水泳大会
三十代のころの大会です。現在のことだったり古かったりと順番がバラバラですいません。
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二〇〇二年十一月三日に『県民スポーツ祭』という水泳大会に出場した。大会は小学生から一般人まで出場できる幅広い大会だ。
水泳で知り合った岩さんに大会に出てみないかと、持ちかけたらOKとなり出場してみる。エントリーするにあたってぼくと岩さんは三十七歳。三十歳以上四十歳未満の箇所に、四種目のクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの中から五十メートル競泳のみエントリーできる。
ぼくはクロール五十と背泳ぎ五十に出る。岩さんはバタフライ五十に出場で、岩さんの息子ナユ(小六)も出ることになった。ナユはクロール五十とバタフライ五十に出場する。ナユはスイミングに通っていて、大会経験者でもあった。
大会当日、ぼくと岩さんは初出場で少々緊張ぎみだ。会場の西ヶ谷県立水泳場は朝からスイミングクラブや中、高校生達、一般人でごった返していた。
ぼく達のような無所属だと、県立水泳場に所属して出場することになった。
早速、プログラムをもらって自分達の出場するページをめくり探した。
すると岩さんが声を上げた。それは三十歳以上四十歳未満の背泳ぎ五十の出場者が三人しかいないのだった。上下左右見ても自分を入れて三人しかいない。
「いいな浜さん、賞状がもらえるよ」
と岩さん。なんと、三位まで入賞すると賞状がもらえるのだった。
岩さんやナユの出場する種目は何組もあり、自分の出るクロール五十も何組かある。ほぼ各種目多人数であった。
ぼくは運よく、背泳ぎ五十を初出場で初賞状になるのだろうか。
そして、水着に着替えアップ場で軽く泳ぐ。アップ場は通常十メートルの飛び込みを行う場所で、水深がかなり深い。小学生達は深いとこまで潜っていた。
ぼくとナユも負けずと潜って遊んでいた。ほとんどアップしていない状態でナユが出番になったので、招集所へ向かった。そして彼のクロールを観察。
クロール五十は速かった。だがタイムは納得していなかった。
次は自分。だんだん緊張してきて、大をしたくなりトイレへ向かった。
ぼくは緊張すると大をしたくなる癖がある。
招集所で順番を待ち、いよいよ出番だ。もうトイレは行けない。
「位置に付き、ヨーイスタート」
初出場、無我夢中で泳いだ。タイムは三十一秒二六。自分では文句なしのタイム。速報を見に行くと、二十二人中十五位だ。一位は二十五秒台で三十歳代。
なんといってもみんな速く、改めて大会の強みを知り得た。
ナユのバタフライ五十も速かった。タイムも三十八秒台でいいが、上には上がいて賞状までは届かなかった。
岩さんも、初出場バタフライ五十を泳ぎ切っていた。見ているとみんな速く三十歳代とは思えない。岩さんも快速負けと言っていた。
バタフライ五十の男子六十歳代のとき、一人しかエントリーしていない。その人は一人で泳ぎ、タイムは三十秒二四。観客から大声援をされ、ぼくらも感動した。水泳界はすごいのだと改まった。
昼食を挟み、すぐ背泳ぎが招集された。腹が張って重い感じだった。
一般の部背泳ぎは比較的エントリーが少なかった。二十代で二組まで、三十代は一組、四十代も一組、五十代、六十代も一組ずつだった。人気がないので逆によかったかな。
小人数のため早速、自分の番だ。三人が位置についた。
ヨーイスタート。
また無我夢中になる。二十五メートルの折り返しのときはビリだった。ゴールも当然ビリ。思っていた通りの三人中三位だ。タイムは四十秒四六。自分は初大会で満足であったが。
この三人中の一位は三十一秒台、二位が三十六秒台で三位が四十秒台と、そのときは松竹梅という名称が浮かんでしまった。
そして四十秒台でも賞状が出るのだ。
賞状は、自分で事務所にとりに行ってくる。なんか恥ずかしいなと思っていた。
そして、帰り際に事務所で、
「あの、背泳ぎで三人中三位ですが、賞状をもらいにきました……」
岩さんやナユは笑って聞いている。『三人中三位』と言ったことが、おかしかったらしい。事務所の人も少々ウケていた。三位の賞状をもらったときは、やっぱ嬉しかった。生まれて初めての賞状が、小学三年生時代に嫌いな水泳の入賞賞状だったから。
今大会に出場して一歩前進した。三位になったのは、たまたまだけど腰痛のため始めた水泳で大会に出場するという意志が大事な感じ。何かにチャレンジするということに、最近喜びが沸いてくる。
この意気込みだと、また出場する可能性があるのではないかと思えば、文学賞への挑戦に変わっていた。
初めての賞状を戸川先生に見せるとなんていうのかな。いまごろ見せに来るなとピンタか。