18 エピローグ
アパートの入り口を、掃除している女性はふと誰かに気付いて声をかけた。
「横溝さん」
最近娘を病気で亡くし、ふさぎ込んでいた彼女は大家に気付くと笑みを浮かべた。
「大家さん、おはようございます」
「おはよう。少し痩せたかい? ちゃんと食べてる?」
仲の良い母娘を見ていただけに心配だった。けれども大家の言葉に、いつになく朗らかに彼女は返した。
「大丈夫、元気ですよ。昨日、娘が夢に出てきて」
痛ましげに大家が眉をひそめると、彼女は首を振った。
「あら、やだ。そんなんじゃないんですよ。あの子ったらいつものように馬鹿みたいなことばっか言ってて」
「咲ちゃん、未来型変形ロボになるって言ってたもんねぇ」
「あはは、そうなんです」
抱きしめた感覚を思い出すかのように、彼女は手を開いた。
「100年の人生なんてほんの一瞬だから、死んだら会いに来てよって言われちゃいました」
「……そうねぇ、あの子は、お母さん孝行な子だったから」
大家は彼女の言葉に頷いた。きっと彼女の会いたい気持ちが、娘を夢に見たのだろうと思った。それで前向きになれるのならとても良いことだ、と大家は彼女に微笑んだ。
彼女もまた、大家がただの夢と受け止めて聞いているのは分かっていた。娘が別人の姿だったことも、異世界と言っていたことも言おうとは思わなかった。
ただの夢じゃないことは、彼女だけが知っていればいいことだ。そう思って笑う。
「だから、元気に暮らさなきゃ。あの子に申し訳ないですもんね」
じゃあ、と笑顔で去る彼女を見送った大家は、ふと空を見上げた。
「……あれ?」
緑の眩しい夏。日差しは強く、アスファルトに照りつけていた。
そんな中、空からひらりと、薄いピンクの花びらが落ちてきたのだ。
「……どこか、花でも咲いていたかしら?」
ところが周囲の木々は青々として、花の咲いているようなものはなかった。その花びらは、捕まえようとする大家の手を避けるようにふわりと地面に落ちて。
夢か、幻かのように消えてしまった。
「見間違い、かしら」
箒を持った大家が首を傾げて、掃除を再開するときに。
誰にも見つからずに、空からまた小さな花が風に舞って落ちてきた。
薄いピンクの、桜の花が。
――どこかから、ひらりと。
<クマ執事と魔法の使えない少女 完>