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14 セピア色の思い出

 朝の光が差し込む六畳一間の和室の壁に、掲げられた中学校の制服。私の、制服。

 何だか少し、大人になったような気がしてくすぐったいけれど嬉しかった。


「こぉら、あんたは、手伝いくらいしなさい!」


 制服を見つめる私に、母は台所から怒鳴る。渋々立ち上がると、私は台所へと向かった。


「ほら、お箸並べて。お味噌汁よそって」

「はいはい」

「はいは一回!」

「はぁい」


 和室に置かれたテーブルの上に、箸を並べて、よそったお味噌汁とお茶碗を持っていく。代わり映えのしないいつもの朝食だ。卵焼きに納豆に、ご飯とお味噌汁。私は座布団に座ると、お味噌汁の入ったお椀を手にした。


「お母さん、お味噌汁しょっぱいよ」


 じろり、と反対側に座った母は私を睨む。


「文句のある子は食べなくてよろしい」


 もう、とふてくされながらも私は味噌汁を飲んだ。いつも味噌を入れすぎだと思う。


「あんたも中学生になるんだから、朝ご飯くらい自分で作ったら?」

「夕飯は手伝ってるじゃん! 洗濯物も畳んでるし、お風呂掃除だってしてるし!」


 私は大げさに自分の功績を訴えた。

 大体、クラスの皆よりずっとお手伝いしてるほうだと思うんだけど。なのにお小遣いだって少ないし、新しいゲームもなかなか買ってもらえないし。色々我慢しているのに、と私は恨めしげに母を見る。母はどこ吹く風だ。


「お母さん仕事しているんだもの、当たり前でしょ。あー、まったく。アラブの石油王捕まえて左団扇で暮らしたいわ~」

「聞きましたか天国のお父さん。浮気ですよ、浮気。やだー」


 私は仏壇の父に話しかけた。母はフン、と鼻で笑った。


「残念だったわね。未亡人だから浮気じゃないもの。あれよね、上場企業の社長でもいいわ。豪邸に住んで使用人とか抱えて優雅にペットでも撫でてたいわ~」

「撫でたいなら大家さんところのペコちゃんでも撫でさせてもらいなよ」

「あの子、イグアナじゃないの!」


 犬猫禁止のアパートなんだから仕方がないではないか。呆れ顔の私に母は「まったくこの子は馬鹿なことばっかり言って」と首を振った。いやこっちの台詞だけど!?


「そういえば来週末、アパートの花見会があるのよ。あんたも行く?」

「えー、やだ。酔っ払い多いし、花見より友達と遊びたいもん」

「あらま、回覧板の参加人数2人でもう回しちゃったわ。じゃあ参加ってことで」

「今の質問なんか意味あったの!?」


 まったく母はいつも自分勝手なんだから、と私は頬を膨らませて時計を指さした。


「お母さん、そろそろ出ないと遅刻するよ?」

「えっ!? やだもうこんな時間!? ちょっとあんた食器洗ってゴミ出ししておいて! お母さんもう行くわ!」

「はいはい、行ってらっしゃい」

「はい、は一回!」

「もー、早く行きなよ」


 慌ただしい風のように、母はバタバタと玄関から飛び出した。見送って外を見ると、アパートの庭には桜の木がある。まだ蕾だ。大人達は満開になると、やれ花見だ夜桜だと言ってはお酒を飲む。母も酔っ払いの例に漏れず、笑いながら私の頭をぐしゃぐしゃにする。ホントやめてほしい。

 営業の仕事は年度末と年度始まりは忙しいのだと聞いている。入学式はなんとか時間の都合をつけてくれるとは言っていたけど、どうだか。

 食器を重ねて立ち上がると、一瞬目眩が襲ってきた。ぐるんと世界が回るような感じに、ガシャンと食器を取り落とす。


「あー!」


 やってしまった。慌てて割れた茶碗とお皿を拾うと、細かい破片を掃除機で吸った。

 また母に「ドジねぇ」と呆れられてしまう。袋に入れた破片は、ゴミと一緒に出して証拠隠滅をはかろう。うん。

 ――足りない茶碗の数に、すぐにばれてしまうのはその夜の話。

「あんたは注意力と、考えが足りないわ」と呆れ顔の母に叱られてしまうのだが。




 * * * * * * * * * *




 でも、そんな。

 当たり前の日常が、当たり前じゃなくなったのは中学の入学式を間近に控えたある夜のこと。

 頭が割れるように痛くなり、母に伝えてすぐ病院に行って。

 ――あっという間に入院をすることになった。


「……やだなぁ、入学式までかかる?」

「あんたが頑張ればすぐ治るわよ」


 慌ただしく入院の用意をしてくれた母は、いつものように呆れ顔で笑っていた。私はベッドに横になったまま母に言った。


「お母さん、明日も仕事でしょ? もう帰っていいよ」

「言われなくても帰るわよ。まったくもう、忙しいんだから早く良くなってよね」


 そう言いながらも母は、次の日も、その次の日も目が覚めたときには常に隣にいた。仕事がクビになってはいないか、と私は心配したものだった。

「営業界のエリートである私がクビになる訳ないでしょ!」と胸を張る母だが、前にパワハラ上司を殴ってクビになったと言ってた記憶があるのだが……。


「二十代の話はノーカンよ、ノーカウント」

「お母さんって基本的に、言うこと適当だよね」


 私が呆れたような声を漏らすと、母はフンと鼻で笑う。

 週末には、母は花見会を欠席したらしく折り詰めの寿司を持って病院へ来た。大家さんからのお見舞い品だと言って、その蓋を開ける。


「いただきまーす」

「あれ、お母さん、見舞い品って私が食べるもんじゃないの!?」

「あんた、玉子とイカとタコどれがいい?」

「全部安いヤツ!?」


 ブーイングする私に、母は笑う。

 日常が、場所を少しだけ病院に移しただけ。母はそのように振る舞っていた。私もそのように振る舞った。

 だから言わなかった。入学式が過ぎても、まだ退院できなくても。何だかよく分からない難しい病名が告げられても。何も言わなかった。






 本当は、母と、桜が見たかった。








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