表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/104

オーディション

二、オーディション


映画『男はつらいよ、寅次郎』の寅さんが好きである。ファンになったのは遅く、十八歳の時からだった。

『寅さん』という名前は小学時代から知っていたが、映画やテレビで放映した時など子供ごころで面白くないだろうと思い観なかった。中学時代に友人らは寅さんの映画を観に行っていたが、僕は興味が沸かず観に行くことがなかった。

東京に住んでいた十二月の暮れに年忘れ映画を夜中に五日位放送していた。それが『男はつらいよ、寅次郎』であった。

それはどんな感じかなと思い観てみた。初回は演さんのキャラクターが良く解らず、観察する感じで観ていた。所々面白かったが、まだパッとこない。翌日も観た。そしてまた次の日も観た。この演さんにはパターンがあることを知る。その時、ちょっと演さんにハマってきた。


「寅さんって人情があって、おもしろいなぁー、今日も観るぞ」


と、つぶやいていた。

そして残りの二日間を観た頃には、また次の寅さんシリーズをまた観たい気分で一杯だった。『男はつらいよ、寅次郎』のパターンや出演者のキャラもわかってきて、すっかりファンになっていた。

その後、度々テレビやレンタルビデオで観ていた。そして、寅さんシリーズ最後の映画はたまたま劇場で観たのだ。まさか最後になるとは思っていなかったので、映画館で観ていて良かった。渥美清さんが亡くなって、僕と友人カニエイは演さんの故郷、葛飾区柴又に行ったりもした。全く映画と同じで、何か久々に感動していた。

今でも寅さんのビデオをよく借り観ている。寅次郎が度々しゃべる、たんか売が気に入り覚えた。たんか売とは『国の始まりは大和の国なら島の始まりは淡路島、泥棒の始まりは石川の五右衛門で……』と長く続く。

このたんか売はビデオを何回も観てノートに書き、口で何回も練習して覚えたのだ。好きな事なので集中し直ぐできた。これが強制的だとなかなか覚えないことだ。

渥美清さんが亡くなっても演さんの映画をよくテレビで放映している。その度、ビデオに録音していた。何回も見てると自分が寅さんになりたいと思うようになっていた。

映画に出るにはオーディションを受けなければならない。たしか本屋に『デビュー』という雑誌があったのを思い出していた。とりあえず本屋に行った。

本屋に来たら女性雑誌コーナーにその雑誌はあった。その名もズバリ『オーディション』という雑誌だ。

四十分位立ち読みをした。映画やVシネマのキャスト募集が少しあったが、いずれも年令が合わなく応募が出来なかった。僕はこの時、三十六歳で年が行き過ぎていた。翌月号に期待をする。

しかし、応募出来るのは無く、また翌月を待つことにした。

真夏にTSUTAYAに行き『オーディション』九月号があった。期待して早速、立ち読みをした。いつも一ページずつ観ている。結構、集中して観ているのだ。

そしたら、紙面がカラーの所に当てはまるのがあった。募集要項は映画(小劇場)で男女不問、年令が四十歳までプロ、アマ不問とあったのだ。僕はすぐその雑誌を買った。 帰り自転車を乗りながら、ちょっと疑問があった。それはプロ、アマ不問という点だ。

プロとアマを比較したら、やっぱプロの方が経験を積んでいる。自分のようなアマチュアでも大丈夫かと、演さんになりたい三十六歳がいきなり弱きになった瞬間だ。そして夜、雑誌に付属のオーディション用紙を書いた。志望動機には渥美清さんに憧れと、書いた。写真も二枚同封となっていた。

翌日、友人に写真を撮ってもらい三日後、一次審査に応募した。

映画といっても小劇場で公開らしく、全国公開ではない。初体験で年もとっているので良しとした。キャストも数十名の募集だ。

二週間後、結果が来て一次通過した。二次は東京に行かなければならない。ちょっと考えたが、行くぞと気合を入れた。

九月中旬、各駅JRで東京まで行き、乗り継いで世田谷に行った。会場に着くと数人、二次を受ける人達がいる。受付の女性に名前を言い三千円払い、二次審査内容と台詞の用紙をもらう。

なぜ二次審査に数人だけかと言うと、各人時間指定だからだ。自分は午後一時三十分で、審査を待っている時はかなり緊張していた。

そして僕を含め四人の名前が呼ばれた。広い会議室位の部屋に入ると、ビデオカメラを撮る人、監督、女性プロデューサーの人達がいた。その前にパイプ席が四つある。いかにもオーデイションという感じだ。

そして始まった。まず自己紹介や志望動機を一人ずつした。当然、寅さんに憧れたことを言った。次に台詞用紙を見ながらセリフを言う。かなりの緊張でセリフをかんでしまった。

次に即興性を見られた。僕がおでん屋台のオヤジでもう一人が客という設定だ。そしてよーいスタートで演じる。感想は変だったが、なんとか演じた。それで最後に監督やプロデューサーに意気込みを言って終わった。時間にすれば十五分位だったかな。

二次審査はこんな感じなんだと思い、各駅電車で清水まで帰った。

なんと、三日後に結果が来た。二次は落選だった。やっぱりなぁと思って、二次に行けただけでも良しとした。

それから二カ月後、オーディションを受けた事務所から封書が来ていた。内容は短編映画のオーディションのお知らせだった。それも二次審査からだった。一次の書類審査は前回通っていたからだと思う。

 よし受けるぞ、と意気込んだ。

早速、製作事務所に二次審査の日取りを決めて申し込んだ。ちょうど、誕生日の過ぎる十二月中旬で三十七歳の時になる。

今回、二次審査を受ける映画の募集要項は次の様だった。

三十分の作品を三本集めたオムニバスの短編映画。

応募資格、十五歳 六十歳までの男女でプロ、アマ不問。

募集キャスト、たぶん男女合わせて、三十人位だと思う。キャスト名を数えたらその位だったからだ。

そして、今回は三次審査もあるのだ。それはワークショップである。芝居の基本や人間性、個性を監督に観せるのが八回あること。週一回で二カ月に及ぶのだ。以上が募集内容である。

オーディションの日が来た。会場が前回と同じ世田谷区だったので安心だ。また同じく各駅電車で東京に行き、都内の電車を乗り継ぎ会場に着く。自分は午後二時からだった。会場には、やはり時間指定での審査らしく、数人いただけた。また審査料三千円を払う。

今回は、二回目とあって緊張さが前回より無かったつもりだが、名前を呼ばれた瞬間は一挙に緊張した。

そして、広い会議室に入り三人で審査を行った。自己紹介、志望動機、台詞用紙による、実技テスト、意気込みやPR。その中の志望動機の時、前回と同じく寅さんに憧れてることを言った後、寅さんのたんか売をやっていた。何かアピールしようと、とっさにやったのだろう。口が勝手にしゃべる感じであった。

二次審査も終えて帰りの各駅電車の中で、演さんのたんか売を言ったことが良いアピールになったと思っていた。

そして一週間後、結果が来た。二次通過だった。喜んでいた自分は直感寅さんが良かったと感じていた。と同時に、三次のワークショップは金が掛かることを知る。

ワークショップ参加代四万円。それと毎週の通い代である。ワークショップの会場は世田谷区上馬。東急田園都市線の駒沢大学前で降りすぐの所。レッスン時間は午後六時から九時の三時間である。

郵便配達のバイトが一時に終わるので、行きは各駅電車で行けるが帰りは新幹線になってしまう。割高だが各駅より早く帰って来れるから良しとする。

そして、週一で合計八回のワークショップ初日の日が来た。バイトが終わり、金券ショップで少し安い東京までの切符を買って各駅電車に飛び乗った。

車中では、一体どんな人達が来るのかと思ったりしていた。舞台演技やテレビ俳優の経験者がいるのだ。未経験者もいるだろうが、ちょっと緊張ぎみであった。

清水ー品川ー渋谷ー駒沢大前。

道中およそ四時間で着いた。どんな会場かと思っていたら、小さなビルの三階で約三十畳位の部屋だった。壁沿いにパイプいすがコの字形で二十五、六席あり各自空いてる所に座って時間を待つ。時間は十五分前で数人いる。自分は端に腰掛け、その顔振れをチラチラ観察していた。六時近くなると席が埋まって監督が現れた。


「おはようございます」


と、みんな業界用語であいさつをした。それから全八回あるので、みんなの顔と名前を覚えようと言うことで、自己紹介を端からすることとなった。それは自分からだ。緊張の中いっぱいで自己紹介をした。

そして次は何をやるのだろうと思ったら、一人々の即興性を観るようなゲーム感覚での演技。少しきついが他の人のを観てるとおもしろい。自分は演技の経験が無い。このワークショップ自体をきついものだと思っていたので平気だった。

そんな感じの演技を二時間やり休憩を取り、ワークショップ用台本を渡される。四枚あり二人の会話が脚本されていた。この台本がワークのメインになるのだ。

監督は二人一組で台本の一ページ目をみんなの前で読ませた。感情を付ける人や棒読みの人、声の小さい人と様々だった。僕は棒読みになっていた。

台本読みが全員終わり九時を回っていた。ちょっと焦っていた。理由は最終の新幹線に間に合うか心配だったからだ。

そして監督は宿題をみんなに与えた。台本一ページ目の暗記と自分の生い立ち、過去での一番の衝撃を監督からもらったノートに書いてくること。『えっ』となったがアピールになるので、書きまくるぞと思った。

一回目が終わり何とか新幹線に間に合った。その車中で宿題の生い立ちを汚い字だが書き終えた。僕は台本の一ページ目を覚えられるかは不安が大有りであった。

結局僕は、二回目の上京日まで台詞を暗記出来なかった。会場に着くと各自、声を出して台詞を練習している。僕はそれがプレッシャーになった。

二回目も先週と同じようなゲームの様だけど、皆のアドリブや個性を重視した人間性を監督は観ていた自分は先週と同じ端の席にいる。先週いたが今回いなかった人もいた。  最後の二人一組の台詞読みで結構覚えてない人がいたので、ちょっと安心していた。一組ずつ台詞読みに入るので時間が掛かる。

自分の番も終わり、時計はまた九時を回っていた。先週知り合った水戸市から来ている川さんと目を合わせた。僕は十時七分の最終新幹線で川さんも十時数分のに乗りたいらしい。

台詞読みが他の人と変わる時、川さんが監督に『電車の時間があるので帰りたいのです』と言ってくれた。続いて僕も手を上げていた。そしたらもう二人いて早速みんなに『お疲れ様です』と言い会場を後にした。

川さんはレッスン時、隣の席にいて年令は僕より一つ下だがみんなの中で一番、年が近い人だ。そして川さんはプロ、アマどちらかと言えばプロだった。東京駅まで帰りの電車の中で、今週土曜七時放送の事件番組に再現ビデオに犯人役で出演するので観てくれとのこと。

僕はビックリしていた。川さんはバイトの傍ら芸能事務所に所属しているらしい。しかし、所属していても俳優の仕事がほとんど無く、芸能だけでは食べれないとも言っていた。それでバイトもしているのだ。

東京駅に着き川さんが出る番組を絶対観ることを約束をして川さんと別れた。

新幹線の中で僕は川さんのことを思い出し、芸能の世界でも水面下で努力している人達がたくさんいるのだとつくづく思った。芸能で売れるということはすごいことで、一握りしかいないのだなとも感じていた。川さんと知り合ったことが勉強になった。

そして、いよいよ川さんの再現ビデオ放送の時間だ。一本目の再現には出なかった。二本目を観ていたら川さんが出てきた。


「あっ、川さんだ!」


と、思わず小声を出していた。僕の顔は川さんの犯人役を観ながらニヤけている。セリフはなかったが、悪人を演じている川さんは流石だった。

三回目のワークショップ会場に着いた。前回同様みんな台詞の練習をしている。毎回同じ端の席に座る。もう六時近いが隣の席が空いている。川さんの席だ。

犯人役の再現ビデオの話しをしたくて川さんの登場を待っているのだ。しかし、六時を回ってしまい監督が来てレッスンが始まった。川さんどうしたのかなと、心配してた。結局、川さんは休んだ。先週そういえば、風邪をひいたことを言っていた。来週には元気になっているだろう。      

毎週水曜日四回目の上京。結構慣れていた。毎回同じ時刻の熱海行き電車に乗り、熱海で乗り換えて品川に四時三十分ごろ着く。そして駅構内の立ち食いそば屋で遅い昼食を食べ、駅構内の何時も混んでいる本屋でちょっと立ち読みをして山手線に乗る。十五分位乗り渋谷駅で降り、田園都市線に乗り換える。この田園都市線に乗るとき、時間が五時を回っているからだと思うが、大混みである。ギュゥギュゥで若い女性もいる。変な心は出るが良心は健在だ。そして駒沢大学前で降りちょっと歩くとワークショップ会場だ。

着くと、相変わらずワーク用台本の台詞をみんな声を張り上げ練習している。靴をスリッパにはき換えいつもの自分の席に行くと、川さんがいた。


「川さん、先週どうしたの?」


「いやぁー、風邪で熱が四十度位出て顔もはれちゃったのですよ。行きたかったけど体が無理でした」


と、川さんは来たかったらしい。元気に回復したようだ。このワークショップは三次審査で八回あるが毎回々がオーディションな訳だ。その為、一回休んでしまった川さんは残念がっていた。その残念がっていた川さんの話しを聞いている時、流石プロフェショナルだなと感じていた。

そしてこないだ観た再現ビデオの話しを弾ませていた。僕は質問をしていたが、六時になりレッスンが始まった。

今回は、ラストの台本読みを四ページ全部覚えて来たのだ。自分でも無理かと思っていたが、台詞を二役分覚えたのだ。そして休憩の時に川さんと二人で練習をした。川さんはスラスラ台詞を覚えていたが、自分は途切れていたりして、暗記した割りには一杯一杯で会話になってなかった。

そして台詞読みの時間になり、僕の番になった。やはり会話になって無い感じであった。 だけど自分では台本を暗記ができ、みんなの前で台詞読みが言えたことが満足であったのだ。

川さんとの帰り電車の中、また川さんからビックリ発言があった。最近レンタルされてるヤクザ映画『義戦四』、『鯨道十二』のVシネマに若い衆役で出演していると言う。 僕は驚いた。川さんはVシネマにも出ていたとは……。

東京駅で別れる前にVシネマを観ることを約束して別れた。新幹線の中では川さんのヤクザ演技を早く観たい気持ちであった。

翌日、三店舗目にして川さんの出演ビデオ『義戦四』があって借りる。『鯨道十二』は無かった。そして家で早速、観だした。

主演の俳優には有名な人が出演している。有名人と一緒の映画に出てるのだと関心してた。そんな時、川さんが出た。髪はオールバックだ。ケンカのシーンでなんと殺された。しかし、川さんは別のケンカシーンにまた出てきて、死んでしまった。そのような役だった。そして、もう二回位セリフありでの出演もしていた。

映画での川さんは脇役ではあったが、僕にはとてもカッコよく感じられていた。

翌週のワークショップでビデオ映画を観たことを言ったら、川さんは少々テレ笑いをしていた。川さんって俳優なんだね、と言ったら、


「えっ? 僕は俳優なんですよ」


僕は当たり前のことを言ってしまい、川さんに申し訳なかった。

五回目のワークも終え、帰りに映画の撮影時のことなど質問したりしていた。あまりにも聞き入ってしまい、東京駅を過ぎてしまった。川さんは上野で乗り換えなので笑っていた。僕は神田駅で降り、川さんと別れ東京駅に戻り、急いで新幹線に飛び乗った。息は切れかかっていた。

そして翌週、翌々週のワークも何とか終え最後八回目の日になった。バイトを午後一時に終えて清水駅から電車に乗った。今日は緊張している。何故ならば、カメラテストがあるからだ。

ワークショップ用台本での台詞読みや演技をカメラで最終審査するのだ。       

山手線の停止でギリギリ六時前に世田谷の会場に着くと、みんないつものように練習していなく何故かおとなしい感じだった。

そしていつものウォーミングアップが始まった。みんな緊張が解れてきたようだ。

今日のゲーム感覚の即興演技は一時間で終わり、カメラテストに早変わりした。監督はまず順番を決めた。 

なんと自分は一番目を志願した。理由は緊張感がダメだった。早く終わらせたい性格の男だからだ。

そして、監督が最初の人どうぞと言われ、演目しだした。最初のセリフはいつも緊張で入るが、台詞の二ページ中ごろから緊張が自然と解れて、演技もまあまあかなって感じで終了した。

僕が終わり、次の組が進む。だけど皆にがく然とした。

他の人はキャラを作って演技していたのだ。自分は普通の演技で、なんのキャラも作らず演じたのだ。やっぱ他の人のを観ないで一番に演じたことを後悔していた。

川さんは笑い人キャラを演じていた。この笑い人キャラを観ていて自分の方が爆笑してしまった。先週は川さんらしく、ヤクザ人キャラを演じて迫力があった。川さんはマジで役者だ。

僕が思うに川さんは必ず映画の配役に選ばれると感じる。みんなの中でも一風違う不思議な演技をするからだ。僕と川さんはライバルなのに自分はかなり落ちている。理由は解ると思うが、川さんにはどおしても追いつけないのだ。負けを認める。

最後のワークショップも終わり、監督にあいさつをして会場を出た。川さんと東京駅まで最後の会話をして別れた。新幹線の中で八週に渡ってのワークショップをよく一回も休まず通ったなと、独り自我自賛していた。後は結果待ちである。

四月中旬、文書で結果が来た。こんな感じの文書であった。『今回は、ワークショップ参加者の中より七名を決定、また二十名を今後キャスティングする可能性のある合格者として選出致しました。貴方は、今回合格者としてキャスティングの可能性が残っております。結果は、できるだけ早くお知らせ致しますが、台本の進行上六月初旬になりますことをご了承下さい。以下省略』

なんと、自分が最終の二十名の中に残ったのだ。最初に述べた七名は多分、配役が決定したことである。そして、監督は残り二十名の人物を思い出しながら、台本を書きキャスティングしていくのではないのかな。

川さんは多分、最初の七名に選ばれたと感じている。自分もせっかくここまで来たのだから、絶対に選ばれたい気持ちである。最後の結果を待っていた時、どおしても川さんのことが気になり携帯に電話した。

川さんは二十名の中の一人であったのだ。僕はおかしな感じになっていた。川さんの演技を八週に渡り観ている時に、いつも流石だと思っていた。そんな川さんは絶対に決定の七名に選ばれていると思っていたからだ。

僕が同じ二十名の中にいることは不思議な感じだが、勝ち抜いた嬉しさもあった。自分が残っているのを幸運と思い、最後の結果を待つことにした。

月日が経ち八月である。七月下旬に連絡通知が来た。『shogyo無joe』の撮影は準備等の関係で、八月下旬となった。まだ希望があるので配役が来ることを祈っている。 配役に至らなくても、補欠であるが合格したことで素人の自分は良しとする。僕の役者デビューがあるのか楽しみだが。

そして九月下旬に映画製作プロダクションから通知が届いた。すぐ封を空け通知を読む。


「なんだ、クランクアップしていたのか」                   


 思わずつぶやく。映画の撮影が終わったことと、配役されなかった内容だった。あまりの待ち期間の長さに、ショックはなく『まあ、そうだよなー』といった感じであった。自分は経験なしのアマチャンだ。 三十七歳のいい思いでになったことだと決めた。これを好機にまた何かチャレンジしていく自分だろう。通信制の望星高校の様に星を望むことだ。


追加、その後川さんは『情熱大陸』に出演していた。そのときは目を見開いてしまった。舞台で演じていることや、家庭を持つため深夜の仕事の映像が流れた。すごいなぁ、川さん、まだ劇団やっているだろう。

よく補欠合格しました。それだけでも受けたことがよかったです。寅さんがよかったのかな~。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ