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11 家族


 少し速度を緩めつつ、私を抱き上げたアルクトスは彼らを追いかけた。走りながら森を見るが周囲に少女の姿はない。

 そのまま走ると開けた場所に出た。滝だ。切り立った崖の上のほうから、水が勢いよく落ちている。青く澄んだ水は滝壺に溜まり、そのまま大きな石の隙間をぬって流れていく。

 水の深さは滝壺へ近づくほど深くなるため、立ち入り注意との看板も出ている。そしてその周囲を、白い耳の家族が探し回っていた。


「メーナ! メーナ!?」


 ザアザアと滝壺に流れ落ちる水の音だけが響き、叫びに応じる声はない。


「お嬢様、少しここでお待ち下さいね」


 私を地面に下ろすと、アルクトスは飛び石のような大きな石を飛びつつ、滝壺の近くに辿り着いた。その大きな黒い手を水に浸す。彼の手を中心に波紋のようなものが広がった。波紋の力……! と思わず私は呟きかけて自重した。


「……人が落ちた気配はないみたいです」


 アルクトスの言葉にウサギの耳をした家族は少しだけ安堵した。そして父親は息子に声をかける。


「カレル、父さんと母さんは森の中を探してみるから、お前はここで待ってなさい」

「何でだよ! 俺も探す!」

「もしかしたら迷って滝壺に来るかもしれないだろう? 水に落ちたら大変だから、ここでメーナを待っててあげておくれ」

「でも!」

「いいから、待ってなさい」


 まだ不満があるらしき少年にくれぐれも動かないように、と言ったあとに父親はちらりとアルクトスを見た。彼は得たりと頷いた。少年を預かる、と。

 来た道を引き返して両親は森へと娘を捜しに行った。そして滝壺の周囲にはアルクトスとカレルと私が残された。

 爪を噛むようにしてカレルは心配そうにうろうろと歩き回った。妹が心配なのだろう。かくいう私も心配である。5歳ほどの幼い女の子であった。森の中をさまよって、危険な動物に会ってしまったらどうしよう。クマとか。

 心配そうな私の顔を見てか、アルクトスが悩ましく呟いた。


「本当は私も探しに行ってさしあげたいのですが……」

「やめよう、アル。やめとこう」


 めっちゃ逃げると思う、との私の言葉に彼は哀愁を漂わせながら頷いた。




 時間だけが過ぎていき、メーナもその両親も姿を現さなかった。「やっぱり俺も探しに行く!」と走り出そうとしたカレルはアルクトスがずりずりと引き戻していた。暇をもてあました私も「やっぱり私も探しに行こうか」と言い出してみたが彼は黙って手を広げた。駄目だ、この場所から逃げたければアルクトスを倒していけの世界だった。その鉄壁のガードを打ち破れる気がしない。

 手持ち無沙汰な私はカレルと二人で石に座って待っていた。アルクトスは周囲の地面に屈みながら何かをしている。

 その時、がさりと音がした。音の方向を見ると木の影に白い耳が見えた。あれは。


「カレル、カレル。あっち!」


 私がカレルの服を引っ張ると彼は耳をぴんと立てた。


「メーナ!?」


 立ち上がった彼の視線の先で、白い耳の持ち主はちらりと姿を見せた。怯えたような表情を浮かべた少女。メーナだ。迷子になっていた彼女は泣き出しそうな顔をして森から飛び出した。こちらに走り寄ってくる。


「お兄ちゃ……ぴゃあああ!!」


 しかしそこにはクマがいた。彼女の視界には兄しか映っていなかったのだろうか。だが近づくにつれて視界の外にするには難しいその存在感。どーんという擬音とともに兄の背後にはクマがそびえ立っていた。


「お兄ちゃんが喰われるぅぅぅ!! お母さぁん!!」

「おい、待てって! メーナ!?」


 ぴゃあああと泣きながら彼女は体をくるりと反転させた。助けを呼ぼうとしたのだろうか。逃げ出してしまったらまた行方不明に、と思った瞬間。

 滝壺の開けた場所から、森の入り口方向へと向かう道の途中、その小さな少女の背が耳をぺたんとして逃げだそうとしたその場に。

 バシャァアアアア!!

 踏み出した少女を囲うようにして、見覚えのある水壁がそそり立った。それは彼女の周囲を囲み、それ以上逃げ出すことの出来ない水に囲まれた空間になった。


「……」

「……」


 水壁の中に捕獲された少女を見て、アルクトスを見て。私とカレルの視線が左右に動いた。


「罠を張りました」

「ぴゃああああ」


 泣き声を背に、にこやかに言うのはアルクトスである。人が踏み込んだら、逃げられないように周囲を水壁で囲むという魔法らしい。ねずみ取りとか捕獲機みたいなものなのだろう。逃げ続けるメーナを罠で捕獲するというのはいい手なのかも知れない。

 だが。


「……なんだろう。クマに捕獲されたウサギが泣いていると、もの凄く悪いことをしてしまったようなこの感じ」

「妹に何してくれんだお前! 喰うのか、喰う気か!? 放せ、すぐ放せよ!!」


 ぽつりと呟く私と、全力で抗議するカレルと宥めるアルクトス、ぴゃああと泣くウサギの少女。滝壺の前は落ちてくる水音よりもよっぽど騒がしかった。




 水壁を消したら間違いなくメーナはダッシュで逃げる、との言葉に渋々納得して、カレルは水壁の周りで妹を慰めにかかった。


「落ち付けって、メーナ」

「ぴゃああああ」

「お前臆病すぎるって言われてるだろうが」

「ぴゃああああ」

「見ろってほら、あの人も一応亜人仲間らしいしさぁ」

「ぴぎゃああああ」

「あー、悪い。やっぱ見なくていい」


 彼は説得を諦めた。

 しかし妹も見つかり、安心してかそのすぐ側に座り込んだ。同じく安心した私はぐぅ、とお腹の鳴る音が聞こえた。くい、とアルクトスの服を引っ張る。


「アル、お腹空いた」

「ああ、そういえば。結構時間も経ちましたし、彼らのご両親が来るまで座ってお食事にいたしましょうか」


 彼は持っていたバスケットを広げると、中からサンドイッチやジュース、お菓子を取り出した。BGMのぴゃああという声が少し小さくなった。


「カレルも食べる?」


 私が声をかけると、彼は渋るような顔をしたが耳がぱたぱたと動き出した。あ、来る気満々だ。


「えー初対面で悪いなぁ。じゃあ父ちゃんたちがくるまでちょっとだけ」


 軽い足取りで近づいて来たカレルは、ちょっとだけという言葉を忘れたようにバスケットのサンドイッチを両手に掴んだ。私はそっと中の焼き菓子を手元に寄せた。

 和やかに食事を始めるこちらを見て、ぴゃああというBGMは抗議のように大きくなった。


「メーナさんも食べますか?」

「ぴぎゃあああ!!」


 アルクトスに声をかけられてメーナの声が大きくなった。涙目のままぶんぶんと首を振る。来るなという意味合いのそれをアルクトスはNoの返事と受け取ったのだろう。「了解しました」とあっさりと差し出そうとしていたサンドイッチの包みを元通りにバスケットに戻した。


「……ぴゃあ」


 私達の食事を見ていたメーナの泣き声がぴたりと止まった。その視線は私が引き寄せた焼き菓子にあった。


「……」


 涙目のウサギと視線が合った。「ワタシ・ソレ・ホシイ」と彼女の視線が語っていた。「いやでござる」と私は視線で返した。

 バチバチと視線の火花が散る。サンドイッチを食べる手を休めた私を、アルクトスは首を傾げてみていた。

 そんな私と彼女の戦いを、知って知らずかカレルは「それ喰わねぇの? いただき!」と私の膝元のパウンドケーキの包みを手に取って、ぱくりと食べてしまった。神をも恐れぬ所業である。許すまじ。


「……!」


 涙目のウサギは「ワタシ・アニ・ナグル」と訴えていた。「やれでござる」と私も視線を返した。

 すっかり大人しくなったメーナと、哀愁漂わせつつ再度サンドイッチを口にする私に、アルクトスは笑ってバスケットの中からもう二つ包みを出した。


「お嬢様、メーナさん。焼き菓子はまだございますが、いかがいたしますか?」

「食べる!」

「……る」


 ハイ! と勢いよく手を挙げる私と、水壁の中でささやかな主張をしたメーナであった。それを見て三個目のサンドイッチを食べ終えたカレルは言った。


「あ、じゃあ俺も」

「さっき食べた人の分はないからね!」

「……ね」


 私とメーナ、双方向からブーイングされたカレルは、驚きにサンドイッチを喉に詰まらせていた。




 十分落ち着いたと見られ、メーナはやっと水壁を外された。解放されたことに喜んで大きく伸びをしてから、メーナは私の左隣の石に腰掛けた。なお私の前にはカレル、右隣はアルクトスである。予想通りアルクトスと一番距離のある場所を陣取った。

 もくもくと美味しそうに焼き菓子を食べてはメーナの耳がぱたぱたと震えていた。美味しかろう美味しかろう。


「ホントお前、何かあると全力ダッシュする癖直せよ」


 兄のカレルは呆れ顔である。黙々と食べるメーナは返事をしない。


「俺とか父ちゃんとかならまだ追いつくからいいけどさ、危ないだろ」

「……」


 むふん、と鼻を鳴らしてメーナが言った。


「……私、一番速い」

「ああん? 兄ちゃんは今速度の話じゃなくてお前の行動の話をしてたはずなんだけどな? 人の話を聞く気がないのはこの耳か?」

「ぴゃああああ」


 白い耳をカレルに引っ張られてメーナはまた泣いた。これが兄妹喧嘩というものか、と私はパウンドケーキを味わいながら心の中で呟いた。

 はぁ、とため息をついて耳から手を離すと、カレルはアルクトスをまじまじと見た。


「……そういえば、あんたは何の亜人?」

「クマです。北の、かなり上の大地にいる獣なので見たことはないかと」

「確かに珍しいよなぁ。兄妹とかいんの?」


 ホント手の掛かる妹で大変、とぼやくカレルに、アルクトスは少し沈黙してから、微笑んで返した。


「もしかしたらいるかも知れませんが、家族と言えるのは今の所祖父だけで」

「……」


 なんかまずいこと言ってしまったか、という顔でカレルは視線を逸らした。何かまずいことを聞いてしまったか、という顔で私は焼き菓子をもぐもぐしていた。


「……ごめん。変な事聞いて」


 謝る彼にアルクトスは笑って首を振る。


「いえ、本当に気にされるようなことではないのです。少し言葉に詰まったのは、ただ」


 言いかけた彼は私にちらりと視線を向けた。ん? と首を傾げる私に、アルクトスは首を振る。

 彼の次の言葉が発せられる前に、がさりと物音がした。

 白い耳を撫でつつ半分涙目で膝を抱えていたメーナはその音の方を向いて、ぱっと顔を輝かせた。


「お父さん、お母さん!」

「メーナ!」


 木々の道を、二人の大人が歩いて来た。メーナの姿を見つけると、顔をくしゃりと歪めて走って駆け寄ってくる。彼らの両親が帰って来たのだ。




「本当にすばしっこい子で……ご迷惑をおかけしました」

「森の中で何回か見つけたんですけど、追いかけると逃げてしまって」


 ぴゃあああというBGMを聞きながら両親は謝っていた。なおメーナは母親にお尻を叩かれて泣いている。世界は違えど叱られ方は共通なのである。

 謝る両親にアルクトスは「とんでもない」と首を振った。


「お気になさらないでください。こちらこそ驚かせてしまって申し訳なく」

「すみません。もし王都に来る時があればそこで露店をやっていますので、お詫びにサービスします」

「二人とも、またな! サンドイッチありがとな」


 父親は謝りながらちゃっかりと営業もしつつ、私達は手を振るカレルと家族を見送った。

 帰って行ったウサギの家族を見送って、ふとアルクトスに尋ねた。


「ねぇ、アル」

「何でしょう、お嬢様」


 言いながら私を抱き上げるアルクトスの姿はいつも穏やかで、優しい。間近にアルクトスの顔があっても怖いと思わなくなってきたのは、いつからだろうか。


「さっき言いかけたのって、なに?」


 ただ、と彼は言った。その時私に向けた視線の意味はなんだったのだろう。尋ねると彼は少しだけ困ったような、照れたような顔をした。


「家族と言えるのは祖父だけですが。僭越なのは重々承知の上で、申し上げますと」


 大事そうに抱き上げた私を、彼は微笑んで見ていた。


「家族、というくくりに入らなくても、お嬢様が成長して幸せになるのを見たいと。お嬢様の笑顔を見続けていたいと、詮無きことをお伝えしていいものか、迷いました」


 深い慈しみの色をたたえた彼の目が、優しく細められた。

 心のどこかで声がした。「どうして」と。

 アルクトスの言葉が、そこに込められた愛情がとても暖かくて。

 だからこそ、私の胸に突き刺すような痛みが走った。

 ――どうして。


「……お嬢様、申し訳ありません。出過ぎたことを申し上げました」


 抱き上げた私の頬に、黒い肉球が当てられる。悲しげな彼の肩に、私は顔を伏せた。


「ちがう、アル。嫌とか、そんなんじゃなくて」


 そうではないのに、伝えられない。伏せたまま首を振る私の背をあやすように撫でながら彼は言った。


「いいんです。お嬢様。分かっていますから」

「本当よ。アルのせいじゃないの」

「大丈夫です、お嬢様。分かっています」


 ぽんぽんと背中を叩くアルクトスに、それでも私は言えなかった。

 その言葉を嬉しいと、伝えることが出来なかった。




 * * * * * * * * * *




<アルクトスの独白 12日目>


 やっと全快したお嬢様は、どこかに出かけたいと言った。

 ならばと奥様の墓参りを提案したところ、不思議そうに首を傾げた。奥様のことを恋しがっていたのは熱ゆえだったのだろうか。

 旦那様に聞いてみると「あの子は生まれてからずっと手のかからない子だったからなぁ。妻を恋しがる素振りもなかったような。ああでも、5歳のころはかなりお転婆だったね。しょっちゅうバトラに怒られていたよ」と昔のお嬢様の姿絵を見ながら目を細めて言っていた。

 北の森へ行きたいというお嬢様と共に出かけたら、ウサギの亜人親子に出会った。その娘のメーナはまだ幼く、すれ違う私に怯えて逃げてしまった。あそこまで全力で逃げられたのも久しぶりで、思わず固まってしまった。

 その後、無事メーナも捕獲し、安堵したところで兄のカレルに尋ねられた。


「兄妹とかいんの?」


 思わず言葉に詰まった。

 弟妹は、恐らくいないだろう。家族といえるものはずっと、祖父一人きりだった。母親の記憶はないため、恋しいと思うこともなかった。

 ただ、今この手に掴まっている小さな少女のことは、愛おしいと思う。


「さっき言いかけたのって、なに?」


 尋ねるお嬢様を抱き上げて、伝える。

「家族、というくくりに入らなくても、お嬢様が成長して幸せになるのを見たい」と。

 お嬢様は目を見開き、そのまま声もなく泣き出した。どうしてそんなに苦しそうに泣くのだろうか。伝えてはいけなかったのか。


「アルのせいじゃないの」


 泣きながら首を振るお嬢様は、それでも尚その理由を伝えようとはしてくれなかった。私を祖父ほどに信用してくれていたならば伝えてくれただろうか。あるいはこの身が、もし人であれば。

 それこそ詮無きことだ、とは分かっているけれども。



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