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マスター先生

世の中変わった人生を送る人がいる。それがマスター先生。人生の参考になった人の話。


マスター先生


飲食店店主の呼び名はなんだろう? 寿司屋や小料理屋は板長、親方と呼び、女性を女将さんと呼ぶ。喫茶店やバー、スナックなどはマスターと呼び、女性をママ呼ぶ。今回はぼくが知り合ったバーのマスターについての話しをしたい。

三十代初め、知人女性が市内のワンショットバーに行こうという。

彼女は何度もそこのワンショットバーに行っており、マスターにぼくのことをよく話題に出していたらしい。それでぼくを誘った。

 いままでは居酒屋派でワンショットバーなどほぼ行かない。大人の雰囲気が苦手だった。 

知人女性と入ったらまだ店を開けたばかりで客はぼくらだけ。早速、彼女はぼくのことをバラす。するとマスターは、はまじの来店に目を丸めていた。たいしたことはないのに。

マスターはぼくのひとつ年上。長野県小諸市出身で顔はワンショットバーのマスターらしく色男だった。長野の高校を出て常葉学園大学教育学部を卒業。在学中は教育実習の経験もある。 

 ではなぜ、バーのマスターかというと、大学時代にワンショットバーで長くアルバイトをしていた。それがとても気に入ったらしく、この業界に入ったという。

しかも以前は店も経営している。店の権利を買い、経営して固定客も大勢いたようだ。 

経営を辞めるころ、ほかの人に店の権利を譲ったともいった。それからスカウトされ、今度は雇われマスターとなっていた。

その後、ここへは知人女性と度々行った。ぼくは『男はつらいよ』の寅さんのたんか売いがいえるのでよく披露した。マスターも寅さんが好きらしく、たんか売いをいうぼくを面白がり、教えてくれとなった。二人でいい合いもした。

雇われマスターのバーは朝までやっているので、一人でよく向かった。値段も高いわけではない。店主催のバーベキュー大会や花見にも出た。いつの間にか常連になった。それはマスターとの相性が合ったからだ。彼はやはり色男なため女性からは人気もあり、もてるようだ。だが、すでに結婚をし子供もいた。店に来る客には繁盛するため隠しているようだった。

しばらくぼくは店に行かなくなった。理由はマスターが系列のスナックに移ったからだ。 

今度はスナックのマスター。やはり割高なため、行かなくなった。

数年たち、知人女性からワンショットバーやスナック店を畳んだと聞いた。ぼくは驚いたが、飲食商売は景気に左右され大変でもある。マスターはどうしたのか、知人に聞いたら、辞めて田舎で教師をしているという。

早速、知人にマスターの住所を聞いて手紙を出した。月日がたち返事が来た。中学校で教えているらしく、テニス部の顧問でもあり、さわやかだなと思った。バーのマスターから一転、学校の先生とはとても凄い。

数カ月後、手紙が自宅へ来た。手紙の主はマスターではない。

『僕、はまじ』(彩図社)の本を出したのが好評で、全国各地の読者から手紙を頂いた。子供の字なので読者からの手紙とそこでわかった。でもおかしい。出版社の封書でなく、直でぼくの住所へ来た。

なぜぼくの住所を知っているのか疑問が出た。

 早速読んでみると、どうもマスターが教えている小学校の生徒らしい。差出人の住所が天竜市だ。『あれっ、マスター長野の小諸市なのに。それに中学ではないのか?』と疑問になった。

マスターはどうも生徒にぼくのことをネタにしていたようだ。そのため生徒が『はまじ』と知って、先生に住所を聞き、手紙を書いて送ったらしい。内容はサインと写真の要求、アンケート用紙に記入することだった。

マスターも余分なことをいったな、と少し思った。

一応すべて答え、要求をのみ返送した。

 このようなマスターの教え子から三通ほど手紙が来た。ぼくもマスターに不幸の手紙でも出すかもしれない。

それにしてもマスターは天竜市にいるのかとなる。 

その後、携帯に突然マスターから電話があった。ぼくの携帯の番号は知人から聞いたらしい。マスターは事情があって掛川市に住んでいて、天竜の学校まで通っているらしい。掛川から天竜とは結構な距離のはず。

 いろいろ話すことはあったが、マスターのメールアドレスを聞いて、今度掛川で飲もうとなり電話を切った。彼は生徒へぼくのことをとてもネタにしている。返事を生徒へ送ってくれてありがとうとと礼をいっていた。ぼくはすべての手紙に返事を書いているので、当たり前だった。

その後はメールでのやりとりだ。ぼくがマスターへ送ってもすぐには来ない。大体七時間後の夜中に返信が来る。こんな遅くまで起きているのか。

そして久々にマスターと飲むことになった。二〇〇三年も師走に入った下旬、その日は土曜日。

ぼくは掛川駅まで各駅電車で向かった。

夕方五時すぎに着いたが、マスターはまだいない。そこへ携帯電話が鳴り、着いたのかという電話だ。二分後、奥さんの運転の自家用車からマスターは降りた。久々に見る顔は前と変わらず元気そうだ。

早速、駅近くの安い居酒屋へ入った。ここは食べ物、飲み物がすべてて三百八十円。その名もズバリ居酒屋『さん八』。

マスターとは近況を話しながら飲み食いした。教師をしている話しやぼくの活動の話しなどだ。当然数年振りで話しは弾む。学校の先生は非常勤職員で正規なではないという。  

正規になるには公務員試験にパスしないとダメらしい。それは大変だろう。自分も郵便配達の試験を六年ほど連続で受けたが、受からない。それだけ公務員は倍率も高く狭き門だ。人々は度重なる不況に、安定を求めるのはわかる。増しては教育委員会の教師の試験となると、かなりむずかしいだろうな。

 なぜマスターが掛川に住んでいるのかを、酔いがまわり問い始めた。まず長引く不況で世のなかの水商売は先が見えないことを話したり、せっかく持っている資格を活かしたいと答える。

ぼくもその意見が正しいとマスターの意気込みには感動をした。

でも店を辞めるとき、オーナーはマスターをどうしても手放しくない。

マスターの方が一方的に店を辞める感じになったと聞いた。

やりたい夢があるのなら仕方がない。ぼくも当然その意見であるので、現在も夢に向かっている。

そんな理由で彼が勤めていた店のお客さんたちには、表向きは田舎に帰り、ワインのソムリエ修行をするとなっていた。本当は奥さんの実家がある掛川に来ていたということだった。

そこで非常勤職員であるが教師になったという。非常勤だと各学期ごと学校が変わってしまうらしい。生徒と先生の絆が出来たころに他校へ変わるため、お互い切ない感じになるようだ。

実際、マスターの生徒がぼくに手紙が来たとき、そのような内容が書かれていた。毎学期の生徒とのお別れ会では、わずか三カ月でもマスターは涙を出してしまい、生徒も悲しんでいる。やはり彼は子供たちにも大人気だった。しかし雑談にはぼくも使われているのだ。

逆にマスターもぼくの本を読んで感動してくれたらしく、生徒に読むようにと宣伝してくれている。つまりマスターはネタにしているが、自動的に本の宣伝もしてくれた。感謝しないとならない。

どれも三百八十円ならビール、お茶割り、日本酒、ウイスキーとグラスの中身は変わり、時間とともに酔いがまわった。

店を変えることになり、教師の仲間も来るからとなった。マスターの同僚の女性二人と男性一人が来た。総勢五人だ。女性ひとりと男性は婚約者である。しかも男性は消防士。つまりぼく以外官民だ。

ぼくの知る水泳仲間のイワさんも数年前、県庁の職員に受かった。

二百人中、十人が受かりその一人だ。不況のなかで選ばれた人はかなりの努力をしたのだろう。

その人たちとはけっこう盛り上がった。社会の先生がいたので、透かさず世界の陰謀話しをしたらぼくの話しが通り、やはり社会の先生だと感心をした。よくその手の話しを知っているとも思った。

初対面だがみんなと飲んで楽しいときを過ごした。十一時ごろの電車に乗らないとならないので、みんなと別れた。

帰りの電車は酔いのなか、マスターの努力する姿やバーのころと同じで、人望の熱厚さはなにも変わっていいない。先生になってもやはりマスターは人気者だった。

その後、二〇〇四年の三月にも二回目の掛川遠征の飲み会をした。

今回は男性三人でやはり同僚と、遅れて清水から昔の常連客の一人が来た。マスターの子供も入り総勢六人。

 このときも初対面だが、盛り上がって飲み過ぎた。なんとトレーナーと家の鍵を忘れたくらいだ。幸いマスターが持って帰ってくれ、居酒屋に忘れずにすんでよかった。つまり三回目掛川遠征飲み会もあるのだ。

ワンショットバーのマスター時代から楽しい人とわかり話しも合っていた。そんなマスターが教育の先生になったことをぼくは引かれた。マスターなら生徒がついて行くと思うし、悩みもその場で相談にのるだろう。先生になって結構努力したと思われる。

 現在教育の世界は不登校やいじめ、登下校の管理などで授業を教えるだけではなく、アフターケアも仕事の一部であり、先生方の神経が大変だ。そこへマスターは教師として挑戦している。凄い。生徒の手紙を読むと先生としての人気もあり、三カ月だが常に楽しいクラスの様子も出ていて、ぼくも通ってみたくなった。

今後、また飲むことでマスターにクラスでの教え方のマネをしてもらい、ぼくもマスター先生をマスターしたいものだ。夏に行う試験に合格するのを祈っている。


その後マスター先生は、長野県の教職員の試験に合格。現在は諏訪市に住み、小学校の先生として活躍している。僕の一つ上だから五十二歳である。定年したら、もしかしたらバーをやりたい、といっていた。その前向きさを聞き、目標を持つことはいいことであると思った。マスターよ、君には到底かなわないのりたであった。


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