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物語を書く

     ☆


 僕の住んでるアパートの塗装をすることになった。アパートの塗装は一〇年前にもやった。別に塗装がはげたわけでもないが、一〇年間隔で塗るらしい。時期は二〇〇四年の四月下旬からだ。

そして当日。まず足場を組むので、足場屋さんがガタガタ組んでいた。それはわずか一日で終了。『たった一日で一二世帯のアパートを組んだんだ。すげえな!』と。職人さんが大勢いたのも理由であるが早いと思った。次は塗装の番。

五月になれば汗ばむ季節である。すでに四月下旬も暑い。塗装が始まれば窓を開けることができない。仮に開けるとペンキの匂いがするだろう。塗装は一カ月間掛かるという。

そのころ無職で何もしてなく、昼間は図書館で本を読んだり、二千円で買った中古ワープロを打ったりしていた。ワープロはノートパソコンより大きく、荷物になるため車で行かなくてはならない。車を駐車できる図書館は、県立図書館になる。僕の家からは車で一五分なので、そんなに遠くはない。

『よし、県立図書館で一カ月通い、ワープロで小説を書くぞ!』と目標を持った。

前から一度、長編小説を書きたかったが実行までには至らなかった。

 実はやりかけのお笑い芸人の物語を、五枚ばかりワープロで書いてある。

 これを仕上げようとなった。枚数は一〇〇枚書こうとした。ちなみにA四の書式が三八行の四〇字。一〇〇枚となれば原稿用紙三八〇枚くらいとなる。ということで毎日県立図書館に通うことにした。

 芸人小説のあらすじはおおよそ頭に入っているが、なかなか書けない。何回も書いてあった原稿を読み返しても続きは書けない。どうしたらいいか?

こまり果てた僕は、いろんな思いついたことを紙に箇条書きした。何でも思いつくことを書いた。これを繰り返していたら、ワープロを打ち出せた。

 頭にあるだけではどうもダメのようだ。 つまりプロットを作ってから物語を書かないと打てないことがわかった。

 今まで本を書いたのは、自分のことなので多少のプロットは立てただけ。

 物語となると人物設定や話し内容の設定を細かくメモしとかないと忘れるし、先に進まない。これは書いているうちにわかり、僕にとって勉強となった。

そして話しの流れがおおよそ固まり、毎日図書館で芸人小説を書いて行く。図書館にはワープロを持ってくる人は僕だけ。ほかの人はノートパソコンだ。初めは恥ずかしさもあったが、毎日来ていると何ともない。輸送にただ重いだけである。

五月は土日以外は毎日通った。土日は趣味の水泳かサーフィンをしていた。金は出ないが週休二日で骨休みにもなる。

そして一カ月がたった。塗装も終わった。足場も取れた。が、芸人小説はまだ完成しない。しかも目標を絶対果たせたい僕は、完成するまで県立図書館に通うことになる。

ここに来る人はだいたい決まった人たちだ。それも男性が多い。二〇歳代や僕を含める三〇歳代、四〇、五〇、六〇歳代と様々である。不況の今はリストラでもされたのか。  

 資格の勉強もけっこういる。あとは仕事なのか何やらノートパソコンを打っている。

そして六月も毎日通った。用紙が五〇枚を越えたときは、『やれるもんだな』と自ら褒めた。

 毎日書いていると自分が物語の中にいるようになる。主人公はもともと自分と似た設定にしていた。が、自分がその主人公だとどうなるか、妄想が多くなった。これが小説家という感じだった。

ここの県立図書館は月曜日が開館していた。以前、市立図書館ばかり行ったときは月曜が休館日になる。そのため、月曜になると、市立図書館によくいた人たちが県立図書館に流れてくる。そんなこともわかった。

知っている人もいた。ある日は中学時代の数学教師が生徒といた。まだ現役の先生なんだと、少し驚いた。この先生は当時、校内一厳しい先生で、あだ名は『プリン』。

僕はその先生に教わっていたが、数学のテストはいつも一桁の点数だった。

プリンには僕から声を掛けなかった。理由は何やっているか聞かれるからだ。無職の僕は何も言えない。

水泳仲間にも会った。仕事での資料を調べ、コピー取りに来たという。仲間は僕が図書館で何やっているのかを知っていたので、説明はいらなかった。

そして、郵便局でバイトしていたときの仲間にも会った。彼の名はA君で僕より年下である。彼も無職のようだ。

A君は図書館に勉強をしに来ていた。今年の四月から通信大学に入学したという。僕は以前、通信高校に行っていた。そのころ通信大学の大変さをうわさで聞いていたので、『レポートに書くことは大変じゃない?』と聞いた。彼は『大変だが、書くのが好きだから』というので、A君は大丈夫と思う。

 通信大学はかなり根気がいるらしい。僕が行っていた通信高校からも、通信大学へ入った人はいたが途中で辞めてしまった。通信高校である程度やり方を知っているのに辞めたくらいだ。理由を聞いたら、『バカ大変』の一言。高校なんて比べものにならないほど、そうとう大変のようだ。

彼は月曜から木曜まで毎日来ている。そのため、昼飯はいつも一緒に食べている。仕事の話しやレポートの話し、僕が書いてる物語の話しなどだった。

A君とは今後もよく会うだろう。県立図書館は資料がそろっているからと言っていた。 

 それに通信大学は四年以上も掛かることも理由のひとつ。僕も物語や随筆をまだ書き続けるだろうとそのとき思った。

七月になり暑さも倍増。図書館の温度は二十八度と固定してある。そんな涼しくないが、その年の七月は猛暑のため、二十八度でもだいぶ涼しい。

A君と昼飯を毎日外で食べるが、館内と外では天国と地獄。それだけ図書館には頭が下がる。

物語も毎日書いていると、だんだん目標の百枚に近くなった。九十枚に入ったときは、『百枚をいくな』と自信たっぷりとなった。そして七月中ごろ、とうとう百枚達成。だが、まだ物語の話しは続いていた。『これは何枚までいくのか?』となる。

まとめに入り出した七月下旬、物語を書き終えた。心の中では感極まった。『ぼくでもできた、今夜は独り祝いだ』となった。

翌日は二日酔いながら、漫才のネタを考えた。それは午前中で終了。ふたりの掛け合いを三枚書いた。

すべてが終わったわけではない。これから嫌な作業がある。それは推敲だ。

間違い探しのような誤字脱字の修正、意味の通らない文の直し、文の簡素化や付け足し、

漢字や表記の統一、ひらがなにする漢字、こんなことをやらなければならない。まして賞に応募をする場合、編集者がいるわけではない。なおさら推敲をしないとならない。

 実はこのころから、何のために挑戦しているのかと思うようになる。誰にも読まれない小説。ただ己の挑戦だった。一か罰かで何かの賞に出そうと意識をしだせば、それならやりがいがあるだろう。

 八月に入り、物語を印字した。それは百三十枚にもなった。こんな書いたのか、と自画自賛した。

 そして渋々推敲に入った。一枚目から赤色ペンが走る。それは真っ赤に染まった。

『こんなに直しがあるとは、自分は何を考えて書いたのか?』と自画自賛から意気消沈した。僕のやり方は原稿に赤で直し、同時にワープロに入っている元も直す。これは結構時間は掛かる。嫌なことにこんな時間が掛かるなら、新たな物語を書きたいくらいだった。

推敲をやり出していたとき、あるオヤジが僕に話し書けて来た。

「僕は翻訳をしているんですけど、おたくも書き手の方ですか?」

と、五十歳くらいの白髪頭で、背は一六〇くらい。弱々しい声で僕にたずねてきた。

「いや、ただ小説に挑戦して書いてるだけです」

と僕はオヤジに言った。

このオヤジは、英語を日本語にする翻訳家で、フリーで仕事を受けているという。たびたび図書館でノートパソコンを開いていたので、何やっているのかと思ったら翻訳の仕事をしていた。

僕からすれば『凄い』の一言。英語がすべてできるわけだ。このときは取扱説明書を日本語から英語にする仕事をやっているという。

このオヤジとは、後々ケンカすることになる。

オヤジと話をしていると、どうも過去に人間関係がうまくいかなかったらしい。輪の中に入れなかったともいう。それは仕事でのリーダー格らしい人間とケンカしたり、仲間に政治の話しを批判したりして話しが合わず、輪に入れなかったという。変わったオヤジだった。

僕は以前、運送会社で働いていたとき、荷物を積み込む場所にそんなオヤジがいた。

そのオヤジははっきりと、共産主義者をアピールしていたからタイプが違う。

翻訳のオヤジは共産主義とは言わない。でも言っていることは共産主義のことだ。政治にうとい僕でもわかった。

翻訳オヤジは山口県からこの夏に移住してきた。なぜかは言わないが、向こうで何か問題でも起こしたのかと思う。以前結婚していたらしく、子供の写真を僕に見せてくれた。

 子供は奥さんが引き取ったらしい。未練があることを僕に言った。

オヤジは僕に、この辺りの情報を聞いて来るのでいろいろと教えてやった。メールでのやり取りもした。オヤジは僕に興味があるらしく、いろいろ聞いて来た。それでエッセイの本を出版した話しをしたら、驚いていた。よけい自分に興味をあたえてしまった。

翻訳オヤジも童話を出版したいらしく、僕に出版の方法など聞いてきた。それと仕事上、頭が固くなるようで物腰のやわらかい文章を書きたいとも言う。

それを僕にアドバイスしてもらいたいようだ。内心『おまえの方がプロじゃん』と思った。僕は自分の頭で文章を書いている。それが個性じゃないのかと思うので、人に教えることはできない。プロならばそれくらいのことはわかっているはず。

オヤジは雑誌投稿も好きで、よく載るという。まあ、文章はうまいからネタがよければ載るだろうと思った。ネタは何か聞いたら、政治批判だった。どんな雑誌に投稿したかも聞いたら、政治批判の雑誌らしい。それならよけい載るだろと、突っ込みたかった。

僕は推敲をやりながらオヤジが話してくるから、はっきり言って邪魔だった。休憩してるとオヤジは寄って来て、政治批判話しばかりしている。さすがに僕は参ったし、つまらない。 度々話し掛けられるのでこのオヤジの癖も発見した。話ながら髪の毛をいじって、抜けた毛を気にしている。ここまでは僕も経験済みだが、このオヤジは抜けた毛をなんと胸ポケットに入れるのではないか。

その行為は何回見ても抜けた毛を胸ポケットにしまう。オヤジは僕の目が気になんないのか。気色悪くなった。自宅できょう一日何本抜けたかを数えているのだろうか。それか抜けた毛を大事に保管でもしているのか? 考えただけでも気持ち悪い。つまりオヤジの服は胸ポケットがないとダメだ。そう思うと、いつも彼の服はYシャツのようにポケットの服だった。ポッケのないTシャツは着れないだろうなと。

 ある日、推敲中またオヤジは話しかけてきた。よく自分のことを『天涯孤独』と連発している。このときとうとう頭来て、『おじさんは天涯孤独じゃないよ、結婚もしたし子供もいるのだから』と言った。

オヤジは年下に言われたのが気に入らないのか、いいわけがましいことを言った。家に帰ってからまたオヤジは、いいわけがましいメールを二通、送って来た。

 そんなに気にしなくていいのにと思う。

 翌日、オヤジからメールが入っていた。そのメールを読むとオヤジの態度が一変して、怒りのメールになっていた。『何だこのオヤジは? 態度がやけに豹変するな』と。

翌日からオヤジはしばらく顔を見せなかった。オヤジは図書館の近くにアパートを借りていたので見に行くと車がなかった。こんなことで怒り傷心旅行へでも行ったのか。

一回目の推敲が二週間掛かり終わった。かなり直しはあった。もう一回やろうと嫌々ながら二回目に突入。

八月のお盆が過ぎたころ、図書館に行きがてらオヤジのアパート前を通ってみると車がある。帰って来たのかと思い図書館へいった。A君には事の成り行きを話していたので、少し驚いていた。A君はオヤジが実家へ越したと思ったからだ。

そして午後になったらオヤジが現れた。オヤジは僕に手を挙げた。が、僕は無視をした。

このオヤジにはかかわらない方がいいと思った。メールで怒っていた態度がまた一変したので頭にきた。たぶん、こんな性格だから仲間の輪に入れないのだと思う。

 その後、オヤジをあまり見かけなくなった。たまには見かけたが一切話しをしない。

二回目の推敲は一回目よりは楽だった。でも十日くらいは掛かった。二回目も直しがかなりあったので、三回目もやろうと突入した。推敲に慣れてきたのかもしれない。

三回目の八月下旬に思いがけない人にあった。それは通信高校時代の担任の先生がいた。

はじめは似ていると思い見ていると、目が合った。向こうもこっちを見ている。そしたら先生は僕に『よう』という。やはり先生だった。

先生は図書館の近所に住んでいる。たしか東京の本校で教頭になったと聞いた。先生にたずねると、やはり教頭という。『凄い出世したね先生』というと、『当たり前だ』と返した。相変わらず、冗談の聞く先生。僕の本も少し読んだとも言ってくれた。

 今はワープロで小説書いてるというと、『ワープロ? パソコンじゃないの』という。

やっぱいまどきワープロはめずらしい。『それはいつ出版するの?』とも聞いた。これは、賞に出すんだよと先生に納得させる。先生は年とともに老けたが、元気そうでなによりだった。

九月二日に三回目の推敲が終わった。直しはまだあった。では四回目もやるのかというと、考え中である。

僕がどんな物語を書いたのか、内容を知りたいことだろう。というわけであらすじはこうだ。


〈『若手芸人』。芸人をめざし、静岡から上京した主人公の高山正義。芸人を多数抱える大手プロダクション経営の芸人養成学校に一年間通った。そこで山口英之と知り合い芸名ガッツマンを結成。 養成学校の卒業ライブでみごと合格となり、所属芸人となる。新宿コミネ劇場が主な仕事場で、ソバ屋のバイトと平行して生活をする。

あるとき、山口を好む女性が現れ、彼女とわずかな同棲をしたが、身内の脅迫状により別れるはめになる。

その後、テレビ関係者が集まる半期に一度のコミネ劇場で、ガッツマンは関係者の目に止まり、テレビのレギュラー番組に起用された。それに地方営業の仕事も増えた。ソバ屋のバイトは配達が主。芸人仕事が増えたため、バイトを減らす。そんなころ、高校時代つきあった良美と再会。離婚歴のある良美は積極的に正義へ近づき、再度つきあうことに。

しかし、良美は過去の結婚生活が原因で内なる病があり、自殺未遂をする。正義は彼女の過去を忘れさせるくらい愛をそそぐ。

その後、芸人仲間と刺激しあいながら、ガッツマンは徐々にステップを踏んだ。だが、あるときからスランプになり、長年勤めたソバ屋を辞めた。食べて行くにはこまらず芸に磨きを掛けるが、不注意によりチンピラにからまれ入院。芸の感がなくなり、やる気が失せる。親しい飲み屋の女将が、正義の気性に火をつけた。女将のお陰で立ち直りレギュラー番組も増え激走中となった。だが山口は後輩にそそのかされ少女に淫行。仕事も干され、八年続いたガッツマンは引退。次の人生に正義はソバ屋の見習いに、山口は地元でタクシードライバー。今後良美と結婚をしてソバ屋を開く夢を持つが、芸もあきらめない〉


こんな内容である。これを二千円で買ったワープロで書いた。しかし、書いてるとき画面に線が三本出てしまい、寿命が近いことを知った。二千円でこれだけ書けば、かなり元を取っただろう。

さて、賞に出すのだけれど、応募規定がうるさいのはやめておく。何行の何字書式や何枚以内など。自由に書けないからだ。印字するときの設定が、よくわからないのも理由だ。

物語は初めての試みというわけで、三十九歳にして新人賞に出そうと思う。

僕の物語は推理やミステリー、ハードボイルド系ではない。ただの文学になる。

そうすると新人賞は『小説すばる』、『群像』、『すばる』、『小説新潮』などの月間小説連載誌から探してみる。

でも枚数が少なかったり印字の書式が決まっていたりとなかなかない。ただひとつ見つけた。それは『第一回新潮エンターテイメント新人賞募集』だった。『小説新潮』からである。書式規定がなく、原稿も七〇枚から四〇〇枚までとちょうどいい。

 僕の芸人小説を原稿用紙に換算したら四〇〇枚以上あった。『やばい』と思い、削る文章を探すとそんなにない。こまったが第一回というところが自分と似ていて、これにしたい。つまり枚数を三九六枚にして、梗概をつけて応募することにした。

だいたい用紙換算五〇〇枚くらいあるがバレるかな? やっぱバレそうだよな。

そう思った僕はもう一作品書くことにした。今度は一二〇枚くらいのミステリーにしようとなる。どんなストーリーにするかを考えた。ちょうどネタの多い花やの友人Tと毎日メールをしているし家庭に詳しい。

人物設定や主役は花やの主人Tにした。だが名前は全て変えるつもりだ。ストーリーはこんな感じである。


〈『裏目の新人』。飲みに行った帰り、神社で松山辰男と村上憲二は文学のことで言い合っている。お互いは文学の新人賞を目指す仲間だった。頭にきた花やの主人辰男はまだ二四歳の村上を勢いあまり絞殺してしまう。事の重大さにあわてた辰男は村上を山に埋めた。

辰男は松山生花店の主人。かかあ天下の妻、和子とは毎日ケンカ。子供も小学生男の子が二人いる。辰男の父、母も健在。三年前に古いノートパソコンを貰ってから文学に目覚めた。図書館で定休日に新人賞を目指し文を書いている。二年連続落選。そのころ、図書館で村上と知り合う。バイトをしながら毎日図書館で新人賞を目指し、親父から貰ったワープロで文章を書いていた。

村上は初めて応募で二次選考まで行く。そんな村上を辰男は気に入らない。

辰男の三年目の応募はミステリーで村上を登場人物で殺す内容を書く。だが、殺人のシーンにリアルさがかけていた。村上は辰男より研究熱心で常に負けているため彼を生意気に思っていた。飲みに誘い、殺すつもりはなかったが、絞殺した。

警察の捜査で辰男が浮上。逮捕された。作家の卵殺人事件とし、世に震撼させた。村上が殺される前に応募した作品が世に光り出版。たちまちベストセラーとなる。

刑務所で懲役一二年の辰男は殺した反省を村上家に手紙で謝罪。遺族も心ある人で辰男へ村上の本を送った。内容に辰男が登場人物でよき主役だった。辰男は無念。そのころ、辰男にも現在の気持ちを出版しないかさそわれ出版。世に謝罪をした。刑が満了後も辰男は村上のことは忘られなく背負い、また新人賞に挑戦の気持ちもある〉


という内容にした。 当然フィクションであり架空の名前。

実際、Tが殺人をするわけないから架空である。Tの心は僕の心で書いた。

自分の心にある根底部を思いながら書いた。花やとT家族は真似たのだ。

この物語を大体原稿用紙換算すると一二〇枚くらいだ。芸人より短いからまだ話しがあやふやにならなかった。『若手芸人』だと、あらすじをしっかり立てないと話しの内容がおかしくなった。すると推敲が大変になる。

やはり、どちらを出すかは一〇月時点迷っている。なぜかというと、ミステリーは失敗したからだ。ミステリーはミステリーなりの作法があった。冒頭に事件を持ってくることや、話を何年も前に回想したり、何カ月も先に飛んだことなど。短編は二日から一週間くらいが作法らしい。そのため、『裏目の新人』は考え中だった。今から大幅な直しをするなら、もう一作品書いた方が早い。たぶん、『若手芸人』を枚数にうそを書いて応募する。

 作法を間違えたお陰で勉強になったがこれはいいことだろう。力をつけるなら作品を書いた方がいいと自分に言い聞かせた。

例のオヤジのこと。九月中頃、また僕のところに話しかけてきた。うんざりしたが、少し冷めていたから話しにつきあった。

オヤジはパソコンのアドレスを変えるから、僕の携帯のアドレスを送ってくれとのことだった。この時点で僕のアドレスがオヤジのパソコンから消されていたを知った。自分も消したからいい。でもオヤジには二度と送りたくなかった。

一週間くらい送らなかったら、僕のとこに寄って来て、どうしても試したいから送ってくれとのこと。文章を書いていたから、じゃ後で送るから今はむりというと、ここで送ってくれという。だから今はダメだと強く話したら、やっと納得した。しつこいオヤジで困る。

家に帰りしかたなく自分のアドレスを送信した。するとすぐ返信が来た。

ある日、オヤジが図書館でまた投稿作を僕に読ませた。それなりに感想を述べたら、オヤジはその時点は『ああ、そうか』など僕にあいづちを打っていた。

ところが翌日の朝、オヤジから『わしはそう思わない……』など反論をメールでよこした。頭がきた。なぜメールだ。それも昨日のことをいまさらだ。僕はムッとして図書館に行き反撃してやろうと。だがオヤジは来なかった。

それから数日オヤジに会わない平和な日々だった。だが、メールがきた。『のりちゃん、わしは昔文章講座を教えていた。生徒も五、六人教えていた。のりちゃんなら割引きで教えるから……』とメールが来た。何を考えているのか。文章は悪いかもしれないが、日々のトレーニングで自分は上達しているつもりだ。オヤジの表現と僕の表現は違うだろうし、わざわざ教わらなくてもいい。それに金も掛かる。

いったいオヤジは何なんだ、と。ただの営利目的で僕に近づいたのか。勝手気ままなやつだ、本当に。

その返事を返さなかった。そのためメールは今のところ来ないので平和な日々である。

結局『若手芸人』は五百枚以内を探し文藝春秋の〈松本清張文学賞〉、『裏目の新人』を〈新潮エンターテイーメント新人賞〉に応募。当然二編とも一次通過もせず落選だった。

 これがアマチュア小説デビューである。

 しかしながら今年から投稿デビューできた。そんなサイトは知っていたが、パソコンの操作が苦手で、なかなか投稿しなかった。それで何作もだれにも読まれず、ただ送っては落選を繰り返していた。

 いざ投稿してみると、そんなに大変ではなかった。いままでワープロから始まり、パソコンワードも自力で覚えた。その頃のほうがまったくのチンプンカンプンだった。日々精進しているのかもしれなかった。

 二〇一五年七月現在。あれから一一年も小説を書いた。いまだ目が出ていない。『若手芸人』から長短含め三十七作も書いた。一次通過もせず落選ということは向いてないのかもしれない。そんなことを思いながらまた暇になると書いている。

 小説家になろう、はすでに小説家になったのかもしれない。すごく作家の多いサイトを知った。評価ももらえとても感謝をしている。




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