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病気

病気


今までに結構病気もした。その中で印象に残っている、病気や怪我の話をする。

まず、二十一歳ごろ健康診断を行った。その時、血圧の検査で引っ掛かった。最初、最高血圧が一七〇代で最低血圧が九〇代だった。検査人はビックリしてた。深呼吸を三回し、もう一度測る。が、最高一六〇代、最低九〇代。三、四回測っても、最高一六〇代、最低九〇代だった。


「二十一歳の若さで、最高一六〇は高すぎるので、医者に診てもらって下さい」


と、検査人に言われ、内科医院に行く。

医者に行って血圧を測ったら、なんと最高値が一八〇代もあり、先生に若年性高血圧と言うような病名を言われた。

まだ若く血圧がこれほど高い人はあまりいないとのこと。二十一歳ぐらいなら、一二〇代と言われた。食生活を改善するよう心がけてと、注意を受けた。

例えば、塩分を控える。野菜を多く採る。酒を飲み過ぎない。適度な運動など、もう少しあったかも知れないが、こんな感じだ。

結局、医者から血圧を下げる薬を支給され、その日から一日三回飲み始めた。そして三日後、医者で診てもらうと、薬のお陰で最高一四〇代まで下がっていた。先生は、薬を続けてく様にと言った。薬がこんなに効くのかと感心してしまう。

その頃、運送会社に勤めていて、会社の控室でドライバー達と昼食を食べる。その後、僕だけ薬を飲んでいた。ドライバー達はなんの薬かを知りたい様な目線を送る。一人のドライバーが聞いてきた。


「のりた、なんの薬だ?」


と先輩ドライバーが。


「はぁ、これは血圧を下げる薬」


と、消極的に言った。

するとみんなは爆笑した。同僚は笑いが収まると、若いのにどうしてだとか、酒の飲み過ぎだ、しまいにはソープの行き過ぎで血圧が上がるんだ。など、ちょっと言われっぱなしだった。

だけど僕はドライバー達の喋りかたがおかしくて笑っていた。そのため、血圧も上がっていただろう。

その後、高血圧で薬を服用していることが会社中にバレた。上司には健康管理に気おつけなさい、と注告される。上司はなぜか会社で血圧計を買ってくれ、控室に置いてくれた。

ドライバーは不規則なため、僕の病状から急きょ設置したのだろうか。

みんなはのりたのための血圧計かよと、初めは言っていたが上司はドライバーさんのためです。と、言ってくれた。

この血圧計で一度、血圧測定大会たることをドライバー達と控室で行った。すると結構高い人達がいたので、自分はちょっとホッとした。

数カ月経ち、血圧が最高一三〇、一四〇代と安定してきた為、医者の先生は薬を最初より弱めにしてくれた。

そして医者は薬を止めていいでしょう。とOKがでた。長かった薬の日々。

結局、十一カ月ほど飲んでいた。先生は、これからも今までの様な生活を続けるようにと言った。

今でも食生活に気に掛けたりしているが、血圧は高い。最高一六七、最低九七。これは今測った数値だ。なんですぐに測れるのか。

それは血圧計を持った。初めのうちは毎日測っていたが、最近はたまに測るだけ。これじゃあダメだが。もうちょっと健康に気づかうようにならないとまたぶり返す。

タバコを一二年前にやめた。始めは辛かったが、なんとかやめられた。お酒はと言うと、大好物なのでやめないでしょう。いまは毎日二合飲んでいるのだった。これでは血圧が上がる一方なのに。




 次はソープランドのお姉さんがナニの亀頭部(カリ首)に白いイボ状ができていると指摘され、泌尿器科医院に行った話をする。

ソープの姉さんに言われてから七年後、医者に行った。なぜこんな後かというと、白いイボ状が増えてきたからだ。

泌尿器科医院の待合室で待っている時、一体カリ首のイボはどう治療するのだろうと、不安だった。

診察室に入り、下半身裸で診察台に寝た。ちなみに仮性包茎のため、あらかじめナニの皮をむいた。

そして先生が僕のナニをつまみながら観察して言った。


「コンジロームができてるねぇ、結構たくさんあるし、これは焼くしかありませんね」 


「えっ、焼く?」


と思わず声を出してしまった。

先生は電気メスのような器材で焼くしかないと言った。電気メスなんて、いかにも痛そうだ。男性の急所を焼くとは嫌だなと思いながら、治療は後日ということになる。

午後の休診日が治療日だったため、そんな時間が掛かるのかと思ってしまう。かなりの不安が襲っていた。

とうとう治療台に下半身裸で仰向けだ。近くに目線に困ってる看護婦がいる。そして先生がきて、痛いがガマンしてねと、つぶやいた。長細い電気メスが目に入る。麻酔は掛けられない場所だからと、先生は言いながら電気メスを持った。では始めるね、と言った。

 いきなりだった。


「イタッ!」


自分の急所に麻酔なしで、イボ状を電気メスで一つ一つ焼くこの痛さ。もがき動いた。

先生はやりにくそうだったが、気にしていられなかった。

 冷や汗がこめかみに伝わるのも気に掛けていられない。あまりの痛みに、何度も下半身を揺さぶる。二人の看護婦がぼくの足を押さえている。

イボ状は全部で十五個位あり、十五回焼いた。途中先生に何度もまだ終わらないかを聞いた。最後の一つの時、心の中であと一個コールを思わずした。そして最後も、もがき動く。


「はい、終わりました」


僕は放心状態になり、半ベソもかいていた。こんなに痛いとは想像もしていなかった。

看護婦がナニのカリ首に薬を塗り包帯を巻いていたが、痛さの余韻で恥ずかしさなどは全くない。先生はニヤけ、この治療は警察官も泣いたよ、と言っていた。警官だろうが極道人でも泣くと思う。

今後はナニを清潔にするようにと、アフターケアを受けパンツをはいた。自分は二度と、コンジロームにならないよう清潔にするだろう。焼くのはもうゴメンだ。

先生はカルテを書きながら、のりた君もこんだけ焼いたから、あっちの方も強くなるよと、ジョーダンを言った。僕はまだナニの痛みで失笑する。

すべてが終わり、治療費を払い泌尿器科医院を出た。治療の感想を言うと拷問のようである。これならなにもかも白状しそうだ。

そのあと、たしかハローワークへ行った。ここにいる人達は、僕がナニに包帯を巻いて求人票を観ているとは誰も思わないだろうなと。

あとの病歴は簡結に言いたい。なぜかと言うと、思い出したことを長く述べようとするので、読者は飽きると思ったからだ。

まず痔から。痔の始まりはかなり古い。たぶん小学校からだと思う。その頃、牛乳は飲めなかったし、野菜もろくに食べなかった。そのためウンコが常に固くおしりを紙で拭くと少量の血が度々ついていた。そんなことがずっと続き、今から十三年前の夏に出血大サービスが起きた。朝起きて、顔を洗いトイレに行った。しかし、今日のウンコはとても固い。長いウンの後、お尻を拭くと、血がベットリ紙についた。


「なんだこりゃ」


トイレットペーパーにつく血はかなりの量だった。自分の先々は短いのかと思いつつ、お尻を刺激する自転車で市営プールに泳ぎに行った。

それから四日間、ウンコをするたび出血した。大病を言われる覚悟で医者に行った。

得意の下半身裸にされ、女性の出産のかっこになり、肛門鏡たるものを肛門に突っ込まれた。


「いたっ」


数秒後、先生は一言。


「きれ痔」


痔なのかとかなり安心した。しかし今だ年に二回位、お盆と正月のように、お尻の出血大サービス中だ。

今度は、ちょっとマシな歯の話。

僕の歯は小、中学校時代虫歯に悩まされていた。そして、歯医者は嫌いなため治療になかなか行かない。そんな時代もあったが、今は全部治した。上前歯三本さし歯になったり、奥歯はブリッジや銀歯になっている。

ある日、上の左奥歯ブリッジが痛くなり、歯医者に行った。先生はブリッジで支えてる歯の根が、折れているようなことを言った。折れている歯を抜いて部分入れ歯にしましょうと、言っていた。


「入れ歯?」


僕は動揺した。まだ三十代なのに入れ歯になってしまう。自費治療ならブリッジにできるようだが、治療費がかなり掛かるらしい。

もし、自分が歯医者の息子だったら、治療はタダで金持ちかなと考えていた。

そして、渋々入れ歯を造ってもらった。始めはやはり慣れず、違和感があったが、毎日使ってたら日常の週間となり、なんともなくなった。

現在も左上の奥歯三本そろって取り外しができる『入れ歯』である。



最後にもう一度、下の話をしたい。汚いが、ごめんなさい。

その病名は、前立線炎という。この病名を知っている方は、そんなにいないと思うけど

男性の病気だ。

二十三歳のトラック運転手の時、小便をしたあと又下が痛くなった。痛くなったというのは、なにかにぶつけた痛さではなく、又の中からジーンとくる痛さ。思いあたることは、トイレをガマンするのが多いこと。 

ドライバーの仕事だと常にトイレがあるわけではなく、大小構わずガマンしてしまう。

このことが原因か、それとも性病かと思った。

当時、初めて泌尿器科医院を訪れた。順序はわるいがコンジロームより前のこと。

そして、先生に症状を言うと、小部屋の診察室で待っててくれと言われ、下半身裸になり診察台に寝る。一体どのように調べるのかと考えていた。

先生が来た。なにやら指サックをしている。そして次の瞬間、肛門に指を入れた。思わず、


「うっ……」


意表をつく検査でポカーンと放心状態になる。先生は、前立線の腫れを調べたと言っていた。腫れているらしく前立線炎と診断された。

原因を聞くと、長く車の運転をしていることや小便をガマンしたり、過度の性生活やストレスが主と。まさに原因が一致する。

そして、先程の検査を前立線マッサージと言うらしく、その時採取した液を顕微鏡で見て菌を確認した。先生は薬で治すが長引くと言った。

先程の前立線マッサージをした時に、痔を発見したらしく、先生はついでに痔の治療もするよう勧められたが、断った。何度も肛門をイジられ、放心状態になるのはゴメンだった。

前立線炎はやはり長引き、四ヶ月位掛かった。しかし、何カ月後にまた再発した。この前立線炎は一度なると、しつこく再発しやすい病気なので、不摂生しないように心がけてください、と言われていた。

結局、二十三歳から今までの不摂生多い自分は、血圧と同様で前立線炎が発生したり治ったりを繰り返している。

現在は発生してなく良好だけど、また発生するのかしないのかは自分次第で決まる。それはお酒がネックだった。


入れ歯のところですが、いまでは上が総入れ歯のような入れ歯になっています。外食などの場合、こそこそトイレに行き、入れ歯を水で洗っています。とても面倒ですし、見られたら恥じなことです。寝る前に歯を磨かなかったことを悔やんでいます。

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