父は与えてくれなかった。何故クマなのか。何故クマなのに話すのか。さらに何故クマが私の執事なのか。大事なのはそこである。

 もはや私の味方はこのカーテンしかいない。紙装甲ならぬ布装甲でもいい。絶望の表情でカーテンを抱きしめる私を見て、クマは少しだけ遠慮気味に父に言った。


「旦那様。お嬢様がもし私のような人外をお気に召さないようであれば、祖父に頼んで別の者を寄越すように伝えておきますが……」

「いや、アルクトス君。既に伝えたとおり、この子は学園に通えなくてね」


 私は先日8歳になった。

 この世界では8歳から18歳までの王都近辺に住む貴族の子供は学園に通うのだ。既に同じ年齢の子供達は学園に通っている。しかし私は入学許可が下りなかった。

 学園からは一通の手紙が届いたのだ。

 『入学適性なし』、と。

 この世界で、子供は生まれ落ちてから、ハイハイをはじめ、掴まり立ちし、歩き始め。

 ――そして、魔法を使い出す。

 話すことと魔法を使うことは、どちらか前後するかもしれないそうだが、子供の成長として当然の如く自然習得するのだ。

 でも、私にはそれがなかった。初歩の初歩ともいえる火を灯すことすらできない。

『授業科目として魔法学、魔法実技がある以上魔法の使えないものの受け入れは困難である』とのことだった。

 魔法の使えないものなどほとんどいないこの世界で、侯爵家の娘が学園に入学すらできなかったというのは初めてのことだそうだ。肩身が狭いなんてもんじゃない。「ご病気を疑われては?」と言われ医者にも行ったが全くの健康体だそうだ。なんてこった。

 そんな際、前に勤めていた執事が老齢のため辞職することになり、代わりの執事を雇うことになった。

 そして代わりとして来たのがクマだった。うん、ごめんちょっとよく意味が分からない。


「君は学園に通う代わりの勉強も教えられると聞いているから、ありがたい。人見知りなシエーナだけど、前の執事にはとても懐いていたからね。その孫なら安心だ」


 そう言って笑うお父様は安心という言葉を辞書で引くべきだ、と私は思った。あとで父の頭に鈍器のような辞書を投げつけるのも辞さない、と強く決意する。

 クマは頷くと私に深々と頭を下げた。


「お嬢様にお仕えできることを望外の喜びと感じております。お嬢様、どうぞよろしくお願いいたします。ご要望がありましたらいかようにも、このアルクトスにお命じください」

「……アルクトス、さん」

「どうぞアルとお呼び下さい」


 彼はカーテンから顔を出した私の小さな声を正確に拾い上げ、優しい声で促した。「アル」と呼ぶ声が私の発した最後の声だった……とならないように私は慎重に声をかけた。


「アル、あの、私……その」


 彼は小さな笑みを浮かべたまま私の言葉を待っている。駄目だ、言えない。この要望はいえない。クマ科が苦手なんです、霊長類がいいんですとは言えない。


「なんでも……ないです」


 頬をひきつらせたまま言葉を濁した私に、父の明るい声がする。


「初対面だからちょっと緊張しているんだね、シエーナ。大丈夫、すぐに慣れるよ」


 そんな訳ないだろうと叫びたいのはやまやまだが、クマの射程範囲内にいる私にできることは「そうですねエヘヘ」とばかりに曖昧な笑みを浮かべることだけだった。

 そんな私に、クマ、改めアルクトスは微笑んで立ち上がった。


「では旦那様。お嬢様。本日よりよろしくお願いいたします」


 立ち上がるとやはり二メートルを超える巨体である。思わず私はまたカーテンに隠れた。


「すまないね、アルクトス君。人見知りな娘でね」

「いえ、お嬢様に早く信頼して頂けるよう誠心誠意勤めさせて頂きます」


 人は見知っていない、という私の心の訴えも聞かず、父はクマを伴って部屋を出て行った。父の笑う声や、低く優しげに聞こえるクマの声が、扉の閉まる音と同時にぱたりと消える。

 部屋に一人残された私は、力尽きたように窓辺に座り込んだ。

 落ち着け、うん、落ち着け私。ええと混乱したときは緑を見て心を落ち着かせよう、うん。

 私は立ち上がると窓に手をかけて外を見た。チュンチュンと鳥の鳴く声が耳に届く。日は既に傾き、夕焼けが遠くに見えた。ふー、落ち着いてきた。そう、問題を一つずつ考えよう。きっと良い解決方法があるはずだ。ええと。


「……なんでクマなのよおおおお!」


 そして膝から崩れ落ちた。根本的な問題に何一つ解決方法が見つからなかった。どうしたらクマを執事から解雇できますかという問いかけに応えてくれる声はなかった。




 * * * * * * * * * *




<アルクトスの独白 1日目>


 本日よりガイダン侯爵家にお仕えすることになった。

 シエーナお嬢様は旦那様から事前に聞いた通り、少し人見知りの小さく愛らしいお嬢様であった。

 どうやら、やはり亜人である私の姿が怖いようだ。まだ小さいので仕方のないことではある。

 お嬢様は私の一メートル側に寄ると飛び上がって逃げ出すので、出来るだけ二メートル近い距離をとるようにしている。残念だが給仕は他の使用人に任せた。焦らず一歩ずつ距離を縮められるといいと思う。




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