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12 脳裏を走るもの

 北の森に行ってからしばらくの間は、特に変わることのない日常が続いていた。

 朝に鉢の水をやり、午前と午後はアルクトスに教わりつつ勉強をし、夕方は本を読んだり絵を描いたりと自由に過ごしていた。

 ふと、先日駄目と言われた王都に、爺のところに出かけたいと言ったところにこやかに却下された。えっ、なんで。


「まだいけません、お嬢様。風邪がぶりかえしてしまったら大変ですから、どうしても出かけたいと仰るなら百歩譲って元気だと証明なさってからにして下さい」

「ど、どう証明するの?」


 恐る恐る聞いて見たところ、彼は自分の太い右腕をぐるりと回した。


「そうですね。……腕相撲とか?」

「アルは私の右腕を破壊する気!? 元気いっぱいでも勝てる気しないんだけど!」

「……かけっこにしますか?」

「譲る気ゼロだよね!? 時速60キロにこのスリッパが勝てるとでも!?」


 諦めた。彼の百歩譲るは譲らないという言葉の言い換えだった。しかし行くなと言われると行きたくなるのが人の常である。日々「王都に遊びに行きたい」と言い張る私に、やっとアルクトスが折れたのが、そこから一週間ほど経ってからだった。




 * * * * * * * * * *




 整然とした町並みを歩くクマと私。うん、ぎょっと振り返る視線にも慣れてきた。


「お嬢様の勉強の進みは、本当に素晴らしいですね。2学年ものこり半分ほど。この調子であればまた新しい学年へすぐに進めそうです」

「あはは、うん、まぁ」


 褒められはするものの、こちらの世界の勉強は基本的に魔法学と歴史学以外は日本と同じである。数学なんてまだかけ算だし。逆に面映ゆい。

 ガラガラと通りを車が行き来して、その脇の歩道を私とアルクトスは手を繋いで歩いている。なんだかんだ言いつつ違和感なくクマと手を繋いでいることに、初日の私が見たら卒倒しそうだ。「え、何なの誘拐なの森の熊さんなの、これから喰われに行くの!?」と叫ぶ自分が目に浮かぶ。大丈夫、街のクマさんだ。


「またじいのところで待ってるから、アルは買い物に行ってきてね」

「かしこまりました」


 会話しながら大通りの露店を見て歩く。アルクトスはまた本を買い足しにいくようだったので、その間は爺のところで待つ予定である。決してパウンドケーキ目当てでないことは言い添えたい。

 ふと露店に可愛らしいウサギ型のペンがあるのを見て、なんとなく寄っていくと声をかけられた。


「いらっしゃいませー……あれ? 先日の」

「あ」


 露店主の男性は、北の森で出会ったカレルとメーナの父であった。私はぺこりと頭を下げた。一緒にきたアルクトスも「先日はどうも」と穏やかに声をかける。


「偶然ですね! 良かったら安くしますので、寄ってやってください!」


 露店主の明るい声に引き寄せられるようにして並べられたペンを手に取る。基本的に問題は、魔法を使ってどうこうという機能が備わっていないかどうかなのだ。いかに可愛くとも使えないからだ。


「どう使うんですか、これ」

「そこのペンの背を押すと中からインクつきのペン先が出て来ます」


 言われて手に取ったウサギ型のペンの背を押す。ぴょこんと先が出てきた。良かった魔法は使わないタイプだ。ちなみに魔法を使って発光するペンなどもある。用途は不明である。

 これはボールペンのようなもので、手に持つところはピンクの透明な硝子で可愛らしい。露店主は愛想良く笑った。


「他にもお嬢さんの好みそうなものも沢山あるので見てってくださいね」

「お嬢様、どれか欲しいものはありますか?」


 アルクトスに聞かれて私は頷いた。ちょうど使っていたペンが切れたところだったのだ。文具店で売っているのはシンプルなものが多く、可愛いのがあったらついでに買ってもいいと思っていた。今月のお小遣いを貰ったばかりでお金に余裕もあるし。


「じゃあこれ、お願いします」

「まいど! それはメーナもお気に入りでね。他にも色々お嬢さんの好きそうなものもありますよ!」


 商売人である。財布はアルクトスが持っているので彼に支払いを任せ、いくつかの小物を手に説明する露店主に私はそういえばと尋ねた。


「メーナとカレルは?」

「ああ、ちょうど妻と一緒に買い物に行ったところで、もうすぐ帰ると思いますよ!」


 なるほど、と左右を見回すと通りの向こう側の人混みに、白い耳を持った親子の姿が見えた。メーナとカレルと母親だ。カレルは大きな鍋を持っていて、メーナは母と手を繋いでいた。

 道路脇の柵の隙間から見ていたら、真っ先に私に気付いたのはメーナだった。大きな目を丸くして、ぱっと笑うと繋いでいた母親の手を離して駆け出した。そんなに急いでも今日はパウンドケーキは持っていない、と笑って叫ぼうとした時。

 細身のメーナは最短経路を通ろうと、柵の隙間から飛び出した。

 片側三車線ほどのその大きな通りは、その瞬間は車が通っていなかったのだ。その瞬間だけは。


「!!」


 カレルは叫んだ。母親も叫んだだろう。追いかけようとしたとき、兄の手にあった鍋が人混みの中、通行人にぶつかり邪魔をした。それを取り落とした音も、車の行き交う音にかき消された。

 メーナが勢いよく走り抜けたならまだ良かったのだ。だが車線の真ん中ほどで、兄の叫びが聞こえたのか彼女は立ち止まって振り返った。立ち止まってしまった。

 アルクトスの手を振り払うようにして、私は思わず駆け出した。ガラガラと車輪の音が聞こえる。メーナは止まっている。道路の真ん中で目前に迫る大きな車の、姿を目に映したまま。


「危ない――っ!」

「お嬢様!?」


 車の主は慌てて車を止めようとしたが、勢いのついた車はその大きな車輪を急には止められなかった。

 私がその小さな体を、車道から突き飛ばすようにして押し出したときには、既に車はメーナを押しつぶす直前であった。

 キキーッ! 

 高いブレーキの音と、体に何かがのし掛かるような感触に、地面に転がった私の視界が真っ暗になった。


「キャー!!」

「轢かれたわ!! 誰か!!」


 遠くから、叫び声が聞こえる。息が、苦しい。重い何かに押しつぶされたようだった。

 轢かれたのか。だからこんなに苦しいのか。失いかけた意識に、私はどこか深い安堵を覚えながら目を閉じた。

 ――終わったんだ。

 長いようで短かった8年が、走馬燈のように流れていった。

 生まれ落ちた小さな私。抱き上げる手の持ち主は知らない人、お父様だった。

 そして爺に可愛がられ、叱られ叱られ……あれ叱られてる記憶多すぎない!?

 メリーアン叔母様が来ては嫌みをいいつつ帰って行って……いやケビン、あんたも帰っていい、っていうか帰れ。忘れて行かれた? 知るか。

 部屋に来たクマに悲鳴をあげてカーテン裏に隠れた私もいた。ちくり、と胸が痛んだ。

 成長して幸せになるところを、見せられなくてごめん、アル。

 でも大丈夫、アルには爺もいるし、お父様にはメリーアン叔母様も一応いるし、一応。

 ――やっと、会えるんだ。

 痛みか、苦しさか、あるいは嬉しさでじわりと涙が滲んだ。

 ところが、急に体の重みがふっと軽くなった。


「……大丈夫、ですか? お嬢様」


 手で自身の体を支えるようにして、私の上から少し退いたのは、視界を黒く染め上げたそのもの、アルクトスであった。少し苦しそうな彼の声に地面に伏せていた顔を向けると、私に覆い被さる彼の後ろに車の箱形車両の裏面が見えた。

 メーナを突き飛ばした私の上に、アルクトスが覆い被さったのだとその時気付いた。重い気がしたのはただの彼の体重で、思いっきり轢かれたのはアルクトスのほうであった。

 ――終わったと、思ったのに。

 一瞬呆然としてから、ハッとして私はアルに叫んだ。


「……アル? アル!? ひ、轢かれたの!? 大丈夫!?」

「大丈夫、です。頑丈なので。……お嬢様、動けますか?」


 丁度前輪で轢かれ、後輪との間に私とアルクトスは挟まれていた。その車を彼は持ち上げるようにして身を起こしていた。頑丈とかそういう問題ではない。彼が背に車を担いでいることにちょっと意味が理解できないながらも、私は彼の下から這いずるようにして抜け出した。私が下から出るのを確認して、彼は背中の車を抑えながらゆっくりとその下から抜け出した。

 ドスン、と落ちる車の車輪と、アルクトスの背が見える。

 黒い毛が、赤い血に染まっていた。


「アル、怪我、怪我してる!! お、お医者様をっ――!!」


 叫ぶ私の元にゆっくりと近寄ってくると、彼はその大きな手を私の頬に添えて、ぺちんと叩いた。痛くはなかった。ただ驚きで彼を見上げると、背を血に染めたアルクトスは、厳しい顔で私を見た。


「……どうして飛び出したんですか、お嬢様」

「だって、あの、だって」


 メーナが、と言い訳めいた言葉を漏らす私に、彼は首を振る。メーナは大泣きしたまま母親に抱き上げられていた。彼女を叱る母親とカレルの声、私に頭を下げる彼らの姿が視界の端に見えた。


「一言でも言って下されば、私が行きました。人を助けるなら、自分自身も助けられる状況であるべきです。誰かを助けて、お嬢様が死んでしまったら何の意味もないではないですか!」


 違う、そんなことはない。そんなことはないんだ。

 私が何も言えずに口を開けたり閉じたりしていると、誰かに呼ばれてきたらしき医者が車で飛んで来た。すぐにアルクトスを連れたまま診療所へと向かい、手当を受けた後、我が家にアルクトスは運ばれることになった。

 その間ずっと怒ったように黙り込むアルクトスに、私は何と言葉をかけていいのか分からなかった。




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