飲んだら乗るな!
三十七部まであります。正直編集をし直したいです。大人の話し→子供時代→大人になっています。これでもよければ続けて読んでください。のりたがなんかしたらしいです。
飲んだら乗るな
ぼくは、『浜崎憲孝容疑者』となった日がある。それは平成十三年の夏だった。その日は友人ニモネニと競輪に行く約束で、ぼくの車で迎えに行った。競輪場に行くには、自転車で行く場合と車で行くときがあり、この日は車で行った。それが後々痛い目に遭うのだ。
競輪場には無料でお茶やウーロン茶が飲める特典つき。ぼくらはこの特典を大いに利用する。それは焼酎を持参して行く。
競輪場に着き、早速お茶をもらいコンビニで買った焼酎で割って二人は乾杯した。これで帰りは飲酒運転で帰ることになる。
何回もセルフサービスのお茶をとりに行き、バクチを打ちながら酒を飲む。絶対に女に持てない行動だった。
昼間から飲み、気分がとてもよくテンションも上がった。
競輪の結果は二人ともマイナス。ぼくは負けでも一点百円で掛けていたから遊びだ。ニモネニは結構掛けているので本当のマイナスだった。真夏の昼から酒を飲んでるため、体も暑くなった。
「もう少し飲むか」
と帰りの車中でぼくがいった。
友人を家に送る途中、近くに居酒屋があり、車を駐車してのれんをくぐった。
焼酎のお茶割りをグイグイと飲む。二杯が三杯と一時間ほど競輪話しを語りながら飲んでいた。
その日は清水の祭りだ。自転車に乗って見に行こうと居酒屋を出た。ニモネニ家まで一キロもない。祭り気分になってウキウキし車にエンジンを掛ける。わけない距離を送っていく。その道中でガーンと音がした。瞬間、フロントガラスにはヒビが入った。
一瞬なにが起こったかわからず、友人と目を合わせる。車は動かない。ふと左側を見ると電柱にぶつかっていた。
「あっ! 事故だ」
とっさに友人は外に出て車を押した。しかし動かない。ぼくはあと百メートルの距離をなげいた。
するとヤジ馬が集まった。ぼくは見物人と酒の酔い、それに事故でパニックになっていた。ヤジ馬の目が自分へ集中する。もし、車が動いて逃げてもナンバーを通報され、捕まるだろう。二十人ほどの目撃者がいる。
「どうしよう、飲酒事故で捕まるのか」
とブツブツいっていた。
ヤジ馬のおばさんが『あなたお酒飲んでるね』というではないか。
十五分位すると警察が来た。携帯電話で警察へ通報する男を見ていた。
ぼくはパトカーで事情聴取されるが、酒のせいで気が大きく飲酒検査の署名をしなかった。ふてぶてしい態度だったのだろう。するとぼくの態度を見兼ねた年配の警官は、
「逮捕だ、逮捕だ!」
と鋭い口調でいった。
「えっ、逮捕っ?」
逮捕になると警察の態度が一転して厳しくなった。そして本物の手錠を初めてされた。
小学生のときに駄菓子屋で買った手錠とはまったく違い、夏というのに手首がきつく冷やりとした。まさに鶴の一声の出来事で、ぼくの頭中はさらにパニック状態になってしまう。
車は電柱にぶつかったままで、手錠されパトカーで連行される。
ニモネニと目が合うと困った表情で見ている。
ぼくは彼に向け笑った。すると警官に『笑うな、逮捕されたんだ』と怒られた。ぼくは、
「免許とり消しになるのか?」
と聞いた。
「お前、結構飲んでるからな」
あいまいな返答だ。今後の人生が危うい。今まで運送や配送の仕事ばかりだ。免許がないとなんの仕事が出来るか不安だ。
警察署に着くと腰縄ヒモを巻かれ、罪人のカッコになった。パニックのまま軽いとり調べを受けた。清水署に来てまだ酔っていた。だが反抗心はなくなった。
その後、未知の場所に連れて行かされた。留置場だ。
留置されるときは夜九時を過ぎている。入る前に所持品をすべて没収する。お金がいくらあるか、サイフのなかにある物一枚一枚没収し票にサインをする。その日ぼくは短パンだ。看守がヒモを没収するからと、短パンのヒモをとる。なんでこんなのとるのか不思議だったが、看守は自殺防止という。まあ納得した。
そして留置されるとき看守は、
「静かにしろよ、みんなもう寝ているからな」
夜九時が就寝か。まず布団の置き場へ行き布団を持ってくるよういわれた。そのときいつの間にか布団置き場に、『浜崎』の名がはってある。ぼくはいつまでここに入るのか疑問になった。
留置場は鉄の棒で冷たいコンクリートのようなところと思っていたら、鉄の網で造られた入り口で、なかは畳みだった。五畳ほどの部屋で、隣接するトイレはなかが見えるようになっている。
すでに二人寝ている。真んなかに布団を敷き寝ようとすると看守は『浜崎、水を一杯飲め』と、プラスティクのコップに水を持って来た。一気に飲んだ。もう一杯飲みたかったが、ガマンした。
三人は川の字で寝る。しかしぼくは寝られない。まだ頭のなかが混乱しパニック状態だった。まったくバカなことをした。母にバレたのか。この人たちはなんの罪を犯したのか、などと考えていた。
留置場は八房ほどあり、一時間位に一回見回りに来る。ぼくは寝たふりをしている。時計がなく時間がわからない。鉄棒のついた窓はある。夜が明けたとき、午前四時ころかと思っていたり、ここの起床は何時だろうか、などを考えていた。
夜中、小便をしたかったが二人に迷惑と思い、トイレに入らなかった。早朝になると限界になり大もしたかったのでトイレに入った。
新入りのくせに、早朝から大をしたのだ。しかも入ったからには全部出し切るため、二十分はトイレにいた。
和式トイレのカギはなく、顔の辺に窓があり外からだれが入っているかがわかる。これが留置場である。
トイレ後、スッキリして布団に入ると、少し落ち着いてきた。寝られそうだったが、起床がきつくなるので起きていることにした。
突然『起床』と声がした。音楽も掛かった。
同房の二人は起き、布団を早わざで畳む。自分も横を見ながら急いで畳んだ。そして、いそいそと部屋の掃除も始めた。ぼくはなにをすればよいのか、キョトンとする。『なにか手伝います』といったけど、『いいよ、見てて』とぼくと年が変わらないようなNさん。
掃除が終わり、房を出て布団置き場へ載せたとき看守に『酔いは冷めたか』といわれ、小声で返事をした。
次にタオルと歯ブラシを支給され、数日は貸しとくがタオルや洗面用具をそろえるようにいうではないか。いつまでここにいるのかと、昨夜の行動を後悔した。なにもなければ祭りは楽しかったはず。いまごろニモネニ家で二日酔いだったろうに。
続いて歯磨きは順番で、早く磨けといわれる。
洗顔を終え、ほかの房をそれとなくのぞくと、二、三人ずつ入っていた。そして白ボードに留置人数二十人と書いてあった。こんなに入っているのかと、不況で犯罪が多いことを知った。自分のイメージは三、四房で各一人ずつかと。
房に戻り朝食。そのときNさんやRさんに自己紹介した。なんの罪で捕まったのかを聞くので、飲酒運転の自損事故で悪態のため捕まったと話す。
「飲酒運転で留置されるとはな」
と、Nさんはそういった。ぼくが悪態だったことをつけても不思
議のようだ。
そのときの朝食は、一斤のレーズンパンとみそ汁。このコンビネーションはなんだと。
精神的ダメージは大きく、みそ汁だけ飲んだ。パンはのどを通らなかった。まったく食欲がない。そのとき、Nさんは自分のことを少し話してくれた。関西の人で清水の遊戯施設で機械を使い違反をして捕まったといった。つまりインチキをしたらしい。Rさんは一見恐持てのスキンヘッドで、捕まった理由はいわなかった。ただ者ではないだろう。ただ話しをすると感じのいい人だった。
朝食が終わればなにをするのかと思ったら、自由時間のようで、本も読める。看守が読むか聞いてきたので、暇だろうし読むことにした。ろう屋を出て小さな本棚に行くとマンガを選んだ。まさかマンガがあるとは思わなかった。
房の人に聞けばとり調べがなければ、本を読んだりしているという。留置は労役がないため暇になるのだろう。
自分は正式のとり調べをしておらず、看守からこの後、調べがあるといわれた。そして、
「浜崎、調べだ」
留置場から出ると、腰縄ヒモに手錠を掛けられ、逮捕した年配警官に連れられ交通課のとり調べ室へ入った。
年配警官は巡査部長らしく、なぜ逮捕されたかを聞いてきた。ぼくは酒を飲んで態度が悪かったからと答えた。巡査部長は、
「素直に署名していれば逮捕されずにすんでいたんだ」
といわれ、後悔先に立たずという思いを何度も駆け巡らせていた。
調べの前に巡査部長は、
「もし、あの電柱の所に子供がいたらどうするんだ!」
と怒鳴られ、その通りなので背を丸め小さくなっていた。
年配警官は小柄のわりに迫力のある声であった。警察官として罪人にはとても厳しいことを知る。
そしてとり調べが始まる。まず出生から今までの生い立ち調書をとる。次に事故当日の行動、模様など細かく聞いた。
とり調べ室はやはり狭く、スチールの机とパイプいすと灰皿しかない。
ぼくから話を聞き警官が調書に書いていくため、時間が結構掛かる。途中、別の警官が入って来てひそひそと話しをする。ニモネニが警察に呼ばれ、昨日の行動を調書にとらされていたらしい。二人の口裏が正しいのかたしかめていた。
調べは三時間位で、罪状は酒気帯び運転の道路交通法違反だった。証拠の検知器を見せられ、ひと安心してはいけないが、免許がとり消しにならなかったことで気が柔らいだ。
とり調べが終わり手錠と腰縄ヒモをされ、また罪人のカッコになる。警官に『メシ食ってこい』といわれ留置場に戻った。
同房の人が、どうだったか聞いてきた。酒気帯び運転になったことをいえば、『よかったな』と励ましてくれた。
昼食はカレーライスだ。カレーが出るとは思わなく、食が進む。
食事が終わり、Nさんがそわそわしだす。看守の方ばかり見る。
「Nさんどおしたの?」
と聞いたら、一時から『コレ』といい、口に二本指を立てた。
「えっ、タバコ吸えるのですか?」
と、目を見開いた。留置場では日にタバコ二本が吸えるようだ。ぼくは二年ほど前にやめたため、待ちどおしくないが二人はタバコタイムを待っている。
タバコを吸うところは留置場の外で、囲いをしてある小さな広場だった。そこへほかの房の人たちも出て来てみんなで吸っている。そのとき、新入りの自分になぜ捕まったのかと質問された。ほかの人たちはなんの容疑か知らないが、わりと笑みの出ている人たちだ。
タバコタイムは十五分ほどで、みんな二本立て続けに吸っている。相当待ちどうしかったのだろう。たばこをやめられて心底よかった。
何度も禁煙したがダメだった。吸えばやめない。だが禁煙する意思は出るが、また吸うを繰り返すから。タバコ代も上がっているので早いうちに禁煙したほうがいい。
ろう屋に戻ると読書タイムになる。Rさんはぼくにいった。
「酒気帯び運転で二日もここにいるのはどうもおかしいよ。たぶん今日に出られるではないかな……」
二時間後、看守が
「浜崎、写真を撮る」
また手錠に腰縄ヒモだ。その鑑識は留置場入口の横にあり、ほんの五、六メートルだ。
それにいちいち手錠と腰縄ヒモはバカらいと警官は思わないのか。
そこには調子のいい警官がいて、カメラマンのように写真を撮っている。正面、横、左右斜めといった感じで、自分は完全に犯罪者になった。
次に指紋だ。指紋専用のコンピューターに両手のひら、十本の指、両横のひらとこと細かく採られた。これで全国指紋識別センターに登録したことになり、なにかの事件で自分の指紋が出たら、警察にお呼びが掛かるわけ。とにかく逮捕されると、警察に登録されることが経験上わかった。
鑑識が終わり、逃げるわけないのに手錠と腰縄ヒモで数メートル先の留置場へ戻る。
Nさんたちに写真と指紋を採られたというと、酒飲み運転で鑑識通すとはな、と不思議にいう。
それから三十分ほど過ぎ、鈴の音がカラカラ鳴ったて。あの鈴の音は車のキーの音だ。
なぜだろうかと思っていると看守が現れた。
「浜崎、釈放だ」
まさかと、ぼくの心は晴れ上がる。Nさんたちはまだ入っていなければならないため喜びの表情は隠した。そのNさんから『よかったな』と笑顔でいってくれたことを忘れない。
房を出るたびに手錠をするので、手錠されるのを待っていたら看守が、
「なにやっているんだ、早く所持品の受けとりにサインしなさい」
そういわれた。一日とはいえ留置場に慣れてしまった。
そして手錠なしで交通課に向かう。すると母が迎えに来ていた。とてもバツが悪く目線を合わせられない。たった一泊だったが、警察から何度か電話があったに違いない。もしかすると新聞に小さく出たのかもしれない。そんな思いで迷惑が掛かっていた。
母と巡査部長と交通課長におわびをして清水署を出た。
家は近いので歩いて帰る。母は手にぼくの着替えを持っている。なぜかと聞けば、警察に一応着替えを持ってくるようにといわれたらしい。ということは、まだ留置するつもりだったのか。ぼくはため息が出た。
それに小さく新聞に出たともいう。それはショックだ。友人や知人、仕事関連にわかってしまう。逮捕されるとされないでは、こんなに違うことを思い知った。なぜ警察は新聞社に逮捕者の情報を流すのだろうか。見せしめにするためか、そこは頭に来る。もし新聞に出せば世間に知られ、二度とやらないだろうと統制をしているのだろうか。
家で早速新聞を見ると、『浜崎憲孝容疑者(三十五)は道路交通法違反で逮捕……』となっていた。新聞に出たことで弟や知人から電話があったらしく、新聞という脅威も思い知らされる。
そして車の修理屋に自転車で行き、レッカー代四万円(高い)を払いに行った。修理に一カ月掛かるらしく、自業自得なので仕方ない。ちょうど修理屋から帰るとき、港祭りの最終日で花火が高々上がっていた。この花火も見に行く予定だったが、自分の心とまったく違い夜空に花が咲いている。自分が悪かったとため息ばかり吐いていた。
免許証のことだが満点では十五点ある。自分は以前シートベルト違反で一点とられていた。十四点から今回の酒気帯びで、当時はマイナス六点。合計マイナス七点だ。当然、行政処分の対象だった。
それと罰金もある。九月になり書類送検のため、検察庁へ出頭した。また事情聴取を受けた。この調べのとき、ほかの検察官のところへ警官と罪人が次々、罪の確認に来ている。
身柄を送検して罪状認否ということだった。それを横目で見たとき留置場を思い出し、二日もいたらこのように来ることになったのだ。いまから考えると警察組織は怖いところだ。
結局、略式裁判で罰金は五万円。痛いが支払った。現在は五十万ではないか。こういってはおかしいけれど、それに比べれば酒気帯びがそのときでよかったのかもしれない。
免許証の行政処分はマイナス七点で三十日の免許停止処分になった。しかし行政処分センターに講習を受けに行けば、二十九日短縮になり一日だけ免許停止になる。お金が一万四千円位掛かったが受けた。
実は行政処分の講習を受けるのは二回目である。十代後半に原付きで、スピード違反や二人乗り、信号無視、極めつきは十九歳のころ酒気帯び運転原付きバージョンをしてしまった。違反点数が蓄積して全部合わせてマイナス十三点になり、免許停止は九十日をくらっていた。講習は二日あり、九十日が四十五日の短縮になった。そこを考えると反省がない感じだ。もちろん逮捕にはなってないが。
ぼくの経験から酒類を飲んで車などに乗ると、ものすごく痛い目に合う。たぶんカニエイとの過去の制裁で、神様は最大の罰を下したのもあるだろう。
平成十四年六月から飲酒運転の処罰が大変厳しくなったので、ぼくと酒愛好家の方々は絶対に『飲んだら乗るな!』を守ろう。
いまから十五年まえの話しです。あれからいままでお酒での不振事はありません。もうあそこへ入るのはご勘弁願いたいです。手錠に腰縄ひもがなんといっても屈辱的です。